2ヶ月前に、妹が自宅で自死しました。遺書に葬儀をしないでとあり、義弟の意向とコロナ禍ということもあり、両方の両親と義弟、姪、甥、私の夫、私のみの家族葬で送りました。 義弟のご両親に宗派を聞いたのですが、よく分からないようで… 義弟のご両親は他県在住で、本家ではないのでお墓を持っておりません。 義弟も宗教や宗派がよく分からないとのことで、急なことでもあったので家族葬にしたのですが、お坊さんに来て頂くこともなく葬儀を終えたので、初七日や49日法要など何もしておりません。 お骨は、義弟の家にありますが戒名が無いためお位牌もありません。 妹は嫁いだ身ですから、私の両親や私は宗派や供養の仕方について、なかなか意見を言い出せずにおりますが、ずっと違和感を感じるとともに、妹が成仏しないのではと悩んでおります。 自死したうえに、読経も戒名も法要も無しでは成仏できないのでしょうか? 妹が成仏できずに彷徨っているのではと思うと…私の両親も私も心が落ち着かず、悲しみが増すばかりです。 義弟も、気持ちがまだ落ち着かず妹の死を受け入れられないこともあり、今後の供養方もきちんと決められてないようですが…義弟の相談にはのるつもりです。 今後、どのように供養していけばよろしいのでしょうか? 義弟の家の近くのお寺を探して相談するべきか、他県在住の義弟の両親の家の近くのお寺に相談するべきでしょうか? ご意見、ご見解をよろしくお願いいたします。
自分は長い間1人っ子の1人親で2人暮らしをしていました。 そしてその親の葬儀での事です。 葬儀の日が近くなった時、元々来る予定でなかった、遠縁の家族が参列するとの連絡が入りました。 そして当日になって、その家族が時間に遅れるという連絡が入りました。それ自体は仕方のない事だったので、お坊さんに伝えたところ時間を調整してくださる事になりました。 そしてその家族が到着し、葬儀が始まりました。するとその家族の子供が騒ぎながらあちこちを歩き回り始めました。 子供が来る事は分かっていたし、そちらの親族は大人がかなり多いので自分はそこで面倒をみてくれると勝手に考えていました。実際は子供が騒ぐままにさせて歩き回らせていました。 自分はただでさえ悲しみでいっぱいなのを堪えてきていて、しかも喪主でしたから、ただ子供が大人しくしてくれる事と誰かが面倒をみてくれる事を祈りながら黙って座っていました。子供が仏具にぶつかって倒しかけた時は気が遠くなりました。 自分は人の居ないところで訳も分からず泣く事しかできませんでした。 葬儀がひと段落したところで、そちらの家族に近い親族に、「子供が騒いだけど 〇〇さんの葬儀も語り出してお経止めた人が居たよね」と言われました。ただの世間話だったかもですが、その時の自分はまるで「よくある事だから許してね」と言われたように感じました。自分が悲しんだところでもう味方は居ないような気になりました。 「子供のした事だから」「今後も親戚付き合いがあるから」と感情を抑えながらなんとかその家族達を笑顔で送り出そうとしました。コロナでマスクをしていて本当に良かったと思いました。 この事について謝罪を送ってきたのはその子供の祖母に当たる人だけです。 後で聞いたところ、この家族は遊びに行った帰りに葬儀に参列した過程で遅れて来たそうです。それを聞いたせいでしょうか、親の葬儀をアトラクションの延長にされたような気持ちになりました。 自分はどうするのが正解だったのか分かりません。自分が上手くやっていたらこんな事にはならなかったと自分を責めたくなります。 そしてその家族と、その周囲への怒りも湧いてきます。どうしたら良かったのでしょうか。そしてどうやってこの怒りを消化したら良いですか。 知見をお貸しくださると幸いです。
