こんにちは、宜しくおねがいします。 生き方について悩みが多く、暴れる心をなんとか鎮めたいと最近、 浄土真宗の聞法に通っています。 随分昔に死んだ明治生まれの祖母を思い出したからです。彼女は封建的な夫に黙々と仕え、息子に戦死されても、一人娘に急死されても、毎日の日課を黙って静かにこなし、仏壇になんまんだを唱え、老いては子に従い、右を向いていろといわれれば右を向き、左を向いていろといわれれば左を向いているような、大切にはされていたのでしょうが全く存在感のない祖母でした。無口で静かでしたから声も覚えていないのです。すっかり忘れていたのです。 ところが、自分も老境に入り、しかしいまだ心穏やかならず、怒りや貪りに振り回され苦しむ有様で、あの諦観したのか、または阿弥陀様にお任せしきったのかのような祖母の姿が私を聞法に向かわせました。 しかしこの身はしぶとく、聞法をいただいている間は少しは素直な気持ちになるのですが、それもなが続きしません。 第一、近代教育を受けた私には、「はからいを捨て、お任せする」のは難しいです。はからうことばかりを目指し、学び、訓練してきたのですから。もしかすると、もっと死が近づいたら少しはそんな気持ちが持てるのかもしれませんが・・・ ただ、三木清が言うように「自分は最後は親上人の言葉どうり、あの世で懐かしい人たちに会えることを信じている」のは私も同じです。 問題はあの世のことでなく、日々の生活で心配や怒りや嘆きに振り回されることです。 そんな私が禅宗の教えで行住坐臥を整えることや、禅の言葉に従うことで、少しは苦しみから離れられるように思うことがあります。 子供のころ永平寺を訪れて、「こんな風に生きている人もいるのだ」とショックを受けたことから大人になって、禅林句集や道元禅師を読むようになりました。指針になります。 阿弥陀様にお任せできない私が曹洞宗に頼るのはいけませんか? 浄土真宗では一筋でないといけないと聞きます。お任せしきらないといけないと聞きます。浄土真宗と曹洞宗の二股みたいで罪悪感があります。 迷える私にお言葉をいただきたいです。 宜しくおねがいします。 とんぼ
はじめまして。 タイトルの通り病気になるのがとても怖いです。今まではその様な事は考えた事がありませんでした。ですが子供が生まれてから、とてつもなく死ぬのが怖くなってしまいました。 少しでも体の不調があると何件も病院を回って調べてもらいます。その時は安心するのですが、数日たつとまた不安に駆られて病気の事ばかり考えてしまいます。 テレビを見ても、ガン保険のCM、ガンで亡くなった著名人の報道、病を題材にしたドラマ、街を歩けばガン検診や死亡率のポスター。 恥ずかしい話ですが、少しでも何処かが痛むとすぐに末期のガンでは無いかと不安になり眠れなくなります。子供を前にして、幼くして母親を亡くしてしまったら…と悲観し涙を流すことさえあります。 とても苦しいです。このような心の状態から抜け出したいです。
集団での付き合いが苦手な割に、多数の人と仲良くすることに憧れのある寂しがり屋です。 私は一対一でなら楽しく相手とお話しできるのですが、三人ぐらいからの多人数相手だとどう会話を回せばよいか分からなくなり、口数が減り、「影の薄い人」になりがちです。 また、多人数だと全体的にだらだらとしてしまい、自分のやりたいことの時間が減ってしまいます。 さらに、常に付き合い続けていないと話題についていけません。 それらが私の性格に合いません。 それなのに、楽しそうにグループで喋り合っている友達が羨ましく見えます。 一人だと自由だし、自分磨きもできるし、自分の考えがしっかりとしてくるのですが、孤独です。 どちらもほどよく取り入れて生きていく心掛けは何でしょうか。 自立することも、人の輪を大切にすることもどちらも大事だと思っています。 お知恵をお授け頂けますと幸いです。
