hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「 死 不安」
検索結果: 1644件

皆さんの考える最期の迎え方とは

昨年の秋頃に、NHKのドキュメンタリー『ありのままの最期 末期がんの“看取り医師”死までの450日』が放送されました。医師で僧侶の田中雅博さんが、末期がんとなり亡くなるまでを記録した番組です。 田中さんは「死ぬのは怖くない。看取った患者から死に方を学んだ。」と語っておられました。 とはいえ、現実には思い通りにはいかないこともあり、言葉を失うくらい壮絶な内容でした。 私にも一応、理想の最期のイメージはありました。誰でもいつかは死ぬのだからじたばたしても仕方ない、自分らしく生き、寿命が来たらそれはそれで受け入れるだけだなと。 でも、実際にそれを間近に感じた時には不安だらけ。じたばたしまくり。私はこんなに弱かったのかと愕然としました。 この時は単なる体調不良でしたが、現実は自分が死ぬなんてそんなに簡単に割りきれるものではないことを経験し、分からなくなりました。 「死に行く者の死に方から学べ」と田中さんはおっしゃったそうです。 “人の生き死には思い通りにはいかない。それでも、なるべく冷静に過ごすにはどうすればいいだろう” 今度は慌ててしまわないようにと、以来ずっと考えていますがまだ答えが出ていません。 お坊さんはたくさんの方の最期に向かい合っておられるので、ご自身に関しても既にイメージがあるのではないかと思います。 例えば病気で余命宣告されたとしたら、暫くの間は痛みや不安など心身の変化に耐えることになりますよね。 今回お尋ねしたいのは「最期の、耐えて待つ生き方」です。どのような心境で、どのように過ごしながらその時を迎えようと思いますか? お坊さんとして、でもいいですし、一個人としての思いがあれば教えていただきたいです。参考にします。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 17
回答数回答 2

死ぬことを受け入れたい

度々いろんなお坊様のいろんなご意見を読んでは参考にさせていただいています。 一つ最初に私はあまり信心深くなく、こんな時だけお坊様や仏様の慈悲にすがる浅ましさをお許しください。 かれこれ15年、「死ぬのが怖い」発作に苦しんでいます。 きっかけは祖母の死でした。 当時中学生になりたての絶賛反抗期で、親ともうまくいかず、勉強もうまくできず、何をやってもむなしい、いいことも何もないし死にたいと思っている最中の出来事でした。 自分がいかに死を簡単に考えていたかを身に沁みて理解しました。 悲しみよりもずっと大きく、死んだらどうなるのかという恐怖と、自分が自分でなくなり消えていく恐怖が襲いました。 悲しみよりも我が身の可愛さが先に来た自分が情けなく思いましたが、その恐怖は今もなお私を苦しめます。 必死にその恐怖を押し込めて、忘れ去ろうとすることしかできません。 親には相談できませんでした。 当時の憔悴しきった様子から、自分が何か心配をかけるような真似はできないと思いました。反抗する回数も少し減ったと思います。 その時に適切に恐怖心を処理しなかった代償か、今もふとした瞬間に目の前が真っ暗になり、足元からさーっと冷気が這い上がるような恐怖で吐き気がすることがあります。 お風呂に入っているときが一番その発作が起こりやすく、全くお風呂が安らげる場ではなくなってしまいました。 かといって人間皆いずれは死ぬのに、怖がっていることが恥ずかしく、心療内科の先生(以前適応障害を患い通っていました)にもカウンセリングの先生にもうまく伝えることができませんでした。 とにかく自分が自分でなくなり、何もわからない世界に行ってしまうことが怖くてたまりません。 そして私がいなくなった後も永遠に時間が続き、地球が滅び、宇宙が滅んでいくと考えると、手足の先が氷のように冷たくなって正気を保てなくなります。 お坊様達のご意見が聞きたいです。 お坊様達の世界の捉え方、仏様の世界を知れば、この恐怖から解放され、無事に死んでいけるのでしょうか。 親(二人とも60前後でまだ元気ですが、)が死ぬことも最近は毎日のように頭をよぎり、人間が物言わぬモノになっていくことが悲しく苦しくてたまりません。 身勝手な相談で申し訳ありませんが、どうか少しでも死ぬまでに心やすらかに人生を送れるようなヒントを頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 78
回答数回答 5

