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検索結果: 119件
2022/07/01

お世話になった人が亡くなった時

高校2年生の女子です。                     先日、私の習い事の先生が突然亡くなったと知りました。私はその習い事を8年続けており、その先生とも親しかったです。先生とは、1週間前に話したのが最期になってしまいました。その時はいつも通り元気だったのに…もうあと少しで、その習い事の発表会があったはずなのに…先生と一緒に本番が迎えられるはずだったのに…たくさんお世話になったのに、何も感謝を伝えられないまま逝ってしまった…… そう考えるととても悲しくて感情の整理ができません。                     私はここ10年ほど、周りの人を亡くした経験がなく、ひい祖母が亡くなった時もまだ幼かったため、ただ漠然と、「もう二度と会えないのか」と思った程度でした。しかし、冷たくなったひい祖母を触った時、生きている人間とは違う冷たさに驚き恐怖を感じたことは鮮明に覚えています。 久しぶりに人の死と向き合い、本当に突然で、とても混乱しています。                     数日後にお通夜に参加する予定なのですが、自分がどんな感情を持つのかが怖いです。先述した通り、とても悲しく、寂しく、先生への思いも沢山あります。それなのに、何となく、その先生が亡くなられたことを冷静に見つめている自分がいて、自分は薄情なのかと思ってしまいます。泣きたいのに何故か涙が出なくて、悲しいはずなのにどこか冷静に考えている自分がいて、相反する感情がグルグル回ってます。 私はどうすれば良いのでしょうか。                     長文乱文失礼しました。 何かご意見を頂けると幸いです。

有り難し有り難し 20
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皆さんの考える最期の迎え方とは

昨年の秋頃に、NHKのドキュメンタリー『ありのままの最期 末期がんの“看取り医師”死までの450日』が放送されました。医師で僧侶の田中雅博さんが、末期がんとなり亡くなるまでを記録した番組です。 田中さんは「死ぬのは怖くない。看取った患者から死に方を学んだ。」と語っておられました。 とはいえ、現実には思い通りにはいかないこともあり、言葉を失うくらい壮絶な内容でした。 私にも一応、理想の最期のイメージはありました。誰でもいつかは死ぬのだからじたばたしても仕方ない、自分らしく生き、寿命が来たらそれはそれで受け入れるだけだなと。 でも、実際にそれを間近に感じた時には不安だらけ。じたばたしまくり。私はこんなに弱かったのかと愕然としました。 この時は単なる体調不良でしたが、現実は自分が死ぬなんてそんなに簡単に割りきれるものではないことを経験し、分からなくなりました。 「死に行く者の死に方から学べ」と田中さんはおっしゃったそうです。 “人の生き死には思い通りにはいかない。それでも、なるべく冷静に過ごすにはどうすればいいだろう” 今度は慌ててしまわないようにと、以来ずっと考えていますがまだ答えが出ていません。 お坊さんはたくさんの方の最期に向かい合っておられるので、ご自身に関しても既にイメージがあるのではないかと思います。 例えば病気で余命宣告されたとしたら、暫くの間は痛みや不安など心身の変化に耐えることになりますよね。 今回お尋ねしたいのは「最期の、耐えて待つ生き方」です。どのような心境で、どのように過ごしながらその時を迎えようと思いますか? お坊さんとして、でもいいですし、一個人としての思いがあれば教えていただきたいです。参考にします。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 15
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生きることが辛いです。

初めまして。 僕は中学生です。 両親の中は最悪と言っていいほどで、僕が10歳の時に離婚しました。 離婚はしたものの、僕のことを思ってか今も同居はしていますが、先程言った通り毎日喧嘩しています。 内容はいつもお金のことで、借金の話をしています。親にお金のことを聞いてもいつも誤魔化されます。 その喧嘩を聞くのがとても怖いし、辛いです。 そんな僕の話をいつも真剣に聞いてくれて、気にかけてくれていた、僕の唯一の心のよりどころだった担任の先生が先日亡くなりました。 自分の中ではもう死んでしまったんだと受け入れてるつもりでも、その先生のことを思い出す度に「もしかしたら」なんてことを考えてしまう僕自身がとても嫌です。 僕はこのまま1人で全て抱え込んで行かなければならないことや、先生と同じように僕の大切な人が亡くなることがこの先もあると考えると、 とても辛くて怖くて悲しくてどうしようもなくなって生きることが嫌になります。 誰に僕の心を預ければいいのかもう分からないです。 僕はどうすれば生きたいと思えるようになるのでしょうか 誰に心を預ければいいのでしょうか どうすれば先生の死を受け入れられるのでしょうか

