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検索結果: 5341件

前夫の死を受け入れるられません

いつも迷いがあると読ませて頂いており救われます。今回も投稿前に何度もお話を読ませて頂きました。私は20年以上前に国際結婚をし10年ほど前に離婚をした前夫との間にダウン症の息子がいます。幸いにも息子は健康に恵まれ周りの愛情をたくさん受けて健やかに育ち無事先日その国での成人を迎えました。その国の複雑な行政システムのために外国人の母親に親権は与えられず、親権がないとその国に住めず、全幅の信頼を前夫に託して帰国ししたのが10年前です。離婚後も、私は彼の母親と、彼は私の実家と、お互い頻繁に交流を続け、円満離婚だったと思います。彼と私ももちろん頻繁に連絡をとりあいました。離婚した夫婦ですから毎回会う度に些細なことで口喧嘩をし、その度に仲直りをするという繰り返し。このやりとりは二人があの世で会うことになってもするんじゃないと笑いあったものでした。兄と妹、姉と弟のようなそんな愛情だったと思います。その後お互い新しいパートナーができ、私も毎回行く度に会いました。そして先日、前夫は息子の成人を見届けたかのように、長年の闘病生活の後、亡くなりました。前夫は彼女と友人に自宅で看取られとても安らかな旅立ちだったと聞いています。旅立った後の彼の安らかな死顔の写真も送ってもらいました。安らかでした。彼は家族がいなかったため、葬式手配などは私が渡航して彼の彼女と一緒に取り行いました。彼が亡くなって1ヶ月たちましたが悲しみがますばかりです。溺愛した息子を1人残す彼の悔しさを思うと胸が張り裂けます。(息子は数年前より里親と生活しています) 私も、離れていてももっと彼に色々してあげられたのではないかと後悔ばかりつのります。今の夫も最初は聞いてくれましたが、どうリアクションしていいかも分からないようなので、夫の前ではいつもの私で過ごしています。親友達も海外にいるのでなかなか気持ちを吐き出す相手がおらず、後悔と悲しみが胸の中に留まり続けております。彼の死を受け入れることが出来ず、泣き暮らす気持ちとは裏腹に、表面的には普段通り仕事をし、美味しい物を食べ笑う自分がいて、気持ちと生活がチグハグな状態です。亡くなってから改めて彼の存在の大きさを感じています。前夫の死をどうやって受け入れることが出来るのでしょうか? 受け入れる日は来るのでしょうか?

有り難し有り難し 6
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母の死がまだ受け入れられません

母が旅立ってもうすぐで5ヶ月が経ちます。 フッとした瞬間に寂しさや哀しさが押し寄せてきます。 また母が亡くなる少し前の状況を思い出し、胸が苦しくなります。 母は癌でした。延命治療のために抗がん剤治療をしていましたが、亡くなる2ヶ月ほど前に抗がん剤をやめました。そこから痛み止めを服用し、だんだんいつもの母ではなくなっていきました。ボーッと鏡を見つめたり、意味のわからないことを言ったり。でも急にいつもの母に戻る。そんな日々が続き、亡くなる1週間前には1日中起きて家の中を徘徊したり、「どうしてこうなっちゃったんだろう」とか「どうしよう」とか「さっ!しっかりしなきゃ」と言うようになりました。薬で朦朧としつつも自我はあり、葛藤していたのだと思います。その時の母はどんな気持ちだったんだろう…と思うと胸が苦しくて張り裂けそうになります。 あんなに頑張っていた母。絶対癌に負けない!私は奇跡を起こすんだ!といつも笑顔だった母。怖かっただろうし、苦しかっただろうし、辛かっただろうと思います。 私はそんな母にまだ、良く頑張ったね‼︎と言えません。まだ母の死が受け入れられないんです。もっと母と一緒にいたかった。もっと苦しませずに看取ってあげたかった。 コロナのこともあり、自宅で看取りました。 でも病院にいれば最後あんなに苦しそうに呼吸させずに済んだかもしれない。首が青くならずに、もっと安らかに眠らせてあげられたかもしれない。お母さんごめんね。 そんなことを思って胸が苦しくなります。 いつか私は母の死を受け入れられるのでしょうか。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1
2022/06/22

辛いです。自死を考えています。

主人が、 不治の病で壮絶な死を迎えたのは、 夫婦仲に問題があった私のせいだったと 息子に咎められ ある日突然、 荷物を全部まとめて、 息子は家を出て行ってしまいました。 確かに全てが順風満帆に行っていた 25年間の夫婦生活ではありませんでした。海外生活、と言う事もあり、 とてもストレスの多い日々でもあり、 それでも毎日 頑張ってやってきたつもりでした。 実は、息子は、長い浪人生活が続き、 精神的に参っていた事もありましたが、 私はそれを咎めたり、 批判したりはしなかったつもりです。 (結果にガッカリした顔は、 正直してしまったとは思いますが…) この4年間、私は 主人の介護に一所懸命尽くしました。 息子の浪人生活も 色々サポートをしてきたつもりです。 私はまだ 主人の死から立ち直ってはいません。 毎日毎日、 こうしてあげればよかった… まだ治せる方法があったのではないか… 私がやはり悪かったのではないか… と、悔やんでばかりの毎日です。 そんな最中に、 私の存在、行動全てを否定されて もう生きていく気力もなく 悔やんでばかりいます。 もういなくなりたい。 主人のところに行きたいです。 仏様は許してくだいますか? こんな私を、お迎えに来て下さいますか?

