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検索結果: 3185件
2021/12/11

苦しみと生きる方法【凡夫のライフハック】

以下①~⑧について、ぜひ忌憚の無いご意見をお聞かせ願います。  最近辛いことが多く、自分なりに試行錯誤し、実践している次第です…。   ***   ■苦しみと生きる方法【凡夫のライフハック】(仮)   ①自分自身や周囲への「期待値を下げる」  ⇒そもそも人生なんて、うまくいかない、辛くて当たり前、と考える  ⇒「一切皆苦」であることを思い出す   ②苦しい感情を、自分の中に溜め込まず、「吐き出す」  ⇒具体的には、紙に書き出したり、レコーダーに録音したりする  ⇒足りないなら、友人やカウンセラー等に、話を聞いてもらったりする   ③ただ感情を「観察」し、あるがままに「受け入れる」  ⇒上記の方法や、瞑想を通じて、今の状況や感情を「観察」する  ⇒このとき、善悪の評価をせず、自分自身の感情をただ「受け入れる」   ④苦しみを産み出す「問題」について、思い悩むことを一時保留にする  ⇒際限なく思い煩わないために、最悪でも、時間を区切って悩む   ⑤「問題」とは直接関係の無い、仕事や作業、趣味に没頭する  ⇒部屋掃除など、無心で手を動かせるものも◎  ⇒あるいは、何も考えずぼーっとするだけ、でもOK   ⑥自分の身体を大切にする・いたわる  ⇒食事、睡眠、運動、入浴などを軽視しない  ⇒規則正しい生活リズムは堅持する   ⑦「問題」に、少しずつ向き合う  ⇒理想の実現に向けた努力や、現実を明らかに見る努力をはじめる  ⇒最悪、「諦めきれぬ事があるなら、諦めきれぬと諦める」  ⇒苦しくて日常生活に支障が出るなら、上記②や④に戻る    ⑧時間の経過を、待つ。   *** 以上です。   質問の背景です。 物事への執着が苦の根本原因であり、修行を経ても執着は消えないならば、執着・苦とうまく付き合う「具体的な方法」を模索したいと思った次第です。   そのことが、自分自身を護ることに繋がるかと。 結果、オマケとして、自分を取り巻く他者にも良い影響が出たら…と。   お手すきの折に、ご意見いただければ幸いです。 そもそも考え方が良くない、この行動はオススメ、etc.   寒い日が続きますので、皆様ご自愛ください。 長文失礼しました…。  

有り難し有り難し 23
回答数回答 2

お金への不安や執着から解放されたい

わたしは、特別裕福なわけではありませんが、堅実な両親のもとで、何不自由なく育ちました。 しかしわたしの母は、常に「お金がない」と言い続け、「何よりもお金が大事、お金がなければ何もできない」という母の価値観が、わたしにもすっかり刷り込まれてしまいました。 わたしは今、自分の夢や自己実現や、また社会への貢献のためではなく、お金がなくなることへの不安を解消するためだけに働いている気がします。 時々そんな自分を、とても虚しく感じます。 本当はやりたいことや挑戦したいこともありますし、子どもとしっかり向き合うために、少し働き方をセーブしたいと思うこともあります。 しかし、不安のために今の仕事を離れることができません。 また、夫の仕事や収入に対しても不満や不安を抱きがちです。 毎日元気に一生懸命働いてくれるだけで充分満足で、尊敬できることだと思っている一方で、もっとたくさんお給料があれば……もっと大きくて安定した会社で働いてくれたら……という思いも捨てきれません。 夫のことが大好きなので、そんな風に思ってしまうことが申し訳なくて苦しいです。 もうすぐ子どもが生まれます。 こんな親の背中を見て育った子どもは、同じように不安に駆られて生きるようになるのでは…と心配です。 子どもには夢を持って生きてほしいのに、わたし自身がこんな感じでは、とても「夢を大切に」などという言葉に説得力はありません。 少しでもお金への執着や、不安を軽減させる方法はあるのでしょうか? もう少し穏やかに、心静かに生きたいです。

有り難し有り難し 26
回答数回答 3

施餓鬼供養について

色々と仏事についてお教え頂き、ありがとうございます。 先日、以前からご相談させていただいていますお寺様より、施餓鬼供養のお知らせが届きました。 護摩供養と塔婆供養があり、護摩供養の方が一層ねんごろな供養となるため、新仏を出す家は護摩供養をおすすめしますとのことでした。 ちなみに、護摩供養は一霊5千円、塔婆供養は一霊3000円とのことでした。 ところで、我が家は真言宗ですが、どこのお寺様でも施餓鬼供養されているのですか? 我が家は、ご先祖様、祖父母、と父、そして母が新仏となります。ねんごろな供養と言われると護摩供養をしてあげたいともおもいますが、1度に2万5千円となります。 お盆のお参りにも来て頂くことにしたので、当然お布施もします。 気持ちと言えば気持ちですし、今まできちんとお坊様のお経を頂くことのなかったご先祖様や祖父母の供養もきちんとしてあげたいし、父も長らくお経を頂戴していないので、ねんごろな供養をとおもいます。当然、新仏の母も。 しかし、金額的にどうかと思います。 例えば、ご先祖と祖父は塔婆で、両親は護摩供養と差を付けても良いものなのでしょうか? お寺様に伺おうかと思いましたが、当然大切に思うのですがあれば、護摩供養で。お気持ちです。と言われるであろうと思います。 ですので、こちらでお教え頂きたいと思います。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 335
回答数回答 6

