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hasunoha 問答検索結果 : 「お坊さん 悟り 」
検索結果: 655件
2025/07/09回答受付中

ご先祖様のお墓を守るべきかわかりません

相談できる方が思い当たらず、ここに参りました。私は、40代の主婦です。現在、父が祭祀を継承しており、その後は、私が祭祀を継承していく予定でおります。ですが、今、親族間で揉め事が絶えず、悩んでおります。私の両親が結婚してから、同居していた祖父母とは折り合いが悪く、何かと揉めてきたそうです。その揉め事には、必ず、父の妹2人が口を出し、私の両親が全て悪いのだと、いつも責められていたようです。それでも、祖父母の晩年は、私の両親を頼る場面も見られたため安堵していたのですが、祖父母が亡くなると、父の妹たちから、父と母、私を含む姉妹を責め立てるような内容証明が毎週のように届くようになりました。「祖父母からの言葉/意地悪な長男夫婦、特に嫁には、墓も仏壇もやらない。守ってほしくもない。」など、見返すことが辛い文面が延々と記載されています。私の記憶の中に、こんな祖父母はおりません。確かに、私の母とトラブルはありましたが、みんなで笑って話すことだってたくさんありました。こんなに恨みに思うなら、祖父が亡くなった時に、お墓と仏壇を父に譲らない選択肢を考えてほしかったです。祖母の葬儀一切さえ、全てを父に任せ、今になって過去の恨み言を伝えられても、私たちには、どうしようもありません。過去に戻れるわけもなく、祖父母と分かりあえるまで話すこともできず、祖父母の生前にそんな機会が与えられたとしても、父の妹達が必ず同席していたはずです。最近届いた内容証明には、「意地悪な長男と嫁には、実家の敷地への立ち入りを禁じます。そして、縁を切ります。」と書かれていました。祖父母の恨み言、父の妹たちからの恨み言、縁を切る…それでも、お墓は守らなければいけませんか?私自身、何度も考えました。仏様になった祖父母には、現世のしがらみなく、平穏に過ごしてほしい。なんの心配もなく成仏なさり、ご先祖さまたちと安らかに過ごしてほしい。仏様になられた今は、私の心、私の両親の心、全てご覧になり、きっと守ってくださるはず。そう思ってはおりますが、生前、心から恨んでいた子孫が墓守になることが、ご先祖さまの供養になるのでしょうか。私が継承する意義が見出だせずにおります。嫁姑、兄弟、どんな間柄であっても、トラブルが起こる理由は両者にあると思っています。どちらにも思いやりが足りなかったはずです。もう、全てに疲れてしまいました。

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仏様っている?

以前、何度か質問させていただきました。 私は信仰心が強く、仏様を信じています。 でも、祈って病気が治るならみんな死なない と言うようなご回答をいただきました。 ごもっともだと思い、見返りを求めていた 自分を反省しました!そして私は心配性です。 別の質問をしたとき、仏様を信じているから このままではいけないと、仏様がハスノハへ 導いてくださったのです。とご回答を いただきました。携帯を変えたので質問が 残っているかは確認してません。 このハスノハでたくさんのことを勉強 させていただきましたが、結局物事は なるようにしてなり、起こるべくして起こり、 現実をどう受け止めるか。なのかなと。 仏様を信仰しているのはただ人が仏様を 信仰することでいいことをした気分になり 救われるような気がするからで、 その後いいことや悪いことが怒っても 仏様の力でもなんでもなく、ただ起こるべく して起こっただけなのかなと思うようになりました。私は祖母に小さい時から仏様に 手を合わせなさい、朝起きたら朝日に向かって 手を合わせ世の中の人の平和を祈りなさい、 そうすると心が穏やかになるんよと 言われて、できるときはそうしてきました。 小学生でひいおばあちゃんが亡くなり、 ショックで落ち込んでいると般若心経を 覚えなさいと言われ、毎日写経しました。 何年か経ち、私が祖母の部屋でなんとなく 写経していると、もう1人のひいおばあちゃんが 亡くなったと連絡がきました。 私が写経している間に眠るように亡くなった そうで、祖母が、ひ孫のお経で逝ったんやね と言っていました。他にも亡くなった人や 仏様との結びつきを強く感じることが 小さいころからたくさんありました。 その度に私は感謝し、手を合わせました。 つらいことが怒っても仏様なんかいない! とは思ったことはなく、どう乗り越えるか 私が強くなるための試練を与えて下さってる と信じて超えてきました。 でもハスノハで仏教のことを いろいろ教えていただきましたが、 現実を見せられた気持ちになりました。 仏様なんか!とかではありません。 私が信じてきた仏様はいないのですか? 人が勝手に仏様と結びつけているだけで。 そう思うと、手を合わせる意味がわからなくなってしまいました。仏様なんか!とかそうではなく、純粋に混乱しています笑 複数ご回答いただけると嬉しいです!

