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hasunoha 問答検索結果 : 「私 いない 」
検索結果: 61294件

仏教における女性蔑視?はいつから?

毎度お世話になっております。 お坊さんと匿名でお話ができるというのがなかなかに楽しくてつい頻繁に利用してしまいます。 私は僧侶ではありませんが、仏教のことを、ちょこっとずつですが勉強するのが趣味なんです。この趣味がなかなか共感されないんですよ。 今回はちょっと学問的な質問を。 タイトル通りですが、仏教の教義では女性を蔑視、と言えるかどうかは分かりませんが、宗教的素質の低い存在であると見なしているということが、現在どうかはともかく、歴史上にあったことは間違いないと思います。 そのような考え方がいつから、どこから出てきたのかな?という質問です。 いわゆる初期仏教で既に宗教的素質に男女差はあったのでしょうか。 大乗仏教に入ってからなのでしょうか? 大乗からだとするとインドから? 中国から? そのあたりのことがちょっと知りたいです。 よく女性蔑視として挙げられる例として、たとえば五障とか変成男子とかいう言葉は、ウィキペディアを見る限りではお釈迦様の思想ではない、となっていますが、初期経典などに同じような考え方は全く見られないのでしょうか? 一応強調しておきますが、現在の仏教が女性差別に加担しているかどうかという話ではなく、また戒律の数や教団の違いといった現実的な差異ではなく、あくまで悟れるか悟れないのか、という宗教的な素質に関わるところの差が、どこからあったのかな? ということです。 詳しい方がいれば、ちょっとした参考でも教えてほしいです。

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死後の世界観

 初めまして。  私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。  私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。  ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。  仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。  私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。  先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。  もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。  人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。  こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。

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ついで参りにあたるからダメ?

義両親のお墓が、福島県内の義父の実家の近くのお寺にありますが、主人は勤務先が人手が足りない為なかなか休みが取れず、私も病気により1人での遠出が出来なくなり、お墓参りに行けず、お寺の近くに住んでいる親戚にお願いしている状態です。 同じお寺の墓所に義両親のお墓と、親戚の家のお墓がいくつかあります。 3月にお寺の近くに住んでる親戚の家で1周忌があるので、東京と神奈川の高齢で身体障碍のある親戚2人と一緒に電車で行く予定になっています。 お墓参りに行けない事が気になっているので内心、やっと親戚と自分の所の墓参りが出来ると思っていました。 しかし、神奈川の伯母から電話があり 「法事で行くんだから、自分の家の墓参りはしちゃいけないよ? アンタの所、全然墓参りしてないんでしょ?親の墓なんだから墓参りは行かないといけないよ。 どんな事情も行かない理由にしかならないんだよ。 3月はお彼岸あるんだからお彼岸に○○(主人の事)が行けないならアンタが1人で改めて行きなさいよ? 何故かは知らないけど、墓参りするなら法事の日はダメだっていうのが決まりだし常識だからね」 と言われました。 東京の叔父に聞いたところ 「ついで参りになるからいけないって事なんだろうけど、事情があって今はそういう時しか行けないんだし、墓参りしたいって気持ちが大事なんじゃないか? ついでは失礼になるからって、それで仏様が怒らないと思うぞ?だから墓参りしていいと思うぞ? そもそも姉ちゃん(伯母の事)は10台で神奈川に出て働いてたせいで仏事の事一切わからないってこの前言ってたぞ? 自分の旦那の葬儀だって何していいかわからなくて全部お前が調べて手配して葬儀やら法事やらやったじゃないか」 と言っていました。 年末年始はどこも忙しいと思われるので、お寺や福島の親戚にはまだ聞いていません。 インターネットで調べてみましたが、意見は分かれていてわかりませんでした。 伯母の言う様に法事でお寺に行った等の際にお墓参りをするのはついで参りになるからいけないのでしょうか? 叔父の言う様に墓参りしたいという気持ちが大事で、他の用事で行った時でも墓参りをしてもいいのでしょうか? 宗派によるのか、個人の見解によるのか、ついで参りはいけないと決まり事があるのか等知りたく質問させて頂きました。 どうぞ宜しくお願い致します。

