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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 悲しい」
検索結果: 1498件

死ぬとは何ぞや

タイトル、不躾に失礼します。 私は20代前半に一人、最近また一人と二人の親友と勝手に呼んでいた友人を亡くしました。 最初の一人は自宅で孤独死、死後数日経っていた為死因は不明。 もう一人はニュースにもなりましたが、同居する彼氏に睡眠中に殺されました。 当然の事ながらショックでした。 どちらの二人も何となく連絡が途絶えていたからです。(後者は何年もですが) ですが…あまり他人には話せることではないのですが、彼女達は自分で決めてきた死去の日を迎え、また現世での問題はクリアされたから去っていったのでは…とも考えるのです。 実際、前者の友人の死を聞いたときは直感的に『これで良かったんだ、頑張ったよね』と思いました。 彼女は病気を抱えていましたがお互い特にそれについて話すことも何故かありませんでした。 私自身は死後の世界は知りません。 でも生まれて生きて、苦しいことを乗り越えるまで同じ問題にぶつかるのには意味があるんだと思います。 じゃあその山積みの問題をクリアできたら…?? そう考えると、彼女達の残された家族の事を考えたら私のこの考えは不謹慎な気がして…。 正直、この考えがある意味本当なら彼女達を羨ましく思ってしまう自分が近くにいるのです。 もしかしたらそう考えるのはある種の逃避なのか、とも。 うまく説明が出来ないのですが、この世から旅立った友人達の死は悲しいです。 だけど羨ましい。 けど死ねばこの世の苦しみから逃れられるとは思わない。 自分の課題が見つけられないからの嫉妬なのか何なのか…。 不謹慎過ぎて深く話が出来ないのでこちらで質問させて頂きます。 まとまりがなくて本当に申し訳ないのですが…。

有り難し有り難し 10
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毎日後悔

縁があって相談できることをありがたく思います、結婚して18年です、子供は3人、結婚して、親になってわかる、親心、子供ができて、分かる、この心、わかっている、14年前に父方のお父さん、私にとってはおじいちゃんが亡くなりこの死が、私の心を大きな傷となり、今も思い出すとおえつが出るくらい悲しみが心を支配する、身内の死がこれほど悲しくて辛いのは十分わかる、 わかっていながら、自分の子供、主人には平気で死んでしまえとか、汚い言葉、毎日のように、放つ自分、 毎日寝る前手を合わせ毎日反省、わかっているのに、なんでか、自分がすごく汚い心だから、週末はなるべく、神社や、パワースポットと言われる所へ足を運び、感謝する、お線香の匂いに癒され、嫌なこと忘れる事ができる、父が病気になり、すぐは死なないけど、死と向き合う父をみていると、さらに死に恐怖、自分も死ぬんじゃないかの恐怖、不安、でも、築地本願寺に行ったとき、お線香の匂いでその恐怖や、不安が、一気に吹き飛んだ、だから、神社、パワースポットに足を運ぶのは、感謝の為、わかっている、 長女は16歳になり、日に日に反抗がすごい、薬やお酒に、興味持ち始めて、毎日怒鳴り、死んでしまえと思います、私自身反抗期、親に対する口の利き方、ちゃんとしていたから、長女が私に対する口の利き方や、態度が、ゆるせない、尊敬や、優しさが感じられない、毎日怒鳴り、汚い言葉をぶつける、誰一人私をいたわり、優しい言葉かけてくれない、有難う、あたりまえだけど、言われたい、心と、吐き出す言葉が正反対で苦しい

