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検索結果: 507件

至急。祖父の看取りと祖母への怒り。

私の祖父は10年前からアルツハイマーに なり終末期を迎え、昨日か今日にはと 先生に言われました。私は祖父母っ子で 夏休みは毎年弟と1カ月祖父母の田舎へ 帰りました。中間地点まで祖父が来てくれて あとの半分は電車でお弁当を食べたり 話したり、毎年そうしていました。 アルツハイマーになり、私のことも忘れ 叩かれそうになったこともありました。 祖父がその辺で便をしてしまい、祖母と 片付けたこともありました。でも、私の中の 祖父は何にも変わりません。数ヶ月前に 誤嚥性肺炎で救急搬送され、延命治療に ついて話しました。最期を家族がどう決断 するのか。祖母は、胃ろうはしないけど それ以前のできる限りのことはして下さいと 話しました。祖父は人形のように目が開いても 反応せず毎日息をしているだけの状態です。 私は祖母の意見に反対でした。毎日ただ 息をしているだけ。たんの吸引は辛く、 その時だけ表情を変え苦しみます。 先生にも回復はしないし、口から食べれない、 老衰に向かっていると言われました。 私は福祉の仕事をしていたので、私としては 体の自然な流れに逆らわず最期は穏やかに 過ごし、安らかに眠れるように家族が決断 すべきと思っていました。でも、祖母は リハビリを始めたらゼリーを食べさせたり。 そのゼリーも結局は気管に入り熱をだす 原因になりました。そして、祖母の胃ろう 以前の治療はしたいと言う願いから、 説明もなく鼻から管を通し栄養入れる、 延命治療が始まったのです。私は祖母に 怒りを覚え話をすると、長年連れ添った 夫婦、簡単に割り切れない。さみしい。 と言われました。祖母は私の子も抱ける、 二世帯住宅で新築になり自分は趣味も でき、気分転換できて 生きがいがあります。祖父は違います。 延命治療したことで、点滴を受けつけなくなり 嘔吐し、熱をだすことが続きました。 私は虐待にしか思えません。祖母はそれでも 頑張ってねと祖父に言います。自分の寂しさ のために祖父を生かすなんて身勝手すぎる。 私の親も祖母が決めたことに口出しできない と言います。祖父のことで家族が揉めるのは 祖父は望んでないはずですが、腹が立つのです。 今も目を開けて肩で息をしている祖父を 見ると辛くて同時に祖母に対する怒りが 込み上げてきます。最期のときが近づいて います。穏やかに見送りたいです。助けて下さい。

有り難し有り難し 7
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母親の死

今年の7月18日に母を癌で亡くしました。 発見が遅く約2ヶ月の闘病生活でした。 幼少期の親の離婚などで 私は母のことが嫌いでした 年明け、母が体調崩し出した時には 「私はお母さんに愛されてると思ったこと 1回もない‼︎」 など、、酷い言葉を言ってしまいました 絶対にお母さんみたいな大人にはならん と昔から心に決めて生きてきました でも、約2ヶ月の闘病生活の間 母の必死に生きようとする姿 どんだけ辛くても笑顔で 周りの人に感謝をする姿 頑張るから、と毎日、亡くなる直前まで 言っている姿を見て 母の凄さに気づきました 学校終わりに毎日病院に通い 今までにないくらい、喋って、笑って、泣いて、、1番幸せな2ヶ月間でした。 母が亡くなった直後は正直ほっとしました 学校終わりに病院、家帰って学校 とゆう生活から解放された。。と思い。 でも、今は、悲しさや怒り なんで?なんで私なん? とゆう気持ちが増していくばかりです もうすぐ5ヶ月が経とうとしてますが 時の流れの早さに 自分の気持ちがついて行けてなくて 色んな言葉にプレッシャーを感じます 私は少し精神疾患をもっているのですが そのせいなのか、母を亡くしたからなのか 自分でもわからなくなります。 学校も辛いです。 先生からは、 ・集団行動ができてない ・病気だから仕方ないんでしょ ・周りの生徒に迷惑 など言われました。 そんなこと言う大人が居るんや と 正直ショックでした 兄は、休学してもいい、辞めてもいい と言ってくれますが 母が女手一つで働いて 通わせてくれた学校を、休学や辞める 決断はできませんでした 文章ごちゃごちゃですみません。 今は八方ふさがりでなにもかも どうすることもできません。 この悲しみや辛さから 抜け出す日はきますか?

