私はいつか、お坊さんのように、困っている人の相談を聞いたり、助けてあげられる人になりたいと思っています。皆さんはどのような経緯でお坊さんになられたのでしょうか。 また、そう言う人になるには、どのようなことを心がけて生きていけば良いのでしょうか。 他にも、お坊さんといえば男性のイメージが強いですが、女性でもお坊さんになることができるのでしょうか。 教えていただけると嬉しいです。
最近、臨済宗と曹洞宗の座禅会に参加させていただきました。 作法の違いはわかりましたが、それ以外に違いはあるのでしょうか? 考え方や目指すところ(?)の違いなどや、こういう人には○○宗が向いているなどもあるのでしょうか? 知識がないため、ざっくりとした質問で失礼いたします。
お世話になります。 先月父が亡くなりました。 父の実家は真言宗のお寺の檀家ですが、父は長男ではなくまた飛行機の距離に住んでおり、お寺との関わりはほとんどありません。 そのため今の住まいの周辺でお墓を探すことになりました。 母と姉と姉家族、そして私で近所の民間霊園と寺院霊園(浄土宗)の見学に行きました。 私たちは寺院霊園の印象が良く、そちらに決めようとしました。 しかし管理寺院の住職の方に「焦らなくても良い」と熟慮することを薦められ、契約には至っておりません。 そんな中母がやはり今後の法要のことを考えて、真言宗ではない寺院霊園は止めるべきでは、と悩み始めました。 ちなみに母の実家は浄土真宗の檀家だったため、あまり熱心ではありませんが「南無阿弥陀仏」が落ち着くと言っております。 寺院霊園は宗派は問わない、檀家になる必要はない、但し寺院で法要等を行う場合は他宗派では行わない、とのことでした。 このような状況ですので私としては寺院霊園が良いと思っているのですが、母の気持ちを考えると押し切るのは良くないと思います。 ただ生前の父はお経を唱えることもなくまた初詣やお祭りくらいにしかお寺に足を運ばなかったため、信仰や宗派にこだわっているようには見えませんでした。(一度尋ねたことがありますが、こだわっていないとの回答でした。) そのため真言宗にこだわって民間霊園にしようという母の意向に従えない思いもあります。 真言宗にこだわるべきか? 気にしなくても良いのか? 出来れば心の持ち方の御指南をいただきたくお願いいたします。
こんばんは。命日について少しあやふやな(迷信も入っているかも)認識を持っているので、お坊様にお訊きして、この機会に正すことができればと思いました。お暇な時に、教えてくださると嬉しいです。 私は今まで、亡くなった家族の命日は彼らが天国へ旅立った大切な日として覚えていました。父が仏教式に葬られて、一周忌や三周忌という法事の段階を経て仏様に近づいていくと読み聞きしたので、できるだけみんなで法事に参加して祈りました。 命日とは亡くなった人を思い出し(他の日でも思い出すけれど)、供養する特別な記念日と考えていてよいでしょうか。 お坊様のお話ではなかったのですが、命日は亡くなった人の霊の力が高まって、生きている人達の世界に降りてこられる日だと聞いたことがあります。迷信ぽいけれど、命日に降りてこられるならお父さんと夢で会えたらなあなんて思ってしまいました。今でも本当だったらいいのにとつい考えてしまいます。そういう話を信じて追うとよくないとわかってはいるけど、いまだに引っかかりそうです。
仏教は色々な宗派や教えが有りますが、本を読んでも調べてもイマイチ分かりません。 お寺にお話を伺う勇気も無く、大変失礼な質問で申し訳ないのですが、それぞれの仏教の宗の違いなど分かりやすく教えて頂けたら嬉しいです。 また、○○宗○○派など宗の中でも違いが有るようなのですが、その違いも教えて頂けたら嬉しいです。 先に似たような質問が有りましたら申し訳ございません。 他の宗派との教えの違い。 特色 お坊さんは何故、今の宗派で修行しようと決めたのですか? どうして今の宗派で勉強したいと思ったのですか? 何故この様な質問をしたかと申しますと、私の親は非常にだらしない大人で、先祖代々のお墓やご縁のあるお寺など有りませんし、当然、お墓まいりもしておりません。 将来、自分のお世話になるお寺もありませんので、それぞれの宗派を勉強して自分でお寺を探してお金を貯めて将来お願いしたいと思ってます。 仏教やお寺の事は何も分かりませんので、その為にも色々と勉強させて頂きたく思います。 大変失礼な質問とは思いますが、宜しくお願い致します。