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僕に浄土宗檀信徒たる資格があるでしょうか

浄土宗を信仰していますが、先日ショックな文献に出会ってしまいました。 二祖・聖光房弁長上人の念仏名義集に 「臨終行儀と申すは一期の大事是に過たる無きたり。世の中の人の往生したるぞ、悪道に堕たるぞと申す事は、此の臨終にて知るなり。臨終の吉き人は往生したると知る、臨終の悪しきをば悪道に落ちたりと知るなり。」 とあります。 これはどうしても納得できません。日頃念仏をしているのにろくでもない死に方をした人が一人でもいたら、「念仏すれば阿弥陀仏は救ってくださる」という教えが崩れてしまいますし、現実的にそういう人が今までに一人もいないとは思えません。 念仏していたって死ぬ時に正念を保てるとは限らないし、保てていたとしてもこの目に来迎を見ることができるかはさらに自信がありません。来迎を見れなければ浄土に往けないと思うと、物凄い恐怖の中、死んでいかなければならないのではないでしょうか。 弁長さんなんでこんな暴言吐いちゃったの!?って気持ちです。 そんな疑問を抱えたまま時宗を勉強していたら、時宗では臨終とは死ぬ時だけを指すのではなく一瞬一瞬を臨終と心得、今この時に唱える平生の念仏がすなわち臨終の念仏である。 来迎が見えなくても三界虚妄のこと、惑障が邪魔をして見えないことだってあるが気にしなくていい。必ず往生できる。という教えに出会い、これだ!と思いました。 じゃあ時宗に改宗したらいいじゃんと言われそうですが、この弁長さんの発言以外は浄土宗が好きで、敬愛する徳川家康公と同じ宗派ということに魅力を感じています。時宗総本山清浄光寺より知恩院の方がずっと近くて行きやすいですし、何より近くに時宗の寺院がありません。 そこで、浄土宗檀信徒のまま、都合のいい所だけ弁長上人の言うことを無視して一遍上人の思想を取り入れるということをしてもいいでしょうか? それでも浄土宗檀信徒を名乗る資格があるでしょうか?

有り難し有り難し 67
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友達の死から1年経っても苦しいままです

