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hasunoha 問答検索結果 : 「 宗教 」
検索結果: 2815件

悟りが得られないです

執着も捨てましたし、友人も恋人も物も殆ど捨てました。 生きていて色んなことを学んでもこちらで質問しても納得する回答は得られず日々悶々としています。 まず命への執着を手放す以外に残るものは今ありません。 しかし苦しみは消えません。 嫌な毎日です、それすら執着を手放しても苦しいままです。 1秒を我慢し続ければ耐えられると此方のサイトで言われましたが耐え続ける人生に何の安寧があるのでしょうか。 嫌な事も受け入れて、執着を捨て、全てを捨てて、あとは自分で死ぬだけです。 その死なない間にも嫌な事が沢山あります。 こんなに受け入れて、何も動じず、ただあるがままの苦しみを受け入れてるのにまだ苦しいです。もはや悟りなんてないのでは??? 例えるなら親を目の前で殺されて、まっいっかというレベルで執着を捨てていても苦しいままです。 誰か助けてほしいです。 悟りなんてないんじゃない? 私は科学ガチ勢だけど、死んだら解脱とかも無理じゃない? ただただ生まれつき運が悪いか、良いかの違いなんじゃない。 知的な障がいが脳にあればそもそも解脱する事は不可能です、それと同じで生まれつきの知能が低ければ高度な思考すらできません。 世の中運が良ければこの世界に満足して死ぬわけです。 つまり解脱も悟りもなくて、この世界で運が悪かった人が負け惜しみでそういう概念を思いついただけじゃね? ああ人生って意味不明すぎる。 このまま色んな人に説教されるか、曖昧な表現で反論されてこのまま人生続いていくんだろうな。。そしてその曖昧な表現の人たちもそのまま何の答えも得られず死んでいくんだろうな。

有り難し有り難し 93
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万人受けしない自分を認めたい。認められたいです。

「理解されない」という惨めな気持ちが、年々強くなります。 音楽をやっており、私は比較的マイナーな楽器を主に演奏します。 華やかな楽器を演奏し、いつも目立っている女性から、以前馬鹿にされたように笑われたことが、未だに傷ついて頭にこびりついています。 その人はどんどん人前に立ち、どんどんきれいに、みんなから人気を集めています。 それに比べ私はどんどん人前から遠ざかり、楽器も手にしなくなりました。 理由は自分でもハッキリとはよく分かりませんが、欝っぽくなって「どうせ私なんか」と自分を責めたり「どうせこんな人たちなんか」と周りのせいにしたり、し始めた頃からです。 なのに、昔は大学で優秀な成績だったことや、小さい頃からずっと音楽が得意で皆から褒められていたという過去の栄光に、どこかですがっています。 「私は上手なのに皆は私を理解してくれない」などと、物凄く醜く卑屈な考え方をします。 人前で演奏しないから上手かどうかなんて誰も知らないのは当然で、何も努力せず理解してもらおうなんて、甘いにもほどがある…それでこの春から気持ちを切り替え、練習を再開したりしているのですが、どうしても、華やかな人と自分を比較してしまうんです。 たぶんこのままだと、もし自分が以前のように人前で演奏するようになっても、他者と自分を比較しては惨めになる繰り返しで、一生悩まされる気がします。 みんな違ってみんないいはずと言い聞かせてみても、「でも私の周りの人は、目立つ人、万人受けする人の事しか褒めない。周りの人に認められなかったら何の意味があるのか」という思考がすぐに打ち消してしまいます。 なぜ年を経るごとに酷くなっていくのかは分かりません。 子供っぽい悩みのようで、周りの人に相談することもなかなかできず、投稿させていただきました。