死にたい

前回質問した時 生きがいは後から見つけるものと教えてもらったのですが結局見つかりませんでした まだ若いからそんなに早く見つかるわけないと思うかもしれませんが、今生きている理由が欲しいです というのも自分は周りにお道化て接していて 知らないうちに本当の自分ではない 所謂もう1人の自分のようなものが生まれました 前までは特に気にならなかったのですが 高校に入り、彼女ができ、 一年過ごし、今、彼女と別れそうになっていて お互い精神が不安定で、相手はいいですが 僕はもう生きている理由が見つからず どんな趣味より死んだ方がずっと楽だと思います 死ぬことが芸術のように美しいとおもいます 人の血を見ると性的に興奮するほどです 自分の人格が壊れていく事が怖いです 周りの目が怖いです 完全なる第三者以外信用できないです 親にも本当の自分をみせられないです 自分でも本当の自分がどっちなのかわからなくなってきました。 もはや生きていないといけないとか、生きてさえいればどうにかなるとか、全然響きません。 でも心の何処かにまだ生きていたいと思うのかもしれません。こうやって質問する事で少しでも生きてみようとしてるのかもしれません。 もう生きるのに疲れました。 このまま苦しい人生を送るなら 死んだ方がましです 最近は自傷をしそうになり、 結局やめました しかし、自傷したい衝動が抑えられません。 ただ死にたいという感情だけが頭の中にあります。 寝ても覚めても死ぬことを考えています。 頑張れとか期待されると苦しくなります。 優しくされると死にたくなくなります でも優しくしてくれるのは かりそめの自分に対してで本当の自分ではありません。 そうしてかりそめの自分に触れた時死にたいとおもいます。そうすれば僕に関係した人の中にはかりそめの自分だけが残り、本当の自分になるからです そうして本当の自分を消してしまいたくなります。 無意識に嘘をついてしまって 直せません。 何度も直そうとしても そのたびに嘘を重ね、自分の首を締めています。 生きている事がそんなに偉い事なのでしょうか 死ぬのは本当に悲しいことなのでしょうか じぶんには死ぬことは名誉だと思えてなりません この悩みについてお坊さんの意見が聞きたいです。 めんどくさい人間ですいません。 こんな質問困りますよね…

有り難し有り難し 95
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ヌミノース体験について

私は、今スペインの大学院で、宗教学について学んでおります。 お恥ずかしい事に、日本に住んでいるときはあまり仏教について考えた事がなかったのですが、今自分が海外にいる事で、改めて日本が仏教国であり、数々の素晴らしい文化、そしてそれにともなう言語・思想等を生み出してきたという事に気付きました。 そこで、今仏教について、スペインで本格的に研究しているのですが、どうしてもスペインにある仏教に関する本ではわからない事がございまして、ぜひお坊さんたちに答えて頂きたい質問がございます。 ドイツの宗教学者であるルドルフ・オットーが、「ヌミノース」という言葉で表している、言葉では言い表す事のできない他者では経験不可能な不思議体験・神秘体験(?)が一体どのようなものであるのかを、教えて頂きたいのです。 恐らく日本語で表すと、『見性体験』というものだと思います。ルドルフ・オットーも「聖なるもの」という著書の中で、この経験の内容に関しては体験者の唇は固く閉ざされると言っておりますが、仏教を研究している以上、私はどうしてもこの体験がどのような物なのかが知りたいのです。 もし言葉で深く説明できないのであれば、本当にキーワードだけでも良いので、どのようなものなのかを教えて頂きたいです。 難しい質問かもしれませんが、どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 55
回答数回答 4

戒名の意味

こちらで戒名を載せていいものか悩みましたが、どなたかアドバイス頂けますでしょうか。 先日、最愛の実母が亡くなりました。長い長い闘病生活、長くはない命と分かっていながらも素直になれず困らせたり、もっと何かをしてあげればよかった、の後悔ばかりの日々を送っています。 私達(姉がいます)に父親はいません。母の葬儀が人生初の葬儀(幼少期に祖母がなくなりましたが記憶に薄いです)となり、姉が喪主となり2人で右も左も分からないまま、ただ母の旅立ちをしっかりととの思いで通夜告別式を執り行いました。 準備段階での事です。母に戒名を頂くために、母の両親を連れ、ご先祖様のお墓のあるお寺の住職さんに戒名のお願いしました。しかし、住職さんはお年を召してるのか全くこちらの話を聞いて下さらず、ただただ同じ事を繰り返し言うのみ。遠方だったので、一度戒名をつけて頂きたいと電話で伝えた際に姉がうまく伝わっていないと思う、と言うので心配になりいざ出向いてみるとすでに戒名が決まっていました。電話で伝えたのは名前と歳のみです。 私達はお恥ずかしながらあまり知識がなくネットなどで調べるのが精一杯です。戒名とは、俗名から一字、人柄から一字、というのは間違った情報でしょうか? 母の戒名は、瑞雲蓮花妙○○大姉霊位、です。○○の部分には母の俗名がそのまま入っています。意味を伺っても、読み方しか教えてくれず、母の両親に訴えても、もう決まったみたいだから、と。 もちろん、頂いた戒名に不満があるわけではありません。ただ、人柄なくして戒名がつくのか、どういった意味合いなのかが知りたくて投稿させて頂きました。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 37
回答数回答 3