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他人に相談をしにくい

初めて投稿します。 春から会社勤めを始めた新社会人です。 会社が実家から離れているため、一人暮らしも同時に始めました。 もう4ヶ月ぐらい経ちますが、慣れない一人暮らしと会社での生活でストレスが溜まり、余裕がない感じで不調気味です(上司からの指摘に必要以上に落ち込んでしまったり、同期に思わずきついことを言ってしまったり) 会社の上司は本当に良い人で、何か困ったことがあればいつでも相談しなさいと言ってくれています。そう言ってもらっているのにも関わらず、まったく相談ができていません。ついつい大丈夫ですと口癖のように言ってしまいます。 自分が抱えている悩みは大したものではなくて単なる甘えだ、とかこんなことでへこたれていてはこれから先働けない、根性が足りないのではという考えが先に頭の中に出てきてつい二の足を踏んでしまう感じです。 今日、ちょっと相談しようと思いながら通勤してたら急に相談することが怖くなって過呼吸気味になり、それでも会社まで行きましたが過呼吸になり涙も止まらず仕事の準備すらできず休むことになりました(休んでいいという許可はとっています)。 私が思う相談しにくい理由は ・引っ越したばかりで知らない土地で周りに話せる人が少ないから ・学生時代、同級生に悩みごとを相談したらその同級生に最終的に「構ってちゃん」「めんどくさい」と言われ(直接ではありませんが…)、見限られてしまったことがある ・慎重になりすぎている の3つだと思います。特に2番目がかなりトラウマになってるらしく、今でも思い出して落ち込んでしまうことがあります。 長くなってしまいましたが、どのような心構えで悩みを相談したらいいのか教えて頂ければ嬉しいです。 長文失礼いたしました。

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モヤモヤの気持ち

こんにちは。初めてお便りさせて頂きます。よろしくお願いいたします。 先日、職場で年下の子に仕事の事で意見したら、泣きながら「どうして私ばかりにそんなことを言うのか」と言われ少し険悪な雰囲気になってしまいました。(険悪になりたくなかったからなるべく言葉を選んだのですが)私の職場はほとんど年上の方ばかりで、その子だけが私より年下になります。でも、私としては年齢かんけいなく間違っていると思ったから意見したんです(意見したのはこれが初めて)が、その子は自分が年下だから言われてると思っていて、「あなたのそのセリフ、N先輩にもいえるんですか!」って言われました。「いちいちうるさい」とか。N先輩はそもそもそんなことしないから・・・と思いながら聞いていました。その子はかなり興奮状態になってきたので、それ以上言うのはやめました。ですが私の心の中で、その子の怒りに満ちた目やセリフが忘れられず、モヤモヤしています。あの時私は言いたい事をほとんど言えなかったからかな・・。でも、もう忘れたいんです。忘れるようにしてるのに離れないモヤモヤ。どうしたらいいでしょうか・・。ご回答よろしくお願いいたします。

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結婚する難しさ

25歳女性です。 6年間、付き合っている彼氏からプロポーズされました。 これを気に、私と彼氏の両親に会いにそれぞれ会いに行ってきたのですが…。 彼氏の両親から猛反発を受けています。 理由は私が常識がずれていること(スリッパでカーペットをふんだ、スリッパを収納した)、知らない間に相手が不快に思うような発言をしていたこと(彼氏に対して助席にのるねって言ったのに母親からはずうずうしい、お土産も値段の高い方にしむけられたと思われた)、彼氏のいい面も悪い面も2日目にして発言してしまったこと(悪い面として片付けができない、電車に乗り遅れるなど)だったのですが… 日が経つにつれて、彼氏の母親が私の悪い面しか見れなくなったみたいで、彼氏家族全員(両親、姉)から交際、結婚を大反対。 彼氏の母親からは私が彼氏の人生の恥とまでいわれたみたいです。 私の父母も、当初は賛成してくれたのですが…、 母に相手家族の状況を説明すると、私に新しい人と結婚しなさいといわれます…。 正直…、結婚してここまで、初めからバタついていると幸せになれる気がしません。これからいろんな苦難を乗り越えなきゃいけないのに…、まだ私も若いし、他の人と一緒になった方が幸せになれるのかな…とか優柔不断すぎです。 彼氏もこの件をどうしていいか、分からないと悩んでいます。 彼氏からは私と結婚したいし、子供が欲しい。だけど両親ともに仲良くして欲しいと言われます。 もちろんそうですが…、こんなに嫌われて仲良くできるものでしょうか…。 乱文失礼しました。 よろしくお願いします。