こんにちは。 前回の質問に温かいお言葉をいただき誠に有り難う御座います。 夫婦で話し合い、避妊を止め自然に任せて子供を待ってみようとの事になりました。 今回の悩みですが、私が38歳であり所謂高齢出産の域であるという事なので、ネットで調べていくとリスクが沢山書いてありました。 子供の障害の可能性を考え、出生前診断を考え、中絶を考え…出来ても居ないのに、出来るかも分からないのに、既に「尻込み」「恐怖」を感じてしまっています。 ネット検索をしては落ち込み、起きても居ない事を想像しては恐怖心にかられ、こんな風に心配性な自分は欠陥があるのではないかと更に落ち込んでしまいました。 馬鹿です。子供です。 赤ちゃんを見てみたい、育ててみたい、産めなくなってから後悔したくない。そう思っていた気持ちもありますが、恐怖が今は強いです。 唯、尻込みしている時間も無いのは理解しています。 どうかこの迷いを捨て、ゆったりとした気持ちで全てを受け入れたいと思っているのですが、どの様に考え日々を過ごせば良いのでしょうか。
実家の母は2年前に父に先立たれました。幸い、母のすぐ下の妹が、ときどき電話をくれたり、荷物を送ってくれたりと、母のことをいつも気にかけてくれていましたし、母も叔母のことを信頼していたようでした。 その叔母が昨日の夜、突然亡くなりました。それまでは元気だったそうです。母には2人の兄、姉、2人の妹がいましたが、叔母と母以外はみな亡くなっています。今回の叔母の死で、母だけが最後に残されてしまいました。母は、「一番出来の悪い自分が最後まで生き残ってしまった」と、すっかり消沈しています。 もともと、あまり自分のことを多く話す母ではなく、気持ちを切り替えて前を向いて…というタイプでもなく、どちらかといえばそれほど社交的ではありません。ネガティブ思考なので、良い方に気持ちを持っていくことが苦手なようです。また、私や娘達に対しても気を遣い、余計な心配はかけたくない、と思うため、きっと辛い気持ちをあまり吐き出せないのではないかと心配になります。庭の花をとても大切にし、父の仏前は庭に咲いた花を供えます。腰が悪いのに、花のためなら1日中外で雑草取りをしてしまうような人です。 父の死後、あまり私達に寂しい気持ちを漏らすことはありませんでした。自分で何でもやらなくてはいけない、という気負いは感じました。でも、もしかしたら、叔母には何でも話せていたのかも知れません、実の姉妹ですし…。叔母は同じ市内に住んでいましたので、時々会ったりしていたようでした。幼い頃からずっと互いの存在が気持ちの支えになっていたのかもしれない、と思います。 気持ちの拠り所だった父が先に亡くなり、信頼していた叔母までがいなくなってしまい、母のこれからが心配です。高齢ですし、なにか気持ちの拠り所となるものをみつけてあげたいのですが…。父の死後、1〜2ヶ月に一度、私と娘2人と孫とで母に会いに行ってはいたのですが、母の心に空いた穴を埋めるために、私が更にすべきこと、してあげられること、何があるでしょうか。足が悪いので、あまりあちこち連れて行って気晴らし、というのも本人が気が進まないようで、喜びません。精神面でどういった寄り添い方をしてあげたらよいのか、母が心の安寧を取り戻し、生きるための活力を得られるようなお知恵をお授けください。
はじめまして。 今回初めて質問させていただきます。 1月に最愛の母が大動脈解離で夜中に独りで旅立ちました。 旅行好きな母は、前日まで幼馴染みの友人と沖縄旅行に行き、夜10時に帰宅し12時就寝し 夜中の2時にトイレで起きた時におそらく亡くなっていた様です。 あまりにも突然の死でした。 母の祖母にあたる方が霊能者だったので、私の従兄弟では霊感のある人もいるのですが、 亡くなってから一ヶ月後に従兄弟の兄の夢に出て来たそうです。 その時には、笑顔で もう少し長生きしたかった事 沖縄旅行は楽しかった事 残された父、そして私達の事をよろしくと言って 分かったよ…と、従兄弟が答えると消えて行ったそうです。 その話を聞いて、自分の死を理解しあの世に旅立つ準備をしているんだと思い 安心して成仏してくれたらと願っていました。 