こちらでは以前父の死について、大変ありがたいお言葉をいただきその節は誠にありがとうございました。 お陰様でで少しずつではありますが、日常に戻りながらいつか父に会うのを楽しみに、毎日頑張っております。 ただ、時折ふと苦しいほどの悲しみに襲われる時があります。 それは父の死だけでなく、身近な人の死や、予想もしなかった若い方の死などをここ数年で経験し、「死」というこんなに悲しくて辛いものは生き残った私達に何を残し、意味しているのだろうと、単純に考えてしまうことがあるのです。 もちろん色々な意味があるのだとは思いますが、宜しければお坊様方のご意見をお聞かせ頂ければ幸いです。 漠然とした質問で申し訳ありませんが、宜しくお願い致します。
はじめてご相談させて頂きます。</br> 以前、父が遺伝性、且つ予後不良の神経難病を発症し、 現在は死を待つだけの状態となってしまいました。 そのため、私と妹は遺伝子の検査を実施したのですが、 私に父と同じ遺伝子が存在することがわかりました。</br> 父と同じ病気になる可能性があるとわかった私は、 母に「私が死んでもちゃんと生きてくれ」と話したのですが、 母は、妹と二人の孫がいるにもかかわらず、「それはできない」、 「私が死ねば自分も死ぬ」と泣きながら答えていました。</br> 私は、本人が最期に幸せだと思えればよい人生であると考えております。 父が病気となり亡くなることは、とても悲しくありますが、 父は最期まで幸せであったと信じられるため、耐えられなくはありません。 母に関しても同じで、病気、事故で亡くなってしまった場合、 その時点では幸せであったと信じることができると思います。</br> しかし、私が死んだ後、自死を選んでしまうのであれば、 母の最期は不幸なものではないかと考えてしまいます。</br> 子供に先立たれれば、自分も一緒に死のうと考える親は多いのかと思います。 ですが、実際に実行するかは別であり、時間や周囲の存在が少しでも心の傷を 癒してくれるのでしょう。 それでも、そう思えるのにも関わらず、病気になっていないにも関わらず、 自分が死んだ後、母が前を向いて生きてくれることを信じることができず、 母が後を追ってしまうのではないかとずっと考えてしまい、とても怖いです。 </br> そんな起こってもいないことを心配するような私に、 アドバイスを頂ければ幸いです。
私の妹は今から15年前、自死でなくなりました。 今でもふとその時の悲しさがよみがえり、苦しくなります。 精神的な病でしたが、もっともっと力になってあげれたらこんなことにはとまだ後悔で耐えられなくなる時もあります。自死でなくなると、成仏できないとか聞きいたりしますが、いまでも苦しいのでしょうか? 息子が先日結婚したのですが、お嫁さんのお母さんも自死で亡くなられたようで、 何か因縁のようなものがあるのでしょうか?
家で飼っていたハムスターが死んでしまいました。 辛いとき、悲しいとき、たくさんの喜びや癒しをハムスターからもらいました。わたしにとって家族同然で、とっても大切な存在でした。 そして、大切なハムスターをわたしが殺してしまいました。空気が入る穴をタオルで塞いでしまっていたことに気がつかなかったのです。 信じられなくて、亡くなったハムスターの姿を見ることができませんでした。 夜になると彼女の事を思ってしまいます。考えないようにしよう、けれどそれは彼女に対して最低の事をしているのではないかと感じました。死なせてしまったのは私なのに。元気に走っている姿、苦しいまま死んでしまった姿を想像すると涙が止まりません。生き返って元気な姿をまた見たいと毎日思います。 わたしはハムスターの死とどう向き合うべきなのでしょうか。
