私には後悔していることがあります。 10代の頃、ある事をきっかけに家族全員とコミュニケーションを取らなくなりました。特に祖母はそれが大変ショックなようでした。 その状態がしばらく続き、数年後、祖母は病気で亡くなりました。 親には「もう長くないから、一度でも顔を見せなさい」と言われていたにもかかわらず、その時、責任の掛かった重要な仕事の最中で、正直それどころではありませんでした。他人から見ればなんて思いやりのない人間なんだと思うでしょうし、今なら自分でもそう思いますが、その時は睡眠もろくにとれておらず、食事もろくにとらず、常にイライラしながらどうすればこの仕事を成し遂げられるかで頭がいっぱいでした。案の定、過労で倒れ、鬱になりました。 その時に、家族が私の事を必死で支えてくれたのです。その姿に後悔と反省と情けなさと不甲斐なさでいっぱいになり、一人部屋で涙を流し、すこしずつ、家族と向き合うようになりました。 しかし、祖母はそういうわけにはいきません。 投薬治療でなんとか鬱は回復したものの、大事を取って仕事は休養していたのですが、日中やることもないのでなんとなく掃除をしようと思ってクローゼットの中を整理していると、アルバムが出てきました。そのアルバムをめくってみると、そこには祖母が幼い私を幸せそうに抱いてあやしている姿でした。胸が痛くなり呆然としました。口を利かなくなった時どんなに傷つけただろう、もう長くない病室のベットで私の事は考えたのだろうか、会いたいと思ってくれたのだろうか、そう思うと、自分のしてしまった罪に耐え切れず、また鬱を再発しました。あれからしばらく経ち、鬱は回復しましたが、後悔の念は消えません。そこで死者を弔い、その後も亡くなった方達と日ごろ向き合っているお坊さんに相談です。 死んでしまった人に出来る事ってなんなのでしょうか。 勿論、物理的に直接できることはないし、もういないものはいないので、そんなものはないというのがある種答えなのでしょうが(お坊さんに言うのも失礼ですが・・・) 考え方や乗り越え方などをご教示していただきたいです。 よろしくお願いします。
こんにちは。 亡くなった人にもう一度会えるの方法が、なにかしらあるのではないかと考えてしまい、検索していましたら、そういう考えは仏教の教えに背くものとありました。 会えないのは当たり前なのに、少し悲しかったです。 やっぱり私が人生を全うするまでは、絶対に会えないのでしょうか。 はすのはでたくさんのお坊さんに助けていただきました。残された子供たちに主人の魂が宿っているというのもわかってます。でも、もう一度会いたいと思ってしまいます。 どうしたらいいのでしょうか。主人の死を受け入れられてないからなのでしょうか。 同じ様な体験をされた方は、どの様に過ごされているのでしょうか。
お恥ずかしいことをお聞きしますが、 先日祖母が亡くなったのですが、逮夜ごとにお坊さんにお経をあげてもらうのですか? そこの、お寺の住職さんには逮夜は私たちだけでやるので、住職さんは最後の35日に来て下さいとお伝えしているのですが、そこの、お寺の住職さんから、逮夜をしないと、あなたたちに大変なことがおきると、言われたと喪主から連絡があったみたいです。そして次の逮夜は行きますと言われたとみたいですが、この場合どうしたらいいのでしょうか?
今まで、 宗派などは気にしていなかったと言うか、 知らなかったので質問させてください。 先日、兄が亡くなってしまいました。 葬儀は葬儀屋さんに頼みまして、 曹洞宗の方に来て頂いて済ませております。 現在、兄の遺骨は兄が生前過ごしていた部屋にあります。 別世帯ではなく、同じ屋根の下で暮らしてた兄です。 質問ですが、 わからないことだらけで 失礼な質問もあるかも知れませんが よろしくお願いします。 ① 49日までの間、お供えしてはいけない物などはありますか? 現在は、葬儀屋さんが用意してくださった フルーツ。 あとは、生前にお酒が好きだったので お酒や、頂いた洋菓子などを置いてますが、置いておく期間などもあるのでしょうか? ② お線香をあげに行く時間や回数など、 決まりはありますか? 母は、朝だけのようですが、 私は昼夜問わずに話しかけに言ってしまうのですが夜間はやめた方が良いのでしょうか? ③ 葬儀の時は、 葬儀屋さんに頼んだ方に来て頂いて 戒名もつけて頂いたのですが、 納骨の時は別の曹洞宗の方に来て頂いても良いのでしょうか? とにかく兄を安らかに送ってあげたいので、 してはいけないことなど、 他にも助言がありましたら教えて頂きたいです。 長文になり、すみません。
新しくお世話になる曹洞宗のお寺に、ご先祖様の永代供養と、祖父母の納骨に行ってまいりました。 お坊さんがお経を唱えて下さったのですが、数珠を持っていらっしゃらなかったので、不安になってしまいました。数珠がなくても大丈夫なのでしょうか? また、永代供養墓地では、いつどなたがお供えされたかわからないビール等も置いてある所にお位牌を置いての供養だったのも、大丈夫か気になってしまいました。 また、本堂でご本尊様にご挨拶することなく、すぐに遺骨を永代供養墓地に納め、その後、納骨堂で納骨する流れだったのですが、大丈夫でしょうか?