そして、つい先日従兄弟と電話した時の事です。 昨年の5月に亡くなった亡き母の兄の一周忌で従兄弟が ゴールデンウィークに故郷の九州に帰るチケットの手配をしてからのことです。 再び母が夢に出て来て、 故郷に行くなら 私も一緒に連れて行って欲しいとお願いしに来たそうです。 その為、従兄弟が九州に帰る前に 母のお墓参りをして おばちゃんを故郷に連れて行くね…と言ってくれました。 母が亡くなってからは、故郷の亡き祖父母や兄弟とあの世で再会し楽しく過ごしていると思っていた為 まだ成仏出来てないのかなと 心配と共にとても悲しくなってしまいました。 以前、私の夢に出た時に ばあちゃん達に会った?と聞いたら 会ってないよ〜〜と言ってたんですが、私には全く霊感がないのであまり気にしてなかったのですが、やっぱり みんなに会えてないのかと思うととても悲しいです。 もしかしたら 一人暮らしになってしまった父の事が心配で離れられずにいるのでしょうか? 従兄弟には是非、亡き母を大好きな実家 故郷に連れて行ってあげて欲しいと思うので、どの様な方法が良いのか どうしたら故郷に亡き母が行けるのか どなたかに教えて頂きたいと思ってます。 よろしくお願いいたします。
実家や親類一族、妻の一族においても、難病や精神疾患、突然死や離職が多く、恐れがあります。 少し覗いてみれば、どの家庭にもあることかも知れませんが、やはり気にせざるを得ません。 何を持って縁とするかは分かりませんが、実家の墓に他人の墓石があり、なぜか父親に問うた所、先祖が世話になったそうで、非業の死を遂げたものの無縁仏にするわけにいかず置いているそうです。戦中戦後の話のようです。 父親は詳しい話は知らず、また子の言うことを聞き入れはしないので、何とかせよと言うても、変わりはありません。 一族の話と縁も縁もないことかも知れませんが、ご助言を賜りますようお願いいたします。
よろしくお願いいたします。先週、父を亡くしました。父は1年半前に母を亡くしてから、1人暮らしをしていました。89歳の父を1人にしておくのは心配だったので、私達の家で一緒に住もう、と何度も説得したのですが、迷惑かけたくないと私達のところには来る事はありませんでした。 父が亡くなった原因は階段から足を滑らせた事による頸髄損傷でした。ほぼ即死で苦しむ事がなかっただろう、と先生はおっしゃっていました。 なんとか無事に葬儀を済ませましたが、直前まで元気だった父の死が受け止められず、落ち着きを取り戻せずにいます。 心と体のバランスがうまくとれずにいます。自分達の家族のためにも、私が元気になる事が大切だとは分かっていますが、どうしたら自分を取り戻せるのかわかりません。 悲しみを乗り越えて前に進むにはどうしたら良いか、ご教示ください。よろしくお願いいたします。
自分自身の能力の低さに疲れました。何をやっても人並み以下です… 才も恵まれた環境も容姿も何もありまへせん。人並みならまだしも人並み以下です。努力も足りてないのかもしれないですが、もはや努力する気が起きません。多少何かアドバンテージみたいなのがあればあれですが、何もありません。自分みたいな人間はどう生きていけばいいのかわかりません。過去に自死も行うとしましたが、自身の知識不足と詰めの甘さで未遂に終わり失敗しました。今はせめて自身を親に代わり育ててくれた祖母が他界するまでは生きていようというか細い気力のみで生きてる感じです。あと運にも恵まれてはいません。どうせ報われないことや苦しい事ばかりとやさぐれてます。なにかに恵まれてる人は、夢や目標がバンバン浮かんで人生充実してるのだろうなぁと、ぼんやり考えたりします。年相応でなく、情けない考えだとは思っていますが、この思考から抜け出すことも難しいです。人にも裏切られてきました。 質問としては ・自身の生き方がわかりません。それでも自分みたいな無能でも生きるべきなのでしょうか? ・それとかなり関係なく場違いかもしれませんが、自死した母親が私の後ろに心配そうにくっ付いて回っていると霊感のある人に言われた事があります。勝手に自死したくせに、心配で後ろについて回っているってどういう事なんでしょうね? 以上です。文が下手でごめんなさい