有り難し有り難し 62
回答数回答 1

死ぬことを受け入れたい

度々いろんなお坊様のいろんなご意見を読んでは参考にさせていただいています。 一つ最初に私はあまり信心深くなく、こんな時だけお坊様や仏様の慈悲にすがる浅ましさをお許しください。 かれこれ15年、「死ぬのが怖い」発作に苦しんでいます。 きっかけは祖母の死でした。 当時中学生になりたての絶賛反抗期で、親ともうまくいかず、勉強もうまくできず、何をやってもむなしい、いいことも何もないし死にたいと思っている最中の出来事でした。 自分がいかに死を簡単に考えていたかを身に沁みて理解しました。 悲しみよりもずっと大きく、死んだらどうなるのかという恐怖と、自分が自分でなくなり消えていく恐怖が襲いました。 悲しみよりも我が身の可愛さが先に来た自分が情けなく思いましたが、その恐怖は今もなお私を苦しめます。 必死にその恐怖を押し込めて、忘れ去ろうとすることしかできません。 親には相談できませんでした。 当時の憔悴しきった様子から、自分が何か心配をかけるような真似はできないと思いました。反抗する回数も少し減ったと思います。 その時に適切に恐怖心を処理しなかった代償か、今もふとした瞬間に目の前が真っ暗になり、足元からさーっと冷気が這い上がるような恐怖で吐き気がすることがあります。 お風呂に入っているときが一番その発作が起こりやすく、全くお風呂が安らげる場ではなくなってしまいました。 かといって人間皆いずれは死ぬのに、怖がっていることが恥ずかしく、心療内科の先生(以前適応障害を患い通っていました)にもカウンセリングの先生にもうまく伝えることができませんでした。 とにかく自分が自分でなくなり、何もわからない世界に行ってしまうことが怖くてたまりません。 そして私がいなくなった後も永遠に時間が続き、地球が滅び、宇宙が滅んでいくと考えると、手足の先が氷のように冷たくなって正気を保てなくなります。 お坊様達のご意見が聞きたいです。 お坊様達の世界の捉え方、仏様の世界を知れば、この恐怖から解放され、無事に死んでいけるのでしょうか。 親(二人とも60前後でまだ元気ですが、)が死ぬことも最近は毎日のように頭をよぎり、人間が物言わぬモノになっていくことが悲しく苦しくてたまりません。 身勝手な相談で申し訳ありませんが、どうか少しでも死ぬまでに心やすらかに人生を送れるようなヒントを頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 78
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母親に次々と病気が。

はじめまして。 母親が入院しています。 腎臓が悪く透析をはじめ、そして先日、子宮に癌がみつかり摘出しました。その後、腹痛が続き再度入院しました。今度は腸に穴が空いている可能性があり、癌が他に転移しているのではないかとのことです。 母親はまだ旅行も美味しいものも食べたいだろうに。そして私の家族に新しい命が秋に誕生することもあり、まだまだ生きたいと思うのですが 今日の説明で最悪はどうしようもなく、骨に転移していたら痛みを伴うと。。。 悲しくて、悲しくてたまりません。 まだそのことを知らない母親がかわいそうで、最初は1週間くらいの入院でしたので、5月には帰れるかな、、一回帰りたいなとつぶやくので、泣きそうなります。 いや、もしかしたら気付いているのかもしれません。それを一人で背負っているのかもと思うと切なくて。 今はコロナ感染の影響で会いに行くことも叶いません。 人の死とは必ず来るものだと思いますが、悲しいですね。 どのように接してあげるのが良いかなど、とても悩みます。不安を少しでも拭ってあげたいです。 まだ身内の死を見たのは祖父の時だけです。一番身近で一緒に生きてきた母親がいなくなるのはやはり嫌です。なんとか少しでも生き延びて欲しい思いと、病気で苦しむなら早く逝かせてあげたい気もしますが、まだまだ気持ちの整理がつきません。 祖父の時は少しでも長生きできないかと、咄嗟に祖父が好きな仏像を病室に届けてしまいました。非常識なのでしょうが、何かできないかと言う思いです。 死を覚悟しないといけないのはわかります。でもどうかなんとか、、、という思いで相談しました。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 15
回答数回答 1
2025/09/03

死んだことを受け入れるとは

先日、母が病期の為に亡くなりました。 入院したときから覚悟はしており、面会に行く度に手を握ったりこれまでの感謝や母に対する思いを伝えたりはできる限りしていたのですが、やはり辛く悲しいことには変わりありませんでした。 よく親や身近な人の死を受け入れられないという話を聞くことがあります。 自分が、母の死を受け入れられているのかそれともまだ受け入れられていないのか自分ではよくわからず、他の方から見てどう思うかを聞きたくなりました。 先程も書いた通り、覚悟はしており亡くなった瞬間も「この日が来たんだな。お母さんお疲れ様」と最初に考えましたし。その後、通夜や告別式等があり度々悲しみの波が押し寄せてきて涙が溢れることもありました。 しかし、「もう一度会いたいと全く思わない」と言えば嘘になりますが、そこまで強く会いたいとは思わず、私が生きている限りもう会えないことは理解し、母にはあの世でゆっくりしながら、残った家族のことを見守っていてね。私はこの先もちゃんと生きていくからね、と素直に思っています。 これは母の死を受け入れられているのでしょうか? 難しい質問になったかもしれませんが、回答いただけると幸いです。

有り難し有り難し 44
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救われるとは?

