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hasunoha 問答検索結果 : 「 自殺」
検索結果: 3397件

頭がおかしくなりそうです

前にも似た様な質問を行いましたが、また、その時の恐怖が出てきました。 仏教では輪廻転生の教えがありますよね。死後に自分の行いや業によって六道のどれかに落ちるという。 前に仏教は今をどう生きるかを説いている、死後の事は分からないというお答えを貰いました。 だけど、折角お答えを貰ったのにまた生まれ変わりに対して恐怖が出てきたのです。 私はまだまだ自分の人生を生ききっていない二十代の小娘です。 だけど、来世を恐れ、来世を心配するという考えに取りつかれています。 来世が動物や虫になってしまったら、どうしよう。それで酷い目に会ったらどうしよう。怖い目にあったらどうしよう。 運よく人間に生まれ変わっても、今の様に平凡だけど幸せな環境のようば場所じゃなくてテレビいえ、私が知れないだけで想像も絶するような場所に生まれたらどうしよう。 もし、そこで酷い目に会ったらどうしよう、非人道的な扱いを受けたらどうしよう、誰かに殺されたらどうしよう。悪人になってしまったらどうしようという考えが頭の中をぐるぐると回り、自分が酷い目にあっている所まで想像してしまいます・・。 別にそんな目にあいたくないですし、本当に嫌です。 こんな事を考えても仕方ないし、今の心配をしろよですし、来世だから今の私の自我があるかどうかも分かりません。だけど、こんな目にあいたくないという気持ちが強く出ているのです。未来の私かもしれないという考えがあるのかもしません。 こんな目にあいたくない。こんな目に合う位なら死にたくない。 死後の地獄も嫌。死んでも自分が消えるのも嫌。 死んだらもう、この世に生まれ変わりたくない。人間にも動物にも虫にもなりたくない。死後の世界があるのならただ穏やかでありたい 嫌だ!嫌だ!嫌だ!とか心の中で叫んだり あれ?私はこんなに信心深い方だったけ?私は何の為に生まれたの? この世は魂の修行場だと聞いたけれど、そんなの誰が決めたんだ、苦しいのは一回きりで十分なのに、という考えが自分の中になってそれで体調が悪くなったり気分が沈み胃が荒れている状態です。 もしくは引きこもっているから、こんな事を考えてしまうのか、精神的にはおかしくなっているのでは・・と思います。 折角頂いたお答えもあるのにどうにかしたいけれど、またこんな調子になってしまい解決策が見出せない状態です・・。

有り難し有り難し 97
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退職理由について

現在退職を考えています。 理由は、勤務シフトに暮らしがついていかず体調不良が続いていることと、休憩中の受動喫煙が辛いということなのですが、甘いでしょうか? 職場は、勉強出来る環境ですし、業務内容やスタッフに不満はありません。 2交代制のシフトなのですが、遅・早・遅・早となるのについていかないのです。 始発で出勤して終電で帰宅するような激務の人もいるんだぞ!と言われればその通りです。 帰宅が遅くても朝がゆっくり出来たらいいじゃないか!と言われても当然なのですが、帰宅が遅くて夕ご飯が食べられないのが何よりのストレスなのです。 休日にたくさん作って冷凍するなどの努力はしていますが、足りません。 元々同年代の人に比べて食事の必要量が多く、いわゆる痩せの大食いです。すぐに底をつきてしまいます。 コンビニの弁当やカップ麺など便利なものもあるだろうといわれるかもしれませんが、 そんな粗末なものを毎日食べても食事の多幸感が無く涙が出ます。 手作りの健康的な食生活を送っていて、たまにジャンクフードを食べるからそれが美味しく感じるのです。食費は浪費するのに、食事内容が不幸であるなんて、不幸以外の何物でもないと最近は感じます。 好きな仕事をしているのに、仕事のために自分の暮らしを犠牲にしている被害妄想が激しくなってきました。 栄養状態が悪いので貧血になり、休憩室の受動喫煙も頭痛に拍車をかけます。喫煙者は上の人ばかりなので誰にも言えませんし、鼻をタオルで覆うなどのあからさまなことは嫌味になるので出来ません。 けれど、お昼休みにまで外で食事をしていてはお金がもちません。 今のところ、貧血と頭痛・吐き気・舌の痺れ・疲労くらいの症状なのですが、病院でもらった薬を飲んでいても改善していません。痛みは強くなっています。 これ以上長く続けたら本当に体を壊すと思っています。 社会人として体を壊すまで働かないと、甘えによる退職になるのでしょうか。 症状を文字で羅列しても、「そんなんみんな一緒や。みんなしんどいねん」と言いたくなるようなものでしかありません。 今は、同じ業種のほかの会社から「うちに来たらいい」と言ってくれてるところがあるので、 いろいろと考え込んでしまい、結果そちらに転職したい気持ちが強くなりました。 でも、自分の退職理由がただの逃げな気がして、何とも表現しがたい苦い思いです。

