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hasunoha 問答検索結果 : 「他人 」
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「死にたい」という言葉に囚われています

本当に死にたいわけではないのに、何に対しても「死にたい」って思ってしまいます。 例えば後悔した記憶や恥ずかしかった記憶を思い返しては「なんであんなことをしたんだろう死にたい、死ねばいいのに」って考えてしまったり、楽しい事があっても「私なんかが楽しんでいるなんて許されないから死にたい」と、そういう風に考えたり口に出す癖みたいなものが昔からあるのですがここ数年それがとても酷くなってきて、どうしたらいいのかわからずにいます。 酷くなった引き金は、生きがいだった愛猫が病気で亡くなってしまい、再就職に失敗したからです。現状実家暮らしのフリーターな事もあり自分への失望感や負い目が酷く他人との関わりも極力避けるようになりました。 自分が落ち込んだり悲しんでいると心配してくれる家族がいます。楽しいと感じることも嬉しいと感じることもこれからやりたいこともあったと思います。 でもすべてが「死にたい」という言葉に直結してしまって、酷い息苦しさと八方ふさがりのような、生きにくさみたいなものに囚われています。死以外に道はないぞと自分自身で言いきかせているようで怖いです。 どうしたらこのような気持ちに囚われず前向きに生きていけるのでしょうか。ご意見聞かせて頂けたら幸いです。

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そういう所ある

私は忘れやすかったり協調性がないといった欠点が多くあります。 しかし、職場の人間、妻から呆れた表情で 「はぁ、そういう所あるよね。」 と指摘されるとイラッとします。 そういう所=「自分のことしか考えてない」「忘れがち」 といった所だと解釈していますが、私には他者にそういった指摘をわざわざすることが理解できないのです。 自分は完璧だと思っているのか? まだ「〜な所好きだよ」といったプラスな指摘なら言う意味があると思います。 マイナスな事、他者に言われなくても自覚していて治せない欠点を言われた時の相手の気持ちを考えることができないのだろうか? むしろ「そういう所あるよね」 と指摘してきた人に 貴方も「そういう所(他人の気持ちを考えない所)あるよね」と伝えたいです。 また、忘れがちな所はなんとか治したい所ではありますが、協調性(無理に相手に合わせる)は必要はないと思っています。 サラリーマンとして出世するには上司の顔色をみて話を合わせる、同僚とコミュニケーションをとるといった協調性は必要かもしれません。 しかし、できれば好きでもない人間と関わりたくないのです。 自分を変えるべきか、今のままでもいいのかアドバイスをいただきたいです。

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