有り難し有り難し 10
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死にたい原因

私は動物看護師をしていました。 小さい頃から動物はなんでも大好きで、彼らのためなら何でもしてあげたいと思ってこの職を目指しました。 でも実際勤めたら、人手が足りずにいつも多くの業務に追われ、先輩達はとても怖くていつも行動を見られている気がしてだんだんと心に余裕が無くなってきました。 そしてついに入院してる子達に対して「なんでこんなに苦労ばっかりかけるんだ」という気持ちまで湧いてきてしまいました。 そういう仕事だとは分かっていたのにです。一番苦しんでいるのはその子達とそのご家族なのに、自分が一番みじめで苦しい思いをしていると勘違いしてこんな酷い事を思うほど自分が非情で身勝手な人間だと知って絶望しました。 そんな中で四匹の子が亡くなりました。 一匹は熱中症の小鳥で、私はそうと知らずにセオリー通りに小鳥の籠に蒸しタオルをかけてしまい、それが原因で小鳥は一瞬で息を引き取りました。私が殺しました。 もう一匹は私が手術の麻酔管理についた小鳥で、術後は元気そうだったのに飼い主さんのお迎えを待たずいつの間にか亡くなっていました。なぜもっときちんと見てあげなかったのかと後悔しました。 もう一匹はウズラで、来院する前に電話をかけてきて私が電話応対したのですが情報の引き継ぎがうまくできていなかったようでした。後で先輩に私が必要な事を先生に伝えておかなかったからこうなったんだと言われました。 もう一匹は犬で、点滴チューブが首に絡まって亡くなってしまいました。昼休みから最初に上がった人が入院の子の世話と掃除などの雑務をすることになっていましたが、私は全員をきちんと診ていたら雑務も時間内に終わらない、先輩に怒られると思い軽く様子を見ただけで流してしまいました。きっと私が様子をみた頃にはすでに点滴チューブは首に絡まっていたと思います。私の保身と怠慢のためにこの子は死にました。 私は非情で自分勝手な人間です。動物を助けたいと思ったのに、最終的に彼らを憎みそして死なせてしまいました。これだけは弁解しますが殺意も悪意も全くなく、故意でもありませんでした。それでも彼らの死に関わったという事実は変わりません。 これからずっと似たような過ちを犯し続けるでしょう。これ以上誰かを不幸にする前に今死んでしまいたいのです。最期に我儘を言うなら、罪を清めて極楽に往生したいと思います。仏様は救ってくださるでしょうか。

有り難し有り難し 39
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2021/05/03

兄が自死したことについてです

5月2日に兄が自死しました。 何年間も連絡をとってなく、特別仲が良かったというのもないのですんなり自分の中で受け入れていたつもりですが、 死後の世界や自死だとどうなるのかが気になってしまい、ずっと調べてしまいます。 ただでさえ自死してしまうほど悩んで苦しんでいたのに、自死は地獄に堕ちるだの現世にとどまるだの救いのない事ばかりでてきて悔しいです。 もちろん、良いことではないですし親不孝者だというのもわかります。 ですが『生きていればいいことがある』『生きてさえいてくれればそれでいい』なんて綺麗事だと思ってしまいます。 兄の人生を歩むのは兄自身です。 その兄が一生懸命たたかって、考えて、悩んで苦しんでだした答えが自死なのに、そんなに間違っていることなんでしょうか? 自死してしまった人にこれ以上、苦しんで欲しくないと願ってしまうのは贅沢ですか? 話は変わってしまいますが、夜や鏡が怖くなってしまい、眠るのが難しくなってしまいました。 兄がみえてしまうんじゃないか、なにか心霊現象なるものが起きるんじゃないかと思ってしまいます。 きちんと心からお祈りして成仏してほしい気持ちと、兄が怖くて怖くてたまらない気持ちが入り交じってしまいます… 火葬場が空いていないため、お経も火葬もまだですが、兄はいまどういった状況にあるのでしょうか? 何が聞きたいのか、なにが言いたいのかまとまってなくてすみません。 とにかく、兄には成仏してもらい、楽になってほしいと願っていますが実際はどうなんでしょうか? また、なぜこんなにも怖いと思ってしまうのかなにかご存知であれば教えていただきたいです。