先日、82歳で父が他界しました。 慌ただしく葬儀の詳細を決める際、葬儀場に紹介されたお坊さんに決めてしまったことを後悔しています。 父には遠方の田舎に檀家として先祖代々お世話になっていた菩提寺がありますが、生前本人は今の住まいから通いやすいお寺(葬儀場で紹介されたお寺とは別です)での永代供養を希望していました。母はこの場合、誰にお経を読んでもらったらいいのか…とさんざん悩んだ挙げ句、葬儀場に紹介されたお坊さんに決めました。事後報告になってはいけないから菩提寺に電話するよう葬儀の担当者から勧められ、母はその場で本当に申し訳なさそうに父の死と読経を別のお寺にお願いすることを伝えました。菩提寺の住職さんは大変驚いておられたようですが、電話の最後にはまた何かお役に立てることがあればいつでも連絡下さいとおっしゃっていたそうです。 その菩提寺は長男である父が昔から丁寧にお付き合いしており、お盆やお正月に帰省する度に挨拶に伺っていました。私も子供の頃から法事の度に伺っていたし、田舎の家や裏山にあるお墓に来ていただいた記憶があります。慌ただしさの中決めてしまいましたが、父も最後のお経は菩提寺のお寺さんにあげてもらいたかっただろうと、父にも申し訳なく後悔の念に苛まれています。 離檀することは決めていますが、このまま電話一本で終わらせてはいけないと思っています。母は認知症の症状が見られ、あらゆる場面で判断力が低下していることが、葬儀後の手続きをしていて分かりました。私達姉妹で今後は対応したいと思っていますが、まずは電話でお詫びし改めてご挨拶に伺うべきか悩んでいます。
質問の回答を見ますと、日常的にTVゲームを遊んでいるお坊さんもいらっしゃるように見受けられます。 そこで質問なのですが、ゲームの世界の中で殺人を犯したり、嘘をついたり、その他悪行を行うことは、仏教的には許されることなのでしょうか? 私の考えでは、ゲームの世界の中でそういった悪行を行うことが可であるならば、頭の中で色々と悪い妄想をすることも可であるということになるかと思います。 ですので、仏教徒やお坊さんは、たとえばFPSのような殺人ゲームは遊んではいけないと思うのですが、どうでしょうか?
今年でおじいちゃんが亡くなって3年が経ちます。 周りの姉妹や親族はおじいちゃんの死を受け入れ普通に生活をしているんですが私はどうしてもおじいちゃんの死を受け入れる事が出来ません。 おじいちゃんの家に行ったらお帰りって出迎えてくれるんじゃないか もしくは病院に行ったら会えるんじゃないかって思ってしまいます。 私はこのままで良いのでしょうか?教えて下さい。
初めて相談させていただきます。 就活中の大学生です。 在学中にアルバイトも兼ねてお寺で住み込みで働きたいと考えているのですが、その心構えについての是非を伺いたく、相談させて頂きました。 とても個人的な話で長くなりますが、最後までお読みいただければ幸いです。 私は将来、海上自衛隊で働きたいという夢を持っています。 大学で体育連盟の部活を行っていたため体力的には問題ないのですが、日本を守るという仕事で必要になる強い責任感や精神力、人を引っ張る力というものが自分にあるのか、とても不安です。 強いリーダーシップのある方はみな自分の軸をしっかり持っている人なのだと思っています。私も自分の軸を見つける、または構築するために、自分を見つめ直すことが必要だと思い、様々なことを考えた結果たどり着いた結論は仏教の考え方によく似ているところがありました。 大学生のうちに仏教の世界で生きている方々の近くで生活し対話することで、自分の考えをさらに醸成し、ぶれない軸が作れるのではないか、これからの人生の指針が少しでも定まるのではないかと思い、住み込みで働けるお寺でのアルバイトを探しているところです。 また、死を覚悟することもある職場で働くことになりますので、お坊さんのお話をできるだけ沢山聞いて、自分なりの死生観を獲得したいと考えています。 長文、散文になってしまい申し訳ありません。お寺で働きたいと考えた理由は上記の通りです。 質問は以下の内容になります。 ①-1 学生アルバイトで住み込みで働けるお寺はあるのか ①-2 働ける場所がある場合、女性でも大丈夫か ②自分の軸を見つめ直したいという個人的な理由だけでお寺で働きたいというのは、お坊さんとしては浅はかだと思うか、また仏教の考え方に大きく外れてはいないか ③お寺で働ける場合、お坊さんのお話を聞ける機会はあるか 長文になりましたが、読んでいただきありがとうございました。 相談に乗っていただければ幸いです。 よろしくお願いします。
