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hasunoha 問答検索結果 : 「私 遺骨 」
検索結果: 508件

釈尊の言行

 厚かましく、非宗教説を続けます。  釈尊の言行については、立川武蔵先生の「ブッダをたずねて」の受け売りですから、皆様先刻ご承知と思いますが、信仰について言及したいと思います。  先ず釈尊は、偶像崇拝を禁止したとのことですが、釈尊の死後、舎利を分配して、早速信仰の対象にしました。  仏像も信仰の対象として作成され、祇園精舎での説教で済むところを、巨大な寺院を建築し、仏像を納めて 荘厳さを競いました。  これは中国の仏教を模倣したのでしょう。  釈尊の言行からはまったく不要なものであるはずです。  次に釈尊の死が近づいたときに、近隣の村人たちが釈尊の葬儀の支度を始めているのを見て、弟子にあそこに参加してはならないと戒めたそうです。  元々葬儀には無関係だったようです。  確か応仁の乱で加茂川に死体が放置されていたのを、僧侶が荼毘に付したのが始まりだったようです。  釈尊の言行に従って、これらの行事を無くせば、仏教はただ説教と修行に励むことだけが残ることにはなりませんか?  仏教は信仰とは無縁だと思います。これが非宗教説です。  蛇足ですが、通常寺院の参道に仁王門がありますが、これが参道の入り口ではなく中ほどに建てられいます。  これは参道が、輪廻転生を示したと考えられます。  参道の入り口は娑婆です。参詣者は参道を通って本堂に向かいます。  本堂は娑婆から切り離された死の世界です。  本堂に居続ければ平穏ですが、娑婆に還るときは仁王門で苦しめられます。  「チベットの死者の書」によれば、丁度3週目に怒りの神々に遭遇します。  仁王門が中途にあるのはそれを模したものと考えられます。    従って輪廻転生は仏教にとってそれ程重要なものです。  現在仁王門の像は参道を向いていて外敵を防ぐと言われていますが、参道の中途にあるのも不自然だしその必然性が考えられません。  像は本堂を向くべきだと思います。  さびれたお寺の仁王門がその向きになっているとの記事も見かけました。

有り難し有り難し 59
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お位牌を手放す際の諸手続きに関して

<お位牌に関しての相談です> 両親のお位牌を本体とは別に作っていただき、現住所である海外の自宅に置いて手を合わせております。このことは、実家がお世話になっておりますお寺の御住職もご存知です。実家の宗派は真言宗です。 よかれと思ってやっていたことですが、最近日本に住んでいるきょうだい達が、私の身に何かあった際の、私の自宅にある両親のお位牌の扱い方に不安を覚えていると聞かされました。 ・私の主人は日本人ではなく日本語も話せないため、私の身に何かあっても、お仏壇(小型のものです)やお位牌に関して、日本にいる私の家族と話し合うことができない ・私のきょうだい達は、日本から両親のお位牌を受け取るためだけに、海外の私の自宅に来るようなことはしたくないとのことです。 ・予想される色々な状況を考えて、主人を含むこちら(海外)の義理の家族に後のことは頼めない。 結論としましては、大変残念ではありますが、私の存命中に両親のお位牌を手放して、きょうだい達の精神的負担をなくしたいと思います。 お世話になっている御住職に相談させていただくことも考えましたが、きょうだい達の耳に入ることを避けたいと思い、こちらでおしえていただければ有り難いです。 また、お位牌と共に日本から持ち込んでおります鈴、鈴棒などの仏具一式も手元にございますので、その扱いについてもおしえていただければ幸いです。なお、私自身は仏事等で年に一回は日本に行きます。  お位牌をそばに置いて手を合わせることばかりを考え、想定できたであろう問題について何も考えなかったのは迂闊であったと反省しております。