1年前、高校3年生のとき友達が亡くなりました。原因は、わかりません。それが関係して、1年経っても苦しくて、どのくらいこの状況が続くのか、どうすべきか教えていただきたいです。 友達の死を聞いたときに私よりも仲が良かった人がすごく辛そうにして、私に色々相談をしてくるので、全力で彼女の欲しい言葉を探して答えていました。 彼女を見てるとどうしても私よりも苦しんでいると思って、彼女の為にできることをしようと思いました。 ただ、通学路で亡くなった友達の家を通る度に、その友達からの手紙やプレゼント、写真を見る度にどうしようもなく悲しくなって、学校の先生に相談しました。 そのとき、先生は一緒に泣いてくれました。 しかし、「あなたは教師になりたいんだよね?教え子を亡くさずに教師人生を終えることはとても幸せなことで、教師は感情労働だから我慢しなきゃいけないことが沢山ある」と言われました。 冷たい気がしましたが、私の中では確かにそうだと思いました。 自分の中で完結したと思ってましたが、夜になると亡くなったと聞いたときの場面や楽しかった場面を思い出して寝られなくなったりもしています。 何度も誰かに相談したいと思っても、実際相談して何か変わるのか、もし相談したとして、相手に重荷を背負わせてしまうのではないか、これを話したとして今後、その相手との関係が変わってしまうのではと、様々に考えて自分の中で解決することが最善だという結論に至りました。 その友達が亡くなってから1年が経ちました。 それでも悲しくなったり、寝れなくなったり、死について敏感になってたりと、1年前から自分の中では何も変わってないと感じています。 他の友達といるときは心から楽しいと思えるし、笑うこともできます。ただ、暗いところに1人でいると考え込んでしまいます。 一年経っても変わらないことから、これからずっと悩んでいくのか、死がまとわりついているのか、不安になって、相談させていただきました。 長文失礼いたしました。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 37
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宗派にこだわるべきでしょうか?

お世話になります。 先月父が亡くなりました。 父の実家は真言宗のお寺の檀家ですが、父は長男ではなくまた飛行機の距離に住んでおり、お寺との関わりはほとんどありません。 そのため今の住まいの周辺でお墓を探すことになりました。 母と姉と姉家族、そして私で近所の民間霊園と寺院霊園(浄土宗)の見学に行きました。 私たちは寺院霊園の印象が良く、そちらに決めようとしました。 しかし管理寺院の住職の方に「焦らなくても良い」と熟慮することを薦められ、契約には至っておりません。 そんな中母がやはり今後の法要のことを考えて、真言宗ではない寺院霊園は止めるべきでは、と悩み始めました。 ちなみに母の実家は浄土真宗の檀家だったため、あまり熱心ではありませんが「南無阿弥陀仏」が落ち着くと言っております。 寺院霊園は宗派は問わない、檀家になる必要はない、但し寺院で法要等を行う場合は他宗派では行わない、とのことでした。 このような状況ですので私としては寺院霊園が良いと思っているのですが、母の気持ちを考えると押し切るのは良くないと思います。 ただ生前の父はお経を唱えることもなくまた初詣やお祭りくらいにしかお寺に足を運ばなかったため、信仰や宗派にこだわっているようには見えませんでした。(一度尋ねたことがありますが、こだわっていないとの回答でした。) そのため真言宗にこだわって民間霊園にしようという母の意向に従えない思いもあります。 真言宗にこだわるべきか? 気にしなくても良いのか? 出来れば心の持ち方の御指南をいただきたくお願いいたします。

有り難し有り難し 68
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般若心経の「無無明・亦無無明尽・・・」の部分について

こんにちは。 前回質問から、般若心経の「無無明・亦無無明尽・無老死・亦無老死尽」 の部分が、やはり気になってしまってるので質問させて頂きます。 この部分は十二縁起についての言及との事ですが、 十二縁起を乱暴ながら私なりに要約すると 根源的な無知(無明)→生存本能と外界知覚(行・識・名色・六処)→本能と分かち難く生じる煩悩(触・受・愛・取)→本能と煩悩で成り立つ生存(有)→生存する主体として「私」という想念が生じる(生)→「私」はいずれ死ぬ(老死) と、言う事でしょうか。 私の考えでは、この部分について般若心経は 「どんなに達観しても十二縁起の因果関係は断ち切り難い」 (「無」無明尽・「無」老死尽→否定としての「無」) けれども 「物事をありのままに見れば(空相にて照見すれば) 全てが、かけがえのない真実と分かる」 (「無」無明・「無」老死→空相、全体性としての「無」) と「無」と言う言葉が違った使われ方をしているように 思うのですが如何でしょうか? 字面通りに読めば「Aは無いけど、Aは尽き無い」と言う二律背反になり、 これでは意味の全く通らないナンセンス文章です。 この部分、般若心経を読む誰もが最初に「あれ?」と思う所ですが、 腑に落ちる説明をしている本がありません。(偉そうに言える程、 本は読んでないですが) 中には「十二縁起なんて形式にこだわるのは小乗仏教だ。 般若心経は大乗仏教だからそんなものに拘らない」 とバッサリ斬っている書籍もあります。 そんな単純なものでもないと思うのですが・・・ 解釈は色々あるかもしれませんが、お考えをお教え頂ければ幸いです。 何だかマニアックな質問になってしまいすいません。

