hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「自分 罪 できない」
検索結果: 3241件

ある僧侶の死

前回の質問時に生じた質問です。 もう何年前のことだか正確に覚えていませんが・・・ある日のこと、前途ある若き僧侶が殺害されました。夜間、路上で危険行為をしていた青少年らを注意したところ、逆上した彼らに暴行され、その末に息を引き取ったそうです。 当時、この報道を偶然テレビで観ていた私はとてもショックを受けました。僧侶という特殊な立場の人が犠牲になったことや、私個人のそれまでの想いや経験とも重なったのでしょう。暫く、忘れられませんでした。けれども、年を経るごとに少しずつ忘れ、思い出すこともなくなりました。しかし、数年前にお坊さんが書いたあるエッセイを読んだ時、一気に思い出したのです。 そこには偶然にも、あの事件のことが書かれていました。もちろん、実名などの記載はありませんでしたが、私はフラッシュバックのように、当時、テレビに映し出されていた事件現場を思い出しました。どこにでもありそうな人気もまばらな夜間の風景、暗い夜道と街頭、街頭に照らされた白いガードレール、記事を読む女性アナウンサーの声。 筆者と被害者の男性は、修行道場で先輩・後輩の関係で、男性は修行を終えて実家のお寺に帰った後に急死。彼の父親であり、師匠でもある住職は、葬儀の挨拶の中で、こう述べたそうです。 「それでも、許さないといけないのでしょうかね・・・」 仏教の教えでも、何であっても、人は皆平等で、言動には大なり小なり理由があります。加害者となった青少年らにも、殺意があったかどうかはともかく、腹立ち紛れに暴力をふるった原因や理由がそれぞれあるでしょう。しかし、だからと言って許せるかどうかは、また別の話。けれど、許すか諦めるかしなければ、生きている限り、苦しみ続けなければならない。また、こういったことが二度と起こらないように、暴力事件の被害者の方々が活動しておられますが、その活動は別として、果たして、彼らに救いはあったのでしょうか。 「許す」って何なんでしょう。諦めたら救われるのか・・・ただ、どうしようもない「ままならぬのが人の世だ」と分かっただけではないのか・・・「救い」って一体、何なのでしょうか。

有り難し有り難し 71
回答数回答 4

許せない

何度か相談させて頂いてます。 ずっと思ってた事を書きます。 私の親族関係は、あまり仲が良くありません。 というか、父の姉と妹が嫌いです。 私が高校1年の時に父方の祖父が亡くなり、3年の時に祖母が亡くなりました。 きっかけはその辺りなのですが(それまでは私が小さかった事もあり、大人な付き合いぐらいで留まっていたのだと思います) 祖母が亡くなって、すぐに遺産でもめました。 大した金額でもないのに。 出て行ったはずの姉までしゃしゃり出てきて。 裁判もして。 その間の嫌がらせは色々ありましたが、長くなるので書きません。 そこから父の名義だったはずの家から私たち家族が出ていく羽目になりました。 その辺りから、父は鬱状態のような感じで 「俺はいつ死んでもいいんだ」とか言って糖尿病の薬や治療も辞めてしまいました。 毎日のように寝ている時に、夢で思い出してたのか怒鳴ってたり、苦しんでるようでした。 それから数年は何事もなかったのですが、 昨年、父の糖尿病が悪化して(最初は頑なに父も病院へ行きたからずでしたが、何も食べられなくなり入院させました)亡くなりました。 もちろん、あの姉妹にはその事は連絡しませんし、葬式に呼んだ他の親戚にも言わないでと言ってあります。 もうすぐ父の一回忌です。 その姉妹は、親戚に根回しして一回忌に行かないようにしつこく電話をしているみたいです。 親戚は嫌になって参加しないからと電話で謝ってきました。 その姉妹的には「私たちだけ除け者にして!」みたいな言い分だそうです。 全く理解出来ません。 父に何をしたのか、全く分かってないし。 母にも酷い事言って。 復讐したいとは思いませんが、 父と母が苦しんだ分は分かって貰いたいです。 思い返すだけで、 腹が立ちます。 これからどう思っていくのが 良いのでしょうか? 何かアドバイスをお願いします。

有り難し有り難し 62
回答数回答 2
2024/06/21

出家を発心。具体的にどう動く?