有り難し有り難し 65
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どうして幸せになれないのか

姉と同じ進学校の高校へ通いたかったが、受験に失敗し、行きたくない私立高校へ通うことで仲良しの友達ができず、つらい高校時代を過ごす。親にも迷惑をかける。大学は専門職の資格をとれる大学へ進学し、勉強とバイトと1人暮らしを頑張り、友達もたくさんできるが、4年のときに精神科病棟の実習で急性ストレス障害になり、抗うつ薬や安定剤を服用するようになる。何とか死ぬ思いで実習を終え、国家試験にも一発で合格するが、新卒で就職した病院で、すでに限界だった体調と精神が崩壊し、わずか5ヶ月で退職。専門職の資格があるのに、その後は非正規で手取り12万と少しのわずかな給料で働く毎日に負い目を感じる。周りの正社員と同じ資格を持ち、仕事も同じ量をこなしているのに、私は非正規社員。頑張っているのに上手くいかない、そんな自分の人生と向き合い、受け止めるのがもう苦しくて、自己嫌悪と自己否定の毎日。親にもこの歳で迷惑をかけていることが苦しい。姉は医療系の資格者で新卒で就職した病院でずっとバリバリと働き、キャリアもある。今は結婚もして現在子育て中。すぐ仕事復帰する予定であり、まさに親孝行の姉。子供の頃から、できる姉とできない私に自分で比較してコンプレックスを持っていた。そして私は彼氏ができたこともなく、ここ2年婚活を頑張り、30人以上の人とデートするも毎回上手くいかず、そんなとき初めて好きになれる人と出会うが、セフレとして扱われ、半年間我慢して毎日体を許すだけ過ごすが、相手には若い彼女がいるので、毎日辛くて限界になり、関係をはっきりさせようとしたら、キレられ、もう会うこともできない。彼氏ができたことがないのに、処女ではないという、汚くて醜い女。 私って何なんだろう。頑張っても頑張っても報われない。姉と比較して落ち込み、姉と同じように頑張ると、体や心が悲鳴をあげて挫折してしまう。私にもたくさんいいところがあるのに、人生に役立てることができない。誰からも愛されず、必要とされず、両親にはこの歳で経済的に援助を受けて、自立もできていない。好きな人には都合のいい関係に扱われ、人間としても否定された気がして、もう何を希望に生きればいいのか分からない。朝起きると絶望感でいっぱいになり、夜は眠れず安定剤が手放せない。私に幸せは訪れますか?苦しい、辛い、もう頑張って人や自分に裏切られるのが怖いです。

有り難し有り難し 101
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なぜ地球は生まれ自分がここにいるのか

昔から天体の授業など壮大な話を聞くと、自分はなぜここにいるのか…。地球はなぜ生まれたのか…。と不安になることがあったのですが、今年の初めに急に自分がなんなのか分からなくなりパニックになりました。 目に見えているものは認識できているのに、なぜ言葉を認識できるんだ?なぜ私はここにいるんだ?と次々に疑問が湧いてきて不安で仕方なくなります。 いままで見てきた景色すら違って見えるような気がします。 一生このままなのでは。気が狂ってしまうのでは。と、またまた色々なことを考えてしまい胸が苦しいです。 生きている意味を考えてしまったら終わり。というような見出しをネットで見て怖くなったり、哲学を勉強している人は自殺者が多いというような話を聞いて苦しくなったりもします。(哲学を勉強しているわけでもないのに悩むのもおかしいのですが) いままで好きだったものも、心から好きと思えなくなってしまいました。 不安で仕方なくなると動けなくなってしまい、外にもろくに出ていません。 肉や卵などもパニックになる前は好んで食べていたのに、動物を殺したもの、と思ってしまい食事も楽しくなくなってしまいました。 この先不安で仕方なかったら死んだほうが…とも思いますが、怖くて仕方ないので苦しくても死にたくはないです。 切羽詰まって打っているので、文章がおかしいところが多々あると思うのですが、なぜ人は生きているのか。これからどうすればいいのか、など、少しでも前向きになれるようなお言葉を頂けたらなと思っております。 どうかよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 66
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お墓にご先祖様はいるんですか?

