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検索結果: 818件
2022/07/29

これからの生き方

元々持病があり身体も強い方ではなかったですが、ここへ来てガクッと体力が落ちてしまいました。 お医者様からは二十代の時に、何十年もは生きれないと言われていましたし、自分でもそれで良いと思っていました。 早く亡くなった子供達に会いたいと思っていましたし、幸せな事も辛い事も全部経験できて良かったと思います。 いつだったか、お坊さんに、 人は老い、病み、そして死ぬ。と教わりました。 生きる幸せ。生きる喜び。生きる苦しみ。 私は経験して来れたかな?と最近考えます。 子供を亡くしてすぐは、早く子供の所へ行きたい。死にたい。どこまで生きたら死んでいい?と思っていました。 でもいざ自分が少しでも弱ると、まだ生きたいなぁ、と思いました。 我儘で短絡的で自己中心的だと自分でも思います。 生きることは愛だと教わりました。 私もそう信じていますし、生きていてやっぱり生きることは愛だと感じます。 私は子供たちや、家族や友人を愛して来れたかな、、自分本位な生き方をしてなかったかな。 今までしてきた事で、とても褒められた事ではない事もあったし、人の役に立てた事もあったけど、全部受け止めて生きれるかな。と思います。 自分だけの正義で他人を裁こうとしたり、自分の価値観を押し付けようとした事もあったよな〜っと振り返っています。 死を真剣に考える前は、自己中心的に自分本位に生きてきた自分が恥ずかしいです。 投げやりにならず、これからどう生きれるか、ヒントを頂けたら嬉しいです。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 3
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ものぐさたろう

ずっと鬱とした気持ちから逃れようと逃れ逃れ逃れようともがき足掻いてきた。今までそう思い生きてきた。そう思ってきた。生きる目的も楽しみも見いだせない。死にたいとただぼんやりと思い生きてきた。しばらく生きてやろう。その間に何かが変わればいい。棚から落ち来る牡丹餅をただぼんやりと待ち潜んでいた。しかしとうとう餅は落ちず月日は過ぎた。そうして今やあの苦しかったはずの憂鬱はぬるま湯に変わった。甘ったれた無気力。もう活力もとうに擦り切れた。かと言ってこうしてここに質問する活力は残っている。憎らしいフェイク野郎。死を盾に生きる人間。かと言って死もしない。憂鬱が去った確固たる安定した精神状態の今気が付いた。憂鬱が過ぎたことに恐れをなす自分がここにいる。いつからか私は無自覚の内、あの陰鬱を心地良く感じていた。気が付いてしまった。あの陰鬱な気持ちが恋しい。恋しくてまた再び陰鬱が訪れてくれまいかと慣れぬ煙を吹かしてみた。しかし、やはりあの陰鬱は帰ってこない。私は何を待っていたのだろうか。私は棚から何が降って来れば満足だったのだろうか。感傷か。果たしてそれさえわからない。わからない。そうして私はものぐさ太郎を思う。 お坊さん方はものぐさ太郎をどう評していますか。

有り難し有り難し 13
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2023/12/10

老病死に対する自暴自棄

祖母の死から二年経ちます。 それまで親が相続の関係で揉めていたので怒りしかありませんでした。 遺言状を真ん中の叔母が書かせて全財産を真ん中の叔母に託すという趣旨を書いてたのが見つかって、叔母が牛耳ってたので目茶苦茶でした。 弁護士に父が相談して何とか取り分は取れたようです。 それが解決し半年たった今頃急に涙が出てきて、寂しい気持ちが拭えなくなり、何故か心が荒み自暴自棄になりそうです。 子供の頃はお世話になってた祖母なので、その優しい祖母の姿と、叔母に言いくるめられた祖母の寂しさのようなものと、叔母への怒りと恐怖と人間不信とぐるぐるしてしまって、ヤケクソになりそうです。 後、疎遠になった好きな人も難病の母の介護をずっとしていて、その人に対しても何だか嫌になってきました。というか、この祖母の死すら乗り越えられない私がその人とも今後関わる機会かあったとしても向き合える気がしません。このまま疎遠のまま逃げ出したい気持ちと、別にその人は悪くないのになという気持ちと半々です。 本当は母や上の叔母が一番ショックだろうに自分のことばかりで、そんな自分も嫌になります。 いとことも叔母の関係でギクシャクして、昔はとても仲良しだったので虚しいです。 ただ、今までその問題を仕事でがむしゃらに消してたのがプツッと糸が切れたように放心というか、悲しさ虚しさしんどさがどっと押し寄せてきます。一気に仕事どころじゃなくなってしまいました。 明日戦争で私が死ぬとか、明日私が病気で死ぬわけでもないのに何悶々としてるんだろう、という想いも消えないです。 他にも去年別の祖母を介護したあと入居して、それも今頃寂しさや虚しさに繋がっているかもしれません。 習慣のように仏壇でお礼をしてましたが、今思うと最近は理由がわからないまま強迫観念のような感じでやらないと気がすまない感じでした。 広い意味で老病死への向き合い方、乗り越え方を教えてください。 (両親は余りにも淡々とお金の手続きを済ませた、それ以上は話ししたくないという感じだったのでお坊さんに相談しました)。