有り難し有り難し 89
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無常に気付き忘れないためには出家しかないのでしょうか

回転寿司が大好きで毎週のように回転ずしを食べています。 左上のhasunohaのロゴがホッキ貝と緑の割れたスシ皿に見えてしまいます。 それは置いてといて、お寿司を食べているときに、こんなにお寿司が好きなのに何か月前から通っているのか忘れてしまいました。 その時の初めて食べたネタのおいしさや歯ごたえの感動も忘れてしまいました。 そして、苦しみの方はどうかと思い、(中途半端に過去の)5年6か月と3日前の苦しみを思い出そうとしましたが思い出せませんでした。 (中途半端に昔の)5年6か月と3日前に私は何かをしていて何かの感情があり何か悩みや苦しみ、もしくは楽しみがあった、でも思い出せないのです。 つまり記憶も感情も行動もまた移り行くものだから忘れてしまう。記憶や感情といえど常なるものは無し。 これも諸行無常で苦を滅する方法は、『無常に気付き、常に自分も無常であると忘れないようにする』ことであると、そこら辺は、↓にも最終的には同じ意味で書いた通りです。 https://hasunoha.jp/questions/19539 https://hasunoha.jp/questions/19556 https://hasunoha.jp/questions/19587 しかし、どんなに気を付けていても自分(や愛しいもの)も無常の中にいるという事を忘れてしまう事があり、またも過去と同じようなことで悩み苦しむ事がたまにあります。 このまま人生を歩んで行っても、全く苦が無い生活を行うことは難しいです。 こうなってくると、テーラワーダか禅宗に出家して苦を滅するための八正道を人生のすべてとして生きていくしかないような気がしてきました。 アジアの上座部仏教国だと、サードゥ(善き哉)サードゥ(善き哉)サードゥ(善き哉)なんて言われて出家できますが、ここは日本で日本での生活があります。それを捨ててまでの出家だと親が泣くかなと思うのですが、在家のまま苦を滅する方法はありますか? または苦を滅したいからという理由で出家された方いますか?

有り難し有り難し 44
回答数回答 3
2025/04/20

座禅に関しての悩み

こんにちは。 半年前から趣味として座禅を朝晩40分ずつやっています。 最近はお寺さんでも座禅をするのですが、悩みがありご相談させて頂きました。 1.座禅中に時間を気にしてしまう自分がいる事。 半跏趺坐で両足の痺れが出るのが開始後30-35分ほどなのですが、ここ最近は上手く座れてないのか、2個目の質問である足を組み直すのと並行して時間を気にする自分がいます。その時の感情面が、足が限界、まだもうちょっと大丈夫、あと何分やろ?できれば足を組み直さないで一炷終わらせたい、いつになったら慣れるんやろ。 2. 50分間の座禅中に足を組み直さないと両膝、左肩が痛くて仕方ないのですが、我慢してたら慣れるものなのか。共に座禅をしている方達は静かに座れているのに何故自分だけは我慢できないのかと自己嫌悪してしまいます。 3. 趣味として座禅を行っていた時は苦痛だとは思わなかったが、一つの修行だと考え座禅を行うようになってからは苦行、座禅が嫌いとまでは言わないが辛いと思ってしまうようになった。心の持ち様or考え方で変わるのだろうと思うが、何が正しいのか分からない雁字搦めの状態になっています。 座禅というものを真面目に捉えてちゃんとやらないとと思ってるから苦痛と思うのか、もっと気楽に座ればいいのか、考え方やコツなどありましたら教えて頂きたいです。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 28
回答数回答 3