28歳、独身、一人っ子です。親元を離れ東京にいます。地元は飛行機で1時間ちょっとの場所にあります。 最近将来のことを考えると辛く、1人で家にいる時、常に涙が出てきてしまいます。 結婚もしておらずひとり、彼氏もいません。婚活も上手く行きません。 一人っ子であり、両親は高齢出産、親ととても仲が良かったこともあり、段々歳をとってしまう両親を見ていて、いつか死んでしまったら自分は1人になってしまう、そんな想像をするとさらに涙が止まりません。仲良しな親に申し訳ないのですがなんで生まれてきてしまったのかな、死にたいとまで思ってしまいます。 また、本当は地元に帰りたいのですが、地元は田舎で結婚適齢期24~25歳。自分が地元に帰っても結婚もできずに孤独死するんじゃないかということまで考えてしまい全てがネガティブな方向にしか考えられません。 まとまりのない文章になりましたが、親にも友人にもこのような悩みを相談することが出来ず相談させて頂きました。
すいません。皆様忙しいのは解っておりますので。ご回答は要りません。 不倫の末孤独死した実父をまだ恨んでいる友達の怒りを聞き続けて早2週間。 精神状態はかなりきついですが、就職も決まり、私の生活も動こうとしています。 しかし、彼女の怒りを聞き続けたせいか、私まで、自分の実父に対する怒りがあふれ、前の問答のような悪夢まで見てしまいました。 やっぱり思うのです。生まれたくなかった。生きたくなかった。 ある夜、寝入りばなに、独り言で、 「やっぱり生まれたくなかった。」とつぶやくと、 隣の夫が聞いていたらしく、 それは言わないで欲しい、と。 私は、私が生きて仕事をしてくれないと、育児、介護、経済面で困るから、と解釈しました。 「大丈夫。ちゃんと生きて、育児も介護も仕事もするから。」 と言うと、 「そういう意味じゃない。」と言われました。 じゃあ、どういう意味なのか、解りません。 夫が一番困るのは、私が死ぬと、生活が成り立たなくなることです。 全てを一人で背負うのは無理です。 私は、家族の為に、逃げずに頑張るつもりです。 就職も決まり、夫には何の心配も無いはずです。 なのに何故、私の独り言なんかにこだわるのか。 確かに聞いていて気持ちの良い独り言ではありません。 でも、就職まで決めてきたのだから、私はこれからも生きて、育児、仕事、介護をするつもりです。 何も心配いらないのに。 たまには「生まれたくなかった。生きたくなかった。」と、本音をつぶやいてもいいのではないか、と思うのですが。
何度か質問させて頂いております。 過去の質問でも書かせて頂いたのですが、今年の3月に母が亡くなり、先日に四十九日法要も済みました。 亡くなられた方は四十九日で極楽浄土へ渡られると聞き、母も天に昇ったものと思っておりましたが、四十九日が過ぎた後もよく夢の中に出てきます。 はっきり覚えていることもあれば、うろ覚えのこともあり、内容は様々なのですが、まだ母は天に昇っていないのでしょうか? 正直、急なことだったので母の死から立ち直れておらず、心療内科で処方して頂いたお薬で騙しながら過ごしておりますが、それでも悲しみと寂しさでメソメソしてしまい、涙が途切れません。 もしかしたらこんな情けない自分が心配でまだ天に昇れていないのかと思い、質問させて頂きました。 お忙しい中、申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。