観音寺の仏像窃盗事件からもう10年になります。 仏像は文化財、美術品としての価値もありますが信仰の対象でもありますよね。 語弊はありますが宗派や説法によっては仏様は己の中にと説いたり、いやいや本陣の中におりますと言われることもあります。 もっと言うと釈尊は執着をするなと説いています。(乱暴な解釈ですが) この執着と信仰は別物なのでしょうがいまいちわかりません。 執着、願い、信仰の違いがわかりません。 また、仏像がなくなることは仏教行事において何が困るのでしょうか? もちろん仏像は観音寺に返還されるべきだと思っております。
最近、算命学の鑑定を受けてきました。 算命学には20年以上関わっています。私は天中殺の時期に結婚し その後の人生が 運勢通り上手くいかなかったことから これは当たってる!と算命学に傾倒するようになりました。 たかが占い、、と思われるかもしれませんが。今回この算命学で自分は 《物事が結実しにくい人生》と鑑定され なかなか 凹んでいます。 勇気をいだだく言葉もありましたが。。モヤモヤが残ります。 お坊様方は占いについてどう思われますでしょうか。 御籤も一つの占いのようなモノですね。ふだん自分は占いに頼るようなタイプではないのですが 最近はシゴトや人間関係について悩むことがあり思い切って 占いの館を訪ねました。 占いも仏教も人々がより良く生きるための拠り所のような気がしています。 お坊様方のお考えをお聞かせください。
近々お寺のヨメになる者です。私には薔薇色の未来しかないと信じていたのですが、お寺のことをよく知っている知人から「お寺の嫁は幸せになれない。やっていけるのは苦労が好きな人」と忠告を頂き、自分に対する信頼が揺らいでいるところです。 普通の家庭に生まれたので、お寺のことはこれから知ってゆくのでしょうが、大変な部分など、妄想してみたりネットで調べてみたりはしてしまいますが…まだ起こってもいないことを考えて不安や恐怖にかられています。不安な事は少しづつ全てパートナーに伝えているのですが、調子が悪いとやつあたりしてしまいます。 伝統と共に生きられるのは素晴らしいですが、私にとってお寺は得体の知れないものです。この恐怖とどう付き合っていけばいいのでしょうか。なるようにしかならないのでしょうが、なにかできる事がしたくて質問に至りました。今はお寺のことが知りたいです。私は芸術や建築デザイン、漫画、宇宙、瞑想はすきです。結婚の間までに、それらの力を借りてお寺のことを知ることのできる楽しい方法はあれば知りたいと思います。
度々此方でお世話になっております。 数年前、父が急逝し、葬儀などを終え、当時大学の試験も数日に迫っておりましたので、ここで単位を落としては折角苦労して大学に進めてくれたのに父に申し訳が立たぬ、と一時地元を離れ試験を無事終えて再度地元に帰った際のことです。 食事を作った際にあったはずの父のお茶碗が見当たらなかった為、親戚に聞いてみた所「茶碗は○○(私の弟)に割らせた」と返ってきてショックを受けました。 何やら「亡くなった人のお茶碗は双方共に未練を残さないために割らねばならない」と教えられ、寡聞にして知らなかったのでネットで検索し、出棺の際に作法慣習として存在することと改めて認識しました。 ですが、私としては追々気持ちの整理が着いてから供養なりして処分をと考えていたので勝手に割られたことに悲しさが拭えません。 