有り難し有り難し 165
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娘の死

私には、夫、長女15歳、二女10歳の家族がいます。 2ヶ月前の中学卒業式の前日に長女が朝方トイレで倒れており運ばれてから半日で亡くなってしまいました。 肝臓に悪性腫瘍があり、破裂したことが原因でした。症状が出にくいのでわからなかったでしょう、とのことですが、気が狂いそうな葬儀を終え、日にちがたつと自分を責め、してやりたいこともたくさんありすぎて後悔をし、寂しくて会いたくて、最後のすがた、笑顔の娘、抱きついて来る娘、母さんて聞きたくて、思い出しては辛くて仕方ありません。 二女は泣くのは見たくないようですし、私がつい買いものしても、これ姉ちゃんなら欲しがるねと言ったりすると姉ちゃん姉ちゃん言わないでといいます。 二女もあの悪夢のような日は号泣しておりました。 私は15年間夢を見ていたんじゃないかとぽっかり穴があいたままです。 パートも再開しており外ではまだ大丈夫なのですが 思い出しては苦しくなります。 夫の誕生日に産まれ、私の誕生日に亡くなったのも何か意味があるのでしょうか?二女の為にも長女の為にも気持ちをどう思って生きていくのがいいのかアドバイスをいただけたらありがたいです。 宜しくお願い致します。

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どうすれば、すべての人を尊敬できるようになるのでしょうか?

長文で申し訳ありません。どうぞよろしくお願いいたします。 私は小さな頃から「天才だね」「何でもできるんだね」と言われて育ちました。実際にかなりの才能に恵まれているようですが、自己肯定感が強いので、どうしても傲慢な気持ちが捨て切れません。 私は長い間、業務能力が芳しくない人と一緒に働くことで生じてしまう様々な非効率に悩まされてきたので、正直「賢くないことを自覚していない人」がとても苦手です。 正直「賢くない人と働きたくない」という思いもあり、学生の頃に個人事業を起こして順調に経営していましたが、25歳の頃に孤独なお金儲けが虚しくなり、大きな仕事を純粋に楽しむことを目標に一流企業に入社しました。 日本でも指折りの入社難易度を誇る会社でしたので、入社後は優秀な人に囲まれて本当に楽しく働いていました。「やっぱり、優秀な人に囲まれて過ごせば悩みは解決するんだ。賢くない人に関わりさえしなければ、健全な気持ちで働くことができるんだな」と感じたのです。 しかし心の底では、「優秀ではない人を見下してしまう自分」がすごく嫌いです。その人の人として尊敬できる部分を探して尊敬しようとしても、「あ、この人頭が悪いんだな・・」と感じるとどうしても上から目線になってしまうんです。 これではいけない、傲慢だ・・・と思い何度も謙虚になろうとするのですが、「頭の悪い人に対する嫌悪感」が強く、うまくいきません。 「頭の良さ=人徳」ではないことはわかっているのですが、経験上「頭が悪い人からは迷惑をかけられたり失礼な目にあう」という認識が拭えないのです。 しかし、私が人より器用に生まれたのは、自分ではなく誰かを助けるためなのだろうな、とも感じています。 どうすれば、賢いとはいえない人に対して尊敬の念を持つことができますか?