いつもコメントをくださる皆様ありがとうございます 母の自死からなんとか立ち上がろうと何度もここを頼らせていただいています だけど…限界を感じています 母の死を受け止めようとしましたし、残されたいざこざもなんとかしたい・なんとかしようと思ってきたのですが… 心と体が悲鳴をあげています なんでもない瞬間に涙が出たり、ただただそこにいることがとても恐ろしくなり…例えばベランダから飛び降りそうになってしまうのです それを抑えるのにも大変な労力が要ります たぶんですけど、母もこんな状態で死んでしまったのかもしれないと思いました とても悪い意味で「心が震える」という感じでしょうか… 胸が痛く、苦しく、呼吸もままなりません でも、どこも悪くありません すべてストレスでしょう きっと、私の自然な死はまだまだ それまでこんな心と体の苦しみは続くのでしょうか 残された実家の家族を、私には支えきれない 手を離したい でも、 私が手を離したら…きっと家族の誰かが母の後を追う 福祉に繋げたつもりだったけれど、家族が福祉を拒みました… もうどうしていいかわからない… 私にできることはない… 勝手に手を離しても、「家族」だから いつか私に尻拭いがやってくると思うと… 生きている意味があるのでしょうか ただ苦しいだけです 人間誰しも、楽しいばかりではないです みんな何かを抱えている わかっているのだけど… それを乗り越えられる強い人がいて でも、乗り越えられなくて自ら死を選ぶ人もたくさんたくさんいて 私は後者なのだととても強く感じています 私にはずっと希死念慮があったけど、 それとは違う「限界」を 今まさに感じています できれば家族のためにもここは乗り越えたいです 一時的なものでも構いません 何かアドバイスをいただけないでしょうか… よろしくお願いいたします
初めて質問します。 先週、同居していた最愛の祖父が、心筋梗塞で85歳で亡くなりました。 とても優しい祖父でした。 その際に祖父を綺麗にしてくださった納棺師の方のお仕事ぶりや仏教に深く心を打たれました。 プロフィールにも書きましたが、私は今迄大学では英語を勉強させてもらい、いわゆる大企業につとめ、上昇志向も強く、キャリア第一線で生きて来た感があります。自分の意志でというよりは、そうした方が俗世を生き抜くのに有利だ、と脳で判断してきた為、現在にいたります。今27歳ですが、もう3社ほど会社勤めを経験しています。親に心配をかけないためにも、世間から見れば何不自由なく生きているように見せてきましたが、自分のライフワークや人様の為に役に立っているという実感がずっと得られませんでした。 現在転職活動をしていたところに祖父の死があり、納棺師や仏教との出会いがあり、私も納棺師として、世の中やご遺族、地域の方々のお役に立ちたいと思っているところでございます。 しかし、厳格な父は、大学も出て一流企業も出ているのにそんな仕事、と言います。結婚できなくなるぞ、もらってくれるかそんな女をと。 父の言葉は社会の言葉のように捉えられてしょうがありません。 こんな私でも、納棺師として、立派に故人様やご遺族様、阿弥陀様のお役にたてるでしょうか? それとも、今まで通り、キャリアを積み上げて行くほうが、自分や周りや世の中のためになるのでしょうか? 迷いばかりで、未来が見えません。 背中を押して頂ける様な、お言葉が欲しいです。
何度も相談させていただきありがとうございます。もうすぐ母が病による自死で亡くなって3ヶ月が経ちます。 まだ母のことを思い出してもう会えないのか、会いたいなぁと寂しく感じることはありますが、子育ての忙しさや家族の存在おかげでだいぶ立ち直ることができました。 お坊さんに、手を合わせるのが大事だと言われた通り、毎日朝起きた時、夜寝る前は手を合わせておはよう、おやすみ、出かけるとき、帰ってきたときは声をかけるようにしています。 ですが今日占いで自死した母の気持ちを占ってもらったところ、うずうずなカードばかりで正確なことはわからないけど、いろんなことを心の中に抱えたまま亡くなってしまったことがわかり、亡くなった母は今も苦しんでいるのではないかと心配になりました。 死ぬまでつらい想いをしたぶん、もう悩まないでほしいなぁと思います。 亡くなった母の本当の気持ちを知ることはなかなかできないということはわかってますが、なにか母のために手を合わせること以外にできることはないでしょうか?