有り難し有り難し 18
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死ぬしか道は無いようです。

以前の回答から、働かない道を自分なりに色々と考えて母にも言いました。自分は、物事を人よりも作業が上手く出来ない事や求人のサイトを見ただけで手足が震えて冷や汗が浮かび腹痛が酷い事。でも、やはり「そうか。なら、働かなくて良いんだよ」なんて認めてくれる訳ではありません。「短期のバイトで慣らしていけば大丈夫」それさえも無理なんです。履歴書がビショビショになるくらい手汗をかくんです。「確かに、昔から作業は遅かったけどやり切れてたじゃない」それは、先生が手伝ってくれていたからで、社会には一人一人に先生が付きっ切りにはなれないんです。分かりきっていた事なのに辛いです。 さっきも、包丁を手に取り心臓に当てました。 けど、凄く怖かったんです。初めて死を身近に 感じて手が震えていました。働きたくもない、死にたくもない。今度は醤油でも一気に飲もうかと死の道しか考えられません。楽になれる道ってなんなのでしょうか? 分かってるんです。一歩踏み出して痛いのくらい我慢すれば自分で自分を終わらせられない事くらい。これを書き終えたらもう一度死のうと思います。上手くいくかは分かりませんが。

有り難し有り難し 4
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2021/08/30

生は諦め、死に意味を求め始めた。

中2女子です。 工夫した結果、時系列順にまとめた方が分かりやすいような気がするのでまとめます。 ・小3〜小学校卒業までいじめを受けていた。 ・小3の頃の担任の先生が怒りっぽく、問題児に対し怒っている時、「この問題児に注意ができないお前らにも生きる価値がない。友達じゃないのか」と毎日怒鳴られ続け、自己肯定感が著しく下がった。 ・小3の頃、口喧嘩は頻繁にするが仲の良かった祖母が原因不明の心肺停止で亡くなり、父に「お前が騒いでストレスを与えるからだ」と言われ、祖母を殺めてしまったかもしれない罪悪感を抱き、鬱傾向が出始めた。 ・祖母が亡くなってから〜小5まで、時間にルーズな親友にも腹が立つようになり、Twitterなど本人に見ることのできる場所で文句、悪口を書いてしまっていた。 結果、家庭環境での悩みも持っていた親友は病んでしまった。 ・何をするにも罪悪感を感じ、自分の健康に気を遣うことも悪いことなのではと思い始め、非常に不衛生だが、歯磨きを辞める。やってもうがいのみ。 当然のことだが上前歯4本虫歯になった。深く後悔。 ・小6の頃、初めて自傷をし、罪悪感を感じしばらくやめていたが、中1の頃に再発。左前腕に60近く、傷が残った。 ・中1の時、クラスメイトから避けられる、1人の男子からのセクハラを理由に保健室登校になる。朝からは行けず、午後から。 ・希死念慮のある親友が死んだら、私も一緒に死にたい。むしろ心中したい。 それくらい親友に依存してしまっている。 ・死を考えすぎて、死ぬのもそんなに怖いことではないのではと思い始めている。 ・心療内科に通わせてもらうことができ、発達障害かもしれないと言われ、検査を勧められる。 辛くても頑張って生きた結果がこれ、?と消えたくなる。 自業自得だということは分かっていますが、生きるのが辛いです。 これから起きる事柄のほとんどが怖いです。怒られるのも怖い。 死ぬことを考えるのには少し慣れたが、いざ死ぬとなったら怖い。 でも、高校進学できるかも分からず、このまま生きていたら家族、先生に更に迷惑をかけていくことは目に見えているので、皆のことを考えると死んだ方がいいのではないか、裕福ではない家の為に私が死んで保険金をおろしたほうがいいとのではないかと思ってしまいます。 生きる意味が分からなくなり、死に意味を求め始めています。 助けてください、