大切な人を失くしました

10年前 私が20代半ばの頃です。約2年半程 交際していた方が自ら命を絶ちました。当時は 悲嘆に暮れ 絶望感と今までに経験したことのない喪失感でいっぱいでした。 私の言動や行動が 彼を追いつめたのではないかと思い自責の念にも苛まれました。 彼に対して 『何故、どうして?』という気持ちがいっぱいで溢れそうになり 時にはそれが『なぜ私をこんなに悲しませるの』と、怒りになることもありました。 彼がいなくなってからも 私の日常は変わらずにあり 泣いてばかりもいられませんでした。半年も経てば 彼がいない生活にも慣れてしまいました。亡くなってからの一年間は 周りに心配をかけまいと 必死に毎日を過ごしていたように思います。楽しいことがあれば普通に笑えたし、その一方では 死にたいと考えてしまう自分がいたり。今思えば、 常に両極端な緊張感の中にいるようでした。結果 糸がプッつり切れてしまい休職するに至りました。 『時間が経てば癒される』と よく言いますが、三回忌を過ぎた頃からは 彼がいないことに対して寂しくて泣くことは少なくなりました。あんなに毎日の様に彼のことを考えていたのに 自分のやるべきことに追われ忙しい日常にいると すっかり彼のことは忘れていましたし、それでいいのだとも思っていました。しかし そう簡単に割り切れる訳もなく、 少し疲れていたりすると 決まって彼のことを思い出しては悔やんでいる自分がいたのも確かです。 七回忌が終わった頃には 私自身も 歳を重ね 彼の自殺の原因を考えるより 彼が亡くなった意味に想いを巡らせる様になりました。 歳月が流れて 私の気持ちにも沢山の変化がありました。時間はかかってしまいましたが 私なりには彼の自死を消化してきたつもりです。しかし、10年が経とうという今でも あの当時の喪失感だけは拭えません。新しい誰かと未だに向き合えない自分がいます。 また、物にも あまり執着しないようになり、とにかく身軽でいたいと年々 思うようになりました。彼以外にも この数年に大切な家族を立て続けに亡くしたことも かなり堪えています。 すっかり 自分の進むべき道を見失ってしまいました。生きることに執着がない自分自身にも とても不安になります。何か新しく手に入れたり 出会いが生まれれば、そこから貪欲になれるのでしょうか?

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

自殺してはいけない理由

お世話になります。 今すぐに死にたい、ということではないのですが、 私は、かねてから「自殺してはいけない理由」が分かりません。 遺族や他人に迷惑をかけるから、というのは理解できます。 しかし、生きているほうが周りに迷惑をかけてしまう者もあると思うのです。 私は同性愛者で、家族や伴侶はおらず、 将来、いわゆる無縁死や孤独死を迎えるのは、 ほぼ間違いないと考えています。 交通事故に遭うなどすれば別ですが、 そうそう都合よく、ぽっくりとは死ねないでしょうから、 体力が衰え、あるいは何かしら病を患うようになった頃からは、 例えば地域の民生委員や、市の高齢福祉課などに、 多少なりとお世話になってしまうでしょう。 そのような方々の手を煩わせ、 また、一般の方々が収めた税金を費やすべき価値が、 私の死にあろうはずが無いのです。 さらに、私は低所得者で、蓄えもございません。 つまり、死を迎える年齢の頃には、 金は無いわ身寄りは無いわ、 ただただ扱いづらいだけの年寄りになるのは、目に見えています。 これで認知症を患おうものなら、さらに厄介な存在となるでしょう。 だから、まだ体や頭が動くうちに、 無価値な自分自身に、落とし前をつけたいと考えてきました。 こちらの相談サイトで、 自殺を肯定するアドバイスなど頂けないのだろうと思います。 では、こんなクズでも生きていかねばならない理由を、 私に教えて頂けますでしょうか。 宜しくお願いします。