最近、「死にたい」という気持ちが発作的に出てきて、一度出てくるとしばらくはずっとその思考に支配され、涙が出てきます。 新しい大学に入ってから、精神状態がゆるゆると下降気味なのですが、学業やバイト、交友関係もしんどくなってきて、そろそろダメかもと思っています。 精神科にも通い薬も服用しているのですが、気分は安定しません。ここ1週間は発作に加えて怒りっぽくなりました… 昨日も発作が起き、幸いにも希死念慮等々に理解のある友人と話せたのですが、話す中で自分が今年度前半よりも良くない状態にあるということが分かりました。 それは、死ぬことが救いのように感じられるというか、例えるならば余命宣告を受け入れた患者さんのように死ぬことを受け入れていること、そして、発作が起きた後は自死についても考えるのですが、この方法は痛いだろうか(楽に死ねる方法がないか)とか死んだら(大学やバイト、家族は)どうなるかとかについてもう考えておらず、ただただ車を見たら飛び込もうかとか山手線にぶつかろうとか(そうでなくても山手線は吸い込まれそうになりがちですが)になっていて、以前のように自殺の失敗について考えなくなっていたことで、これが客観的に知らされた昨日、私は自分が大丈夫ではないのかなと思いました。 でも、私には大学もバイトも彼氏という存在も、一応の知り合い(友人もどき?)もいるのですが、まだこのまま頑張った方がいいのでしょうか。どうしたらいいのでしょうか。 ちなみに、実家に戻るという選択肢はありません。自ら檻に戻りたくはないので…
お世話になっています。浄土真宗についての質問ですが、浄土というのは死後の世界だと解釈しているのですが、どうも死後の世界ではないと解釈している人もいるようです。浄土真宗は、この「浄土」というのが大前提の教えなので、この「浄土」が分からなければ教えが根底から変わってしまうのですね。そこが悩みところです。 浄土真宗の教義について僕の一連の解釈を書きます。 1本願に疑い無くなるのが信心 2しかし、本願を信じられない 3信じられないのは煩悩があるからだ 4阿弥陀仏は煩悩ある者こそ救う 5そこで、「自分にできることはなかった」と自覚する(機) 6阿弥陀仏の浄土に救うという「働き」(本願)のみがある(法) これが一連の僕の理解です。僕は「異安心」なのでしょうか?すごく不安です。これはあくまで「死後」を前提にした解釈です。 浄土真宗の救いは、「自分の姿が明らかになることだけだ」と言う人もいますが、それだけだと何のメリットもなく、ただただ自分に失望するだけだと思うのです。しかし、自分の姿を知り、「だからこそ、死後、阿弥陀仏に救われるのだ」と解釈すれば、煩悩を受け入れることができ、様々なメリットがあると思うのです。 僕が浄土を死後の世界と解釈する理由は、浄土が死後の世界じゃないと、死後の解決にはなりませんよね。 自然の理法(仮の阿弥陀仏の解釈)におまかせするのも、解決になるのではないかとも考えましたが、それは「死の解決」であって「死後の解決」にはなりません。だいいち、自然は何をするのか分かりません。地震を起こしたり、コロナを起こしたり、そんな自然におまかせするのは、余計恐怖でしかないように思います。 ただ、死後の解決には死後の世界は必要なのですが、仏教には「無記」というものがありますよね。死後があるのかないのかは人間には分からないから、今を生きなさい。という内容だと解釈していますが、これも一理あると思っていて、浄土の教えは死後を説いているのか、いないのか、どちらでもないのか、分からないのです。これは、浄土真宗の一番重要なものだと思うのです。皆さんは「浄土」をどのように解釈しているのか気になって書きました。詳しい方、回答していただけると有難いです。 南無阿弥陀仏