有り難し有り難し 19
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思考をやめたい、自分をやめたい

昔から、0か100かの考え方をするタイプだったように思います。 最近は、「生」か「死」について考えていないといられなくなり、苦しいです。 「死ぬのが怖い」と発作を起こすこともあります。でも、落ち着くと 「さっさと死にたい」と考えています。 自分が死ぬシチュエーションを何パターンも考えたり、 「もし今ここで死んでも大丈夫?-うん(orまだ嫌等)」自問自答を繰り返しています。 幼少期から死ぬことが怖くて仕方なかったです。発作を起こすこともしばしばありました。 大学在学中~大学卒業後、フリーターをしていたときに 自分の置かれた状況、無能さに嫌気がさして、死にたいと思うようになりました。 その後就職し、なんとかもちこたえていましたが、コロナのせいか、楽しみがなくなった途端に不安・恐怖におそわれるようになりました。 どうせ死ぬならいつ死んでも同じなのでは? 生きる意味も必要もないのにどうして皆生きていけるのだろう、 でも死ぬのがとてつもなく怖い…ぐるぐると考え、 考えることに疲れ果て、「今なら安らかに死ねそう」と思ってやっと眠りにつくことが多いです。 心療内科を受診したこともありますが、先生のスタイルもあってか、 睡眠薬の処方のみで、強制的に眠って体力は回復できましたが、 考え方が変わらないとずっとこのままだな、と感じています。 現在の生活に不自由は特になく、心だけが置いていかれているような気がします。 「死が怖くない」今のうちに死んでしまいたいです。また怖くなるターンが来ても苦しいので。 違うことを考えていたり、趣味を楽しんでいるときにもふと、 「どうせ死ぬのに何やってるの?」と現実に戻されるような問いかけが浮かんでしまいます。 思考に左右されるのにも疲れました。どうしたらいいのでしょう。 家族を遺すことに少し抵抗がありますが、でも皆死んじゃうからな…と思っています。 長文・駄文すみません。書き出してみれば何かわかるかも、と思いましたが、難しいですね。

有り難し有り難し 21
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起こるかもわからないことに怯える

北朝鮮情勢が緊迫し、アメリカが日本海に空母を送り込んだあたりから「自分は近いうち死んでしまうのではないか?」と思うようになってしまいました。 戦争に対する恐怖感は、ここで他の方の質問の回答を見てだいぶ無くなりましたが、(といっても北朝鮮に加え中国や韓国も怖いですが) 最近、調べ物をしてたら「死海文書によると2018年に人類滅亡」とか、今年とそれ以降の人類滅亡に関する予言とか、そういった予言の記事を偶然発見し見てしまい、最近はそっちの方に恐怖感を抱いています。 ノストラダムスの予言の後に生まれたので、ノストラダムスに関してはあまり知りませんが、2012年のマヤ文明の予言にはすごくビビっていた記憶があります。 そういった記事を見てしまったおかげで、頭の中で終末の時の感じとかを想像してしまったりして怯えたり、「今すぐ世界の終わりが来たらどうしよう」などといったことを四六時中考えてしまったりするようになって体調がさらに悪化し、この間主治医に相談して精神安定剤もまた飲み始めましたが、それでもこの胸の気持ち悪さは治りません。主治医の先生には環境が変わって気が張ってるのかな?って言われましたが、そうでもない気もします。 「まだ見たい景色や、やりたい事も沢山あるのに、若いうちに死にたくない!そういった予言怖いわ!そんな全人類が一斉に死ぬなら戦争で死んだ方がまだマシ!だけど戦争も怖い!」って思うのと、今までの人生ろくなことがなかった自分の母親の人生についに光が射し始めているというのに、こんな予言に振り回されたり恐怖感を持ち体調を思いっきり崩したりして母親を振り回している自分が恥ずかしいです。 一日でも長く生き延びるために、この負のスパイラルから抜け出したいです。 長文乱文失礼しました。

有り難し有り難し 41
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末期癌の母の付き添いが辛いです。

私は母の死を乗り越えられるのでしょうか? 辛くて逃げ出したいです。 昨年の2月に母の末期癌が分かり、ずっと母の介護をしてきました。 先月、緩和ケアに入院し、今日、先生からは余命は週単位だと言われました。 癌が分かってから、私は仕事を辞めて、心身共に母を中心に生活してきました。 今も、週に何度かは病室に泊まり、ほぼ一日中、病室で過ごしています。 それだけに、母が逝ってしまった後の喪失感を考えると、怖くて怖くて仕方ありません。 周りの人からは、「ずっと付き添っていられるのは幸せなことよ。お母さんとの時間を大切にしてね」と言われますが、どんどん弱っていく母の側にいるだけで、私の心が潰れてしまいそうになって、これでは、母との大切な時間を無駄にしてしまいそうです。 母の側にいるのが辛い理由として、残された時間が少ないことを母本人に隠しているということもあるのです。 なので、母は「頑張って食べないと元気になれないもんね」など、元気になると信じて頑張ろうとしているのです。 その一方で、どんどん弱っていく身体に、何となく気が付いている感じで、たまに悲しそうな目をします。 そんな姿を見るのが辛く、できることなら逃げ出して、知らない間に逝ってくれないかなぁと思ったりしてしまいます。 母にとっては、どうしてあげることが良いのでしょうか? 私は、どうしたら乗り越えられるのでしょうか?