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後悔の毎日

色々と書き込みばかりですみません。 毎日、後悔、喪失感、悲しみに苛まれています。 以前の質問で何度も書かせてもらいましたが、昨年10月に母をなくしました、年齢的にはそういう年になっていますが、勝手にまだまだ先の話と思っていました。十数年前に父が他界し、すぐに母が脳梗塞で倒れました。幸いにも身体に障害はなく、私が引き取りました。 それ以後二人暮しで、ある夜、頭が痛いといい、救急車で病院へ運び、しばらく入院ということで、私は明日入院の用意をして来るよう帰されました。明日またくるからねと、軽く肩を叩きましたが、母はこっちを見ていたが返事はしませんでした。今考えるともう物が言えない状態だったのかと。その時の表情は今も忘れられません。 次の朝、病院から電話で、容態が変わったので来てくれと。行くともう意識はなく、血圧や脈を測るモニターやチューブに繋がれ、点滴されていました。 延命治療の確認をされ、長く苦しむよりはと断りました。以来、高熱が続き、時々苦しそうでした。食事もできず、チューブで胃に流し込み、時々嘔吐。一週間後、洗濯に帰っている間に呼吸がとまり、死に際にも付いていてやれませんでした。 以後、私も病で長期休職し家にいますが、冬がこんなに寒く、夏がこんなに暑い、段差だらけで年寄りには過酷な環境、部屋で、家事をしてくれ、一人で通院し、家族に看取られずに逝きました。 しかも延命治療を断り、死なせ、殺しました。 最後にありがとうも、ごめんも何も伝えられませんでした。悲しみ、喪失感、後悔の毎日です。よく日にち薬とか、医者や知り合いには、そんなことで母は喜ばない、悲しんでいたら故人が浮かばれないといわれます。頭では分かっています。 たとえ一日に一回でも食事をすることに罪悪感も感じます。 ここで教えていただいて、毎日、日中と夕方の二回、お勤めしています。亡くなってからでは何もかも遅い、何度か死にたいと思いましたが、勇気も無く、気力もなく、生きながらえている自分が情けなく苛立ちます。正直、母がいなければと思ったこともありました、けれども今、こんな情けない自分。 自分でも何の質問なのかも分かりません、ただただ自分の気持ちをぶつける場所が欲しかっただけかも知れません。 特にご回答は結構です。申し訳ありませんでした、長々と大変失礼しました。

有り難し有り難し 228
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跡継ぎの悩み。お坊さんとしての在り方とは

 実家が寺院です。  住職をしている父親の在り方に疑問を覚えるとともに、自分の将来について悩んでいます。  現在、人々のお寺への関心は少しずつ薄れているものと思います。そんな中、私の実家は今でも多くの檀家の方々に支えられ、お寺として成り立っています。しかし、父はその有り難さが分かっていないように思うのです。    具体的な収入(僧侶が頂くお金を収入と呼ぶのは語弊があるかもしれません)を私は知りませんが、高級車を何台も乗り継ぎ、沢山の娯楽品を購入し、暴飲暴食…。具体的な発言があったわけではありませんが、「僧侶も職業だ。稼いだ収入を好き勝手使ってもいいだろう」というような気持ちが根底にあるように思います。  お寺の管理として沢山の工事も行い、綺麗なお堂を建てる一方で、景観として素晴らしい大きな木を何本も切り倒すようなこともありました。  非常に恥ずかしく思うとともに、悲しく、また、檀家の皆様に申し訳なく思います。そんな父の「粗さ」に母親が涙する日も増えました。ただ、私もまた、そんな父の援助があって、仏教科ではない別県の大学へ進学しているため、やっていることは本質的に父と変わりないのだと思うと、苦しくなるばかりです。  父親のような僧侶にはなりたくないと思います。ただ、日々誰かの死と向き合う仕事ですし、お寺としての管理も父なりに苦しんで考えているものと思います。大きなストレスもあるでしょう。父がどんな気持ちで高級車を乗り回しているのか、分かる気もします。改めて、現代におけるお寺や僧侶というものの在り方の難しさを感じます。「苦しすぎて私にはとても継げない。」「自由に暮らしたい。」「普通の家庭に生まれたかった。」そんなことを連連と考えてしまいます。  悩みやすい性格で、父親のことも悩みの一端に過ぎません。ただ、お寺の道に進むのか否か選択を迫られる時期が近づいてきており、「お坊さん」として生きていらっしゃる方々の言葉を聞いてみたいと思い投稿しました。  お坊さんとしてお金とどう向き合っているか。お寺への関心薄れる現代において、お坊さん・お寺として、今後どう在るべきか。また、悩んだ末に実家を継いだ方がいらっしゃいましたら、その決断に至るまでのお話など、相談としては漠然としており申し訳ないですが、何かご意見頂けると有り難く思います。

有り難し有り難し 147
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なぜ自分が生きているということが尊いのでしょう