有り難し有り難し 19
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悲しみについて

一昨年前に実母が亡くなり、以来、こちらでお世話になっております。 お寺のことや、供養、お墓等のことで質問させて頂き、ご丁寧な回答を頂き、ありがとうございました。 毎日のお勤め、花やお供え、茶水を絶やさず供養させて頂いています。 長らく二人暮らしでした。 病を抱えながらも私のために家事をしてくれていました。 私は幼い頃から病弱で心配ばかりかけ、苦労させました。 ある日、突然調子が悪くなり救急車で病院へ、そして次の日から意識が無くなり、一週間後に息を引き取りました。 私はその瞬間にも立ち合うことができませんでした。 生前は、私は仕事なので一人きり。最期も一人で逝かせてしまいました。 延命処置も断ったのは私です。 今年、三回忌となりますが、未だにあの時こうしてあげれば良かった、なぜあんなこといってしまったのだろう、最期にありがとうも言えず、後悔と悲しみの毎日です。 他人からすると、ただのマザコンなのかもしれません。 毎日、成仏し、父やご先祖様と幸せに過ごしてくださいと祈ることしか出来ません。 ただただ毎日冥福を祈り、悲しみが癒える日が来るのを待つしかないのでしょうか?それともいつまでもクヨクヨ引きずっている私の精神が弱いだけなのでしょうか?

有り難し有り難し 55
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2022/09/05

自死した弟の魂はもう苦しんでいないか

こんにちわ。 1週間前、20代後半の弟を自死で亡くしました。 遺書を残してあり、家族知人でずっと探していましたが、 森の中で、残念ながら首を吊っていました。死亡推定時刻から、48時間ほどはそこにいたようです。 知人が発見してくれ、通報を受けた消防と私が現場に駆けつけて確認しました。 一目見て、蘇生は不可能である事がわかりました。 死斑で変色した手足、硬直した手指、首に食い込むロープ、目に残った涙の痕、やってくるハエ達、かすかに漂い始めている死臭。 こういった現場は職業上、慣れていましたが、それでも、今でも鮮明に思い出します。ショックでした。 遺体を発見した次の日、弟の魂が安らかでいれるように、もうこれ以上苦しまなくていいよ、姉ちゃんと家に帰ろうと願いを込めて、山の中の現場に花と水を手向にいきました。 森はキラキラしていて、美しく、現場は倒木がうまいこと重なり合い、上まで登ってロープをかけて首を通した様子がありありと想像できました。 生き物や自然が好きな子でした。 最期の姿を思い出し、苦しかっただろう、辛かっただろう、なぜ気づけなかったのか、あの時ああすればよかった、守ってあげられなくてごめん、後悔は尽きません。 心配な事は、今でも弟が苦しんでいないかという事です。 自死は決して本人のせいではありません。弟は悪くありません。しかし、本人は自分が悪いと思い込んでいた状況で、首に紐がかかるときは苦しい思いもしたはずです。 弟のお骨の前でお線香をあげることや、現場に花や水をたむけることは、弟が安らかでいることの助けになるでしょうか。 今でも、森の中で1人で苦しんでいたらどうしようと、本当に心配です。 それとも、家に帰ってきてくれているのでしょうか。 長文、散文になってしまいすみません。 とにかく、弟の魂は今も苦しんでいないか心配していますがどうなのでしょうか。 弟の魂は私達を恨んでいるのでしょうか。弟の魂は今はどこにいるのでしょうか。 まだこの世にいて欲しいけど、ゆくゆくは成仏できるのでしょうか... もう、私が弟にしてあげられる事は何もないかもしれないけど、教えてください。 お坊さま、何か知恵を貸してください。よろしくお願いいたします。