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大学院について

はじめて投稿させていただきます。 大学院への進学に迷いが生じました。 私は現在、生物系の大学に通う4年生です。 高校生の時、とにかく生物の授業が楽しくてしょうがなかったことと、細菌やウイルスから人を守れるワクチンを創るということに興味をもっていたため、現在の大学に進学しました。 研究室も微生物系のところに入り、後は就職すれば自分の夢を叶えられるとおもっていました。 しかし、学部3年の夏頃から本格的に就活をおこなってみると、自分がやりたいような研究職につくためには基本的に修士以上の資格が必要であると知ったのです。 今の研究室の方針が、大学院に進学したい場合、なるべく外部に行って、新しい経験や人脈を得なさいという感じなので、その時期から他大学の生物系の院を調べ、同時に少しずつ院試に向けた勉強を始めていきました。 しかし、今回のコロナの一件で、中々誰かに相談もできず、自分で漠然と決めた志望校に向けて適当に勉強していました。 その結果、最近研究室の先生と話して、自分の志望している院の研究テーマに統一性がないことに気付かされましたし、第一志望で行きたいと決めた大学に提出する外部英語試験の点数もいい点を取ることは出来ませんでした。 また、自分の研究室の先生からそもそも大学院に入る目的って何?と聞かれた時、 私はこの質問に対して何も答えることが出来ませんでした。 勉強していて楽しいと感じていた生物分野で、自分が特に興味のあったワクチン製作に携わる。その為に院に進みたい、そう思っていたはずなのにです。 この質問をされた後、もう一度自分の将来をよく吟味しなさいと話し合いは終わりました。改めて自分の夢について考えてみると、正直自分が何をしたいのかわからないという結論に至ってしまいました。 あれだけ楽しいと感じていた生物学の分野も、大学院入試に向けて勉強していても楽しく感じず、ワクチンを創りたいという思いも、正直よく分からないけどなにか凄いことを成し遂げたい位の感覚で言っていただけだなって思ってしまったのです。 そうなってくると大学院って行く意味あるのかな?って思い始めました。 あまり本格的にはおこなわなかったのですが、就活もしていて、派遣ですが研究ができる会社での内定は出ています。 このまま院に行くべきか、内定先に行くべきか、もうわからないです。 助けてください。

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死ぬことを受け入れたい

度々いろんなお坊様のいろんなご意見を読んでは参考にさせていただいています。 一つ最初に私はあまり信心深くなく、こんな時だけお坊様や仏様の慈悲にすがる浅ましさをお許しください。 かれこれ15年、「死ぬのが怖い」発作に苦しんでいます。 きっかけは祖母の死でした。 当時中学生になりたての絶賛反抗期で、親ともうまくいかず、勉強もうまくできず、何をやってもむなしい、いいことも何もないし死にたいと思っている最中の出来事でした。 自分がいかに死を簡単に考えていたかを身に沁みて理解しました。 悲しみよりもずっと大きく、死んだらどうなるのかという恐怖と、自分が自分でなくなり消えていく恐怖が襲いました。 悲しみよりも我が身の可愛さが先に来た自分が情けなく思いましたが、その恐怖は今もなお私を苦しめます。 必死にその恐怖を押し込めて、忘れ去ろうとすることしかできません。 親には相談できませんでした。 当時の憔悴しきった様子から、自分が何か心配をかけるような真似はできないと思いました。反抗する回数も少し減ったと思います。 その時に適切に恐怖心を処理しなかった代償か、今もふとした瞬間に目の前が真っ暗になり、足元からさーっと冷気が這い上がるような恐怖で吐き気がすることがあります。 お風呂に入っているときが一番その発作が起こりやすく、全くお風呂が安らげる場ではなくなってしまいました。 かといって人間皆いずれは死ぬのに、怖がっていることが恥ずかしく、心療内科の先生(以前適応障害を患い通っていました)にもカウンセリングの先生にもうまく伝えることができませんでした。 とにかく自分が自分でなくなり、何もわからない世界に行ってしまうことが怖くてたまりません。 そして私がいなくなった後も永遠に時間が続き、地球が滅び、宇宙が滅んでいくと考えると、手足の先が氷のように冷たくなって正気を保てなくなります。 お坊様達のご意見が聞きたいです。 お坊様達の世界の捉え方、仏様の世界を知れば、この恐怖から解放され、無事に死んでいけるのでしょうか。 親(二人とも60前後でまだ元気ですが、)が死ぬことも最近は毎日のように頭をよぎり、人間が物言わぬモノになっていくことが悲しく苦しくてたまりません。 身勝手な相談で申し訳ありませんが、どうか少しでも死ぬまでに心やすらかに人生を送れるようなヒントを頂けますと幸いです。

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