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

娘の死

初めて書き込ませていただきました。 私は、去年最愛の娘を私の不注意で事故で亡くしました。たったの6才でした。 悲しみが癒える事はなく、これから娘が味わえたであろう、小学校、中学校、高校…恋もしたかっただろう、どんな仕事に就いたのかな?結婚したかな?ママとランチや買い物に行って、女子トークしたかな?友達と旅行行ったりしたかっただろうな… 娘の人生は、全て私が奪いました。この先感じた、喜びも悲しみも幸せも怒りも、様々な経験も、全て私の不注意で奪いました。 私は、私が殺めたと思っています。 溺水でした。 蘇生後脳症で意識が戻らないまま、脳死状態で数ヶ月心臓は動いて、最後は多臓器不全で亡くなりました。 私の元に生まれなければ、私の娘じゃなかったなら、きっとずっと幸せな人生を歩んでいただろうに、私の娘になったばかりに、可哀想で可哀想でどうしようもありません。代わってやりたい。私が死ねば良かったのに。 自分でランドセルも選び、何度も背負って見せ、小学校への入学を楽しみにしていた数ヶ月前に亡くなりました。 あの笑顔が忘れられません。 何度も後追いを考えます。私が行ってあげなきゃ一人で淋しい思いをしていないかと、いつも涙が溢れます。 ただ、他に子供がいて逝けません。 1年少し経った今でも、息をするのも辛く、美味しい物を食べるのも、旅行やお出かけも、いつも常に淋しさと後悔で全く楽しめません。 神様は、私に「苦しみ地獄を生きろ」と言われてるのだと思います。 沢山居た娘のママ友達も、居なくなってしまいました。 私は、何かバチが当たったのでしょうか? 私は、動物や小さな虫にも優しくしてきたつもりでした。動物愛護募金もしてきました。夏のアスファルトの上を虫が歩いていたら、そっと木陰に連れていく事を毎回やっていました。 子供の虐待や事故死を自分の事のように涙を流して泣いていました。 間違っていたのでしょうか? 今は、何をしても悲しみが押し寄せてきます。喜びや楽しみも、最後には悲しみに変わります。もう腹の底から笑う日はないんだと思います。 いつ死んでも構いません。残った子供が私と同じ想いをしないように生きてるだけです。 虐待で亡くなる子供たちに私の命を捧げてあげたい。ちっとも惜しくないです。 私のせいで死ななきゃいけなかった娘が、せめて今、仏様に神様に大事にされている事を祈るしかありません

有り難し有り難し 51
回答数回答 1

母の死

母の介護を15年してきました。状態が悪くなり入院をしました。その後、鼻から栄養を入れて、元気になり、胃ろうをして退院の日も決まっていました。ある日病院へ行くと、前日とは全く違う苦しそうな呼吸をしていて、私が看護師に言うと、何もないような事を言うので、看護師が言うなら大丈夫かな?と思い帰りました。翌日行くと、呼吸は変わらず苦しそうで。違う看護師に聞いたけど、暑いからね〜。と。私は納得できず、夜勤で交代する看護師にもう一度おかしい。と言いました。その看護師は慌てて先生を呼んでやっと診てもらえました。肺炎でした。それから1週間後、退院予定の日に亡くなりました。 看護師にも婦長にもなぜあの時すぐに気付いてくれなかったのか?こちらがおかしいと言っているのに診てくれなかったのか。私は看護師を責めました。長い命ではなかったかもしれないけど、入院中に肺炎になって見過ごしで亡くなるのは納得がいがず、訴訟も考えています。それから1年になろうとしています。時が経てば怒りもおさまるだろう。と思っていたけど、おさまるどころか病院に対する不信感と憎しみが増幅しています。いろんな人に聞いてもらっても、答えがでません。家族は訴訟おこしても、還ってはこない。といって、私1人が悶々としています。母の事は全て私がすすんでしていたので、自宅で看取る覚悟でいたので、こんな納得のいかない亡くなり方に心が晴れる事がありません。私が間違っているのでしょうか?それと、介護生活の中で暴言を吐いたり、叩いたりしてしまった事を後悔しています。その事が頭から離れず苦しくて仕方ありません。母が亡くなる1ヶ月前に愛犬を亡くして、立て続けに大切な家族がいなくなってしまって、心から笑えなくなってしまいました。 母から譲り受けた遺伝子のおかげで友人や知人に恵まれているので、助けてもらえる事が唯一の救いです。 母が受けた信仰宗教もできなくなった母のために頑張ってきましたが、やめようかと思っています。 私は軽いパニック障害があり、日常生活に問題はありませんが、離れたところへ1人で出掛ける事が不安でいつも誰かについてきてもらって迷惑かけていて、これからの事を考えると、この頃、母と愛犬のところへ行きたくて、早くお迎えこないかなぁ。と思ってしまいます。 私はどう受け止めたらいいでしょうか? よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 26
回答数回答 1