こんにちは。いつも楽しく・癒されながら拝読しています。 先日、お彼岸という事で、久しぶりに祖父と祖母のお骨があるお墓にお墓参りに行ってきました。 祖父母のことは大好きで、亡くなって7年くらいたつ今でも家族団欒の席で祖父母の話が持ち上がります。 仕事が忙しくてなかなかお墓参りに行く機会は作れないのですが、お墓の前で手を合わせれば、「おじいちゃん、おばあちゃん、家ではこんなことがあったんだよ」とか、たまには「お母さんがお父さんの所為で滅茶苦茶ふてくされているのでどうにかしてください」とか願ってみたりします。なかなか無茶ぶりをしているかなと自分で思ったりもします(笑) さて、そんなお墓参りですが、このサイトや他のサイトを見ていて、ふと疑問が浮かびました。 宗派によっても異なるのかもしれませんが、亡くなってすぐ、(少なくとも祖父母の場合の7年より前には)ご先祖様は生まれ変わってしまって、もう元々の家族のことは忘れて違う人生を歩んでいるものだという考え方があるのを知りました。 それでは、お墓にいって何かを報告しても、報告しているつもりの相手はそこにいないのでは?と思うのですが、当然一方通行なのでしょうか? それに、私はお盆やお彼岸の機会でもお墓にお参りに行けない時は、せめて仏壇に手を合わせるのですが、その場合仏さまは仏壇とお墓を生きている人が手を合わせる都合に合わせて瞬間移動しなくてはならないのでは…!? 是非その仕組みがどうなっているか教えてください!

有り難し有り難し 62
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悲しみについて

一昨年前に実母が亡くなり、以来、こちらでお世話になっております。 お寺のことや、供養、お墓等のことで質問させて頂き、ご丁寧な回答を頂き、ありがとうございました。 毎日のお勤め、花やお供え、茶水を絶やさず供養させて頂いています。 長らく二人暮らしでした。 病を抱えながらも私のために家事をしてくれていました。 私は幼い頃から病弱で心配ばかりかけ、苦労させました。 ある日、突然調子が悪くなり救急車で病院へ、そして次の日から意識が無くなり、一週間後に息を引き取りました。 私はその瞬間にも立ち合うことができませんでした。 生前は、私は仕事なので一人きり。最期も一人で逝かせてしまいました。 延命処置も断ったのは私です。 今年、三回忌となりますが、未だにあの時こうしてあげれば良かった、なぜあんなこといってしまったのだろう、最期にありがとうも言えず、後悔と悲しみの毎日です。 他人からすると、ただのマザコンなのかもしれません。 毎日、成仏し、父やご先祖様と幸せに過ごしてくださいと祈ることしか出来ません。 ただただ毎日冥福を祈り、悲しみが癒える日が来るのを待つしかないのでしょうか?それともいつまでもクヨクヨ引きずっている私の精神が弱いだけなのでしょうか?

有り難し有り難し 55
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人生すべてが無駄だったと感じ苦しい