家族ぐるみでとてもお世話になった人が、今春亡くなったようで、その事実をつい数日前に知りました。 その方とは、年に一度会う程度だったのですが、会った時にはいつも親切にして下さる素敵な方でした。 訃報を聞いてからは、涙が止まらず、こんなにも大きな存在だったのだと実感しました。 「去年会った時は、あんなに元気そうだったのに」「あの姿が最後だったなんて信じられない」「亡くなったのは嘘ではないか」などと思ってしまい、死を受け入れなければならないということはわかっているのですが、受け入れられない自分がいます。 また、何をしていても、頭の片隅にその方との思い出が浮かんでは、悲しくなってしまうことの繰り返しです。 数年前に祖父母を亡くしておりますので、死と直面するのは初めてではないのですが、今はその受け入れ方がわからずにいます。 どうやってこの死と向き合えばいいのでしょうか。
タイトル通り、死や病気がとても恐くてたまりません。 その原因として、3年前に愛犬が病気で亡くなった頃からではないかと思います。 ネットで病気を検索してしまったり、 人の死をテレビで見たときにもとても悲しくなります。 いずれは誰だって死が来るのは当然ですし、どうやってもあらがえませんが、 そのさだめに涙してしまうことがあります。 早くお迎えに来てほしいわ〜と笑顔で言っていたり、私はもう満足したからいつでも死んでもいい。と言っている人が 凄いと思う半分不思議です。 もっと前向きに生きていきたいのですがどうすれば良いでしょうか? ご回答よろしくお願いします。
度々の質問を失礼致します。 最近、安楽死に関する映像を観ました。 今まで実際に安楽死される方を観たことがなかったので衝撃と同時に安楽死についてとても考えさせられる内容だと思いました。 実際に病気に苦しまれているご本人やご家族を拝見して苦しみながらも安楽死を選択する場面を観てやるせなさを感じると同時に苦しみから解放される場面を観て涙が止まりませんでした…。 安楽死に至るまではご本人、ご家族共に議論を重ねており、最終的には自分のことは自分で行え、自分の意思を伝える自由を持ち人間としての尊厳を持ったまま生きたいというご本人の気持ちが痛い程に伝わってきました。また、それを見送るご家族も本当に悲しかっただろうけれどもご本人の意思を尊重できる思いやりの深さも痛い程に伝わってきました。 それを観て病気で苦しむ本人が「どんな苦境でも生きたい」という意思がないのに治療を続けることや生を強いることはとても残酷なことではないかと思いました。 また、私は安楽死がもし許可されるようになったら本当に苦しんでいる人が救われるし、そうじゃないとしてもいつか生きることに疲れ切ってしまった時に尊厳をもって人生を終えることができる選択肢が存在するということは安心して生きていくことに繋がるのではないだろうかと感じました。 生きていれば確かにいつかは病が治るかもしれません。でも、そうならなかった場合苦しみを味わうのは病気になった本人です。今の日本はなぜ、苦しんでいる本人の意思を無視して無理やり生かそうとするのでしょうか…。そして、苦しんでいるのに死にたければ本人の尊厳を踏みにじるような残酷な方法で自殺する方法しかないのは何故なのでしょうか…。 生まれてくることは選べないのに死ぬことは許されないのは何故なのでしょうか…? 苦しみぬいてまで生きることは本当にそんなに価値のあることなのでしょうか…? 家族は確かに生きてくれた方が心の支えになって良いかもしれない、でも苦しみを味わう本人の意思を無視しても正しいことなのでしょうか? 笑顔で最後までご家族を労わりながらも亡くなっていく患者様ご本人を観て「生きる」とは何か本当に考えてしまいました。 安楽死について、どの様に考えるのかお坊様方の意見をお聞きしたいです、よろしくお願いいたします。
万物は生成発展する。万物が変化するという大きな掟には、どうしても抗することができない。われわれ人間の意志がどう働いても、防ぐことができない。 シワひとつ寄ったということは、きのうなかったものができたということで、それは発展の姿や。さらに発展すると死んでしまうということや。死もまた発展ということやね。 われわれに与えられておる個人の感情から見ると肉親が離れるとか、友人と離れるとかいうことは悲しいことかもしれん。しかし人間の感情じゃなく、ものの本当の論理からいくと、生あるものは死し、死は生成発展になっている。だから、ここで生成発展の一段階がすんだというわけや。めでたいことなんや、早く言えば。 これは万物流転の原則であって、進化の道程というわけや。 上述は松下幸之助の言葉です。どう思われますか。一言、お考えをお願いします。