納得のいく死

先日、最愛の母を癌で亡くしました。 癌だと判明してからたった二ヵ月足らずで逝ってしまいました。 本人には事実を告げられないまま… 本人も治ると…必ず治す!というつもりで頑張っていました。 人は誰しも自分の『死期』は分かりません。 自死の方は別かも知れませんが、皆さん『納得のいく死』 が出来るわけも無いし、そもそも死にゆく事に本人も家族も 『納得』や『覚悟』なんてそう簡単には出来ません。 殆どの人が『無念』な思いで逝くのではないでしょうか? やり残した事、言いそびれた事、気になっている事… 色んな思いを抱え、それらが『後悔』や『恐怖』となって 本当に『辛く』『悲しく』時には『怒り』となって たった一人で心細く無念に旅立っていくのではないでしょうか? そんな『無念』な思いで旅立った魂は、本当に 心安らかに『成仏』が出来るのでしょうか? 残された家族が一番心を痛める事… それは どんなに辛かっただろう どんなに無念だっただろう どんなに怖かっただろう… 話が出来たら、どれだけ辛かったか聞きたい… 今、どう思っているのか聞きたい… でもそれが出来ないから苦しいのです…。 教えてください。 自分が『死んでしまう』とは思ってもいないのに 治そうと、治ると思って頑張っていたのに 何の心構えも準備も出来ていないまま 人生を終わりにしなくてはいけなくなった時 人はどんな事を思うのでしょうか? 四十九日までは、魂はこの世に居ると聞きますが どんな気持ちで、どこでどのように 過ごしているのでしょうか? そんな事ばかり考えて、辛くてたまりません…。

有り難し有り難し 31
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ある僧侶の死

前回の質問時に生じた質問です。 もう何年前のことだか正確に覚えていませんが・・・ある日のこと、前途ある若き僧侶が殺害されました。夜間、路上で危険行為をしていた青少年らを注意したところ、逆上した彼らに暴行され、その末に息を引き取ったそうです。 当時、この報道を偶然テレビで観ていた私はとてもショックを受けました。僧侶という特殊な立場の人が犠牲になったことや、私個人のそれまでの想いや経験とも重なったのでしょう。暫く、忘れられませんでした。けれども、年を経るごとに少しずつ忘れ、思い出すこともなくなりました。しかし、数年前にお坊さんが書いたあるエッセイを読んだ時、一気に思い出したのです。 そこには偶然にも、あの事件のことが書かれていました。もちろん、実名などの記載はありませんでしたが、私はフラッシュバックのように、当時、テレビに映し出されていた事件現場を思い出しました。どこにでもありそうな人気もまばらな夜間の風景、暗い夜道と街頭、街頭に照らされた白いガードレール、記事を読む女性アナウンサーの声。 筆者と被害者の男性は、修行道場で先輩・後輩の関係で、男性は修行を終えて実家のお寺に帰った後に急死。彼の父親であり、師匠でもある住職は、葬儀の挨拶の中で、こう述べたそうです。 「それでも、許さないといけないのでしょうかね・・・」 仏教の教えでも、何であっても、人は皆平等で、言動には大なり小なり理由があります。加害者となった青少年らにも、殺意があったかどうかはともかく、腹立ち紛れに暴力をふるった原因や理由がそれぞれあるでしょう。しかし、だからと言って許せるかどうかは、また別の話。けれど、許すか諦めるかしなければ、生きている限り、苦しみ続けなければならない。また、こういったことが二度と起こらないように、暴力事件の被害者の方々が活動しておられますが、その活動は別として、果たして、彼らに救いはあったのでしょうか。 「許す」って何なんでしょう。諦めたら救われるのか・・・ただ、どうしようもない「ままならぬのが人の世だ」と分かっただけではないのか・・・「救い」って一体、何なのでしょうか。