初めまして、誰にも話せないのでここで書かせていただきます。 私は、題名の通り人生すべてが無駄だったと感じ苦しい状態にあります。 私は今年海外で大学院を卒業して就職活動をしています。人生を振り返ったり、想定外のこと(現地でも日本でも企業に必要とされていないなど)が起きたりしたからか、今までの人生や努力が無意味に感じるようになりました。すぐに報われないかもしれない、評価されないかもしれないとある程度予想はしていたものの、ことごとく一蹴された気分になり、私は今まで何をしてきたのだろうかと途方に暮れています。幼いころから、どんなに悔しいことや障害があろうと自分で対応策を出していつかこの苦しみから解放されると信じて努力してきましたが、20年以上たっても報われず浪費したような気がしてなりません。真面目にやってきたのに、身を粉にして体調を崩しながら努力してきたのに私が間違っていたのだろうか、バカなことをしただとかとにかく落ち込みます。時間が戻せればいいのに打とかもういっそ生まれなければ良かったのにとか、私がいなければもっと両親は幸せだったのかとかどうしようもないことを望んでしまいます。趣味や好きなことをやって紛らそうとしても何も楽しくありません。心が動かない状態なので何がしたいかもわかりません。    もっと遊んでいればよかったなどと考えても、あの当時の最善の道だったため、他にどうしようもなかった現実を思い出しては周囲の人や現実(この世)を憎むことを繰り返しています。自分は自分と思っても苦しいです。親が一人外国人であること以外普通の家庭なのに、生まれを理由に攻撃してきた人々(年齢性別問わず)や風潮が許せなくて、悔しくてなりません。幼いころからそんな人を見てきたからか、人間関係はとにかく苦しいです。また、結婚どころか恋愛の一つもする気になりません。「いつかいい人ができる」だなんて言葉など届かないし、家族もわかってくれないことにいら立ちます。この数年、必死に我慢して生きて生きたのにとさらに腹立たしく感じることが増え、「そんなこと頼んでいない」など言われると怒りを抑えるのに苦労します。上記に書いたことをカウンセラーに相談したところで解決できるなど思えません。 もう、何もかも虚しく呼吸すらも億劫です。私が抱える感情は何でしょうか。長々とすみませんがよろしくおねがいします。  

有り難し有り難し 102
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毒もみのすきな署長さん

という、宮沢賢治の童話があります。 署長さんが赴任した町には、禁じられた漁法があります。その一つが毒もみで、自然由来の材料で作った有毒な薬を川に浸すなどして、浮いてきた魚を獲る方法です。署長さんは町の人たちを取り締まり、いかにも職務を全うしているかのように装いますが、ある日、こっそり毒の材料を取引しているところを町の子供に見られてしまいます。町の大人たちは真偽を確かめようと、署長さんに詰め寄ります。署長さんは憤慨し、名誉にかけて犯人を捕まえると約束。しかし、皆が当てはあるのかと問うと、ちゃんと証拠はあると言い、町長さんの前にずいと顔を突き出して、こう告げます。 「実は、毒もみは私ですがね」 かくして、署長さんはお縄頂戴となり、死刑が確定。そして、いよいよ死刑執行のその時、彼は笑ってこう言いました。 「ああ、面白かった!俺、毒もみだーい好き!今度は地獄でやろっかな」 皆はすっかり感服しましたとさ。おしまい。 という話なんですが、人は誰しも「分かっちゃいるけど、やめられねえ~アホレ~スイスイスイ~♪」ってことが、よくありますよね。その理由は自己を客観的に見れない切なさに起因していると思いますが、例え、見れても根源的な欲求が満たされない限りは苦しむ。 その根源的な欲求とは「生きる意味」ではないか。そこがそもそも欠落しているから変なことをし、そして、これをどう捉えるかで人生が変わる。後付けでその理由を作った人、にっちもさっちもいかずに道元禅師を尋ねた人、何かに夢中になることで考える暇をなくした人。色々、居ます。どれを選ぼうが本人の自由で、また、それ故に人を愛し、人を傷つけ、妬み憎んで七転八倒。それを糧にして物を作ったり、歌ったり、ままならぬ人生の詩を詠んで何とか生き抜き、それが今度は他者を慰める糧となる。 大事なのは、覚悟を持って挑めるかどうか。誰が何と言おうが、坊さんに叱られようが「ああ、面白かった!次は地獄で!」と腹くくって言えるなら、それでいいじゃないの。 「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言いますが、我々は圧倒的に愚者。経験に学ぶしかない。大事なことはスムーズには進まないし、簡単には伝わらない。だから、お坊さん怒らないで。皆、助言には感謝しているけれども、対等な姿勢を示さないと逆効果だと私は思うのです。 ※言葉足らずだったら後で補足します。

有り難し有り難し 91
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