有り難し有り難し 30
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父の死が受け入れられません。

先日父が急死しました。 犬の散歩に行くと家を出て敷地から出るか出ないかのところで倒れてそのまま亡くなりました。 一言も話すこともなくいってしまいました。 母と祖母と4人で生活していたのに、いつも一緒に寝るまで同じ部屋でみんなで過ごしていたのに、そこに父はおらず仕事から帰ってくる時間に帰ってこないこの生活がまだ信じられません。 真面目な話など今まで大してしなかったので父に私をどう思っていたのか、いい娘でいられたか、 父の娘で幸せだったなど伝えたい言葉、聞きたい言葉は来年結婚式の前日にゆっくり話をするつもりでした。 後悔ばかりでいかに自分が父に甘えていたか、いかにダメな娘だったか、、、考えると後悔ばかりです。 父の死は頭では分かっているのですがどこかでまだ受け入れられず、、、 でも亡くなるまでの父の姿を思い出してはやっぱり亡くなってるんだと実感しなんともゆえない感情でその場から逃げ出したくなり辛くて父に手を合わせることさえ辛いです。 父の人生は幸せだったのか、近くにいるなら教えて欲しいのに私に父を感じる事ができず傍にいてくれてるのかさえ分からないダメな娘をどう思っているのか。 こんなこと思いながらも声も仕草も思い出せなくなるのかなと思うとそれもまた悲しくてどうすればいいのかわかりません。 父に会いたくて会いたくて毎日が辛いです。 こんなでは父がいいところに行けないのではと思いつつもどうしても色々思ってしまいます。私の気持ちは父にはいい事ではないのでしょうか。 私たち家族を父は見てくれいるのでしょうか。 急すぎて自分の死が分かってるのかも心配です。 いつか私が父の元に行ったらまた父に会えるのでしょうか。 もし来世があるならまた父と母の娘にもしくは父と母を守る立場でまた一緒にいたいです。

有り難し有り難し 140
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弟の自死について

まとまりのない文になってしまうかもしれませんが、よろしくお願いします。 若い俳優さんの訃報に触れ、数年前に自死した弟のことを思い出しました。 また、その俳優さんの友人であったという俳優さんが、某音楽番組で涙を堪えながらある曲を歌っていらっしゃり、その曲が偶然にも弟が好きで葬儀で流した曲で、そこから涙が止まらず、ダムが決壊したように感情が崩壊してしまいました。 普段は子供たちのことで病的に後悔してしまうことが多く、その強迫観念症を治療しているのですが、後悔の大元はここにあるのかなという気がしています。 同じ家の中にいたのに、壁一枚隔てただけの隣の部屋にいたのに、助けてあげられなかった。 毎日一緒に生活していたのに、そんなに苦しんでいるのに気づいてあげられなかった。 喧嘩してひどいことも言った、たくさん傷つけてしまった。 もっと一緒に色々やりたかった。 一緒にご飯を食べに行ったり、お酒を飲んだり、旅行したり。 私の家族にも会わせたかった。 最後の言葉は、パソコンに残っていた、家族がみんな幸せでありますように、という優しい言葉。 ある程度乗り越えていると思っていましたが、全然でした。 会いたくてたまりません。 話がしたい、謝りたい。 私自身、弟がこんなことになる前に鬱にかかり、自傷行為をしていた時期があり、私のせいで弟まで悪い方に引っ張ってしまったかもしれません。 弟にも、両親にも、本当に申し訳なくて申し訳なくて、どうしたらいいのかわかりません。 感情のままに書きなぐってしまい、支離滅裂で本当にすみません。 私はどうやって心を立て直したらよいでしょうか。 弟の死への悲しみ、後悔、自責と両親への申し訳なさでぐちゃぐちゃです。 また、弟は衝動的にやってしまったのではないか、後悔してるのではないかということや、自死した人は罪が深すぎて地獄に落ちると聞いたことがあり、今でも苦しんでいるのではないかずっと気にかかっています。 弟は、救われますか。 お忙しい中すみません、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 57
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2021/07/28

母の死の受け入れ方

今年の三月に最愛の母を亡くしました。三十分前まで自宅で話をしていた状態からの突然死でした。 私は自他共に認めるマザコンで、何をするにも母に報告しては、それに対する反応を生き甲斐としていました。嬉しいことがあった時は一緒に喜んでもらうことで幸福を倍加させ、辛いことがあった時には慰めてもらうことで苦痛を緩和できていました。 唯一絶対の味方であった母を失い、もう五ヶ月も経とうというのに絶望から抜け出せません。母が生きていた頃、私はよく「お母さんが死んだら私も死ぬから長生きしてね」と言っていました。なのに母が亡くなった今も私は生きています。そんな自分に嫌悪感を抱くのですが、私が自死すれば母がどんなに悲しむだろうと考えると死ぬこともできません。 今の望みは母の死を受け入れて、自慢の娘だと言ってもらえるよう立派に生きていくことです。しかし実際には、日々涙にくれて生活もままなりません。明るい未来を思い描きたくとも、孫を抱いてもらいたかった、まだまだ一緒に旅行したかった、介護が必要になれば面倒を見たかったと、すべてを母とのもう叶わない夢につなげて虚無感に襲われます。こうなるたびに、私は未だ母の死を受け入れられていないのだと実感します。 母は死んでしまった、この事実が変えられないのなら、死を受け入れ乗り越えて、思い出と共に笑って生きていきたいと存じます。泣くばかりでは状況が改善しないのは身に染みています。母のことを考える時、生前のように暖かい気持ちになるためには何をしたら良いでしょう。どのように考え方を変えたら良いのでしょう。ご教示ください。お助けください。今でも母を愛しています。

有り難し有り難し 17
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