つい、数日前、お正月休みで帰省して 祖父母の家に顔を見せに行って、また来るねって言ったのが 祖父との最後になってしましました。。。 また会えると思っていたのに かなわないなんて 人間、本当にどうにもならない、抗えないことってあるんだなと 悲しくてどうにもなりません 修士論文の提出を控えている中での出来事なので 本当に気持ちがぐちゃぐちゃで いまこそ乗り越えなきゃ、ふんばらなきゃいけない時なのですが とてもしんどいです、いきばがなくて
こんにちは。 初めて質問させていただきます。京都在住の大学2年の者です。 先日、私の祖父が亡くなりました。 昨日お葬式の後、人生で初めて火葬場に行き、祖父が遺骨になったのを見届けました。 身近な人が骨になってしまったのを初めて間近で見てとても衝撃を受けました。そのときはさみしさや悲しさよりも衝撃が勝っていました。 つい最近まで生身の肉体があり、感情があったのに火葬されることで物質になってしまうことが衝撃でした。 今まであった感情や肉体はどこにいったのか?と混乱しました。 もちろん、人が燃えれば最終的に骨になることは、理論上理解できます。ですが、それを頭ではなく心で受け入れようとしたら難しいです。 そして、いかに人間がはかなくてもろいのかと思うと自然に涙が出てきます。その中にはおじいちゃんがいない寂しさもあり、この先いずれ直面するであろう身近な人の死を乗り越えられるかどうかの不安も混じっています。 そんなわけで今日は死の不思議さと、寂しさと不安を考えてもやもやしています。 お坊さんが人間の死をどのようにお考えか、聞かせていただけると幸いです。 よろしくお願いいたします。
こんにちは。質問をさせていただくのは2回目です。29歳女性、看護師をしています。 今年の1月に祖父が亡くなりました。そして6月に私が入籍し、バタバタな上半期を過ごしてきました。 そして最近、亡くなった祖父母のことを思い出したり、今の夫が亡くなることを考えると涙が止まりません。 「死別という辛い体験をしたくない」「でも死はみんなに平等に訪れるもの」という2つで葛藤しています。 そんな私に夫は優しく寄り添ってくれて何も寂しくないはずなのですが、ふとした時に、悲しい感情が溢れ出てくるのです。 よく行く占いの先生に相談したところ「魂の質が高いのでしょう」「祖父の死と結婚が一気にきたから、結婚後に夫を失うことを恐れているのでは?」という見解でした。 それからは「涙が出るのは仕方ない」ただし、死は皆平等に訪れる仕方のないことであるため「死が訪れるまでは精一杯生きよう」という考えを持つようにしました。 (それでも涙は出てしまいますが…) お坊さんの方々はどのような考えをされるのか、また今の私にアドバイスをお願いしたくて相談させていただきました。 お忙しいとは思いますが、よろしくお願い致します。
家族でお墓参りをした時のことです。 いつもは普通にお墓参りをして、お掃除をするのですが、お掃除も一年に一回なので徹底的にしようとみんなでお墓の中(下の扉の中)も掃除しました。 しかし、日頃みないお墓の中、骨壷や盛り上がった土をみてなぜか吐き気をもよおし、それ以来お墓参りができなくなってしまいました。 大好きだった祖母、祖父、愛する人を亡くしたショックを思い出したのと、メメントモリではないのですが、お墓の中をみてしまったことで日頃感じない死への恐怖を感じ取ったせいかもしれません。 私自身、大好きな祖母や祖父のお墓参りにいきたいのですが、霊園の近くに行くとどうしても気分が悪くなってしまいます。 私の心の問題といえばそれまでなのですが、お墓参りの代わりにご先祖様を直接供養する方法は何かありますか? 同じ宗派のお寺でお参りすれば、大好きな祖父や祖母に心は届くのでしょうか? お盆でお忙しいとは思いますが、回答よろしくお願いします。
人には寿命があるとよく聞きますが、自死も誕生の時から決まっていた寿命なのでしょうか?