私には一歳の娘がいます。 お腹の赤ちゃんは検診で男の子と言われましたが、あくまでも予定です。 周りからはそろそろ解ってくる週数だから聞かれて予定では男の子です。と言うと、みんな声を合わせて跡継ぎができてよかったね!副住職おめでとう!と言いますが、その子が継いでくれれば親として有り難いのは本音ですが、その子の人生ですので親や周囲が決めるもんでもありません。 同じ地区の同じ宗派の副住職の奥さんと仲良くしてましたが(双子の女の子二歳と三ヶ月の女の子)余りに周りが○○寺の副住職の奥さんはとか、そのお寺の人まで私をでかした嫁と褒めたため。少し距離ができてしまいました。 私は聞かれたから、あくまでも予定ですし、解りませんが男の子だと先生が話してました。しか言ってません。 きっと家族内でもかなり言われたのでしょう。 それはさておき、そんなに跡継ぎってお寺さんで大切ですか?婿養子ではダメなんですか? 普通のご家庭より男の子を望むのが強いのでしょうか?
先日、女房が亡くなり、お寺のお付き合いがないので、葬儀社の紹介の真宗大谷派のお寺のお坊さんに来て頂いて、愛昇殿で通夜、告別式、初七日法要をしていただきました。来月に四十九日法要を行います。 四十九日法要までは、紹介して頂いたお寺さんでお願いしますが、そのお寺さんは、同じ市内ですが、遠方のため、今後のお付き合いで、行き来が大変と思い、また、告別式の時のお経に違和感(当方もお経のリズム?内容は、親戚の法要等で判っています。)があり、おりんを思い切り叩いて、びっくりする大きな音でした。親戚からも評判が悪いので、近隣のお寺さんに変更しようと思います。この場合、こちらの都合で変更してよろしいでしょうか?
こんばんは、毎日の生活のヒントにいつもハスノハのお話を参考にさせていただいています。 仏教には縁があまりなかったのですが、311の震災で被災し、お坊さんに親切にしていただき心が救われた事があり身近に感じるようになりました。 近所にお不動尊のお寺がありまして、そこは普段は誰もいないお寺ですが、縁日だけは開いていて、滝があってとても美しく大好きなお寺です。 そのお寺に毎日とはいかないまでも2日に1度はお参りしています。最近娘が精神的に不調をきたしてしまい、快復を願ってお参りしています。願いを込めてお酒を絶ったりしてみたりしています。 ですが、そんな事してみても関係ないような気もするし、娘は元気にならないし、お参りをしたところで、時折果てしなく虚しい事をしているような気がして、お参りをしたってなにも変化しないのかなと、単なる困った時の神頼み的な気がして、どうしようもなく涙が出てきます。 なににどう祈ればいいのかわかりません。 身近にはお坊さんも仏教徒もいません。 どのような気持ちで礼拝すればいいのかご教授いただけませんか。 仏壇には朝夕手を合わせていますがお線香を先祖にあげてるだけのような感じです
今年、寺嫁になった者です。 嫁ぎ先の寺院の現状と将来を考えると、寺族登録より自身が尼僧になった方が、 次期住職になる夫の支えにより役立つような気がしております。 夫の父である住職が兼務住職で忙しそうで、当初、4月の寺族登録を10月に見送られました。 私自身で登録手続きを、と提案もしましたが、手続きは住職で、の一点張りでした。 今夏、以前から夫の家族より受けていたモラハラが酷くなり、さすがに堪えかねて、彼等に意見を申し上げたところ、寺族登録の予定で散々振り回したあげく、 住職から「寺族登録を当面見送り」と脅されました。 しかしながら、私自身も夫の家族に対し、不信感が募っており、こちらから、寺族登録はしていただかなくても結構です、以前から夫には、年内に無理をして登録しなくてもよい、と話していたので、とも添えました。 よって、今年の寺族登録は見送り、現在に至ります。 寺族登録は年齢制限がないと夫から聞いております。 夫が住職になったタイミングでよいのでは、とも夫に話しましたが、夫は寺院内では萎縮しており、義父母は予想以上に夫に対し高圧的です。 夫とは交際から仲良くしていたのですが、今夏の住職からの「寺族登録を当面見送り」の脅し以来、夫婦仲に亀裂が入り、現在、別居中です。 寺院の将来の為にも安易に離婚せず、解決・改善の道を進むには、寺族登録にすがることなく、自身が尼僧となり、自立した姿となり寺院と宗派に貢献する案を考えました。 寺嫁は尼僧の資格取得は可能でしょうか。 曹洞宗の僧侶の方で、何かアドバイス頂けることがございましたら、何卒、よろしくお願いいたします。
