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hasunoha 問答検索結果 : 「 お経 好き」
検索結果: 522件
2024/01/05

上司に自分の意見を述べて後悔しています

初めまして。看護師をしています、女です。 今の病院に来てからはまだ数ヶ月しか経っていません。 先日、医者や看護師(看護部長や師長などの上の方々)、放射線技師や臨床工学技士などの様々な職種が集まるカンファレンスがありました。議題としては数年前に医療事故があったそうで数名亡くなっている。その事故の原因となった治療を再開させて良いかという内容でした。 今回議題に上がっていた分野は、前職で最前線の病院で働いていたので助けられなかった命を何度もみてきており、それが続いたことで自分の精神的負担が増えて数ヶ月ほど現場から離れたこともあります。 今の病院では設備が整っていないこと、知識や経験不足があるから再開をするのは不安である、もう少しシュミレーションなどをしたいと上の医者たちに意見をしてしまいました。 命に関わることなのでつい熱く語ってしまい、その場ではなるべく言葉を選んで発言したつもりなのですが、家に帰ってから「なんであんな出しゃばってしまったんだろう。たまたま時間が空いていたから師長さんについて行っただけなのになんで黙っていなかったんだろう。新参者が上の人たちに意見をしてウザかっただろうなあ。私なんでいつもこう意見を言ってしまうんだろう。誰か傷ついてたらどうしよう。私のやったことは正しかったのかな」とずっと頭の中でぐるぐるし後悔しています。 昔と比べて、発言する前に本当に言っていいのか深呼吸するようには心がけていますが、いまだにこのように言葉が出てきてしまい意見を言わないと気がすまなくなり本当に嫌になってしまいます。 取り消せない言葉の後悔の対応、上の方に意見してしまった傲慢な私へ何かご意見をいただけると嬉しいです。

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 仏様は… あまりにもショーもない質問なのですが

 ハスノハ書籍本をリビングに置いてます。子ども達と何気ない会話の中でハスノハの本を見ながら自分だったらどんな質問するかな?こんな下世話な事をワザワザ質問してもいいのかなぁ?と呟いてる子どもがいて 「仏様ってB型っぽいね」…すみません。あまりにもショーもない子どもの質問に お坊さまなら、なんと回答してくださるかなと思ってしまいました。大学受験を控え、日本史や倫理の教科書を毎夜✏一所懸命と励んでるのだから、たまには柔らかい?こんな質問にも付き合ってあげようと「AB型っぽくない?」とだけ答えておきました。日本人は血液型に拘りすぎてると言われるけどタイプ的に括りは、なんとなくアルアル血液型…と思う場面もありそういえば、あたしが通っている坐禅の仲間はO型がやたらに多いんですお坊さまはお話しする方3人とも…B型なのです。 たまたまなのですが、、、最後に子どもが仏様は血より濃い違うものが身体に流れてるんじゃない?…と あまりにショーもない質問となりました。こんなですが仏教系大学を一般入試する子どもに幸あれ!です (/-\*) ハスノハで親子の会話を楽しみつつもっと深く話せるようでありたいなとなりました。 質問者:男性18歳…呟き

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両親の悪い面を受け入れられない

はじめまして!両親に対する自分の負の感情について悩んでいます。 大好きが大前提にありますが、悪いところばかりが目立ち、嫌になることが最近多いです。 母は、普段は人当たりがよく明るい性格ですが、身内に対して、敵対心が強いです。特に父に対しては、お酒を飲んでいる際にスイッチが入ってしまうと、泣きながら、父からモラハラを受け続けているというような事を言い続けます。こうなると、酔いもあり、何を言ってもダメです。ちなみに内容は、『過去に』父が言った言葉についてです。 酔いながら泣く母が何を望んでいるのかが分からず、いつも適当にあいずちを打って、寝かしつけます。(この状態で父に会うと、永遠と終わらない激しい喧嘩になるからです) 母はこうやって聞いてもらえるだけで良いと言いますが、私自身が、変えることができない昔の話を繰り返し聴くことが、正直辛いです。 かと思いきや、次の日はやたら父に尽くすような行動をし、またそれに対しての見返りがないことを怒ります。心優しく大好きな母ですが、とても見栄っ張りで、すぐに他人と比較し、過去の話ばかりする所は良くないと思います。 また父に関しては、優しいが(甘いの表現が正しいかもしれません)、非常に頑固で、気に触ることを言うと直ぐに怒ります。母に対し、労う言葉や姿勢などを見せて欲しいと言うと、母が悪いんだとキレ出します。 一家の大黒柱として働く父を尊敬していますが、頑固な面や、嫌なものから逃げる所等が目につき、父に対し常に腹を立てています。母とは普段良く話をしますが、父とは最低限です。 わたしは、自分は幸せな家庭に育ったと思います。これは昔から変わらない考えです。父母も人間で、良い面もあれば悪い面があるんだ、と割り切れない自分をどうしたらいいのか、悩んでいます。 また、自分も同じように父母の悪い面を受け継いで、将来同じような事になるんじゃないかと、不安です。 贅沢な悩みなんだろうと思いながら、ずっと悩んでいた事を質問させていただきました。長文で失礼いたしました。

