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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 怖い」
検索結果: 1306件

人からバカにされるのが怖くて仕方がない事と父親について

2つも質問してしまいすみません よろしくお願いします 私はバカにされることがとても恐ろしくて、何か言われるとすぐに怒ってしまいます。 専門学校から、美大に行く事を友達に言うと「就職から逃げて遊ぶのか」と言われそれ以外にも質問したり、何か間違った事を言うと「こいつは頭がおかしい」とか「本当に何も知らないんだね」と言われてしまいます。 その子達以外に連む友達もおらず、離れられないので、その場では流しているもののその事が頭から離れず、ずっとイライラしてしまい家族に強く当たってしまいます。 昨日も、皮肉屋の父親の一言にイラつき最終的には殴り合いの喧嘩になってしまいました。 なんだか、とても疲れてしまいました。 平穏に暮らす為に、私はどうしたらいいのでしょうか?教えて下さい。 そして、喧嘩になった父親の事なのですがお互いに一言多く喧嘩になります。 普段は、皮肉屋ではあるものの無口で大人しいのですが、短気なのでちょっとしたことでキレると部屋に怒鳴り込んできて殴られます。 昨日は自殺に追い込んでやると怒鳴りながら殴ってきました。 そんな事が、幼い頃から度々あり母親も姉も怒らせないように逆らわずにやってきましたが、私はどうしても我慢ができずに逆らい殴られます。 出ていけるのなら出て行きたいのですが、私自身親に甘えて生きていた所もあるので、一人暮らしを出来るとは自分でも思いません。 私はどうしたらいいでしょうか 助けて下さい

有り難し有り難し 8
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育ててくれた祖母の死とうつ病の母

大学3年生の者です。私は物心着いた時からずっと祖母と一緒におり祖母がずっと育ててくれました。両親は母がうつ病であった為長年別居をしていました。物心着いた時は祖父・祖母・母・犬の4人と1匹家族で暮らしていましたが私が中学3年生の時の4月に犬が亡くなりその年の10月に祖母が亡くなりました。私は本当に大好きだった祖母だったのですが亡くなった瞬間怖くなってしまいエンジェルメイクもできずろくに顔も見ることが出来ませんでした。祖母が死んでから環境が一変し叔母と母の仲は金銭関係の問題もありどんどん悪化し母のうつ病もどんどん悪くなっていきました。その環境が今でも続きうつ病の母にうんざりすることも多くなかなか声優しい声をかけてあげることが出来ません。また、実家に帰った時は仏壇に手を合わせて「ばーちゃんただいま!」と言っているのですがお墓にはたまにしか行くことができず七回忌の供養にもお金がなかった為変えることができませんでした。祖母は天国で、私が死んだ後娘たちがこんなにも仲が悪くなり孫はあまり会いに来てくれないととても悲しい思いをしていると思います。 そのようなことを考えることが多くなり辛いです。実際叔母と母が仲良くなることはないと思います。自分が何もすることが出来ないことにとても虚無感を感じます。 私はこれからどのようにしたらいいでしょうか? 長々とすみませんでした。

有り難し有り難し 18
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友達の死について具体的に話します。(怒られる覚悟で)

19の頃に調理師専門学校で友人に出会いました。 でも私自身に色々と事情がありまして、退学しました。 その後、突然彼女から電話があり「今〇〇駅にいるんだけど、かおりちゃん家に行ってもいい?」という電話でした。学校はどうしたのか聞くと、 友人は「う~ん、行きたくない」と言ったんです。 彼女は、凄く優しくて友達の悪口や陰口を言わない子でした。 なので学校で、いじめられていたという事はありませんでした。 でも、私は「それでも学校へ行きなよ」とは言わずに、「じゃ、おいで」と言ってしまったのです。それが癖になってしまい、何度も学校をサボっては私の家に遊びに来てました。 私も馬鹿だから、注意もせず、お金がかからないところへ2人で遊んでいました。(ファーストフードや公園など)今思えば、こんなの友達じゃありません。時には厳しくするのも必要なのに。 今度は恋愛の事になるんですが、三角関係になってしまったんです。 相手の男性は、友人を好きになってしまったんです。 そういうのって仕方ないことなのに私は友人に「もう電話しないで」と心にないことを言ってしまいました。 で、私は地元の会社に就職をしました。9月に彼女が倒れて入院したと、面会は出来ないと友人の父親にいわれました。亡くなったのが10月の下旬です。 亡くなったと聞いたのは、三角関係なってしまった男性からでした。 訃報を聞いて信じられなくなって、頭の中が真っ白になりました。 空を眺めていたら、彼女に対する思いが強かったせいか、 彼女が私を呼ぶ声が何度も聞こえてきました。両方の耳を塞ぎました。 そのあとに、紐で自分の首を絞めました。 自分の首を絞めるのって、かなり力が必要なんですね。 そこから、高校の友人と何度か会い、最寄の駅の近くにあるビルの前では夜になると若者のナンパする場所と鳴るんですが、 友人の車でドライブに出かけ、一端車を留めたんです。 勿論、ナンパされました。声をかけてきた男達は暴力団でした。 翌日、その中の2人に売り飛ばされました。レイプされました。 そのことで友人と口論になったのですが、友人は謝罪せずに逆ギレされました。まして、お金を出せといわれました。 人が嫌いになった理由はこれです。 長文ですみません。