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2023/05/07

生きるているのが辛い

先日も同じような投稿したのですが毎日が辛くて仕方ありません 生きているのが辛いです 夫のいない今とても辛いです 夫がいなくなって八ヵ月 最初の頃は周りにメソメソしていると成仏できないとか色々いわれ こちらで相談した事もありました 今もメソメソとしていまして私がメソメソしていると夫は幸せになれないと 言われました 生前は夫と2人暮らしでとても幸せでした 夫がいたから幸せであって今は夫がいない今は幸せと感じられません 幼稚なようですが夫は私を見守ってくれているのかなと思う事もあります 見守ってくれていれば夢で会ったりできるのかな?とか・・・ 夢でも会えない ただ毎日涙しています 遺影にむかって語りかけるだけで涙し夫はこんな私をどう思っているのかなと思う毎日です 私がメソメソしていて夫が幸せになれないのなら私がいなくなったら夫は幸せで いられるのだと・・・ 生前大事にしてもらい幸せと感じる毎日だった人を不幸にしたくありません 夢であいたいですが、私が涙しているから夫が夢にでないとも言われました 色んな事が次々に言われる事がとても辛く生きているのが辛いです 亡くなったら無になるので何を思っても無駄とも言われました 泣くのも「こんなに思っていてくれているんだ」と思ってそれも供養に なるかもしれないと言われたりもしますが・・・ 納骨堂へ行き夫に夢であいたいと言ったりもしますがあえません 夫は亡くなるまえに再婚したくなったらしてもいいけどお金にだらしない人とだけは再婚しないようにねと言ってました 私の夫は亡くなった夫だけですので再婚は全く考えておりません とにかく夢であいたい気持ちでいっぱいです 毎回同じような投稿で申し訳ありませんがお願いします

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亡くなった方の気持ちが分かる方へ

供養をするということに関して、突き放してしまうイメージがあり、いずれ行う気があっても出来ずにいました。 お供えやお線香、合掌、話しかけは自己満足になりますが丁寧に行っています。 帰りたくない、と拒否していることはありえますか? (以前手持ちのスマホにて七七日の記録が付けられないことがありました。何度行っても瞬時に消え、留まっていたいのかなとその時は感じました。) また、夢で辛い事を頻繁に体験するようになりました。子どもに関係するものです。(子どもを亡くしました。) 純粋に、共感してほしいと教えてくれているようにように感じます。子どもの苦しみは、どうしたら消えるのでしょうか。 お坊さんにもお頼みすることと思いますが、お坊さんにお頼みしたらそれで最後という気がして それ以前にわたしが取り除いてあげられればと思っています。 出来ることがありましたら教えて下さい。 それから、納骨に関しまして お寺さんにお預けするか、家で保管するか(この場合いずれは御先祖様のお墓に納めようと思っていますが先々の話となってしまいます) どちらが良いと思われますでしょうか。 子どもが一番望む形をとりたいのですが、無知なもので一緒にお考え頂きたいです。 どうか子どもだけでも愛情を知った無垢の魂として暖かく光っていてほしいと、そう願っています。

有り難し有り難し 16
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不安定な気持ち

娘が自ら命を絶ってもうすぐ3ヶ月になります。 少しずつ自分を責めることや、泣き続ける日々を脱してきて楽しかった事を思い出すことが出来るようになってきました。 娘の四十九日の翌日、自分の身体のことで入院し数日後、大手術を受けました。 当初は私だけが助かろうとしていることに申し訳ない気持ちで、いっぱいで病室のベッドで泣いてばかりいました。 無事、手術も終わり退院して自宅に帰って来たとき娘に、いつか必ずそっちに行くから。 そして必ず探しだしてみせるから、もう少しだけ生きることを許してね。と手を合わせました。 ですが、最近になり まだ夢にも出てきてくれない娘に逢いたい気持ちが大きくなり、亡くなったら何処にいくのか、寒くないのか、寂しくないのかなどを考えるようになってしまい、娘が亡くなったであろう時間帯に目が覚めたり、生前よく聴いていた音楽が聴こえてくると涙が出てきたり。 なんだか、また悲しんで泣いてばかりいた自分に戻ってしまっている気がします。 亡くなった娘の妹にあたる次女も、まだ不安定なのか 「ねえねが夢に出てきて、私の手を引っ張ってお仏壇の部屋に連れていこうとする!側にいるママにいくら叫んでも気付いてくれなかった!」など、似たような夢を何度も見ては泣きながら夜中、私を起こしてきたりします。 まだ日が浅いため、仕方のないことなんでしょうが、しっかりしないといけないと思う傍ら弱い自分が情けなくなってしまいます。 納骨はしていません。 離れたくなくて少しでも側にという気持ちから、今もお仏壇の側に長女はいます。 私は良いのですが、次女の事を考えると、納骨した方が少しでも気持ちのムラが無くなったり次女が落ち着いたりするのでしょうか。