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怒られること、叱られることが怖くてしょうがないです。

ご質問させていただきます。 昔から、両親から褒められず、叱られて(怒られて)ばかりで育ちました。 そのためか、誰かから叱られたり、怒られたりすることが怖くてしょうがないです。 物事を誘って、断られるのも怖いです。 例えば、誰かを「今度食事に行きましょう」と誘ったとします。 当然、仕事が立て込んでいたり、他の用事が入っていたとしたら断る、という選択肢はあるはずです。 これが頭で理解していることだとしたら、心で思うことは、こんなことです。 つまり、「私が嫌いだからそういうことを言うんだな」と自動的に思ってしまいます。 怒られる、叱られる場合もそうです。 そういうときには、「私の行動や私によって引き起こされている状況をとがめている」が正しい認識であるはずなのに、「私という人間そのものが否定されている」と思ってしまいます。 ここに書き込む前に、自分なりに状況を消化してみました。 おそらく、自分が大嫌いで、自己評価が恐ろしく低いことと関係はしているのでしょう。 (私は心理学の専門家ではないので確かなことは言えませんが。) 「自分は受け入れてもらえるような存在ではない、否定されて当たり前なんだ」と思ってしまっているからこんな状況が引き起こされているんだと思います。 よく、こういう人に対して、「ありのままでいていいよ」という言い方がされると思います。 「ありのままでいる」ってどういうことですか? なんとなく同じような事ばかり質問して申し訳ありません。 ただ、私という人間の根源にある問題が同じである以上、同じようなトーンの質問になってしまうのは仕方ない、とは思っています。

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日本仏教とは何なのか?

 初めてこちらで質問させていただきます。よろしくお願いします。  私は現在、大学院で社会学を専攻しているのですが、同時に仏教に対しても強い関心を持っております。今後の人生は仏道を中心に据えて歩んでいきたいと思っております。  現代の日本の政情を私なりに研究した結果、日本の将来には期待できるものがほとんどないという結論に至りました。日本の政治・経済・文化における凋落は民主主義・資本主義体制が崩壊するまで続くだろうと予測しております。  この現状を踏まえて、私が歩むべき道は仏道以外に見出せないと思いました。しかし、日本仏教を信仰するにはいくつかの問題点があるとも感じております。  まず、第一に宗派があまりにも多くどの宗派を信仰して良いか分かりません。様々な宗派の本を読んでは見ましたが、どの教えにも深く納得することができず、悩み続けている状況です。(最近では、禅とテーラワーダ仏教の教えに惹かれております。)  第二に、日本仏教はもはやその求心力を失ってしまっているのではないかという問題です。鎌倉時代など、社会状況が大きく変化した時代には仏教は多大な求心力を持っていましたが、現代では賞味期限が切れた宗派もいくつか存在していると思うのです。(例えば、私の家の宗旨は浄土真宗ですが、個人的には信仰することに困難を覚えます。もちろん、歎異抄などの著作には深い感動を覚えます。)それが、さまざまな新興宗教を生み出す原因になっていると思うのです。  これらの点を踏まえて、私は禅かテーラワーダの教えを学んでいきたいと考えているのですが、同時に躊躇もあります。その教えに賭けて救われなかった時のことが怖いのです。ここに非常な葛藤があります。  結局、私がお尋ねしたいのは「私はどう生きるべきか?どの宗派を信仰すればよいか?」ということです。何かアドバイスがありましたら、どうかご回答下さい。よろしくお願いします。

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極楽について

以前テレビで島田紳助さんが以下のように述べていました。(ブログからの抜粋です) 「仏教っていうのはね、自分のための拝む人へのもの。 両手を合わせた瞬間に、自分の心の中が穏やかになる。 そこに極楽が生まれんねん。例えば、あーもうムカつくわ、競馬まけた博打負けたから墓参り行こうって思う人はいないのよ。心が乱れてるから墓参り行こうとは思わない。ある日、ふとあ、長いこと行ってないな。お墓参り行こうか。と思う。その、お墓参り行こうか、と思った時、自分の心が穏やかになる。その瞬間、心に極楽が生まれんねん。だから、お墓参りの行為自体よりも、行こうと思った時の穏やかな心、それが大事なの。仏壇だってね、仏様が中にいるけど、あれは職人さんか誰かが木かなんかを彫ったものだよ。所詮。もしあれがほんとに仏様なんだったら、供えてある花も、仏様の方を向けて供えなくちゃいけない。でも実際はそうなっていないでしょ。向こうからしたら、花の裏、葉っぱの裏しか見えないよ。拝む人に向かって、拝む人の心に向かって供えてあるから。だから仏教っていうのは、心の中、拝む人の心の中に極楽があり、仏があるという教え。」 私はこのような考えに感銘を受けました。実際、極楽というにはこのようなものなのでしょうか?お坊さんたちの意見が聞きたいです。

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