有り難し有り難し 80
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友人の自死、自身の自殺願望

今回、本当にどうしたらいいのかわからず毎日不安と恐怖で仕方がなかったので「ハスノハ」に質問させて頂きます。 つい先日、とても仲の良い男性が自死しました。彼は一年程前に「結婚前提にお付き合いしたい」と私におっしゃってくださり私は「あなたの事を信じられるようになったら是非」とお答えしていました。 彼は私に信じてもらえるよう沢山努力していたと思うのですが、私は過去の経験から人間不信になってしまっていてなかなか信じられず泣いたり怒ったりしてしまいました。 そんな彼も半年程前から私への気持ちが諦めが見え隠れして来ました。私がプロポーズを断った後、鬱病にもなり仕事を辞めてしまいました。 仕事を辞め、彼は「退職金で君の好きなところへ婚前旅行しよう」と私の大好きな海外へ連れて行ってくださったりましたが私は相変わらず心底信じられることができず……。 遂に彼は私に「幸せにできず、いつも泣かせたり怒らせてしまってごめん」と遺書を残し、自殺サイトで知り合った見ず知らずの他の女性と自殺をしてしまいました。 自殺をするための道具などを購入したのは私が最後にお会いした日(1ヶ月前)でした。何故私はあの時気付かなかったのだろう。何故私はあんなに想ってくれた彼を信じられなかったのだろう。彼が亡くなってからずっと考えて毎日過呼吸になってしまいます。 私はこれから先どうしたらいいのか、もう分かりません。 元彼2人も自殺未遂をしているので、今回本当に死に追いやってしまった自分のことが怖いです。 私は何故生まれてしまったのでしょうか、なんて考えてしまいます。言葉で言い表せない自分への自己嫌悪や恐怖、孤独感…これらをどうしたら少しでも拭えるのでしょうか。

有り難し有り難し 6
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2025/05/20

10年以上受け止めきれなかった母親の自死

私の母は10年以上前に自殺で亡くなっています。 母の自殺は、産後うつからの双極性障害や父のモラハラ的対応などの要素が重なったものと思われます(こわくて詳しくは確認できてないです)。 当時自分は中学生で、母が亡くなったと聞いた時現実を受け入れられませんでした。 頭の中ではこの現実を受け入れて(泣いて)しまえば、確実に自分が再起不能なまでに壊れてしまうと直感したからです。 また、私は鬱で情緒不安定になってる母が自殺未遂をしたり父と喧嘩したり入退院を繰り返しているのに、内心うんざりしていました。 当時は気持ちは父の方に肩を持っていたり、不安にさせる母を疎ましく感じていました。母が亡くなった時、もうそんなことがなくなると安心感を感じていました。 私が怖かったのは、このように母を疎ましく感じていた自分と母の自死の要因となった父を憎んで、何かしてしまうかもしれないと思ったからです。もし当時現実を受け入れられていたら、父を殺して自分も自殺していたかもしれないと思います。 そういうことを色々考えて、その時から私は母のことを考えないようにしていました。 お墓参りや法事はこわくて行けない、行っても母を前にして何も言うことが思いつかない、実家の仏壇でお線香も添えたことがないし、母のことを考えようとすると頭が真っ白になってしまいます。 10年以上この状態で過ごしていたのですが、最近は周りの環境が変わり、辛かった昔のことについても少し考える余裕が出てきました。 なので、父や親族から聞いてなかった母の死や当時の環境について知っておくべきだと思うようになりました。考えないようにしてる方が辛く感じるようになりました。 ただ私がこわいのは、10年以上避けてきた衝撃を今くらった時、自分がどうなってしまうのかわからないことです。 当時感じたように精神的に壊れてしまったり、抑えていた自分や父への憎しみが溢れて止められなかったらどうしようかと強く不安になります。 向き合いたいけど不安要素や現実を受け止めることがこわくて、どうしたらいいのかわかりません。 どうすればいいのでしょうか。

有り難し有り難し 8
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HSPが希死念慮と付き合う。物事の習慣化