有り難し有り難し 48
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最後の課題にアドバイスをください

尊敬する大好きな恩師が亡くなって2年。 病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで夢を語っていた恩師。半年後に亡くなりました。この現実を受け入れることは出来ません。人はいつか死ぬと分かっていたし、元々敏感な方でした。でも、病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで恩師は夢を語っていました。なのに3ヶ月後には夢を諦め死に備えて身辺整理。恩師は自ら余命を聞き、身辺整理をし弁護士に遺言の立ち上げを頼みました。そしてもし自分が死んだらあなに貰った手紙を棺に入れるよう息子に頼んでいいかと聞かれました。妊娠中の私は、促進剤を入れる前に恩師に会いに行ってから出産しました。恩師の危ない状況を聞き、2日退院を早め、その足で恩師の元へ行きました。意識が朦朧としていたけど、頷いてくれました。そしてその日に亡くなりました。産後2日目のことで、痛みを抑えながらお葬式へ行き、自分の手で手紙を入れました。それからは子育ての日々。衝撃的な事で、受け入れる時間もなく今日まできました。あんなに夢を語っていた恩師が亡くなったことで、人の死は無条件に突然訪れるものなんだと初めて強く実感しました。普段は忘れているけどいつも死と隣り合わせなんだと。それから生きるのが怖くて、家族を失うのではないかと不安です。だから後悔しないために、常に最悪の状態を考えています。今車が突っ込んできたらこの位置は危ないとか、もしあの看板が落ちてきたら危ないから走ろうとか。父の癌を早期発見したのも私で私が家族の命を守りたいという気持ちに苛まれています。もし家族の誰かが倒れたら誰に119番を頼んでAEDを誰にどこから持ってきてもらうかなど常に頭でシュミレーションしています。それでも人は死ぬのでこの行動が全て結果になるとは思いません。もっと楽しく生きれる人が生まれたらよかったのに。死の恐怖に潰されるくらいなら最初から無でよかったのにと考えてしまいます。でも、恩師とこの世で出会えた事、恩師と過ごした時間は私にとって最高の宝物です。今までもこれからもずっと私の大切なかけがえのない時間です。恩師が亡くなってから悩んだりしても、自己解決できるようになりました。恩師の教えがあるからです。でも恩師が亡くなったことや受け入れられないこと死の恐怖に関しては悩んだままです。きっと恩師の死は私に与えてくれた最後の課題なのです。どうかアドバイスいただけませんか。

有り難し有り難し 15
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あやふやにしてはならないこと

医療従事者らしからぬことに、医療従事者だからこそ、言えぬことがあります。 最近、立て続けに2度も「これはマズいだろう」という出来事がありました。 1つは、医療ミス。患者として治療を受けた際に、問診でちゃんとキシロカインで副作用が出ることを伝えていましたが、キシロカインを投与されました。 すぐに副作用が出る可能性が高い麻酔薬だったので、しばらく様子をみただけで、医師から「もう大丈夫でしょう」と言われ、私もヨシとしたのですが、自宅に帰った後に副作用が出てしまい… 病院に電話したら、受付の方に「次回の診察時に直接先生に言ってもらえますか」と門前払い。複雑な気持ちを抱えつつ、まぁ…次回言おう…とあきらめてしまいました。 副作用が出る=死ではないけれど、副作用が出る=死に繋がるケースがある、というレベルの医療ミスだったのだから、ちゃんと言わなきゃならないし、言わなきゃならない立場なのに、結局、言えませんでした。 もう1つは、こちらもまた患者として治療を受けている時に、これは精神科医としてあるまじき発言だ!と思ったのに反論出来ず、黙り込んでしまったことです。 精神科に精神科の治療を受けに行ったのにも関わらず、風邪を引いていたことに対し、「生活保護を受けている訳でもあるまいし、(暖房器具を)買え!」と言われました。 先生の言い分では「一万円もあったら、電気ストーブぐらい買える!」ということでしたが、私の家は、暖房器具に一万円もかける家庭ではありません。数千円の石油ストーブを使い、壊れたらまた数千円の石油ストーブを買う、それまで我慢という家庭です。 確かに、生活保護は受けていませんが、どちらかと言えば貧乏で、家がボロボロでもなかなかリフォームをするような余裕もなく、年金生活者の両親と一緒に節約、節約と仕方なく節約を楽しみながら生きている感じです。 なので、一万円の電気ストーブなんて買えませんし、例え買ったとしても電気代が怖くてよう使いません。 以前、同じ大学病院に勤めていた同僚なのですが、こういう言い方をしては何ですが、生活レベルが違うのです。私の家には、私の家の事情があります。 恵まれた人生を送れている人なんて、ほんの一握り。 一患者として、私の感じたことをに伝えなければ…と思いますが、言えない自分が歯痒いです。 お坊さまは、言うべきことは言えますか?