虐待の末に、親に子供が殺されてしまったニュースを見聞きします。 悲しい、切ない気持ちと共にいつも思うことがあります。 「幼くして散った命でも、この子にとっては幸せだったんじゃないか」と。 私は児童虐待の生き残りです。 暴力で、言葉で、態度でズタズタに傷つけられて育ちました。 幸い良い人と巡り会い、結婚し、主人の実家とも実の家族のように接してもらえています。 心療内科に通い、もう怯えたり自分を責める必要はないんだと、先生と話し合いながら、病気の治療を進めています。 怯えながら、憎みながら生活していた昔を思うと、本当に幸せな生活です。 悲しいことも悔しいことも、もう叶えられないかもしれないこともありますが、幸せなんだと思います。 ただフラッシュバックなどで苦しい時、よく思うことがあります。 「今の幸せが全部チャラになったとしても、この世に生まれてきたくはなかった」 理不尽に虐げられて生き抜いても、大人になってしまった以上、自分でなんとかしなくてはいけないという更なる理不尽。 苦しい中を生き抜いて、まだ戦わないと安らげないのなら、この命は最初からない方が良かったと感じます。 そして冒頭に戻ります。 虐待の末に命を落としても、その先に待ち受ける苦しい人生を思えば、その方が幸せなんじゃないかと。 社会は無慈悲で無理解です。 自分に責がなく精神疾患を背負っても、大人になっていればその責を本人に負わせます。 精神疾患を持っているが故に業務が滞っても、自分達と同じように仕事ができないことを責めるというケースはよく聞く話です。 「与えられた命は大事にしないといけない」そんな言葉は聞き飽きました。 望まずして与えられた命、希望の持てない、真っ暗闇な自分の未来。 なぜ、私が生きていることは尊いのですか?

有り難し有り難し 86
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修行の道を選ぶことは社会の弱者より自分を優先すること?

(すべての宗派がそうではないことは理解していますが)座禅をすることによって悟りへの道が開かれる、ということへの質問です。何十年も修行をしたり座禅をしたりすることは確かにその僧侶にとっては悟りへの一歩かもしれません。 でも、その間に途上国ではその日をも生きられるかわからないひとたちがたくさんいます。この日本でも貧困層は存在します。もしも座禅をするかわりにそのひとたちの手をとってくれたら、パンを与えてくれたら、生き延びる道を一緒に検討してくれたら、助かる命もたくさんあるはずです。 修行の道(とくに長い期間社会から断ち切る行為)というのは、ある意味で自分を選択、優先することになる、と思ったことはありませんか?(これは侮辱ではなくて、本当に疑問、のレベルです。本当に本当に悪い意味でいっているのではないことをご理解ください) 自分の道に専念するその思いは素晴らしいと思う。そして得たものを周りのひとに伝えていこうとする気持ちも。でも、現実のこの社会のなかで、仏教が天台宗で言うような「一隅を照らすひとになる」ことが大切だとすれば、それはどこか矛盾していると感じてしまうことは間違っているでしょうか。 僧侶として、途上国や先進国を問わずに、貧困や飢餓などで今日をいきられるかわからないひとたちを前に仏教はなにができると思われますか?

有り難し有り難し 86
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葬式をあげてほしくない

死後の事についてご相談があります。 私は宗教という考え方やそれに基づいた慣習、イベント自体は好きですが、私自身が何かの宗教に属することは避けたいと思っています。 私の知る上では各々の宗教の考え方と私自身の観念が合うことが少ないからです。 ただし、宗教のパロディである空飛ぶスパゲッティ・モンスター教には共感いたしておりますので、自称するときはパスタファリアンを名乗っています。 そこで、私が死んだ後、葬式をあげてほしくないと思っています。 特に仏教式の葬式です。 なぜなら、戒名をいただいた時点で、仏教徒になってしまい、仏教という枠に囚われてしまうからです。 悟りも輪廻も御免被りたいです。 衛生的な観点からは火葬自体はしても構わないのですが、法律が許しませんが、できればその後はゴミ箱にでも捨ててもらって処分してもらいたいと思っています。 家族にそのことを話すと、死んだら終わりだから死後の事など心配するなと言われるのですが、そうではなく、私がそのくくりにとらわれてしまうことを決定づけられることが不服なのです。 死後の世界云々は信じておりませんが、生きているうちはそのことが囚われであり、心配であります。 ただ、信じずとも無いことの証明は極めて難しい以上、ある可能性は0ではないというのが論理であり、公理です。 (論理、公理とは数学上の意味です。) ですから、その0ではない可能性で、仏教の枠に入ることで、悟れなければ輪廻を繰り返してしまうという観念に囚われてしまっているのです。 ただし、重ねて申し上げますが、悟り自体は御免被ります。 渇愛は人間の人間たる、また、人間の動物たる所以と思います。 私は人間らしさを捨てたくはありません。 仏教に従事していらっしゃるお坊さま方には相容れない考え方かも知れませんが、これが私の中の公理です。 さて、これは私の考え方を変える努力をして見たほうが良いのでしょうか? それとも、家族を説得するようにしてみたほうが良いのでしょうか? 相談する相手を間違っているような気もしますが、意見を伺えるかもしれない機会を捨てることはないと思い、ご相談差し上げます。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 411
回答数回答 14