いつも、お世話になっています 軽度の知的障害がある為に 上手く質問出来ませんが よろしくお願いします 心療内科で受けた検査の 結果内容に以下の 内容が書かれてありました ↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ★身近な方の死を多く体験 されてきてるため 新しく親密な対人関係を 築く上では それらの方々との関係性が 影響するかもしれない 20代で父を急性心筋梗塞 半年後に母を癌で亡くしています 亡くなってから10年以上 親の死を引きずっています どうすれば 上手く自分の中で 浄化出来るのでしょうか? あまりにも突然に父の亡くなった 半年後に母も亡くしているので 父と母が亡くなる前にも 2名ほど他界してる 方がいます 38年生きていて4名もの 死を経験しています 色々と自分の中で 浄化出来ていません よろしくお願いします
私は現在大学一回生です。大学入学まえの春に母を癌で亡くしました。母の死から半年以上たっても母の死を受け入れることができません。また、受験のため、闘病中の母に何もしてあげることができなかったことをとても後悔しています。ときどき、自分は1年間勉強してたことが間違っていたんじゃないかと考えてしまいます。正直母の死を受け入れる気がしません。どうすれば少しでも母の死を受け入れれるのでしょうか?
健康診断で不安な結果が出てしまい、その後精密検査の結果は大丈夫だったものの死への恐怖だけが残りました。 もとから死への恐怖が出ることが良くありましたが、今までは一晩寝たり何度か深呼吸すれば収まっていました。 しかし、上記の事があり「自分もいつか死ぬ」と言う事実がより具体的に見えてしまったのをきっかけに、病気への不安からは解放されるやいなや死への恐怖がついて回るようになりました。涙を流すほどつらいです。 こんな精神状態になる前はいろんなことが楽しかった→死ぬと全て無になるのが悲しい・怖い&いつか死ぬから全て無意味なのではないか→この恐怖と悲しみの中で生きたくはない→楽しいことをしたい→最初に戻る と言う思考のループに一日中陥ってしまっています。 今までの自分を演じている空っぽな自分がいて普段はそいつが前に出てるが、常に上記の事を考え泣いている自分がもう一人いて時々そっちが表に出てくる、血の気が引き現実感が無くなっていく、どちらが自分なのかわからない、そんな状態です。 今までを思い返せば親がいて友達がいて、普通に仕事をしてお金も貰っていて、好き嫌いはほとんどなくてご飯は全部美味く感じて、ストレスはあるけど後から思えば大体「何だこんな事で悩んでたのか」で過ぎてく人生だったと考えます。 そして、なんて幸せだったんだろうか、何でこれが永遠には続かないのか、永遠も辛いとは言うがこれなら永遠に続いて欲しい、何で幸せだったことに気づいてしまったのかと考えてしまいます。 そして、最近一年の体感がものすごく早く感じ、時間なんてあっと言う間に過ぎてしまうと考えまた悲しくなります。 宗教を学ぼうともしましたが、ここに質問しておいてなんですがやはり死後の世界や魂は無く感情は脳の現象であり死後は無である、と言う変に唯物的な考えがついてまわります。 祖父が亡くなったとき「爺さんいまどこ行ってんだろうなぁ、畑とか家の様子とか見てんのかなぁ」とかのんきに謎の宗教観を持っていたくせに今ではそんな考えしか持てません。 そして怖いという事すら感じなくなるのが怖く悲しく、無になるならすべて無意味に感じます。 精神科に行くことにもしましたがそれとは別視点で、何か考え方を変えるヒントをもらえたらと思い、文字数いっぱいのとりとめのない文章になってしまいましたが書き込ませていただきました。
こんにちは、現在高校生の者です。 突然ですが、最近ふと親の死を考えてしまい怖くなっています。 私の父は難病を抱えており、もう長くはないと自分でも話しています。そんな日に日に痩せていく父や、白髪の増えてきた母を見ていると、ふと死に対する不安と恐怖に包まれます。 自立しないといけないと分かっていながらも、未だ親離れ出来ていません。こんなに仲良く楽しく話しているのに、もし明日死んじゃったら、と思うと怖くてたまりません。 いのちには限りがあると分かっています。でも、それにどう向き合ったらいいのかが分かりません。 どのような心構えをしているのが良いのでしょうか。ご回答お願い申し上げます。