有り難し有り難し 636
回答数回答 4
2022/07/26

今後のこと

来月から彼氏と県外にて同棲が始まります。私の意見を尊重してくれていて、メンタル面が弱いのも理解してくれていて、生活費も出すよと言ってくれています。 とても優しい方なのですが、ちょっとした自分のわがままな心、例えば 自分の思い通りのことをしてほしい、LINEでもこのように返してほしい、思い通りにしてほしいという自己中な心が出てきます。また、勝手に不安になり裏を読んであれこれ考えてしまいます。周りの人たちと接していて、自分は大した人間じゃないのに相手に完璧を求めてしまいます。例えば、悪口を言わないでほしい、これやってくれたらいいのになど。本当に人のことは言えないのに、棚に上げてあれこれ不満を言い、先の分からないことに対して不安になって周りに愚痴をこぼしてしまいます。また逃げる癖もつき、だらしない日々です。 周りの人達には恵まれていると思います。ただ、何も考えていないことが多く、感謝の気持ちも持たず、ぼーっと何も考えずに日々を過ごしています。本当に感情が無であの人の為にこれをしようなどの優しい気持ちも持っていません。 かなり自己中な性格をしています。元々そういう気質で、周りに気が配れない、気持ちがわからないので勝手に暴走して、被害妄想が強くなり、結局最終的に人のせいにしています。 こういう自分とどう向き合っていけばいいでしょうか? また同棲する際に実家から離れるのがとても寂しいです。独り立ちしないといけないのは分かっているのですが、親、ペットの犬達、猫と離れるのがとても辛いです。 また、ふとした時に親やペット達がいずれ死ぬ事を考えてしまい、とても悲しくて涙が出ます。仕方ないとは分かっているのですが、今回の同棲でもみんなと離れるのが寂しいです。 生きていて様々な課題がある中で、一つずつ対処していく必要があると思いますが、生きていくのが辛い時もあって、気持ちが苦しいです。 幼い頃に父親が突然事故でなくなるという経験をして、その中で自分で死を選択することはどんなどん底でも必ずしないと決めています。ですが、人生って難しいと感じます。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1
2024/12/08

精神的に自立したい

はじめまして。私は23歳実家暮らし社会人の女です。 親は高齢出産のため両親ともに60歳です。私は小さい頃から家族が大好きで、そして家族、大切な人の死が常に怖く、最近特にその事を考えてしまって一人で泣いています。 母にもその不安を話したのですが、母はいずれは人は死ぬ来る運命に従うんだよと私よりも何倍も強い気持ちです。しかし、私はやっぱり耐えられません。ずっとずっと仕事中も両親のことを考えてトイレで泣いてしまいます。大学生の頃、一人暮らしをしていたのですが、両親のことを考え、少しでも恩を返そうと実家に戻りました。感謝はできるだけ伝えたいのですが、やっぱり死を考えるだけで辛いです。 また、遠距離恋愛をしています。片道4時間程の距離ですが、いずれ自立して彼の元へ行こうと思ってます。しかし、両親のことが心配でならないのです。両親は子供が幸せならいい、自由に生きてほしい方針なのですが、私が心配でならないのです。本当に不安です。彼の元へ行きたい気持ちも両親のことが心配な気持ちふたつあって辛いです。精神的に自立して前向きに生きたいです。 心療内科も予約済みなのですが、それまで時間があります。この常に抱えてる親の死の不安、精神的自立の仕方どうかご享受願いたいです。 日々不安で辛いです。助けてください。

有り難し有り難し 17
回答数回答 3

発作が辛くて死にたくなる

上の子の発達障害のサポート、下の子の入園、同居での義父母との関係性、職探し、季節の変わり目と一気に色んな変化があり、精神面での調子を悪くしてしまい精神科に通っております。 はじめの頃はお薬を毎日決まった分飲んでいればとても調子が良かったのですが、日常とイレギュラーな事があった時(学校行事など)、前もって分かっていたはずなのに自分にとっては大きなストレスとなっていたようで、その出来事の前後に悪夢を見たり眠れなかったり、気晴らしのつもりで出掛けた先でパニック発作を起こしてしまいました。 その都度お医者さまに相談をしてお薬を追加してもらってはいるのですが、パニック発作や強い不安感を持っている時間はとても辛く、耐え難いものでいっそこのまま死んでしまいたいと思い、死に場所を探し回ったり、とにかく手首を切りたいと思ってしまいます。 発作が落ち着きなんとか日常生活に戻ると死にたい気持ちは消えるのですが、少し油断するとまたあの恐ろしい時間がやってくるのではないかと思ってしまったり、耐えきれず突発的に自殺行為を起こしてしまうのではと思います。 自殺は、後に遺された人たちをどれだけ苦しめ悲しませる事なのかということは分かっています。 だけれど今の自分の精神状態が正常ではないので死にたいと思うときに何かしでかしてしまうのではないかと不安でたまりません。 仏様は何と仰るのか分からないのですが、神様は乗り越えられない人にはそういった難しい試練は与えないと聞きます。それが本当だとしたら、私は自分のこういう体質を試練として乗り越えて自殺という形で投げ出すことはせず、生涯を全うすることができるということなのでしょうか?

