法華経譬喩品第三の善人と悪人
浄土宗の勤行をしています。
法華経は すべての人が成仏するとあるのに なぜ 説く相手を 悪人には説いてはいけない 善人に説きなさい としているのか と思いました。
法華経は 一切成仏を説く経だから 誰でも差別なく悪人も善人も救われると 説かれているのかと思っていたのに と 愕然としたことがあります。
そのうえ 法華経を謗ったり 捨てたりすると 口や体が 臭くなったり 病気になったり 障害をもつことになったり と 書かれているし
そういう人を救わなくては 仏国土にならないと 阿弥陀様の救いに 法然さんは 道を見いだしたのか と 思いました。
日蓮聖人が 法華経にそって 法然さんを 悪僧としたのは 残念です。
他のお坊さんたちも 目の前の人を救いながら 日本を仏国土にしようと 布教されていたのに
題目も 念仏も 一緒だ
という人は 嘘だと 思います。
悪い人でなく 善い人の項目の人になるようにするたって 難しいし
そうでない人のほうが 多いし
難しいから 念仏して救われる道を歩めるようにしなさい ということかな と 思いました。
また そうならないように そこからでれるように 題目を唱え 救われる道をいきなさい
とも いえるのか
とも 思いました。
また 行ったり来たり です。
とにかく がんばります
有り難し 17
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