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hasunoha 問答検索結果 : 「 煩悩 」
検索結果: 3760件

衰退する地方で生きていくにはどうしたらいいですか

数年前、大学を卒業しました。当初は都会の会社に就職するつもりだったのですが、一人っ子ですので、どうしてもという家族の懇願に負け(その他でも様々な理由があるのですが)、なかば強制的に地元に帰ってきました。いま思えばあのときに親を捨ててでも思い切って都会に出るべきだったと思います、タイムマシーンがあったらそう言ってあげたいです… ですが、やはりこのまま過疎が進む地元にいて未来はあるのかな…今後死ぬまでこの土地に住むのかな…地元と心中するのかな…と思うとお先が真っ暗に思えて、なにもかもが嫌だなと暗くなってしまうのです。地元を好きになろうとがんばりたいのですが、新聞やニュースでそういう地方の暗い内容を見るともうウワーーッとなってしまって…。県外に出た、もしくは都会に生まれた他人や同級生を羨んでばかりです。 最終的に地元に帰る決断をしたのは自分ですが、後悔が消えないです…。一人っ子に生まれたことやこんな過疎化が進む地元に生まれたことって…理不尽だと思います…せめてきょうだいがたくさんいたらなぁ…地元がもっと未来ある土地だったらなぁ…たらればばかりですね…親のバカ!!!という気持ちです、八つ当たりだ…私もういい年なのに… とりとめのない文章になってしまいました。 お坊さんにお聞きしたいのは、①どんな心構えでいたら衰退する地元を悲観せず暮らしていけるようになるか②自分の希望に反して地元に戻ってきてしまったのも縁なのか③他人を羨まないためにはどうしたらいいか ということです。三つ全部でなくてももちろん構いません、ぜひ、お答えいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

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自分に合う仏教の宗派

 生きていく指針を探しているうちに仏教が合うのではないかと思うようになりました。  大学がキリスト教という事もあり、キリスト教の宗派だけでなく、イスラム教や神道も調べてみましたが、自分の考え方とは異なる印象があります。  キリスト教の一宗派であるプロテスタントの勤勉さやキリスト教全体が持つ他者との共存や無償の奉仕には同意するのですが、自然に対して人間優位的な部分も見られるので、研究対象にはできるのですが、生きていく指針として合いません。  そういった経路もあり、仏教に重きを置くようになりました。そこで、仏教の宗派を調べています。私が持つそれぞれの宗派についてですが、法相宗の色々な修行がある事には同意するのですが、『この世の物は自分が作り出したものである』という暴力的な印象を受け、日蓮宗や密教、浄土真宗、浄土宗はただ念仏を唱えているだけ、そして禅系は座っているだけという印象を持っています。  私自身は、自分の心身を持って他者に貢献しながらも、修行をする事で悟りは開けるものだと考えています。また寺などのいわゆる(適切ではないですが)宗教施設にいるのではなく、浮世に属しながら伝えていくのが伝道だと考えており生き方にしたいです。  伝えられていないとは思いますが、教えを下さい。

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仏教における女性蔑視?はいつから?

毎度お世話になっております。 お坊さんと匿名でお話ができるというのがなかなかに楽しくてつい頻繁に利用してしまいます。 私は僧侶ではありませんが、仏教のことを、ちょこっとずつですが勉強するのが趣味なんです。この趣味がなかなか共感されないんですよ。 今回はちょっと学問的な質問を。 タイトル通りですが、仏教の教義では女性を蔑視、と言えるかどうかは分かりませんが、宗教的素質の低い存在であると見なしているということが、現在どうかはともかく、歴史上にあったことは間違いないと思います。 そのような考え方がいつから、どこから出てきたのかな?という質問です。 いわゆる初期仏教で既に宗教的素質に男女差はあったのでしょうか。 大乗仏教に入ってからなのでしょうか? 大乗からだとするとインドから? 中国から? そのあたりのことがちょっと知りたいです。 よく女性蔑視として挙げられる例として、たとえば五障とか変成男子とかいう言葉は、ウィキペディアを見る限りではお釈迦様の思想ではない、となっていますが、初期経典などに同じような考え方は全く見られないのでしょうか? 一応強調しておきますが、現在の仏教が女性差別に加担しているかどうかという話ではなく、また戒律の数や教団の違いといった現実的な差異ではなく、あくまで悟れるか悟れないのか、という宗教的な素質に関わるところの差が、どこからあったのかな? ということです。 詳しい方がいれば、ちょっとした参考でも教えてほしいです。