いつもありがとうございます。 考えても仕方のない事だとわかりながりも、 動悸や気持ち悪さが収まらないため、失礼します。 私は幼少期から死に対する恐怖がありました。 それはいつの間にか、よそへと追いやられていた恐怖だったのですが、 昨晩突然のように発作のように起こりました。 先日若くして突然死で亡くなられた親戚のことを考えていると、 私自身や、両親の死を考えてしまいます。 (昨晩まではだからこそ、毎日を精一杯過ごそう。 彼女の分もしっかり生きようと思っていた筈なのですが) 更にそこから波紋のように思考が広がって、 天災、事故、戦争。 更には数億年後に地球や太陽がなくなるですとか 宇宙でどうの。といった情報を見ると、 輪廻転生を繰り返し、いつか私の魂はその瞬間に 居合わせねばならないのかと思ってしまい、 このような恐怖は味わいたくない。 と、考えてしまいます。 全ては私の中の想像。 誰にもわからない世界の話だとわかっているのですが、 この思考が突如発作のように起こり 抜け出せず、自分自身の頭で刷り込んでいる イメージから抜け出せません。 特に最後に書いた終末の恐怖が強く 苦しくて仕方がありません。 頭に心が付いてきてくれません。
私は今19歳です。1ヶ月前からずっと死について考えて頭から離れません。 考えすぎて、気持ち悪くなって、ご飯も食べれず夜も寝れなく、寝れたとしても、あー私はいつか死ぬんだと思って起きます。 長くなりますが、よろしくお願いします。 小さい頃から死が怖くて考えただけでもパニックになっていました。いつもなら考えないと言い聞かせて考えないようにしていました。ですが、ここ1ヶ月死んだら私はどうなるのだろうか、どうして死ななければならないのだろうか、いつか私がいたことさえも忘れられてしまうのではないだろうか、この世界はこの先どうなっていくのだろうか、とか色々考えてしまいます。 あと、私は80歳まで生きるとして60年しか時間がない、1年はあっという間に過ぎていくから私はすぐ死ぬだとか、生まれてこなければこんな苦しむことも無かったのにとか、本当に死が怖くて怖くて仕方がありません。 家族は、そんな私のためにいろんなところに連れて行ってくれます。母は話をたくさん聞いてくれます。でも、そんな母にも会えなくなる日が来ると考えてしまい、もっと怖くなってしまいます。 人間だから死ぬのは当然です。でも、どうしても怖くて仕方がありません。自分が消えてしまう、自分がいなくなってしまう。最近では、人間を見るとこの人達は200年後生きてないんだなと思ってしまいます。 不老不死になれるならなりたい。 なにをしていても死が頭の中に出てきてしまいます。突然死んでしまったらどうしよう。生きているのに火葬されてしまったらどうしよう。そんな不安も押し寄せてきます。 どうしたらいいでしょうか?受け入れるしかないのでしょうか?吐き気が止まりません。 人生あっという間に過ぎるといいます。こんなことを考えながら過ごしていくのは時間がもったいないと言い聞かせています。ほんとうに人生あっという間に過ぎてしまうのでしょうか?そう考えると死が怖いです。受け入れることができません。 私の苦しみをどうか助けてくれないでしょうか。 よろしくお願いします。
こんにちは、今年の5月にアメリカ人の義母の死について相談に乗って頂いた者です。 その節は大変お世話になりました。 今年は災難続きで12月はじめに今度は日本にいる最愛の母を亡くしました。 高齢でしたが健康そのものの母でしたので、家族も親戚も驚きでいっぱいでした。 連絡を受けて5時間後には飛行機に飛び乗り日本へ向かうことが出来、意識はないものの母に会えたし、病院で数日間過ごし苦しむことなく亡くなる母の最期看取る事が出来ました。 葬儀も済みアメリカに戻ってきましたが、まだ母が亡くなった実感が湧きません。 姉は母が亡くなって次の日に、少し元気になって布団から少し身体を起こして無言で吸い口で水を飲む母に高い壁越しから見かけて「ママもうそんなに快復したの?!」と思わず声をかけた夢を見たと言っていました。 なのに私は全く母の夢を見ないのです。 母が亡くなる2日前に電話で話しをした時の最後の会話は、「夫が私や子供達の事を大事にしてくれること、子供達が健康で健やかに成長していること、三月に日本に子供達を連れて日本に遊びにいくよ、私はアメリカで幸せに暮らしているから」みたいな事を話したのですが、母が夢に出てきてくれない事が悲しくて毎朝起きてはガックリしています。 まだ四十九日も来ていませんが、母ともう一度話してみたいのです。私たち家族は大変仲良しでしたが、私の所にも夢に出て欲しいのです。 私の事を溺愛してくれた母が夢にも出てきてくれないのは何故なのでしょうか?