おかげさまで、出家を発心いたしました。特に(未だ道行浅く恐縮ですが)臨済宗に最も共鳴しており、同宗寺院での出家を希望しています。 諸行無常の中、この一念と一時を大事にし、怠ることなく具体的に動き出したいと思っていますが、いわゆる「在家」であり、どこかの檀家でもないため、稚拙な所からになりますが、以下質問に関してお知恵を頂戴できますと幸甚です。 1.どのようなきっかけから師僧と結縁できるのでしょうか?どう出家の決意を示せばいいでしょうか?(不定期で座禅会に参加させていただいているお寺がありますが、咄嗟にお話ししても相手にしていただけるものなのか不安です。また、生涯をかけて追随する師匠なので、より多くの方にお目にかかって吟味すべきではないかと浅はかながら考えておりますが、いきなり「出家したいですが」と門戸を叩くものでもないと思い。) 2.恥ずかしいお話ですが、かなり大きい刺青を入れており(いわゆる反社会勢力とは、無始より関わっておりませんが)、もはや出家とは無縁なのか、一縷ののぞみでも受け入れでくださる師匠と道場があるものなのでしょうか?(過去の業の当然の結果として多くで拒絶されることは覚悟しており、それにめげずに求道することこそ修行と信じていますが、一方で皆具仏性を信じ、衆生平等の救済を追求する大乗仏教であれば必ずご縁があることと願って止みません) 一方的な長文で大変恐縮ですが、何卒ご指導のほどよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 12
回答数回答 3

『なぜ私だけが苦しむのか』

これは私自身が生きる中で抱いた怒りや悲しみではなく、hasunohaで数々の質問を目にする中で生じた仏教への一般的な関心に基づくことを最初にお断りしておきます。 H.S.クシュナーの『なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記』(齋藤武訳)を既にご存知かもしれません。この本は、私の理解する限りでは最後の章で次のような普遍的な問いを扱っています。 「なぜ、善良な人が(あるいは私が)不幸にみまわれたのか」 「私の苦しみが単なる不運であるなら、私が苦しんでいることになんの意味があるのか」 「正しい人も悪い人も同じように苦しむのだとしたら、だれが宗教なんか必要とするだろうか」 諸行無常、諸法無我、一切皆苦。「それはわかっているけれど……」「死んだあとのことを今いわれても……」というのが、これまた雑な理解に基づく感想で申し訳ありませんが、仏教徒にとってもまた正直な反応ではないかと感じています。一例として、ターミナルケアの現場において、死後の世界に関する教義が死への恐怖を有意に和らげているとはいえなかったという話をどこかで耳にしたことがあります。 これらの問いに対して、皆さんは時に誰かの、時にご自身の問題としてどのようにお考えになるでしょうか。あるいは宗旨の違いにより、そもそも仏教ではこうした問い自体が前提から不適切かもしれません。そうであれば、仮に目の前の方がこのような疑問や怒り(たとえば病気について)を投げかけてきた時、その方に対してどのようなお話をされるでしょうか?

有り難し有り難し 35
回答数回答 2

セックスフレンドは損だと思う。

以下、上品な話ではありません。 性行為を目的とした「セックスフレンド」や不倫(愛人関係)。私や私の友達の数人は、そういう関係を経験しています。 私は、愛人からは貰う物は少しは貰ったから、「玩具になってあげた」過去にも割り切れます。 けれど、世の中には「ケチな男」がいて、彼らは甘美な言葉で女性を騙すのです。(結婚相談所で独身と偽ったり免許証を偽装するなど、あらゆる手段をとって何とかセックスに持ち込もうとする)そして、何の対価も支払わずにSEXをしようとする。 私にはセフレがいましたが、たまに後悔するんです。「無料の風俗嬢みたいな事をやるより、もっと上手く搾取すれば良かった」と。不倫をしていた友達も「既婚者に無料で相手になるより、お金を貰えばよかった」と話しています。 男は高価な風俗店に行かず、何の責任も負わずに射精をすれば「ラッキー」で済みますが、女性は妊娠のリスクがあります。そして大多数の女は抱かれると男に情が湧くという面倒事も抱えているのです。 そこに愛などはない刹那的な関係において、貰える物は貰う事こそが、くだらない過去を「割り切る」事に必要なのではないかと思うのです。 かつて私に愛人がいた時、ある人に「そいつが金を払うだけマシだ」と言われた理由が最近やっと分かりました。愛人と同じく刹那的な関係にあるセックスフレンドは、女性からすれば「損」だと思うのです。 日本には「売春防止法」がありますが、善良な大人がどう騒いだって、現実には売春も不倫もあるのが世ですし、これからもそれは消えないと私は思います。 また、売春防止法は「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものである」ことが基本的視点らしいですが、私からすれば、「何言ってるの?売春だから人としての尊厳を害すんじゃなくて、お金も含めて得るものがなかった時に尊厳が失われるんじゃない」と思います。 刹那的な男女関係を割り切るために、対価(金銭など)を得ることが、なぜ駄目なのですか?