お世話になります。 救われるや、救われたいなど、それは どういう状態なのでしょう。 私が救われた状態って、どんな状態? 今の苦しみは、逝ってしまった娘の事。 もし、目の前に現れてくれたら もし、あの日の続きができたなら だけど、その「もし」はありません。 私が死ぬまでありませんよね。では、生きてるうちは救われないのでしょうか。 時々惨いニュースを見ると、もしあの日 娘の自死を思い止める事ができていたなら、それは、娘を救った事になったのだろうか。 こんな生きにくい世の中で、生きたくないと願った娘を、無理やりこの世に留めることは、娘を苦しめただけ。生きて欲しいと願うのは、私のエゴだったのかもと思えるのです。 私はこれまでに、病気や事故に合いそうになり、回避できたことを、ラッキーだと思っていました。私って運がいいって、感謝していました。 でも、あの時死んでいれば、こんな辛い思いをしなくてすんだのにと、悔やんでしまいます。 動物や草花のように、生きる意味とか、理由とか考えないで、その日その時が来るまで、自分のできることをして、過ごせたらなあと思います。そう思うのに、この頭はごちゃごちゃ、考えて苦しんでしまうのです。 生きてるうちに、楽になる方法。 娘に会えなくても、悲しくない方法。 何かないですか?

有り難し有り難し 35
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大切な人を失くしました

10年前 私が20代半ばの頃です。約2年半程 交際していた方が自ら命を絶ちました。当時は 悲嘆に暮れ 絶望感と今までに経験したことのない喪失感でいっぱいでした。 私の言動や行動が 彼を追いつめたのではないかと思い自責の念にも苛まれました。 彼に対して 『何故、どうして?』という気持ちがいっぱいで溢れそうになり 時にはそれが『なぜ私をこんなに悲しませるの』と、怒りになることもありました。 彼がいなくなってからも 私の日常は変わらずにあり 泣いてばかりもいられませんでした。半年も経てば 彼がいない生活にも慣れてしまいました。亡くなってからの一年間は 周りに心配をかけまいと 必死に毎日を過ごしていたように思います。楽しいことがあれば普通に笑えたし、その一方では 死にたいと考えてしまう自分がいたり。今思えば、 常に両極端な緊張感の中にいるようでした。結果 糸がプッつり切れてしまい休職するに至りました。 『時間が経てば癒される』と よく言いますが、三回忌を過ぎた頃からは 彼がいないことに対して寂しくて泣くことは少なくなりました。あんなに毎日の様に彼のことを考えていたのに 自分のやるべきことに追われ忙しい日常にいると すっかり彼のことは忘れていましたし、それでいいのだとも思っていました。しかし そう簡単に割り切れる訳もなく、 少し疲れていたりすると 決まって彼のことを思い出しては悔やんでいる自分がいたのも確かです。 七回忌が終わった頃には 私自身も 歳を重ね 彼の自殺の原因を考えるより 彼が亡くなった意味に想いを巡らせる様になりました。 歳月が流れて 私の気持ちにも沢山の変化がありました。時間はかかってしまいましたが 私なりには彼の自死を消化してきたつもりです。しかし、10年が経とうという今でも あの当時の喪失感だけは拭えません。新しい誰かと未だに向き合えない自分がいます。 また、物にも あまり執着しないようになり、とにかく身軽でいたいと年々 思うようになりました。彼以外にも この数年に大切な家族を立て続けに亡くしたことも かなり堪えています。 すっかり 自分の進むべき道を見失ってしまいました。生きることに執着がない自分自身にも とても不安になります。何か新しく手に入れたり 出会いが生まれれば、そこから貪欲になれるのでしょうか?

有り難し有り難し 5
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自殺してはいけない理由

お世話になります。 今すぐに死にたい、ということではないのですが、 私は、かねてから「自殺してはいけない理由」が分かりません。 遺族や他人に迷惑をかけるから、というのは理解できます。 しかし、生きているほうが周りに迷惑をかけてしまう者もあると思うのです。 私は同性愛者で、家族や伴侶はおらず、 将来、いわゆる無縁死や孤独死を迎えるのは、 ほぼ間違いないと考えています。 交通事故に遭うなどすれば別ですが、 そうそう都合よく、ぽっくりとは死ねないでしょうから、 体力が衰え、あるいは何かしら病を患うようになった頃からは、 例えば地域の民生委員や、市の高齢福祉課などに、 多少なりとお世話になってしまうでしょう。 そのような方々の手を煩わせ、 また、一般の方々が収めた税金を費やすべき価値が、 私の死にあろうはずが無いのです。 さらに、私は低所得者で、蓄えもございません。 つまり、死を迎える年齢の頃には、 金は無いわ身寄りは無いわ、 ただただ扱いづらいだけの年寄りになるのは、目に見えています。 これで認知症を患おうものなら、さらに厄介な存在となるでしょう。 だから、まだ体や頭が動くうちに、 無価値な自分自身に、落とし前をつけたいと考えてきました。 こちらの相談サイトで、 自殺を肯定するアドバイスなど頂けないのだろうと思います。 では、こんなクズでも生きていかねばならない理由を、 私に教えて頂けますでしょうか。 宜しくお願いします。

有り難し有り難し 636
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