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hasunoha 問答検索結果 : 「私 いない 」
検索結果: 61294件

どっちを選べばいいのか分からない

こんにちは。大学3年生になる体育学生です。先日質問をさせて頂きましたが、少し繋がりはありますが、また新たに質問をさせて頂きます。 小学5年生からおよそ10年間陸上を続けています。正直言うと陸上に飽きました。ただ淡々と走り、結果を求め続けて10年。たくさんの喜びや出会いもありましたが、それと同時に色々なものを失いました。 陸上のせいにしてはいけないと思うのですが、陸上を始めてから何故か夢を持てなくなりました。自分でも理由は分かりません。でも今やっとやりたい事が見つかったんです。それは留学です。語学の勉強がしたいんです。 留学するとなると莫大なお金が必要になるため、今すぐ休部してバイトをやり、資金を貯め、夏か冬に留学に行きたいなと考えています。留学できるのは学生の時期しかないかな と思っています。 しかし、他の人に相談すると、『陸上も今しかできないよ』『みんなあなたの力を必要としてるよ』とたくさんの方に言われます。文章にまとめるのがとても苦手で伝わらないかもしれませんが、私にとってどっちが正しい選択なのか分かりません。陸上部のみんなのことは大好きだし、私が留学をとったらきっとみんなは私のことを嫌いになるかもしれないと思うと涙が出てきます。 そうなると、なんで陸上を始めてしまったんだろうと後悔の念が出てきてしまって、、本当に苦しいです。 陸上以外のことで日本を、世界を見てみたいです。

有り難し有り難し 14
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輪廻の主体

輪廻転生の事を考えると胸が痛くなります。何故仏教は命を一回限りとしないのでしょうか。 もちろん今ある生も今生限りのものですから人生が一回限りであることには変わりありません。 ただ殉教、殉死、心中等を遂げた歴史上の偉人の前世や来世が全く下らない物だったかもしれないと思うと胸が張り裂けそうになります。 自分の運命や人生を全面的に肯定して死に切ったとしても、過去世や来世の全く違う人生によって矛盾をきたしたものになるとしたらどうでしょうか。 「七度生まれ変わって朝敵どもを皆殺にしたい」と言って自決した楠木正成が果たして貧民街の子供に生まれ変わる事は無いと誰が言えましょう。 彼は生まれ変わりを願いましたが、あくまで自分の人生を貫き通す意思であり、運命愛に過ぎません。 生涯不犯を誓って異国で命を落とした宣教師達の前世がどこかの売春婦であると考えただけで吐きそうになります。 もしそれで良いのならこの世での清貧、忠義や誠意も全く無意味なものとなりますから。 ただ輪廻思想が広大無辺な仏教の歴史の中で偉大な説法者達に受け継がれてきたものである事は否定できませんし、 私は至らぬ凡夫ゆえ仏教の各宗派の前提とする輪廻の教義まで仔細には存じ上げません。 仏教では、特に自性を認めない中観派では何が輪廻するとされているのでしょうか? 水車を廻す水や携帯を動かす電気のように、「私」ではない、「私」の生み出す執着そのものが輪廻するのでしょうか? 執着が輪廻するのであれば悟りを得た=執着を滅した釈迦が解脱に入られたと解釈できるように思えますが。

有り難し有り難し 58
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生きていれば希望はありますか?

