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hasunoha 問答検索結果 : 「お坊さん 人生 」
検索結果: 2747件

生きながらえている意味が見出せません

生きながらえている、とは書きましたが大病をしたわけではありません。 ただ、この死因にあふれた世の中で運よく日々を生きてこれてしまったわけですが、いつまでものらりくらりと生きていていいものか疑問に思います。 なぜこのように考えるようになったか順を追いますと、私は昔から他人の期待に添うように行動してきました。 親や学校の先生、友達、赤の他人… そうしているうちに、突然、「私ってなんだ?」という疑問が降ってきたのです 「いい子だね」という言葉に惑わされ、へらへら笑っているうちに本来の自分をどこかにおいてきたのではないか? そのことに気づいてからはちょいちょい心の健康を損ないました。 いくら疑問を抱いても、長年しみついてしまった「いい子であること」はそうそうやめられません。 何度か死にたいと思うこともありました、そのたびに「実際そんなに死にたくないな」と思って先延ばしにしていました。 直近のことです、就活が始まる年なので、インターンシップなどを調べていた時のことでした。 「働いてまで、お金を得てまでしたいことってなくないか?」 ということに気が付いてしまったのです。 これまで、つらいことがあったら「あと○年頑張れば自分でお金が稼げる」と思って心の支えにしてきたのですが、よくよく考えてしたいことって? そもそも今も研究室に朝から晩まで拘束されてほかのことなんてろくにできず いつキレるかもわからない教授たちにおびえ、六に教えてもらえないまま実験をし… 書いていておなかが痛くなってきたので尻切れとんぼになりますが、私はどのように考え方を改めたら、どのように日々を受け止めるようにしたらいいのでしょうか。 まとまらない長い文章をすみません、よろしくおねがいします。

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中年期のコンプレックスからの脱却ついて

皆様、こんにちは。 中年期のコンプレックスからの脱却、やるべきことへの向き合い方についての相談です。 私は身体的な特徴故、幼少より、親族をはじめ学校の先生・クラスメート、社会人になってからは職場の人にからかいを度々受けてきました。また変な先入観をもたれ、社内外でセクハラを受けることもありました。 そのため外見にコンプレックスがあります。(コロナ禍で生活が変わったこともあり、何の拍子か一時忘れていたコンプレックスが再燃してしまったという側面もあります。) 10年近く連れ添っている夫は人格者であり、私のことは「愛嬌のある姿をしている。朝見ると元気が出るし、夜見るとホッとする。存在自体が可愛い。」と言ってくれます。 加えて私の年齢が30過ぎということもあり、自分の身体云々よりも、他者や社会への貢献、内面の成熟に注力する過程にとっくに入っていると思います。 しかし今だ身体へのコンプレックスがあり、人間としての浅さに、我ながら呆れ、軽蔑の念さえ抱きます。 どうしたらコンプレックスから離れ、年相応に向き合うべきことに集中できるのでしょうか。 仏様の教え、お坊様方が実践されていること等ありましたら、ご助言いただけますと幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。 最後になりましたが、お盆が近づき繁忙期に入るお坊様もいらっしゃるかと思います。暑い最中ですのでお体を壊さないよう、お祈りしております。

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自殺って最高の救いではないか?