有り難し有り難し 28
回答数回答 2
2023/06/26

昔亡くなった友達とその母親

最近ずっと思い出して悲しくなったり苦しくなったりするので書かせてください。 私が6歳の頃、同級生とその母親が川で心中して亡くなりました。私は幼稚園で皆が死んだ!と言うから「嘘言うな!」と言いましたが、園長先生の集会で、生まれて初めて死というものを実感しました。 新聞にもそのことは当時掲載され、親とお葬式にも行き、心中したであろう川の方にも父と一緒に車で行きました。 美しい川でした。 私はずっと無意識に、大人になってからその事を忘れて水を美しいと思って水の絵を描いてましたが、最近その友達のことを思い出して、その母親の年齢にも恐らく近くなってから、悲しさと水の美しさに何かゾットするようなものを感じ、どう表現したらいいのか分かりませんが、苦しいです。 なんで今更苦しくなるのかわかりません。我慢してたんでしょうか? あと、死ぬ前にお昼寝の時友達と私は寝れなくて、友達が「息を止めると寝れるよ」と言われてやってみたら苦しくなった思い出もあります。 彼女も母親にそんなこと言われてたのかなとふと思い出したりします。 支離滅裂ですが、私の死生観がこの2人で何か歪んでるように感じてます。良かったらこの悲しみや苦しみの受け止め方を教えていただきたいです。

有り難し有り難し 3
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本人に余命を知らせないこと

いつも親身に聴いて下さりありがとうございます。 私の忘れられない患者さんについて、相談させてください。長文になります、申し訳ありません。 私がまだ新人の看護師一年目の時の話です。 婦人科系のガンを患い、一通り治療をしましたが、状態が悪くもう抗がん剤は使えないといった終末期の方でした。 医師より、 これ以上の積極的な治療はかえって寿命を縮めるため勧められない。との説明がありましたが、 ・本人は状態が回復したらまた抗がん剤をやりたい。自身が終末期だとは思ってもいなかったような感じでした。 ・家族は『今後の余命については本人に知らせないでください』 とのことでした。 日々状態は悪化し、全身に回ったガンの痛みと闘う日々となっていきました。もう余命1ヶ月もつかどうかといったところでした。 最初は内服だった鎮痛剤も注射薬になり、それでも痛みが取れず医療麻薬の貼付剤から麻薬の注射に変わっていきました。 最期に使う麻薬の薬は鎮静剤もはいっているので打ち始めると眠たくなって、眠ったまま逝くような形になります。 ある日先生から本人に『痛みがだいぶ辛いところまで来ていると思うのですこし眠くして痛みを和らげる薬をしますね』と告げられる日がありました。先生の話の後部屋で足浴をしながら2人きりになった時、その方は苦しそうな表情で 『私は...もうすぐ死ぬの?』 と問いかけられました。私は答えに詰まってしまい、何も答えられませんでした。 その後鎮静が始まりそのまま起きることもなく1週間ほどでお亡くなりになりました。 『私はもうすぐ死ぬの?』 の問いにどうかえせば良かったのだろう。 本人もわかっていたと思うんです。日々重くなる体、正常に作動しない思考、象の足のように浮腫んだ足、パンパンにたまった腹水でうまく呼吸ができなくなる、おしっこが出なくなる、ごはんが食べられなくなる、本人が1番自身が死に向かっていることをわかっていた気がするのです。なら私はなんて言葉を返したら良かったんだろう。 余命も分からず、状態が良くなるのかもわからず、でも自分の体は朽ちていくのは怖かったんだろうなと色々思い馳せてはあれこれと考えてしまいます。 今でもあの方の 『私はもうすぐ死ぬの?』 の問いに答えが返せません。 僧侶の皆様はどのように返しますか?ご助言よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 35
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