有り難し有り難し 6
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2023/03/15

死んだ人が何を思っていたのか知りたい

初めてこのサイトを使用させて頂きます。 お忙しいお坊さん達の労力を私が奪って良いのかと不安ですが、宜しくお願いいたします。                                         私はプロフィールにある通り、長いこと摂食障害を患っています。 そのせいで母はとても苦しみ、母が亡くなる一年前には祖母の自死(母が第一発見者です)もあって、私が22歳の時にくも膜下出血で急死してしまいましたが、くも膜下出血になったのはやはり私のストレスが凄かったからだと思っています。母が死んだのは私の事で悩み苦しみ過ぎたからです。                        母は、摂食障害で痩せて歩くこともできなくなった私に「悲劇のヒロインになるな」「もう勝手に死んで」など、そういった言葉をよく投げつけていました。 今思えば、母もいっぱいいっぱいだったからだ思うのですが 母との思い出は、楽しかった事はひとつも思い出せなくて、怒られたことや何故あんなことを私にしたのか等、苦しい事だらけです。                                当然、もう母になにか尋ねることはできません。 母が近くにいるとも思えません。 よくお坊さんは、亡くなった人は近くで見守っていると仰いますが、そんな風に思いたくても思えないのです。                                                                     無理とわかっていますが、母が何を考えて何を思っていたのか知りたいです。 母の姉(おば)は、母は私を愛していたはずだと言いますが、母親としての責任があったから愛しただけだと思っています。 死んだ人の考えていたことや思いは、もう知ることができないですよね? もう諦めるしかないでしょうか。涙が止まりません。 諦める良い方法あれば教えて頂きたいです。

有り難し有り難し 8
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一年経とうとしていますが

両親の死から1年が経とうとしています。 母の葬儀、49日法要の時の事で、 ずっとモヤモヤが消えませんので ご意見をお聞きしたいです。 我が家は曹洞宗ですが、両親はお寺とは お付き合いがありませんでした。 そこで、葬儀屋さんにお坊様を依頼する 事にしたのです。 そのお坊様は名前を見るだけで、その人が 生前、どんな人だったのかを言い当てる、 不思議な力を持った方なんですよ! と葬儀屋さんから聞いていました。 そして母の戒名が決まり、葬儀屋さんは、 お坊様が、この人は~という事でしたので 良い戒名を授けて下さいましたよ、と にこやかに言って下さったので、 それは良い意味なのか、悪い意味なのか 判断に苦しみましたが、良い意味と 捉えようと思い、あえて聞き返しません でした。 そして49日法要も同じお坊様に依頼 したのですが・・・その時の事です。 母の白木位牌を手にし、この人は面倒な人 だったな!と、一言。 え?と言葉も出ない私達親族。 あれ?葬式の時、葬儀屋から聞いて なかったか? この人は面倒な人だったな!って 言ったはずだぞ。・・・と。 6日違いで亡くなった父も同じ日に 49日法要をしたのですが、父の 白木位牌には、この人は良い人だった んだけどなぁと穏やかに語りかけて いたのですが、こっち(母)はイカン!と また母を罵ったのです。 確かに、母の性格は自分の嫌な事は 何でも面倒臭がり、姉や私は母からの 愛情を感じた事もなく、ただいつも 叱られていた記憶しか残っていません。 孫の相手も苦手で、遊んでくれた事も ありませんでした。 反面、外面はとても良い人でしたが。 その時は、姉も私も言葉も返せません でした。ですが、先日、姉との電話で その話題になり、あれはダメだったよね。 確かに言ってた事は合ってたけどさ。 呆然としちゃったから何にも言えなかった けれど、普通、あんな事をお坊さんが 言うものかなぁ?と、私がずっとモヤモヤ していた事を姉も同じ様に思っていたのです。 故人の悪口は言ってはいけないと聞いた 事があります。 紫の袈裟をまとったお坊様でしたが そんな風に言われた母を可哀想に思います。 お坊様側から見たご意見をお聞きしたく 存じます。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 14
回答数回答 1