お坊さんに質問する内容なのかわからないのですが、最近というかここ一年ほど悪いことや悲しいことが続き、厄払いなどをお願いしてみようかと考えています。 去年立て続けに祖母を2人亡くし、友達と会社の同期から突然SNSをブロックされ避けられたり、長く住んでいた土地を離れ就職して周りに友達など信頼できる人がいない中、仲良くなった人たちばかり会社を辞めて遠方に行ってしまったり、他にも小さなことですが何かとツイていなかったり、呪われているんじゃないかと思うほど日常が上手くいかず、悲しいことが続いています。 色々と自分でも良い方に向かうよう努力したりしてみたのですが、やはり上手くいかないことが多く、どうしたらいいかわからず、落ち込むばかりで、最後の神頼みで厄払いをお願いしてみようかと考えています。 そのような理由で厄払いをお願いしてもよいのでしょうか? また、他になにか現状を良くするためのアドバイスなどありましたら、お聞きしたいです。
春に妹が、亡くなりました。 その際に檀家のお坊さんに、頂いた戒名が とても妹に合っていて素敵だと思ったので 秋に産まれる予定の私の子どもに、 字画など合えば、戒名から1字でももらって つけられないものかと考えています。 亡くなった人の名前をもらうべきではないのか どうなのかがそもそもわからないので 質問させていただきます。
毎回、私のは質問というよりイチャモンと言った方がよいかもしれませんが、今回もよろしくお願いします。 私(S40年代生まれ)の子供の頃は、現在よりもずっとお坊さんは尊敬される存在であった気がしますが、現在の僧侶の威厳の低下(私にはそうみえる)はどこに原因があるのでしょうか? それは、現在の僧侶の大半に、戒律を厳守して生活している印象が全く無い、というところが大きいのでないか(あくまで部外者の印象で、実際のところはわかりませんが)と私は考えます。 「威厳なんていりません」とおっしゃるかもしれませんが、毎日、朝夕「三宝に帰依します」と唱えている側にしてみれば、やはり僧侶には、仰ぎ見る存在であってほしいのです。 現在、僧侶(日本仏教界)にとって戒律はどのようなもので、どれくらい重要視されているのでしょうか? ぜひ、ご意見をお聞かせください。 ちなみに、私は仏教徒であることを強く意識するようになって、五戒のうち、せめて不飲酒戒の一つだけでも、死ぬまで守り通そうと決めて、十四年間一滴も飲んでいません。それ以前は、ひどいもんでした...。 私は本当に仏教に救われたと思っています。
初めまして。20代後半の女です。知り合いには相談しにくいのでこちらに投稿しました。是非色々な宗派の方や人生の先輩からの言葉が欲しいです。 私の実家が、お寺なのですが跡継ぎ候補のことで(一族もですが)私個人苦しんでいます。私には姉がいてその旦那(普通のお家から来てくれた人:まだ養子でなくお試し期間中)が寺に勤めてくれているのですが、最近になり現住職(父)と母が、″今後彼が婿養子になることはない"と判断しました。そして、3つの提案を私に投げ掛けてきました。 1.私が継ぐ(僧籍持ってますが持ってるだけ...とゆう情けない状態:まだ世間的には男性がなるものだとゆう世代の人が多い地域:そもそもサポートは出来るが住職は私が嫌) 2.私が結婚して婿を迎える(父が連れてくる寺のことできる寺の人) 3.寺を終う、譲る の、どれにするのか、と今問われています。急で戸惑っています。 父母が望んでいて、私もそれがある意味、自分が楽だと思うのは、【私が寺の人と結婚して旦那さんが住職に】←とゆう形なのですが...家の為に死ねと言われてるみたいwと悲しい気持ちになり疲れます。幸せを後から創っていくのも悪くはないですが、、。好きな人(好きなだけ)がいるのですが、実際そんなこと言ってられる年齢でもないし諦めるのか、、とゆうリアルな状況もまた辛いです。 前に、親孝行も出来てないし、役に立ってない←と言ったことがあるのですが、「お前がちゃんとした後継者と結婚すればそれで役に立つ」←と、言われました。やはり役に立ってない...私w こんなこと言う住職ほんとどうかしてると思いますが、実際問題こればかりは仕方ないのだろうと身内だからこそ思います。私は女姉妹の末っ子で、親は男の子が欲しかったんだろうなとか色々察しています。 私もご先祖様たちの苦労のもと長く続いてきたこのお寺を出来ることなら家族で守りたいと思う気持ちもあります。 まぁしかし親が生きている間は言う通りにしてもいいかな、と思っている部分もあります。私が先に死ぬこともあるし、そもそも結婚できるかどうか等、まだ分からないのでなんとも言えませんが、、。 何かお言葉を頂ければと思います。;;似た境遇の方などもおられるかと思います。アドバイス等どうぞよろしくお願いいたします。 文章が不自然な箇所、お許しください。