有り難し有り難し 69
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バカにされた時、怒りを鎮めるヒントをいただきたいです。

お坊さんのご意見を拝聴し、自分の心を変えていく術を考えていきたいです。 何卒、宜しくお願いいたします。 私は、幼い頃から怒りっぽく、それが自分自身にストレスを与え、周りに八つ当たりをし、自分の人生を生きにくくしてきました。 最近では、怒りの激しさに加え、それに対する自分の言い分を熟考し、怒りを長続きさせてしまうところを、とてもやっかいに思っています。 その結論に筋が通っていると思えれば、相手は死ねばいい、人間として最低だと激しく呪う気持ちを持ってしまいます。また、筋が通っておらず、自分が悪いのだと思うと、悪いところを克服できなくなる程、自分を苦しめる、その相手の人間性は最低だと思ってしまいます。 数ヶ月で忘れることが多いのですが、何年も根に持ってしまうこともあるのです。 表さなくてもいい侮蔑の言葉、態度を取る人がたくさんいることが許せない、全員死ねばいいと、反射的には思うのです。でも、呪ったからってその人達の口は閉まらないし、死にはしないのです。 そんな人にこだわらず、生きていくにはどんな智慧を持てばよいでしょうか。 侮蔑、嘲笑するという態度自体、その人なりの根拠があったとしても、正当な事実があったとしても、殺人が無条件に悪であるように、持つこと自体が間違いだと思います。 その態度を表現することこそ、その人の短所で、他人を嘲っている場合ではない、残念な人だと思います。 でも、それならば、その人達を残念だと思う私は、他人を見下して、息をついて満足しているのではないですか? まとまりがなく、申し訳ごさいませんが、何卒、ご意見をお聞かせくださいませ。

有り難し有り難し 18
回答数回答 1

他者の死や苦しみについて

はじめまして。日々の中で疑問に思うことがあるのですが、痛ましい事件や災害に巻き込まれ亡くなった方や大きな傷を負った方々の手記や記録等を目にしてしまうとどうしようもなく無念な気持ちになります。 全く知り合いでもなんでもないのですが、突然の不幸の重みがあまりにも理不尽でやるせなくなります。初めて人の所業とは思えない犯罪に巻き込まれた被害者の事を知ったときせめて苦しまずに全てが終わればよかったのになど勝手な事さえ思ってしまいました。 そんなことを思うのならいっそニュースなんかを気にしないほうがいいのでしょうか? 身近なところでもアルバイト先の小さな嫌がらせや何かを受けて孤立している同期などを見ると程度は違えど似た気持ちになります。行動を起こすべきでしょうか。理不尽や苦しみに過敏になるのは間違いでしょうか。 何にせよ本人に原因がないにもかかわらず苦痛を受ける人がいる事実が無性に悲しくなる時があります。 この様な悲しい出来事に巻き込まれてしまうのも以前こちらのサイトの回答一覧にありました「縁」というものなのでしょうか?唯偶然だとしてもやるせないといいますか…。 この何だか勝手な悲しみへの向き合い方を知りたいです。宜しければご回答願います。