全ての苦しみから逃れることが出来、生きるという動から離れることができる。 自殺に対して迷惑!とか好きに死んでもいいけど、他人に迷惑かけるクズは死ぬべき!とかいっちゃう世の中の大半の利己主義な人達からも離れることが出来ます。 自殺は迷惑というのは=自分が損したくない、もしくは自分が死ぬ時に社会の迷惑になってないと思ってるお花畑。老人になって大量の国家予算のかなりの占める医療費を国が払い沢山のワーカーの働きにより初めて死ぬことができる。 しかし自殺は家で首をつれば終わり。アマゾンですぐ買える。 死ぬ前に警察でも業者でも呼んでおけばいい、もちろん死体の横に迷惑料数十万とか置いて掃除代金や葬式代にして貰えばいい。首吊る場所も山の中とかにすればいい。 本来ならマグマに落ちるとかそういうのが完全に死ぬ方法としては最高だと思うけど、そもそもマグマには行けないし遠い。 家族も悲しむけど、それだけ、遺書も70年分くらい書いたりしておけばオッケー。 でも生きてて変な苦しい生き方をしてて親も苦しんでるなら自殺した方が良くないか?と思うのです。 どうせこれから生きててもいい事はないし、小さなくだらん事で幸せを、噛み締めて生きるよりは安楽死した方がマシだろう。 いや実際こわいと思う、死刑囚と同じ死に方だし、何千億年も経っても目覚めないってのが壮大に怖い。 でもおそらく大半の自殺者はそれよりも今が苦しかった、あんまり考えてない小学生とかでも自殺してておそらくその場の雰囲気が大事。 輪廻転生とかいうけど本気で信じてるなら死も怖くないはずだよな。 生まれてきて知的障がいとか植物状態とかに生まれたらそもそも生きてる私という認識すら持てない認知症もそう。俺たちは結局は脳で動く電気信号にしか過ぎないって。 ISISとかの動画とか見たことあります?頭打たれて顔がそもそも原型をとどめていない。そんな人達が意識を残してると思う? 首切られた人は叫んでいて、ある一定に達したら半目になって徐々に意識を失う。 彼らの輪廻は?意識は?沢山殺した人はどうなるの? 結局チリになるだけだろう、魂なんてものはなくてコンピュータシミュレーションのようなこの世界で苦しみいつか死ぬ それが早いか遅いか。 何をしても苦しみはなくならない。 だから私は自殺は最高の救いではないか?と思う。そう思わないでしょうか?

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霊魂の存在を否定されるお坊さまへのご質問

 こんにちは。先日は私の拙い質問にご回答頂き、誠にありがとうございました。また、こちらで何度もご質問させて頂いておりますが、その度毎に丁寧なご回答を頂いておりまして、大変感謝しております。本日は、多少突っ込んだ質問になってしまいますが、自分の中でどうしても整理がつかない点があり、それを質問できるような場が他にありませんでしたので、この場を借りて質問させて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。  こちらのサイトを拝見しておりますと、「霊は存在しない」と回答しておられるお坊さまが何人かいらっしゃいます。お坊さまの中でも意見が分かれる問題なのだと思いますが、私は霊魂の存在を信じており、また輪廻転生もあるのではないかと考えております。霊魂の存在を否定されるお坊さまは、霊感商法やカルト教団への対応など、現実的な対策の観点から、またお坊さま個人の世界認識から、そのような発言をされているのだと思います。しかし、素人の私から見ると「悟り」や「阿弥陀仏の救い」を前提としてお話をされているお坊さまが、「霊魂」の存在を否定されることが、どうしても理解できないのです。  素人の私から見ると、「悟り」も「阿弥陀仏の救い」も、それが一体何であるのか分かりません。そのため、お坊さまが「悟り」や「阿弥陀仏の救い」をお話されることは、「霊魂」や「輪廻転生」のお話をされることと同じくらい荒唐無稽なもののように感じてしまうのです。唯物論者の方が霊魂の存在を否定されるのは理解できるのですが、お坊さまが否定されることは、私にはどうしても理解できません。霊魂の存在については、「分からない」とおっしゃることが最も妥当なのではないでしょうか。  実際に、現代には様々な宗教がありますが「霊魂」や「輪廻転生」の存在などを説いている宗教も数多くあります。もし、お坊さまが霊魂は存在しないと考えておられるのであれば、それらの宗教についてはどう理解されているのでしょうか。  このような突っ込んだ質問をして、誠に申し訳ありませんが、霊魂を否定されるお坊さまのお考えをどうしても伺いたいと思いました。ご回答頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。