お世話になります。 先日、職場で健康診断があり その結果を受け取りました。 驚くほど健康でした(笑) 昨年の健康診断では、悪い所が多く私は、 この分だと以外と早く娘の元へいけそうだと、ちょっと安心していました。 なので、まだまだ長生きしてしまいそうな、自分の身体に驚いています。 暴食も相変わらずなんですけどね…。 この世で生きるのは辛い。 だからといって、自死を推奨するなど、絶対にできない。 お坊様は、極楽浄土を信じておられますよね。 うちの娘も穏やかに過ごせていると。 お坊様は、早く極楽浄土に行きたいですか? それとも、どれだけ生きにくい世の中であっても、この世で長く生きたいと思われますか? 長く生きたい理由、ありますか? 私もどうやら長生きしそうです。 せっかくなので、生きてるうちに 何かしておくことがないか 長生き希望の理由をお聞きしたいです。
主人の寿命について相談させてください。 主人は以前、占い師に 「39歳で過労死する」と言われたそうです。 そのため、本人も義両親も 「39歳で死ぬから」と私に言ってきます。 義両親には マイホームを建てる話をした時に 「この子39歳で死ぬけど、家のローンが支払える額の保険には入ってるから」と 言われました。 思い込むと良くないと思い、 「そんな事はない、長生きしてくれないと困るよ」 と主人には言ってはいるのですが。 39歳で死なない、と言うのは私くらいで 義両親も本人も39歳で死ぬと言ってきます。 はじめは半信半疑でしたが義両親、主人に言われ不安になってきました。 運命は変えれる、占いが全てではないと私は思ってます。 何か主人が納得出来るような説明はありますか??
何故、葬式でお坊さんがお経を誰もわからない言葉で長々と読むのでしょうか?なぜそこにいる人々にわかるような言葉で読まないのでしょうか?あれじゃただの雑音です。 せっかくですし自分はお経の内容を知りたいと思っているのに、あれじゃ時間の無駄です。 ただでさえ悲しいのにあんなに長々と意味のわからない音を聞かせられるとか、お坊さんが人々にさらに苦しみをあたえています。 ああいう喋り方じゃなきゃ死者があの世に行けないということはないでしょう。 木で木を叩いて音を出し、声帯から決まった音を出さないと死者があの世に行けない理由もないでしょう。 ありがたいことを読んで悲しんでいる人の心を楽にさせてあげているわけではないでしょう。誰も理解できていませんから。 ああいうやり方にしないと死者への敬意を表せないわけではないでしょう。葬式で大事なのは心から悲しむことで、心から悲しみさえすれば決まった一つのやり方でやる必要はないからです。 自分が推し量るに、ああいうやり方じゃないとありがたみがなくなり誰にでも葬式ができるようになって、お坊さんが金儲けの手段を失うからだと思っています。 悟りを目指し、人々を救うことを目指しているお坊さんが、そのような誤魔化しをして金儲けをしている理由を教えてください。 攻撃的に感じるかもしれませんが、これは子供の頃から気になっていたことなので。どうか誤魔化さずに本当のことを教えて下さい。
5年前に祖父を亡くしました。 当時は自宅で突然倒れた、病死だと聞いていましたが、先日本当は自殺だったと聞きました。 祖父が書いた遺書も読みました。 自殺の原因は祖母です。 祖母は診断は受けていませんが認知症か精神疾患であったと思われます。 祖父に「早く死ね」など、近所まで聞こえる暴言と罵声を日々浴びせていたり「今から道路に飛び出して車に轢かれて死ぬ」と家を飛び出し、祖父が慌てて追いかけることもあったそうです。 祖父が心中を持ちかけたこともあるそうですが、祖母は「死ぬなら1人で死ね」と。 結果、本当に祖父は1人で亡くなってしまいました。 自分のお葬式の準備もして、遺書も残して。 祖父の死後、祖母は自分達の世話をしてくれている近所に住む叔母夫婦に「死んだ理由を他の親族に言わないで」と懇願したそうです。 