有り難し有り難し 32
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今更ながら水子供養をしてあげたい

子供達が産まれる前、初めての妊娠をした時に、産んであげられなかった子供が居ます。 お腹に居た時、本当に嬉しくて幸せで楽しみでした。 しかし、現在の主人の両親に強く反対され、結局殺してしまったのです。 決断をしてしまったのは私ですが、その時『どんなに歳を取り、認知症になったとしても、この子を殺してしまう事は決して忘れない、私もあなた(主人)の家族も私は一生この事については怨んで生きて行く。』と言った事を今でもはっきりと覚えています。 12年過ぎ、子供にも恵まれましたが、どうしてもその時の子供が不憫でなりません。 子供達の姿を見れば見る程、『産んで居たら…』と何処か思ってしまいます。 せめて戒名と小さな仏壇を誂えてあげたいのです。 しかし、私の嫁ぎ先に相談してみたら『そんな事しなくていい。』と一蹴され、主人も心で思っているなら良いじゃん。 と言われました。 私1人だけの判断で、子供の戒名と仏壇を揃えてあげる事は可能でしょうか? 私の最期の望みは、もし、その時の水子が 河辺に居て、あの世に行けないのであれば、私が代わりそこに残ってでも成仏して欲しいのです。 もう一人、確かに居た子を死ぬまで忘れたく無いのです。

有り難し有り難し 40
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検体になる(2)

前回「検体になる」で、臓器移植の話になり、お答えが、賛成派と反対派に割れました。お勧め頂いた本を読んでから、改めて、私の意見、意思をお伝えするということで、しばらくお時間頂くことに致しましたが…。 ところで、その前に、ちょっとお聞かせ願えますでしょうか。大谷派は「臓器移植反対」の立場にある、というのは分かりました。「臓器」を「移植」することに反対なのですね、では、「献血」や「輸血」は、仏教的にはいかがなのでしょうか?「輸血」は「移植の簡単バージョン」のようなものです。「輸血」も生きている人間からのご厚意で頂くようなもので、「輸血」させてもらえなければ、亡くなる可能性もあります。宗教的な理由で「輸血を拒否」する患者様もおられます。その場合は、「輸血」が必要になった際にどのような処置をとるのか、話し合い&説明する必要があるのですが、そのことを『エホバの証人』という名で資料ファイルしています。仏教の世界で、臓器移植に賛成、反対の意見があるのならば、中には「輸血拒否」を望む方もいらっしゃるのでしょうか?前もって手術等に備えて、自分の輸血用血液を採血しておく『自己血採血』という方法を選択することも出来ますが、緊急時には、他人の血液を「輸血」するしか方法がない場合もあります。もしも、「輸血を拒否」する方がおられるのでしたら、どうなさるのかなと…。それに、「献血」は生きている皆様のご厚意で成り立っていますが、その「献血」自体、若者の減少、高齢者の増加で危機的状況にあります。さらに言うと、特種な血液型の場合は、血液センターに登録され、自由に!ではなく、その血液型の血液を採血させて頂きたく為に、必要な時に呼ばれて「献血」となる人々もいます。ややこしい話になりますが、その辺りを踏まえた上で、ご説明頂ければと思い、再度、質問させて頂きたくことに致しました。お返事お待ちしております。

有り難し有り難し 92
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