生きてればいいことがあるというが、それを楽しみにもがき苦しむのが限界で消えたいです。 一方で、今まで良くしてくれた両親に申し訳なく死ねません。 希死念慮に近いものが毎日わたしを襲ってきて、何をしても楽しくなく、暇な時間は損害賠償で両親を苦しめることもない死に方を考えることに費やしています。 精神科にも通っていますが自殺未遂がないので、投薬と規則正しい生活をと主治医から言われるのみです。 規則正しい生活と言いますが、生きる希望もないので食事、水を飲むことすら億劫です。 薬を飲んでも希死念慮は消えることなく、強制的に眠ることによって解決を先延ばしにしているだけかもしれないと最近は思います。 希死念慮は本当に死にたい訳じゃなくてこの永遠に続く苦行から逃げ出したいというのが本質だとは思っているので、色々転職しました。 ただ周りの目を気にしすぎる、希死念慮が渦巻くこのマインドのせいか職場ではミスの連続かオドオドで試用期間でクビはザラ、プライベートも何をしていても楽しくない。 マインドが原因なら!とマインドセットのため未来を憂うことなく今だけを感じその中で精一杯頑張れる方法、考え過ぎないようにする方法を探し、散歩、瞑想や日記をつけたことがありますが続きません。 継続できないことに関し自分で自分を客観的に見て、言い訳するなんておこがましいと思い、さらに自己嫌悪に陥ってしまうことに気づき、できなかったという事実のみを見るようにし、できた日はひたすらに褒めることを繰り返していますが、疲れました。 自分が動かないとと何も変わらないと思って必死に自分を鼓舞してきましたが、鼓舞して苦しんでの繰り返しに疲れてしまいました。 死ぬのはとても怖い、両親の悲しむ顔は見たくないけど、その1歩がわたしとってはすごく眩しいです。 唯一の希望の光に見えます。 ①繊細な人、所謂HSPや希死念慮は消えることはなく付き合っていかなければならないものだと個人的には考えておりますが、消えることはあるのでしょうか。お考えや付き合い方についてご意見をお聞かせ頂けませんか。 ②調べ、憂れ、考えることだけしかせず、実行、継続しない、穀潰しで怠け者の私の尻を叩いて頂けませんか。 何故すぐ諦めてしまうのか自分でも分かりません。 ③パーソナルな質問で恐縮ですがお坊さんの生きる活力を教えて下さい。

有り難し有り難し 4
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家族、友人を自死で亡くしたお坊さんという質問をした者です

勢いと感情のままに投稿したのですが、時間が経ち、改めて自分の質問を読み深く反省しております。自身の事情を明かさず相手の内(ましてや自死に関する話)を聞き出そうとし、なんて軽率な質問をしてしまったのかと。 不快、暗い、悲しい気持ちにさせたことと思います。稚拙な文章や打ち間違いが多かったことも含め、本当に色々と申し訳ありませんでした。 また、回答して下さったお坊さん方、改めてお礼申し上げます。皆様のお言葉を読み家族のことを想いました。そして思い切り泣いたあとは、張っていた気持ちが少し緩んだ気がします。 自分の事も、家族の事も、将来の事も考えるのが怖かったんです。自立できないなら死ぬしかないと。(母に深く依存しています)最近は両親の体調不良のこともあり、精神的により切迫していました。 自分本位に生きてきましたが、回答を読むにつれやはり両親や兄の悲しむ姿は見たくないんだと分かりました。問題は今も山積みですが、とにかく今日、今、自分にできることを見つけて少しずつでも歩を進められればと思います。 回答して下さって本当にありがとうございました。一つ一つのお言葉、お気持ちを大切にします。 ※手前勝手ながら、この投稿は謝罪とお礼をお坊さんに読んでいただきたかっただけなので、サイトには表示しない(回答なし)ようお願い致します。

有り難し有り難し 20
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恐怖を忘れることは良いことか?

お世話になっております。いつも温かいご回答を頂き、大変感謝しております。ありがとうございます。 今回お聞きしたいのは、「恐怖を忘れて過ごすのは良い傾向なのか?」というものです。 以前より、死の恐怖を克服する方法についてご教示頂いております。怖くなったらお念仏を唱えたり、仏教に関する本を読んだりして、少しでも悟りに近付けるよう勉強しています。 その中で、以前よりも、恐怖を感じる時間が少なくなっていると感じます。しかし、決して死が怖くないわけではなく、ただ別のことに気を取られて恐怖を忘れているだけなのです。 日々が忙しくなるとそのような「忘れている時間」が増えていくのですが、隙間の時間に死の恐怖を思い出して、絶望感に苛まれます。 そこで、 ・死の恐怖を忘れている時間は、仏教の修行的にはあって良いのか?それは、克服へと繋がっているのか? ・それとも、何度も恐怖を思い出し、その度に勉強したり念仏したり…と繰り返す方が好ましいのか? の2点について、ご教示願いたいです。 どうしても、文献に触れたり念仏を唱えたりすると、死の恐怖を連想してしまうので、精神的に疲弊してしまいます。そのため、どうでもいい娯楽で恐怖を誤魔化してしまうこともあります。 一方で、死に対する絶望感から、「早く死の恐怖を全く感じないようになりたい」と思い、つらくても修行した方が良いのか、と思うこともあります。 また一方で、自分のしたいことは「死の恐怖の克服」だけではなく、ほかの勉強や趣味にも勤しみたいので、少なくとも現状では、やることを仏門修行だけに絞るのは避けたいと思っています。 長文かつ、わかりづらい文章になってしまい、申し訳ございません。お時間ある時で構いません。ご教示頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 12
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