はじめまして。 わたしは結婚前に主人との間に双子を授かりましたが流産しました。その後結婚し今は結婚四年目32歳主婦です。 当時妊娠と同時に流産が発覚し複雑でしたが、次はきっと…と一年ほどは二人で気ままに暮らしていました。ところがわたしの婦人病がわかり、未だ妊娠できず現在に至ります。 治療をすればもちろん確率は上がるだろうし、その様な物理的な問題もあるかもしれませんが、正直もう自分には子供を産める力が無いのではと思ってしまいます…そして、お恥ずかしながらまだ子供が欲しいという気持ちよりも、恐怖の方が勝っていてきちんと原因などに向き合えず、行動できない身勝手な自分もいます。 世の中には、なかなか子宝に恵まれなくても前向きに生きている方がいっぱいいます。そんな方達と比べると自分は甘く、こんなに逃げ腰で卑屈になってそれじゃ人の親になれるわけないとも思います。 ですが、どうしても悪いイメージしかできないのです。絶対うまくいくわけない、きっとまた悪いことが起きる、、と思ってしまいます。思えば今までの人生思い通りに行ったことなんてほぼ無かったと思います。努力ではどうにもならならず諦めてきたことばかりの様な気がします。 やっぱり自分には人並みの幸せさえも手に入らないのかな…自分の考えを変えるしかないのかな…と思うと虚しくて苦しくてもう何をどんな気持ちで生きていけばいいのかさえわかりません。 比べてはいけないとわかっていても、とんとん拍子にうまく行っている人を見ると憎しみさえ湧いてきます。 こんな私は親にはなれませんか? 本当に真っ暗なトンネルを毎日歩いている感じで、生きた心地がせず、気が狂いそうになります。行動できない自分にも自己嫌悪なのだと思います。 どうしたら前向きで穏やかな心で日々を送れるのでしょうか? こんな身勝手なご相談で申し訳ありません。

有り難し有り難し 96
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自死に向けて期限を設定します(前世のペナルティ?)

昨夏、このサイトで相談したものです。 相談・・・というか、宣言に値してしまいますが、お目通し下されば幸いです。 今、私が病気で苦しんでいるのは、 前世、何か罪を犯したことのペナルティなのでしょうか? 治療が難しい病気(症状)と闘い、様々な医療機関にかかってきました。 期待の持てる療法もいくつか試し、治癒への期待もかけましたが、少しも改善せず、日々症状の悪化にひたすら耐える日々です。 でも、その症状自体は死に至るものではなく、文字通りの生き地獄をさまよっています。 これまでは治る見込みにむけて頑張る気持ちがありましたが、もうその気力が果ててしまいました。 医学的にはあらゆる検査をしても異常が見つからないのです。 自律神経のアンバランスとか、ひいては精神的な事によるもの・・・と、 かたづけられてしまいますが、そんなことが原因ではありません。 物事に対する優先順位などに対しての冷静な判断など、症状さえなければ 至って理性は働いているので、鬱でもメンタルトラブルでもありません。 むしろ難病指定されたり、余命宣告を受ける方がよっぽど割り切れます。 身内を始め、関わってくれるドクターなどは親身になって対応してくれます。でも、もうこれ以上は無理です。 できるだけ廻りの人には迷惑をかけないように段取りたいと思っています。 一般的には自殺自体が周りに迷惑をかけると言われますし、私もずっとそう考えてきました。 でも、病気が治らない事で、心労や金銭的に家族に迷惑をかけている事の方が辛いです。 そろそろ期限を設定しようと思っています。

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輪廻転生の理解

初めまして。私は最近、某仏教のテレビ番組にハマっています。 「輪廻転生」のことを知りましたが、疑問に思っていることがあるので、教えてください。 「輪廻転生」には六道があり、魂は6つの世界を旅しているとのこと。 人は死んだら、天界や極楽に行くと聞きました。 でも、生まれた時に今まで魂が旅してきた六道(地獄も含む)の記憶は一切ありません。また、よく「人は死んだら“無(生まれる前の状態)”になる」と聞きます。 地獄や天国というのは、本当に存在するんですか?誰も見たことがないからわからないんじゃないの?と思うんです。 本当にあるなら生まれる時に何らかの地獄の記憶(熱い・痛いなど)があるはずだし、お浄土に行くにも三途の川を渡る際の感覚や閻魔様に出会った時の恐怖、彼岸に渡った記憶や皮膚の感覚というものがあるのかなって。魂になっても、痛みや恐怖を感じるんでしょうか。 私は、できればそういうのがなくて、「死んだら本当にただ無になるだけだよ」って言ってもらう方が安心するんです。 だって、死んでから「生前悪い事をしたから地獄で苦しむ」って思ったら死ぬのが怖いじゃないですか。 天国と地獄の教えというのは、「悪いことをしたら地獄に行くよ。だから、生きている時に悪いことをするなよ。」という解釈と思うのは、どうなんでしょう?