有り難し有り難し 31
回答数回答 1

幸せに飽きると言う事について

2年前に仕事を辞めてから趣味に没頭するためにフリーターをしています。先日読んだ本に『人間はある一定の年齢を過ぎると自分が幸せなだけじゃ物足りなくなる。美味しいものを食べて幸せとか、趣味に没頭して楽しいとかそう言う感情は歳を重ねていくに連れて経験し尽くして、幸せと言う感情そのものに飽きが来る。そして歳を重ねていくに連れて誰かを幸せにする事が幸せと感じてくる。だから配偶者や子供は作っておいたほうがいい』と書いてあり、その言葉が頭から離れません。 私は結婚には興味がなく、出来ればしたくないとさえ思っています。そもそも1人の時間が好きだし、例え結婚して一緒に暮らすのが自分の好きな相手でも、相手が発する生活音、例えば歩く音や息遣い、気配にさえ気を遣ってしまって、それをストレスと感じてしまいます。今一緒に暮らしている家族にさえそう感じています。だから私は結婚には向いていないと思っています。 周りはどんどん結婚する子や子供をつくる子が増えて、飲み会の度に『最近良い人いないの?』『結婚したくないの?』って聞かれます。その度『向いてないと思うんだよね〜』って上手く濁してきました。『孤独死が怖くないの?』と言われるけど、例え看取ってくれる人がいたとしても死ぬ時は1人だし死は死だと思ってしまい、死後何週間も発見されない話をよく聞くけど、そんなのは実際死んだ側の人間にとっては関係ないと言うか、他人事のように感じています。でも、幸せに飽きるって言うその話、その話はとてつもなく怖いです。いつか自分の幸せを幸せと感じられなくなったらどうしよう。ずっと私の生き甲斐だった趣味に飽きが来たらどうしよう。これを取ったら私には何も残りません。もしこれからその飽きが来ても、きっと『なんか物足りない』を感じながらも、その感情に気づかないフリをして今まで通り過ごし、そんな自分に劣等感を感じながらも何となく生きていく事になりそうで怖いです。

有り難し有り難し 25
回答数回答 2

恐怖心が消えずに押しつぶされそう

初めまして。こんばんは。 私は18歳の社会人です。 少し長いですがどうかお付き合いください。 最近地震などの天災が多く、連日連夜報道されるニュースやSNSなどで見かける予知や予言、心のない言葉。 それらの恐怖心が消えずに毎日朝起きてから仕事中でも「地震はこないだろうか?」「死にたくない」「万が一にも母に何かあったら」と頭の中を回っています。 地震のニュースや情報源を見ずに断てば良いではないか、と思いますでしょうが、やはり、今どこでなにが起こっているのか、というのは知りたいと思ってしまいます。 小さい頃から母と二人暮らしで母と喧嘩しようが「嫌い!」と言ってしまったりしても少しでも帰宅が遅くなったり、メールや電話が繋がらないと「なにかあったのでは」と不安になってしまい繋がるまで連絡を取ってしまいます。 茨城での地震以降、夜が怖くて怖くて母が横に居ないと眠れなくなってしまいました。 社会人にもなってお恥ずかしい限りです...。 玄関に防災セットや避難リュック、ヘルメットをすべて用意していますが、それでも不安になって毎日少しでも揺れた、地鳴りの音がすると感じると飛び起きて水面の揺れを確認してしまうのです...。 これでは病んでしまうと思ってたわい無いお喋りをしているラジオを聞いてみたり、ハスノハの回答を見て落ち着けるようにはしてはいるのですがあまり効果がありません。 心を落ち着けるためにしていることや、アドバイスでもなんでも良いのでご助言頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 16
回答数回答 1