元々父があまり物を持たない人なので、父関連のものが少なく、お茶碗も私にとっては大切な父との思い出の品でした。 いくら慣習とはいえ、父のお茶碗を割られた行為が父の物を酷く粗末に扱われたような思いがしました。また、それを当時小学生だった弟にさせたということにもなんて残酷なことを、と思ってしまいました。 数年経ってもまだモヤモヤしているので、どうか振り切るためのお言葉を頂きたく思います。 あともう一つ。普段仏壇に供えるお花はプリザーブドフラワーなどの加工花ではいけないのでしょうか。 盆・彼岸・正月など季節の節目はきちんと生花を供えているのですが、慣習や仏壇事に厳しい親戚からは「生花でないと駄目だ」と叱られます。 勿論供養としては生花の方がいいと思ってはいるのですが、生活ギリギリであまり余裕がなく、お花の値段や日持ちを考えても常に生花を供えるのは厳しいです。 お坊様方の考えはどうなのか気になったのでお聞かせ願えればと思います。 質問が複数で申し訳ないのですが、よろしくお願い致します。
こんにちは。 私は、家の宗派は真言宗なんですが、実は法華経も好きです。 先日、鴨川に出掛ける機会があり、縁あって日蓮宗の 誕生寺にお参りさせて頂きました。 参拝時は流儀に従い「南無妙法蓮華経」とお唱えし、 法華経について色々と考えさせられるきっかけとなりました。 「観音経」として知られる二十五品や有名な「自我偈」を含む十六品など、 どれも素晴らしいのですが、私が特に好きなのは 仏の命が永遠と知って全世界(全宇宙?)の菩薩が歓喜し、 曼荼羅華が降り注ぎ、天には妙なる音色が響くと言う、 壮麗な仏国土が現前する十七品(分別功徳品)です。 「如是等衆生・聞仏寿長遠・得無量無漏・清浄之果報」 の所が特に好きで、正直この部分を紙に書いて お守りとして身につけたいくらいです。 この世の誰をも救ってあげよう!って大らかさとパワフルさが 法華経の魅力だと思うし、そんな法華経の魅力が結実している 一文だと考えてます。 で、ふと思ったんですが法華経の十六品や十七品で言及されてる 久遠実成は、永遠性や普遍性といった性格が大日如来と共通している のではないでしょうか? 上述の十七品は「仏国土は遠い彼方にあるものではなく、仏の永遠性を 信じれば、この現世こそが仏国土と知れる。」 と主張してるように思えますが、これは大日如来を中心とする 密教の思想にも通じていると感じるのですが如何でしょうか? 私にとって仏様と言えば、実家の仏壇に鎮座する、 きらびやかな衣装をまとった大日如来様です。 子供の時から手を合わせている大日如来様が、 法華経の久遠実成と相通じているなら 何と素晴らしい事か、と考えてしまいます。 厳密な意味での同体ではないにしても、 根底で通じているのではないでしょうか? 少なくとも相反するものではないと思うのですが如何でしょうか? ご意見をお聞かせ頂ければ幸いです。
はじめてご質問させていただきます どうぞよろしくお願いいたします わたしは幼少の頃から某宗教にはいっており 寺院内や神社など教えに背くのではいることが禁止されておりました しかし近年 仏様の教えなどにしりたいとゆう気持ちが芽生え 在の修行をしてみたいとかんがえるようになりましたが 今まで寺など伺ったことがない上に いろんな宗派があるとおもうのですが 仏様のおしえは宗派にかかわらず同じなのでしょうか? またそういった修行をさせていただく寺院さんもありのでしょうか? よろしく
家は、禅宗で、今お付き合いしてる方は、浄土真宗なのですが、たびたびお世話になってるお寺は、真言宗です。 真言宗のお寺で、護摩たき(字が間違ってたらごめんなさい)していただいたり、真言を教えて頂いたり、御守りを頂いたりしてます。 この様な事は、本来よくない事でしょうか? 実家とは、疎遠で、今後の付き合いもありません。が、それでも、禅宗の方法で色々と進めるべきでしょうか? と、言っても仏壇などありません。ので、特にいま何か出来る訳でもありませんが、私の様な檀家にもなってない人は、今後どうしたらいいのでしょう? 何か1つの事でも、アドバイスいただければ、ありがだいです。 よろしくお願いいたします m(__)m