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自ら死ぬ時、まわりを後悔させたくない理解してほしい

2度目の質問を書きます。 お盆には彼の実家の手伝いをし、彼の四七日がありました。檀家さんへの挨拶では私との付き合いを再び話されました。葬儀でもそうでしたがすでに有名人です。家族のように存在するが家族ではない、彼の実家は孫が生まれて明るい光が差し込んでいるのを感じますが、それがまた私だけ とりのこされたようです。昨日から自宅に戻りましたが以前よりも孤独の苦しみを感じます。気持ちが落ち着いたと思っていたのに、冷たい顔、痛々しい跡。留守電に残った「電話に出てください、誤解なんだお願いします」と言う言葉を何度も聞いて、自ら死を選ぶ道しかみえません。ただ、急にいってしまう事はまわりに後悔する人を増やしてしまう、迷惑をかけたくないと思いますので、仕事を休みまわりにも楽になるために自分で選んだ道、誰に何を言われようと生きてはいけない。と言うことを伝えて死にたい。悲しませることは分かりますが早く楽になりたい気持ちしかありません。10月には百か日が終わりますので、それまでに片付けなどを済ませていきたいと思います。これからは辛い、苦しい悩みは他人には言わないようします。こういう道もあるのだと思いますが、仏教の教えでもよしとはされないのでしようか? 何か一言でも言葉がいただければ今日1日のちからとなれる気がします。 よろしくお願いします

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仏教の今後

仏教は日本人の死生観に深く根を下ろして文化として素晴らしいものがあると思います。 しかし、こんな歳になるまで不勉強で恥ずかしいのですが、大乗非仏説を初めて知りました。 そして原始仏教と日本の仏教はかなり異なる事、律蔵があまり重視されなかったので、日本の僧侶は在家と変わらない事を知りました。 よく、キリスト教徒が進化論や地動説を信じないのを不思議に思ってきましたが、日本の仏教は実は(全てではないでしょうが)偽経だったと分かってどのように折り合いをつけているんでしょうか? 釈尊は口伝でしか伝えなかったから、全ての経蔵は直説でないとか、全て仏の御心から方便として出た物だとか、あまりに苦しい言い訳に見えます。また鰯の頭も信心からと言いますが、信心とは受け容れる事から始まるから信心はそこを問題にしないと言うのもそこに身を捧げる者としては辛い選択ではないでしょうか。 大乗非仏説は新しい概念ではないですが、時代を経るに従って消えることもないでしょう。今後、このまま伝統を重んじて変わらない事を良しとしていくのか、それとも時代と共に新しい研究成果を反映して変化していくのか、どのように考えられてますか?

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こんな私でも供養できるでしょうか

以前質問させていただいた者です。 こどもを死産してもうすぐ一年になります。 その子のお墓や仏壇ができ、一周忌の法要もお願いしています。その際にお墓への納骨もさせていただく予定です。 ですが、私自身、未だに気持ちの整理がつけられず、お墓や御仏壇のことを考えると気が遠くなり、辛くなってしまいます。辛さというのは、こどもが亡くなった悲しさ、あの時私がもっと早く病院に行っていたら亡くなることはなかったのではないかという後悔、生きて産んであげられなかった私自身を責める気持ちです。 夫は、私の気持ちを聞いてくれ、お墓も仏壇も作らない方がいいのではと気遣ってもくれましたが、夫自身は、お墓や御仏壇をそろえて手を合わせることが供養になるとの想いがあり、準備をすすめてくれました。 これまで、仮の御仏壇に毎日手を合わせてきましたが、想うのは「ごめんね」と「また会いたい、また抱っこしたい」ばかりです。悔やんでも自分を責めても、亡くなった命はもどらないし、供養にならないと思いながらも、一年経ってもそんな自分を変えられないでいます。 一周忌は来週ですが、法要の間もお墓や御仏壇から目をそらしてしまいそうで、涙が出て動けなくなりそうで、きちんとして居られる自信がありません。 供養の仕方がわかりません。私はどうしたら供養をしてあげられるでしょうか。

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