知られたら自分が責められると思ったのでしょう。 祖父は祖母に殺されました。 祖父を殺しても自分のことしか考えられない、考えない祖母も去年亡くなりました。 私は祖母が生きていたら「人殺し、お前も死ね」くらい言ってしまうと思うので、祖母が亡くなった後に祖父の自殺を知ったことに対するホッとした気持ちと「死に逃げ大成功だな、くそばばあ」と悔しさがあります。 祖父がそこまで悩んでいたことを知りませんでした。 知っていたら、私は祖父を守るために祖母から引き離しました。 「おじいちゃん、一緒に住もう」と提案しました。 私がもっと早く気づいていれば祖父は助かったはずです。 でも、もう今更何を言っても遅いです。 泣いて悔やんでも祖父は帰ってきません。 今、私が辛いのは救えたはずの祖父を救えなかったこと、仏教では自殺したら地獄行きと言われているという話を聞いたことがあり、祖父は今でも苦しんでいるのかと辛くて仕方ないです。 また、葬儀の際にお坊さんをお呼びせず、お経をあげていただくこともしませんでした。 お坊さんにお経をあげていただかなかったことも心配です。 自殺したら地獄行きは本当でしょうか? 私は祖母が地獄に落ちていることを願ってしまいます。 祖父は今どうなっているのでしょう? 輪廻転生が本当にあるならば、祖父は今度生まれ変わったらどうか幸せになってほしいです。 私は看護師なので「病気が患者さんにこういう行動・言動をさせている」と考えますが、祖母に対してはそう思えません。
中学生の頃から既に35年以上、希死念慮と闘いながら生きています。子供の頃、母親から「お前なんて生まれてこなければ良かった。お前のせいで離婚できない。私が不幸なのだから、お前は幸せになる権利はない。」と言われました。両親が仲の良いところを一度も見たこともなく、二人は私が21歳の時、離婚しました。 工業高校しか出ていない父は、いつも学校でトップだった私を「生意気だ」と言い可愛がってくれませんでした。母からも、「お父さんは、お前を愛していないんだよ。だからお前は誰からも愛されない。」と言われ続けました。 両親から褒められたことは一度もありません。 自殺を何度も試みましたが、まだ成功しません。 30代前半で、家族から離れたくて、外国に留学しました。そこで、ある男性と出会い、彼は私の本当の家族の様な存在になりました。しかし、私の希死念慮は消えず、彼と付き合っている時も、自殺を計りました。その時、私を助けてくれた彼は、決して私を見捨てませんでしたが、とても悲しんでいました。そのことを知り、私は、彼の為に生きようと決心しました。それからは、一度も自殺未遂はしていません。 しかし、1年半前に、日本に来て私と暮らすはずだった彼は、突然死してしまいました。私は、現在、どの様に生きていいのかわからなくなってしまいました。 私が男性と付き合うたびに嫉妬してきた私の母は、今回の彼の死を喜んでいます。私はこの母を殺してやりたいと思いますが、犯罪者にはなりたくありません。この母に対する怒りを鎮めようとすると、鬱がひどくなり何もできなくなってしまいます。 今も死にたくてたまりません。精神科でもらう薬もほとんど効いていません。 私は残りの人生をどの様にまっとうすればいいのでしょうか。 助けて下さい。
お坊さんに質問です。 お坊さんは禁欲的な生活をし、 少なからず仏教的なものを、 例えば瞑想や仏教に関する聖典などをお読みになられたり、 それを実践したり修行したりしていると思います。 そこで質問です。 仏教に関する全てのものを禁じられて、社会で生きなければならない、 となれば お坊さんは自ら命を断ちますか? 意味のわからない質問かもしれません。 しかし、とても疑問なのです。