また、よろしくお願い致します。 私達夫婦は、後継者が、いない為、 寺院の境内にある「永代供養付樹木葬」の 見学を始めました。 候補が、二つに、しぼられて どちらも格式高い、お寺様で、二つとも気に入って 本当に、どちらにしようか真剣に考えております。 二つとも「永代供養墓普及会」の紹介なので、 形や値段は全て同じです。 ただ、一つは「浄土宗」の寺院、 もう一つは「真言宗」の寺院です。 樹木葬墓地は宗派は問わないのですが、 納骨する時は、その寺院の御坊様に拝んで頂くことになります。 私は、戒名は頂きたいので、やはり選んだ寺院の宗派の 戒名になると思います。 そこで、 「浄土宗」と「真言宗」の考え方が、 どのように異なるのか教えてください。 できれば、 「浄土宗」の御坊様と、「真言宗」の御坊様の 双方の立場から教えて頂けると有難いです。 よろしくお願い致します。
こんにちは。いつもhasunohaを読ませて頂いております。 質問です。先日知人の親族の葬儀がいくつな重なりお通夜に参列してふと思いました。 宗派問わず統一されたお経ってありますか? 元々はお釈迦様が仏教を広めたのでしょうから仏教経みたいな… よろしくお願いします
ふとした疑問です。 急ぎの質問ではないのでちらっと見た時にでも答えていただけたら嬉しいです! ①お坊さん方は、仏教意外にも他の宗教のお勉強したりするのですか? ②他の宗教の事はどう思っていらっしゃいますか? 教えて頂けたら嬉しいです⭐️
はじめまして。 最近、カトリック教徒の女性と結婚し、 仏教とキリスト教の違いについて考えるようになりました。 両者の比較について、わかりやすく解説している文献があれば、 教えていただけませんでしょうか。 雑学程度の内容よりは、もう少し思想的なところまで踏み込んだ解説があるとありがたいです。 (イメージ的には、雑学以上、学術未満といった感じでしょうか。わかりにくくてすみません。)
仕事柄ご遺族の方とお話しする機会が多くなってきたのですが、その際に故人の宗派が分からなくて話しの内容を誤ってしまうことがとても心配です。 たくさんの宗派があるとは思いますが、たとえば仏壇にこの仏具あったらこの宗派、故人がこの念仏を唱えていたらこの宗派 など 各宗派を簡単に見分けるポイントなどがあれば教えてください。 宜しくお願いします
はじめまして。冷静になるために、ご相談させていただきます。1年ほど前から、ある禅宗の修行僧の方とお付き合いをしています。 ただ先日、私から将来の話を切り出したところ、師匠(老師)の跡を継ぐため妻帯はできないと言われました。 1年前は将来を考えて告白をしてくれたそうですが、そんな無責任なことがあるのでしょうか。 彼の人生ですから、私がとやかく言えることではないと思います。ただ、残された私の心はぼろぼろです。 日々の修行をしていくなかで、そういう選択肢が頭をよぎったとしても、1年前の気持ちを貫いて欲しかったのです。1人の人間を傷つけてまで、決心することでしょうか。 私には修行や仏教の世界はわかりません。その道で生きてこられた方々に、冷静なご意見がいただきたく、相談させていただきました。よろしくお願いいたします。
今年に入ってから、毎日、写経をています。もうすぐ一年分になりますが、どのように扱えばよいのかわかりません。 初詣の際に、お焚き上げをしても良いのでしょうか? ご助言をお願いいたします。
実家はお寺ですが、私が跡取りです。 宗派が臨済宗です。質問が2点御座います。 ①臨済宗内の宗派を大徳寺派から妙心寺派や相国寺派等に変更する事は可能でしょうか。 ②臨済宗から曹洞宗に変更する事は可能でしょうか。