有り難し有り難し 151
回答数回答 6
2023/03/03

譲れない価値観

価値観が人それぞれなのは大前提ですが、たまに夫の考えにゾッとすることがあります。 昨年私の祖父母が立て続けに亡くなりました。 祖母の葬儀出席後「お祖父さんには会ったことないから葬儀に出なくていいよね?」と言われました。 私が「そしたらそっちのお祖母さん(面識なし)が亡くなったら私は葬儀に出なくていいってこと?義両親がその理由で納得する?」と聞くと「あ…葬儀行きます…」と 「でも親族席じゃなくていいよね?」と返され「従兄弟の奥さん親族席に座るよ。立場は一緒じゃないの?」と言うと「親族席に座ります」と。 またある日はニュースを見ながら所謂「無敵の人」について話していた時「こうなっちゃうのもわかるな〜」とボソッと呟いてました。 「被害に遭った人からすればたまったもんじゃないよ。私が過去にひったくりに遭って殴られたのも仕方ないことなの?」と聞くと「犯罪は良くないけどそうなってしまう背景には同情する」と言っていました。 主人にも主人なりの価値観があり考えた上での発言だと思いますが、私の価値観と違いすぎることと、私にとって地雷を踏み抜くような発言になるのが耐えられません。 普段は人に寄り添って考えることができる優しい人なのですが、その反面、上記のような発言をされたときはゾッとしました。 私の心が狭いのでしょうか。 今後、主人がこの様に価値観が違いすぎる発言をしたときはどのように答えるのが良いのでしょうか

有り難し有り難し 24
回答数回答 2
2025/07/20

閉眼供養と開眼供養の順番について

今あるお墓を墓じまいして、合祀墓に改葬しました。 どちらも菩提寺所有ではなく、自治体の公営です。 まず閉眼供養してから改葬先の合祀墓で開眼供養という順番の予定だったのですが、当日予定時刻になっても来ないので菩提寺に連絡すると、日付を勘違いしていたというのです。 慌てて今から向かうと言われたのですが、公営墓地の改葬の受付日時(30分間貸切状態にしてくれる)が二週間前からの予約制のため、時間をずらせず、仕方なく合祀墓の開眼供養を先にして、後から閉眼供養をするしかありませんでした。 閉眼供養でお性根を抜いてから、改葬先の開眼供養で魂に宿って頂く訳ですから、順序が逆になってしまった。 後から考えれば、合祀墓の予約は別日に取り直して、閉眼供養だけすればよかったと後悔しています。 こんなグダグダな改葬になってしまって、御先祖様に申し訳ないです。 御先祖様や父母を、丁寧に新しい合祀墓に移してあげたかった。 不甲斐ない私を、あちらで嘆いていると思います。 こんな順番で大丈夫でしょうか。 法要をやり直すべきでしょうか。 (といっても、もう前のお墓は解体されてしまったのですが...) また、菩提寺に対して怒りがおさまりません。 準備を重ねて間違いの無いように、電話だけでなくFAXでも日時等を伝えていたのに、こんなことになってしまって凄く辛いです。 それに慌てて来られたから、お願いしていた塔婆も持ってくるのを忘れ、俗名も読み間違いされました。 正直、離檀したいぐらい腹が立っています。 この怒りを菩提寺に伝えたら、冷遇されたり法要を断られたり扱いが不利になるでしょうか。 皆様のお答えをいただければと思います。

有り難し有り難し 41
回答数回答 3