怒られること、叱られることが怖くてしょうがないです。

ご質問させていただきます。 昔から、両親から褒められず、叱られて(怒られて)ばかりで育ちました。 そのためか、誰かから叱られたり、怒られたりすることが怖くてしょうがないです。 物事を誘って、断られるのも怖いです。 例えば、誰かを「今度食事に行きましょう」と誘ったとします。 当然、仕事が立て込んでいたり、他の用事が入っていたとしたら断る、という選択肢はあるはずです。 これが頭で理解していることだとしたら、心で思うことは、こんなことです。 つまり、「私が嫌いだからそういうことを言うんだな」と自動的に思ってしまいます。 怒られる、叱られる場合もそうです。 そういうときには、「私の行動や私によって引き起こされている状況をとがめている」が正しい認識であるはずなのに、「私という人間そのものが否定されている」と思ってしまいます。 ここに書き込む前に、自分なりに状況を消化してみました。 おそらく、自分が大嫌いで、自己評価が恐ろしく低いことと関係はしているのでしょう。 (私は心理学の専門家ではないので確かなことは言えませんが。) 「自分は受け入れてもらえるような存在ではない、否定されて当たり前なんだ」と思ってしまっているからこんな状況が引き起こされているんだと思います。 よく、こういう人に対して、「ありのままでいていいよ」という言い方がされると思います。 「ありのままでいる」ってどういうことですか? なんとなく同じような事ばかり質問して申し訳ありません。 ただ、私という人間の根源にある問題が同じである以上、同じようなトーンの質問になってしまうのは仕方ない、とは思っています。

有り難し有り難し 176
回答数回答 6
2021/06/04

亡くなった父に対する後悔が消えません。

昨年父が亡くなりました。倒れてから寝たきりになり、数ヶ月に息を引き取りました。 短い時間でしたが自宅で介護ができましたし、家族全員できることは全てやり切ったと思っています。 父も幸せだったのではないかと信じたいのですが、後悔していることがありその気持ちがなかなか拭えません。 まず、花嫁姿も孫の姿も見せられなかったこと。最後に元気な父な会った時、そっけない態度をとったこと。最期を看取れなかったこと。よく眠るようになった父を、病気かもと疑わなかったこと。 幸せな思い出がたくさんですが、そんななかで後悔も消えません。 父が夢に出てくると、決まって笑顔です。現実と同じく入院していても、夢の中では歩いていて、笑っていて、家族を愛しんでいる雰囲気を感じます。 そんな夢を見た朝ほど、もっとしてあげたかったことが浮かんできて、仕事中にも辛くなりそうになるので、無理やり忘れます。 そうすると、無理やり忘れるなんて父も悲しむのでは、なんてことも考えてしまいます。 誰との別れでも後悔はあると思いますが、どうやって乗り越えていけばいいのでしょうか。前に進んでいくための言葉をいただけるとありがたいです。

有り難し有り難し 30
回答数回答 2

人の為に

こんにちは! 自分では「誰かの為になる」と思ってした言動でも、相手にとって迷惑やありがた迷惑になることがあります。 そういう時、「今の相手には必要なかったかもしれない」とか「自分が出過ぎた真似をしたのだ」とか「自分の心が偽善だったかもしれない」とか「所詮、自分の為にしたことかもしれない」とか考える。 「人の評価を気にするな」という考え方もあるけれど、自分がしていることが人の為になっているのかどうか、前例もあるから自信がなくなる。 「必要と言われるまで待ってみよう」と考えたりしてるうちに次の言動ができなくなる。 そして、自信がなくて言動しないでいると、今度は「あの人は動かない」とか「気が利かない」とか「冷たい」とか言われてしまう。 何事もやってみなければわからないと奮起して、「誰かの為になる」と信じて言動してみる。時々はうまくいくけど、時々は相手にとって迷惑に……… そういう経験を積んでいくと、自分が何をしたらよいのかわからなくなることがあります。 もっと人に寄り添える人格であればよかったのに。そういう人格を目指してみるけれど、自分も他人も、人の心は難しい。 これを修行と思って日々頑張るしかないことなのか、それとも足りない何かがあってそのコツを掴めばよいことなのか。 どう考えればよいかお教えください。 抽象的な内容ですみません。 でも、こういう思考のループを断ち切る答えをいただけたらと思い、質問してみました。 よろしくお願いします!

有り難し有り難し 17
回答数回答 2

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