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強迫観念について

出産を機に、強迫観念のようなものに悩まされています。自己判断ですが、加害恐怖だと思います。 それは娘に対してだけ起こり、例えばハサミを見たら「これで娘が怪我したら…」と考えて怖くなり引き出しの奥にしまったり、ベランダへ出たら「もしここから落としてしまったら…」と考えて体が震えたり、挙げればきりがないのですが。 恐い考えは私の調子いい時も悪い時も関係なく起こります。 最初は初めての育児で疲れているのだと思うようにしていたのですが、娘が10ヶ月になり、夜泣きなど落ち着いた今でも強迫観念は消えません。もしこの強迫観念が自分の本来の姿だったらと怖くて仕方ありません。森田療法などもしてみましたが、効果は得られませんでした。精神科は薬を服用するのが嫌で受診していません。 娘のことは本当に大切ですし、叩いたりしたことはありません。 ただ泣き声をずっと聞いていたら恐い考えがムクムクとわき起こり、今は打ち消してはいるけれど、いつか痛い目にあわせてしまうのではないかととても不安です。 仏教の教えが好きで、よくスマナサーラさんの本を読ませていただいています。 この強迫観念をなくす方法がありましたら教えていただけませんか。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 51
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十二因縁(縁起)を例えると…

日頃、宗教や哲学について、ネットあさりしています。 最近は仏教、特に原始仏教と呼ばれるものに興味を持っていますが、十二因縁(縁起)について、府に落ちたイメージを持つことができません。 そこで、難しい言葉や理論を使わず、現代でもわかりやすい具体的な例えを挙げていただきたいと思い、こちらに質問してみました。 なお、こういった知識(智恵でしょうか?)は、一言では語り難いものでしょうし、また言葉だけでわかったつもりになってはいけないとも思っています。でも、こうもイメージが湧かないと、日頃に意識することも難しい。 ぜひ、「なるほど💡 そんな感じなのね!」と感触を得られ、日常の中でさらに感触を深めていけるような例えを、いただきたいと思っています。 ちなみに、これまで私が掴んだ感触・知識は次の通りです。間違いや不足もあると思いますが、その部分こそ、例えで払拭したり補足したりしていただきたいです。 十二因縁(縁起)とは、 無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の12個 「無明によって行が生じる」のように、前の物が次の因になる。 最後の「生、老死」については、「生まれることで、老いがあり死がある」ということ? では、「無明→行」「行→識」「識→名色」「名色→六処」「六処→触」「触→受」「受→愛」「愛→取」「取→有」「有→生」「老死→無明」はそれぞれ、どのような因果なのか。 現代でもわかりやすい例をあげるとすれば、どういう例が考えられるか。 仏教に疎い者でもわかりやすい例を、ぜひよろしくお願いしますm(_ _)m

有り難し有り難し 115
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2025/04/15

世界と未来が恐ろしい

今はそれなりに平和に生きています。衣食住に困ってもいないし、まだ戦争に巻き込まれているわけでもないと思いたい。世界的に見ればものすごく贅沢な生活をしていると感じています。だからこそ、この生活が終わることを恐ろしく感じ、また、今の生活を続けることに罪悪感もあります。 人間でも、自然界でも、未だに殺生は行われ続けています。私も肉や魚を食べることだってありますし、コーヒーやチョコレートを口にすることだってあります。けれど、これ自体が何かへの加害、搾取であることも事実です。電気や水を使うことは自然破壊に繋がります。けれど、この生活を誰かに明け渡せと言われても拒否してしまう浅ましさがあります。 今の生活は何の根拠も無しに何故か成立している宙ぶらりんなもので、ちょっとした間違いで崩れ去ってしまいます。そして、世界的に見ればそのバランスは日に日に悪くなっているように思います。終わるかもしれない生活、何かを傷つける生活を続けるのが怖いというのに、どうしても、今の生活が続くことを望んでしまいます。 安心して生きていたいだけだけど、自然界で天寿を全うできる生き物は少数派なのだろうという現実、解決策が見つからず悪い方へとばかり進む人間社会、オカルトな視点から破滅的根拠ばかりが積み重なる7月5日(都市伝説、占星術、仏滅)。これらが重なり、今になって自分の命と生活を惜しんでしまいます。 生物の命や感覚や自我を作り出しているのは、脳味噌や神経などの生体反応でしかありません。つまり、例え死んでもまた物質世界のどこかに生まれてしまいます。それが恐ろしい。死よりも、死に至る苦痛が恐ろしいのです。 要約すると「未来が怖い」ということになるのでしょうか。全てを忘れて自分の生活に集中していれば心は楽ですが、それは正しいことではないように感じられる。かといって、自分の全てを投げ打って他者の為にだけ生きる正しさを実行する勇気もない。そして、いつかはどう足掻いても残酷な流れの中に放り込まれる。それはこの命のうちかもしれないし、この命が終わってからかもしれない。けれど、いつか必ずそれは起こる。極楽浄土が本当にあればいいけれど、人間が発生する前、恐竜の時代にも極楽浄土はあったのでしょうか。 とりとめのない文章になってしまい申し訳ありません。解決策などないことも知っています。世界は信じるに値しますか?その根拠は?