私の付き合っている彼は、実家がお寺です。 今は全く別の仕事をしていますが、いずれはお寺を継ぐようです。 私の家は、宗派も違いますし、ましてや法事等で家族が集まった時にお経を読む程度で全く知識がありません。 付き合って5年程経ちますが、つい先日彼のお寺関係の友達に、結婚したら得度するの?と聞かれて、その時は恥ずかしながら得度の意味すらわかりませんでした。 よく周りからお寺に嫁ぐのは大変だよ?覚悟できてる?と言われます。 彼についていく覚悟は、できていますが、あまりにも知識が無さ過ぎて何をどう覚悟していったらいいのか正直わかりません。 そこで、2点質問に答えて頂けると、心の支えとなり大変助かりますので、よろしくお願いします。 *嫁いだら得度(?)をしないといけないのですか? *一般家庭に嫁ぐことと大きく違うところって何がありますか? お忙しいとは、思いますが、少しでもお力添え頂けると助かります。
浄土宗の勤行をしています。 法華経は すべての人が成仏するとあるのに なぜ 説く相手を 悪人には説いてはいけない 善人に説きなさい としているのか と思いました。 法華経は 一切成仏を説く経だから 誰でも差別なく悪人も善人も救われると 説かれているのかと思っていたのに と 愕然としたことがあります。 そのうえ 法華経を謗ったり 捨てたりすると 口や体が 臭くなったり 病気になったり 障害をもつことになったり と 書かれているし そういう人を救わなくては 仏国土にならないと 阿弥陀様の救いに 法然さんは 道を見いだしたのか と 思いました。 日蓮聖人が 法華経にそって 法然さんを 悪僧としたのは 残念です。 他のお坊さんたちも 目の前の人を救いながら 日本を仏国土にしようと 布教されていたのに 題目も 念仏も 一緒だ という人は 嘘だと 思います。 悪い人でなく 善い人の項目の人になるようにするたって 難しいし そうでない人のほうが 多いし 難しいから 念仏して救われる道を歩めるようにしなさい ということかな と 思いました。 また そうならないように そこからでれるように 題目を唱え 救われる道をいきなさい とも いえるのか とも 思いました。 また 行ったり来たり です。 とにかく がんばります
こんばんは。私はトランスジェンダーの者です。(性別は女性にしてありますが戸籍上は男です) 私は日頃より「自分らしく生きる」とか「やりたいことをやる」とかそういう輝かしい未来を追い求めてきたつもりなのですが、夢見がちな性格がたたってもう何をする元気もありません。 LGBTの就職や結婚の厳しい現状は私の想像を超えるものがあり、「私はなんとかなる!」とか「頑張れば!」とか、散々ポジディブにやってきたつもりなのに結果として何一つ良いことがなく、心が折れてしまいました。 また、私は仏教学にとても興味があり当サイトに書き込むきっかけもそこにあります。 やりたいことも、時間も、興味もあるのに性的マイノリティーがあるというだけでこんなにも暗い未来しか見えないものかとかなり悲観的になっています。 親もそれなりに理解があり、不幸なんて生意気って思われる方もいると思うんですが私はいまとてつもなく不幸です。 また、合わせてご回答願いたいのですが仏門に実際にLGBTの方はいますか? また、LGBTのひとは実際現状的に僧として受け入れてもらえるのでしょうか? また、宗教上の理由でそもそもLGBTを受け入れない宗派などがあったら教えていただきたいです。 やる気もやりたいことも時間もあるのに全てに足かせや心の痛みがつきまとうというのはこんなにも辛いことなのでしょうか… ご回答お待ちしております。
(すべての宗派がそうではないことは理解していますが)座禅をすることによって悟りへの道が開かれる、ということへの質問です。何十年も修行をしたり座禅をしたりすることは確かにその僧侶にとっては悟りへの一歩かもしれません。 でも、その間に途上国ではその日をも生きられるかわからないひとたちがたくさんいます。この日本でも貧困層は存在します。もしも座禅をするかわりにそのひとたちの手をとってくれたら、パンを与えてくれたら、生き延びる道を一緒に検討してくれたら、助かる命もたくさんあるはずです。 修行の道(とくに長い期間社会から断ち切る行為)というのは、ある意味で自分を選択、優先することになる、と思ったことはありませんか?(これは侮辱ではなくて、本当に疑問、のレベルです。本当に本当に悪い意味でいっているのではないことをご理解ください) 自分の道に専念するその思いは素晴らしいと思う。そして得たものを周りのひとに伝えていこうとする気持ちも。でも、現実のこの社会のなかで、仏教が天台宗で言うような「一隅を照らすひとになる」ことが大切だとすれば、それはどこか矛盾していると感じてしまうことは間違っているでしょうか。 僧侶として、途上国や先進国を問わずに、貧困や飢餓などで今日をいきられるかわからないひとたちを前に仏教はなにができると思われますか?