今月、長年 疎遠になっていた義父が病院で亡くなりました。ホームに入居して10年…人付き合いを全く寄せ付けず ひねくれてしまい、殻にこもっただけの人生でした。 結核菌保有者の為 特殊マスクを付け ガード服を身に付けて 遺体に面会しました。 献体は 生前から本人の希望でした。 ただ 私達は 突然の死に戸惑うばかりでしたので その時は、『ガードエプロンやマスクを装着して お焼香して頂くわけにもいかないので 御骨が戻ったら、お別れ会をしよう』と 病院からそのまま大学病院に 運ばれました。 私の親族には 献体のため 御骨が戻り次第 (お別れ会)という形を取りますので その時は 宜しくお願いします…と 伝えました。 でも お通夜や葬儀などを行ってから献体…という方法を取らなかったのを後悔しています。 お墓は20年前に霊園を買いましたが お坊さんに知り合いはおりません。 お式などは 納骨の時で よろしいのでしょうか?戒名やその他諸々は どうしたら良いのか これからの段取りが まったくわかりません。アドバイスいただけないでしょうか…
単刀直入に、僕の考えです。 お寺、宗派も病院と一緒で自分にあう所があると思ったます。 親が○宗だから、自分もいつか同じ宗派になるというのは普通な考えなのでしょうか? 僕は自分もそうだし、子供にも自分にあう宗教、宗派、お坊さんを見つけなさいと教えるつもりです。 何が正しいとかは無いと思いますが、やはり自分にあった宗教、宗派を選びたい。 だけど、自分はご先祖様がいたので今の自分がいる。 では、やはり先祖代々引き継がれているお寺がいいのだろうかと、どれをとればいいのかわかりません。
元々持病があり身体も強い方ではなかったですが、ここへ来てガクッと体力が落ちてしまいました。 お医者様からは二十代の時に、何十年もは生きれないと言われていましたし、自分でもそれで良いと思っていました。 早く亡くなった子供達に会いたいと思っていましたし、幸せな事も辛い事も全部経験できて良かったと思います。 いつだったか、お坊さんに、 人は老い、病み、そして死ぬ。と教わりました。 生きる幸せ。生きる喜び。生きる苦しみ。 私は経験して来れたかな?と最近考えます。 子供を亡くしてすぐは、早く子供の所へ行きたい。死にたい。どこまで生きたら死んでいい?と思っていました。 でもいざ自分が少しでも弱ると、まだ生きたいなぁ、と思いました。 我儘で短絡的で自己中心的だと自分でも思います。 生きることは愛だと教わりました。 私もそう信じていますし、生きていてやっぱり生きることは愛だと感じます。 私は子供たちや、家族や友人を愛して来れたかな、、自分本位な生き方をしてなかったかな。 今までしてきた事で、とても褒められた事ではない事もあったし、人の役に立てた事もあったけど、全部受け止めて生きれるかな。と思います。 自分だけの正義で他人を裁こうとしたり、自分の価値観を押し付けようとした事もあったよな〜っと振り返っています。 死を真剣に考える前は、自己中心的に自分本位に生きてきた自分が恥ずかしいです。 投げやりにならず、これからどう生きれるか、ヒントを頂けたら嬉しいです。 よろしくお願い致します。
祖母の死から二年経ちます。 それまで親が相続の関係で揉めていたので怒りしかありませんでした。 遺言状を真ん中の叔母が書かせて全財産を真ん中の叔母に託すという趣旨を書いてたのが見つかって、叔母が牛耳ってたので目茶苦茶でした。 弁護士に父が相談して何とか取り分は取れたようです。 それが解決し半年たった今頃急に涙が出てきて、寂しい気持ちが拭えなくなり、何故か心が荒み自暴自棄になりそうです。 子供の頃はお世話になってた祖母なので、その優しい祖母の姿と、叔母に言いくるめられた祖母の寂しさのようなものと、叔母への怒りと恐怖と人間不信とぐるぐるしてしまって、ヤケクソになりそうです。 後、疎遠になった好きな人も難病の母の介護をずっとしていて、その人に対しても何だか嫌になってきました。というか、この祖母の死すら乗り越えられない私がその人とも今後関わる機会かあったとしても向き合える気がしません。このまま疎遠のまま逃げ出したい気持ちと、別にその人は悪くないのになという気持ちと半々です。 本当は母や上の叔母が一番ショックだろうに自分のことばかりで、そんな自分も嫌になります。 いとことも叔母の関係でギクシャクして、昔はとても仲良しだったので虚しいです。 