有り難し有り難し 22
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「アブラハムの宗教の唯一神」の仏教的解釈を教えてください。

仏教は世界に名だたる宗教ですが、最も信者が多い宗教は何と言ってもキリスト教、ですよね?またイスラム教もかなりの影響力がありますし、それらの始祖たるユダヤ教も、アメリカの政経界に強い影響力を依然として持っていると聞きます。 そんな世界的な影響力の持つ、これら一神教が冠する「アブラハムの宗教の唯一神」に対して、仏教がなんのアプローチもした事がないとは個人的には考えにくいのですが、なんらかの仏教的解釈を加えて、仏教の中での位置づけ、みたいなものが決まっていたりするのでしょうか? ヒンドゥー教や神道などの多神教の神々を仏教の中に取り込んでいくのは、日本でも本地垂迹の歴史等があったように、既にやられて来たことですし、個人的にもそこまで波風が立つような事ではないと思います。 が、流石に「アブラハムの宗教の唯一神」を仏教の中に位置づけようとすると、各一神教徒から「そうじゃねーよ唯一神なんだよ!仏の中に入れるんじゃねーよ」と大バッシングが食らいそうで、なかなか難しさを感じます。 他宗教との兼ね合いの話になってはしまいますが、もし仏教として果敢に唯一神を取り込もうとした歴史や、または現役のお坊さんとして私はこう考えているなどありましたら、小生にご教授頂けたら幸いでございます。 ※最後に、小生はあくまで仏教や神道、一神教に対してはズブの素人です。質問文に根本的な間違いがあるかも知れません。その際はお手数ですがご指摘願います。

有り難し有り難し 66
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2023/01/08

一緒に念じていただけますか?

いつもありがとうございます。 大晦日にコロナ禍長期入院中の父の事でご回答を頂戴しました。ありがとうございました。 退院を目指し闘って来た父でしたが終末期を迎えた模様。年始から5日間本人から着信有りましたが途絶えました。 年始にせめて自宅へ…と対応をお願いしていた矢先、入院中の病院は元日からコロナの院内クラスター発生。入院患者、職員合わせて数十名陽性との事。もはや為す術無し。です。 コレがコロナ禍医療崩壊の現実です。コロナ禍は災害です。本当に。 次、病院からの着信はおそらくお迎えです。悔しいですが苦しいですが、冷静に受け止め対処するしかありません。 現場の状況が入院患者家族には一切わからないので、念じる事しか出来ません。 それはこの数ヶ月の闘病期間も同様に。 我が家だけでは無く全国で起こってしまっている現実です。 今はただただ苦しまずに眠っていて欲しい。眠って苦しくないままお迎えが来て欲しい。その時間が短時間であって欲しい。 この問答に目を止めて頂けたお坊さま。どうか一緒に安楽を念じて頂けると嬉しいです。 檀家に入ったりしている訳では無いので(元々は浄土真宗の檀家でしたが、住職が借金をし寺に保険金を掛けて放火してしまいました。以来、先祖は自身供養です。) 私が今出来る事で思い浮かんだのがこちらでのお願いでした。どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 32
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