有り難し有り難し 11
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母親の死と罪悪感

以前にもこのサイトに投稿させてもらった者です。 母親の死から一ヶ月少々経ちました。 ですが、強烈な罪悪感が毎日毎日、自分の胸をえぐり切りきざみます。 数分違いで看取れなかったこと 死を察して、寂しく孤独を感じていた母親に付き添わなかったこと どちらも僕がその気になればいくらでも出来たことなのに、自分のことを優先するばかりに、それをしなかった。 その結果、母親を孤独と寂しさの中で誰にも看取られず、逝かせてしまいました。 今更それを嘆いても、後悔しても、どうしようもない。 でもどうしても、頭の中が一日中、そればかりなんです。 勇気はないですが、常に勢いに任せて、自分で命を絶つ考えを持ちながら生活しています。 というか、その日をやり過ごすのが精一杯で・・・ 僕もいつか逝く時は、独りで孤独に死ぬことになるんだろう?とか、食事をするにしても、あんな親不孝なことをしておいて、ご飯なんか食べる資格が俺にあるのか?とか、すべてが悲観的にしか考えられないんです。 日が経つにつれて・・・とかよく言われますが、僕の場合は日に日に罪悪感が大きくなっていくようで、そのうちどうにかなってしまいそうです。 もちろん、まだ母親が逝った事実も受け入れられてない状況で・・・ もう二度と逢えないと思うと、寂しくてたまらなく・・ 母親の 『寂しい』 『何でまだ死ねないの?』 『家に帰りたい』 この言葉が一日中ループしていて、恐ろしく辛いです。 僕は生に値する人間なんでしょうか? こんな親不孝な自分が、のうのうと生きていていいんでしょうか? こんなこれ以上ない親不孝物の息子に、この先の未来はあるのでしょうか? また、未来があっていいのでしょうか? これほど辛い毎日で、生きる意味は?

有り難し有り難し 202
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疎遠だった父が孤独死しました。

はじめまして。 先日、二年前に母と離婚して以来疎遠だった父が危篤との連絡があり、その翌日に亡くなりました。 父は昔から怒りっぽく乱暴で、母と兄は大変な思いをしていました。 しかし末っ子長女の私にだけは甘く、私も小さいときはお父さんっ子でした。 しかし、大人になるにつれ、母と兄への当たりの強さに嫌気がさし 父とは離婚の三年前ほどから、ほとんど会話もしていませんでした。 その後離婚が決まり、父を家から追い出す形で疎遠となりました。 先日までずっと父を恨んでいました。 家族の人生をめちゃくちゃにした男だと。 父は大家族の末っ子でしたが、幼いときから家族に迫害され続け、家族と絶縁するために 母と結婚するときに婿養子となったそうです。 私や兄の父親として、母の夫としては未熟でした。 しかしそれは父の生まれ育った環境のせいだったのではないかと思います。 それでも先日までは、今までの恨みが消えず、死んでも何も思わないだろうと思っていました。 しかし病院で息絶えた父と再開し、主治医から二年間のことを聞いたとき、 なぜ生きているうちに会ってあげられなかったのか なぜ離婚前に父の苦悩を受け止めてあげられなかったのか 後悔が押し寄せてきました。 何度も涙が出てくるのです。 父はこの二年間、体も精神的にもぼろぼろで、働き口もなかったようで生活保護を受けていました。 私は一人、亡くなった当日に病院へ駆けつけ、父の身支度を手伝い、病院から直接葬儀場に送っていただくのを見送りました。 その時立ち会ってくださった看護師さんが父にかけた「娘さん来てくれて嬉しいね」の言葉が心に突き刺さり抜けません。 その感情が来てよかったの気持ちなのか、間に合わなかった後悔なのか、たった一人苦しんで旅立った父を哀れむ気持ちなのかわかりません。 数日後には火葬されるので、その日も行く予定です。 しかし遺骨などは色々な事情により引き取りができないため、父は無縁仏になります。 ずっと孤独に戦ってきたであろう父。 父は私を家族を恨んでいるでしょうか。 身寄りのない父を家から追い出したこと、 一度も連絡を取ることなく、死に目にも会えなかったこと、 死んでもなお一人にさせてしまうこと。 そして私は父の死とどう向き合っていけばよいのでしょうか。

有り難し有り難し 79
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