ただ、今までその問題を仕事でがむしゃらに消してたのがプツッと糸が切れたように放心というか、悲しさ虚しさしんどさがどっと押し寄せてきます。一気に仕事どころじゃなくなってしまいました。 明日戦争で私が死ぬとか、明日私が病気で死ぬわけでもないのに何悶々としてるんだろう、という想いも消えないです。 他にも去年別の祖母を介護したあと入居して、それも今頃寂しさや虚しさに繋がっているかもしれません。 習慣のように仏壇でお礼をしてましたが、今思うと最近は理由がわからないまま強迫観念のような感じでやらないと気がすまない感じでした。 広い意味で老病死への向き合い方、乗り越え方を教えてください。 (両親は余りにも淡々とお金の手続きを済ませた、それ以上は話ししたくないという感じだったのでお坊さんに相談しました)。
家族や親戚が多く、今までにたくさんの人の死を見てきました。小さい頃から、亡くなった人が怖いのです。 3年前に、実家の祖母が亡くなりました。共働きの両親にかわり世話をしてくれた大好きな人です。よく一緒に眠りました。 亡くなるまでは、祖母が亡くなっても、2人で並んで寝られると思ったのに、いざ亡くなったら、以前の祖母ではなくて、お骨になるまでは怖くて2人きりにはなれませんでした。 通夜の前に、祖母が安置されている部屋の真上で寝たのですが、体が異常に熱くなり寝られませんでした。 私は祖母が怒っているのか、私に何か送っているのか、と思いました。 私のことを1番可愛がってくれた人なのに、怖いと思うなんて薄情者と祖母に言われそうです。 どうして怖いと思ってしまうのでしょうか。祖母には見透かされていますね。それをずっと気にしています。
私は考えることがやめられません。ありもしない、まだ来るはずのない未来を思案して憂鬱になります。 例えば、今飼っている猫の死や友達との別れをよく考えます。 昔から死や別れなどに過剰に感情が反応してしまい、どこかおかしいのではないかと思ってしまいます。 その人やその動物の人生が終わったその後この世に何も残らない、動物や私よりも年の小さい子の死に対してなぜ救えなったのかなぜ自分じゃなかったのかとも考えます。おかしいですよね 昔母に誰かの不幸を自分に置き換えるなと言われました 自分でも関わりのないところまでなぜ思案して涙を流すのかわからないです。そして、苦しいです。 私の心が弱いだけなのでしょうか
ずっと鬱とした気持ちから逃れようと逃れ逃れ逃れようともがき足掻いてきた。今までそう思い生きてきた。そう思ってきた。生きる目的も楽しみも見いだせない。死にたいとただぼんやりと思い生きてきた。しばらく生きてやろう。その間に何かが変わればいい。棚から落ち来る牡丹餅をただぼんやりと待ち潜んでいた。しかしとうとう餅は落ちず月日は過ぎた。そうして今やあの苦しかったはずの憂鬱はぬるま湯に変わった。甘ったれた無気力。もう活力もとうに擦り切れた。かと言ってこうしてここに質問する活力は残っている。憎らしいフェイク野郎。死を盾に生きる人間。かと言って死もしない。憂鬱が去った確固たる安定した精神状態の今気が付いた。憂鬱が過ぎたことに恐れをなす自分がここにいる。いつからか私は無自覚の内、あの陰鬱を心地良く感じていた。気が付いてしまった。あの陰鬱な気持ちが恋しい。恋しくてまた再び陰鬱が訪れてくれまいかと慣れぬ煙を吹かしてみた。しかし、やはりあの陰鬱は帰ってこない。私は何を待っていたのだろうか。私は棚から何が降って来れば満足だったのだろうか。感傷か。果たしてそれさえわからない。わからない。そうして私はものぐさ太郎を思う。 お坊さん方はものぐさ太郎をどう評していますか。
先日祖父の十三回忌がありました。お坊さんにお経をあげていただいている時に奇妙な景色が頭の中に流れてきました。 どこか分からない場所を、お遍路さんが持つような長杖を支えにして祖父が歩いていました。祖父の顔は遺影よりも若く、少し苦しそうでした。 死後の世界とは苦しいものなのでしょうか。それとも供養が足りないから祖父は苦しんでいるのでしょうか。ただの幻覚ならいいのですが状況が状況なので気になります。