この世の残酷な事について

質問の前に一つお坊さんの皆さまに感謝を申し上げます。 自分はここ数年の間、生きる目的を見失い、心の中でずっと死を望みました。時には誰かを傷つけたいと思いました。そこで何度かここにお邪魔して、お坊さんの皆さまに質問をしました。皆さまのアドバイスを何回も見返して、何度も自分で考えました。 自分の周りと自分自身の変化、そしてお坊さんのお言葉もあり、完全ではありませんが今はとても精神的に楽な気持ちになり、他人に対しての優しさを取り戻せました。 ここで感謝を申し上げます。ありがとうございます。 しかし、また自分の力だけでは拭えない悩みが出てきました。また皆さまの御力をお借りしたいです。 では本題に入ります。 様々な人間の残酷な事についてです。 動物、女性、幼児虐待。誘拐、人身売買など、自分の価値観や考え方では到底許せない事がこの世の中に溢れかえっています。 今までは自分は意識しないで生活をしてきました。しかし、あるニュースを見てしまいました。 数年前に誘拐された少女が現代まで生きていた。が、その少女だった女性は山に裸で捨てられて死んでいたという事件でした。 自分にとってとても衝撃的なニュースでした。 特に誘拐された女性の両親の絶望、それを考えてしまうと自分も身内になったかのように非常に悲しみ、怒りを感じてしまいます。 そしてそのニュースを見て以来、こんな事をずっと考えています。 こうやって自分が今、平穏の中で暮らしている間、常人では考えられない程の苦しみを味わっている人がいるのではないか。 この考えがずっと心の中をモワモワして漂っています。時にはそれが大きくなって眠れなくなったりしました。 その事に対して自分でできる事はあまりにも無力。その事から外にいる人間。しかし、無力だからと言って今にとても苦しんでいる人を助けたい。けど助けられないという、一瞬の思考のループができてしまいました。 そこで2つ質問です。 この世の中で起きている残酷な事に対しての心構え、見解。そしてこの世での救いはあるのか。 またお坊さんの御力が必要になりました。 どうか皆さんの意見を自分にお聞かせください。

有り難し有り難し 28
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2022/03/05

存在しているという事実が怖い

お世話になっております。毎回暖かいご回答を頂き、心から感謝しております。ありがとうございます。 私は日常生活の中で、「今ここに私が存在している」と実感すると、怖いと思うことが頻繁にあります。 どうして今、事実としてここに存在して、世界を五感で感じているのか?と思うと深みに嵌り、宇宙が何故存在するのかわからない事や死、消滅の恐怖と連動してより怖くなります。 今あるものは全ていつか無くなる。その時私はどうなるのでしょう。体も心もバラバラになって、生きていたことも忘れ、家族とも離れ離れになり、今後文字通り永遠に元(私)に戻る事なく、その後どうなるかもわからないなんて、これ以上に怖い事はありません。 それなら、今の私はなんなのでしょう。 私も宇宙も消えてしまうという強烈な事実を前に、恐怖に慄くことしかできません。 存在に関する根源的な疑問が、絶対に解決されない事が怖いです。結局、誰も本当のことは知らないまま、生まれたから生きて、死ななきゃいけないから死ぬ。絶対的な力に翻弄され、絶対に逃げられない。それが、凄く怖いです。 以前、縁起と空についてご教示頂き、大変勉強になりました。本当にありがとうございます。 頭では分かるのですが、どうしても「何故か今存在しそのうち消滅する恐怖」が理屈を上回ってしまいます。 私は、欲を言えば、このような恐怖や不安をなくす事が人生の目標です。勿論、それ以外のやりたい事をやりつつではありますが、死ぬまでに自分なりにこの疑問にケリをつけたいと考えています。 お坊さん方は、このような「生きてしまっている事実」「そのうち消滅する事実」にどんな心持ちで向き合い、どのように自分の気持ちと折り合いをつけているのでしょうか? 私は、具体的に何をすれば怖くなくなるのでしょうか。 また、もし解説として分かりやすい本などございましたら、教えて頂けると嬉しいです。 恐怖に襲われる毎日が、とても辛いです。 お時間ある時で大丈夫ですので、宜しければご回答頂けますと幸いです。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 9
回答数回答 2

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