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自分が出せない

初めまして。都内の大学に通っておりますトミーと申します。一年生です。 私は小中学校で過去にいじめを受け、それが解決してからも、周りと分かり合えず浮いてしまい、高校に通い始めてからはそんな自分を変えるために明るく振る舞うようになりました。 しかし、それから今になっても、人に弱みを見せたり、薄暗い自分の本性や悩みを人に打ち明けることが出来なくなってしまいました。 大学でも友人は多く、しかし、その中で感じるストレスや悲しみを、人に打ち明けることが出来ません。 否定され、そうでなくとも突き放され、1人になるのが恐ろしいのです。 いつも笑っているので、作り笑いばかり上手くなって、怒ることも泣くことも出来なくなってしまいました。 家族にすら自分の姿を偽り、やっと1人の時間を得て、その時に泣きたくなっても、涙が出なくなってしまいました。 悲しいことも腹立たしいこともたくさんあります。 しかし、もはやそれを表現する言葉も見つからず、ありのまま話すことも、素直にそうしたくても、しようとしても出来ないのです。 私は、人を信じて、助けを求めたいのです。僕の悲しみや怒りが晴らされなくとも、ただそばにいてほしいのです。 私はいったいどうやって人に助けを求めて、どうやって満たされたらいいのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

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2024/10/16

恐怖と戦う方法

私には、高齢の父親がおります。 お恥ずかしながら暴力暴言は当たり前な父で、現在私に対してひどい暴力をふるい私自身が怪我を負ったため、疎遠になるべく接触を避けている状態です。 その父が口癖のように私が幼い頃から言っていたことがあります。 「親を大事にしないと仏様から必ず罰がくだるぞ」 「この世に生まれさせたのは親なんだから仏様と同じなんだぞ」 「親を怒らせるお前が悪いから殴られるのは当たり前だ」 また、今後の暴力から逃れるため接触を絶つ際には 「親に失礼な態度を取るお前は必ず不幸になるぞ」 「お前の旦那の子供も必ず不幸になる」 「仏様は見ているんだからな」 「必ず仏様がバチを当てるだろう」 とも言っておりました。 仏様は随分、父にとって都合が良いなと割と幼い頃から思っていましたし、暴力を是とする仏様はいくらなんでもないだろうとは思うものの怖いのです。 父の言葉がまるで呪いのように纏わりついて精神的に参っています。繰り返し聞かされ続けた後遺症でもあるのだと思います。 恐怖と戦うのも試練と言われたらそうかも知れませんが、 何か、乗り越えるためのアドバイスを頂けるとありがたいです。

有り難し有り難し 24
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2024/11/20

終わりです

(編集部より。投稿の一部を修正しています) もう気を使って生きるのに疲れました。 働いていると気を使ってばっかりです。仕事を辞めたくても妻や妻の両親にどう思われるか考えてしんどいです。 会社に行くとストレスです。 今週末旅行に行きますが、旅行から戻ったあとのこれからも続くストレス社会に絶望し、死を望みます。 仕事を辞めても、したいことがわかりません。好きなものがわかりません。今まで何をしてきたのでしょうか?無意味に生きてきて、いま絶望にいます。生まれたときからやり直したいです。ゴミです、 生きる意味って考えんねん。 でもわからんねん。 ほんで調べたら意味はないとか出てくんねん。 じゃあ意味ないやんて思うねん。 でも死ぬ意味はあんねん。 苦しみから逃れられんねん。 で死んだ時のこと考えんねん。 んじゃ悲しむ人がおるなと思うねん。 ほんでその悲しむ人って自分が大事な幸せになってほしい人やと気づくねん。 自分の大事な人を悲しませたくないから生きる。 でもやっぱり人の為に生きたくないとか思うねん。 でも大事な人が悲しまずに生きてたら、自分は嬉しいから生きるねん。 これが自分の生きる意味か どんだけ考えやなあかんねん! めんどいわ! もう私のことなどどう思っていただいてもかまいませ。 どうぞこの人生笑ってください。

有り難し有り難し 23
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