私の両親の墓には、両親しか入っていません。 20年前に母が亡くなったとき、父が建てたものです。父の実家の先祖代々の墓は、別の県にあり、父の兄が守っていますが、母が亡くなったとき、遠くなるからと、そちらには入れませんでした。 父は亡くなる前、継母と、自分は自分の建てた墓に入り、継母は実家の方の墓に入ると話あっていたそうです。 私の両親だけ入った状態で、今、墓は継母が守っています。 今まで2度程相談させていただいたように、継母とは折り合い良くなく、四十九日以来、あってもいないし、電話もしていません。 今後、新盆や一周忌も躊躇している状態で、無理して行かないことにしたとして、継母のものになった実家の仏壇はともかく、このような状態の墓に対する一人娘としての責任を重く感じます。 お墓参りも、継母に会わないように行こうとおもっています。 でも、お墓の管理料は継母が出しているということを感じます。 四十九日の時に、継母が、先祖代々の墓に私の両親2人のお骨を改めて入れてもらったらどうかと父の妹に話していました。 私は遠慮を感じます。 お骨が、遠くに行ってしまうのも寂しいです。 大体、継母と私で、2人のお骨を持っていくなんて嫌です。もう、継母には会いたくもないのですから。 そんなことを考えてしまいます。 どのような心づもりでいたらいいでしょうか。
以下、生々しい表現があります。 弟が先月亡くなりました。まだ24歳でした。 弟は一人暮らしをしており、鬱病で通院していました。 先月母のもとに弟の職場の人から、弟から仕事をやめたいと連絡が来たので手続きの関係で何日か連絡を取り合っていたがここ一週間連絡が取れないと連絡がありました。 私はものすごく嫌な予感がして、弟の家に行く母に着いていきました。弟の部屋の鍵は開いていて、既に冷たくなっていた弟を発見したのは母でした。 警察の方によると死後一週間ほど経っていたそうです(その頃こちらはまだ寒かったので遺体の損傷はそこまでありませんでした)。 死因は今のところ不明です。自殺でも他殺でもなく不詳の死です。死因の特定には数ヶ月かかるそうで、それでも特定できるかはわからないと言われたので、ここからは私の想像です。 弟のスマホには生きることや死についての検索履歴が残っていました。部屋には食べかけのパンと流しには錠剤の塊(吐いたあと?)とほとんど残っていないカフェインの錠剤のボトルが残っていました。ですが部屋の鍵は開いていて、食器や洗濯物はすべて綺麗に洗って干されていました。 死にたかったのか、でも生きたかったのか。部屋に残されたものを見ると、弟は生と死の間で揺れていたのかと考えてしまいます。 弟は家族を嫌っていました。私も嫌われていることがわかっていたので声をかけることができずここ5年ほど会話はなく、唯一連絡を取っていたのは母でした。 去年休職した時も弟は実家に戻りませんでしたが、私が直接弟に伝えたら何か変わっていたのか。弟に心配だと伝えればよかったのか。いや、こうなる運命だったとしても、もっと発見が早かったら弟はもしかしたら助かったかもしれない。 毎日寝る前に後悔ばかりが募ります。 私は弟が発見される数日前にコンサートに行っていました。つまり弟が息絶えた後に姉の私はのうのうと楽しんでいたわけです。 弟は几帳面で部屋も綺麗でした。それ故に生きづらかったのかもしれません。母は自分に似てしまったとよく口にします。 息子に先立たされてしまった母が心配でなりません。リウマチもあり、決して屈強とは言えない母がそのうち倒れてしまわないか本当に心配です。私が実家にいるうちは話し相手になれますがと書いている私が先日コロナに罹ってしまいましたが。 残された私達はどうすればいいのでしょうか。
以下のような性格が悩みです。 このままでは不安の最中孤独死すると思いつつ何をしていけば良い方向に変わっていくのか分かりません。ご意見いただければ幸いです。 コミュニケーションのパターンがマウントをとるか卑屈になって依存しようとするか何もしないかのだいたい3パターン 相手の吉報や嬉しかった、楽しかった話、褒められている場面を見る、聞くとほぼ確実に不公平感(嫉妬?)を感じて不快になる。逆に他者の悲報を聞くと肩や腰のこりが取れるようなリラックスする感覚を覚える 一方で自分の力では何も変えられないと思っている部分があり、困った時は努力で何かを変えようとせず、なるべく欲しい物(承認欲求、安心感など)を得られる外部を常に探していて所属しようとするが長続きしない