私は、今スペインの大学院で、宗教学について学んでおります。 お恥ずかしい事に、日本に住んでいるときはあまり仏教について考えた事がなかったのですが、今自分が海外にいる事で、改めて日本が仏教国であり、数々の素晴らしい文化、そしてそれにともなう言語・思想等を生み出してきたという事に気付きました。 そこで、今仏教について、スペインで本格的に研究しているのですが、どうしてもスペインにある仏教に関する本ではわからない事がございまして、ぜひお坊さんたちに答えて頂きたい質問がございます。 ドイツの宗教学者であるルドルフ・オットーが、「ヌミノース」という言葉で表している、言葉では言い表す事のできない他者では経験不可能な不思議体験・神秘体験(?)が一体どのようなものであるのかを、教えて頂きたいのです。 恐らく日本語で表すと、『見性体験』というものだと思います。ルドルフ・オットーも「聖なるもの」という著書の中で、この経験の内容に関しては体験者の唇は固く閉ざされると言っておりますが、仏教を研究している以上、私はどうしてもこの体験がどのような物なのかが知りたいのです。 もし言葉で深く説明できないのであれば、本当にキーワードだけでも良いので、どのようなものなのかを教えて頂きたいです。 難しい質問かもしれませんが、どうぞ宜しくお願い致します。
私が元気なうちに仏壇じまいをしたほうがいいですか? 一人っ子で育ちました。結婚した時に、養女と初めて知りました。 結婚の際、私は夫の姓を名乗り、夫にはマスオさんとして2年弱、養父母と一緒に暮らしてもらっていました。 養母はH19年7月他界。 お仏壇は養父が養母のために購入しました。 <宗派は浄土真宗・西本願寺> 養母が他界して間もなく養父もH20年3月他界。 当時、私は何も考えることなくそのまま黒仏壇を継承しました。 今まではそれでよかったのですが、私自身最近大きな病気を患ってしまい、 お仏壇のことが気がかりです。 私の考えは、子ども達には、お仏壇の継承までさせたくありません。 お墓は永代供養付きで既にあります。お参りだけで十分と考えています。 また、夫は長男で、下に妹2人居ます。 義両親は病気がちですが存命です。夫実家宗派は浄土真宗大谷派。 夫自身は、実家の仏壇は継承せず、<親が亡くなった場合>写真を飾っておくだけで十分。その時々で祀り方等、変化して当然という考えを持った夫です。 私自身、和室<仏間>にある仏壇ではなく、家族が生活する場所<リビング>に写真を飾る(祀る)ことによって、身近に感じられたらいいかなという考えに至りました。 私にもしもの事があった場合、養父母の遺影は棺に入れてもらい、 娘・息子には、リビングに置く予定の養父母の写真だけを継承してもらえたら…と考えています。 私が元気なうちに仏壇じまいをしたほうがいいのでしょうか。 最後に、寺院との付き合いは、通夜・告別式等7回忌迄で疎遠です。 養母13回忌は西本願寺で家族4人で済ませております。 色々なご意見、頂戴できれば幸いです。
いつもご相談にのって頂きましてありがとうございます。 母親が亡くなり2週間程たちました。 法要は初七日をお葬式の時に、それから七日ごとにお坊さん呼んでとやっておらず、今度きてもらうのは、49日に自宅にお坊さんをお呼びします。 初七日に続く大事な法要とききました。 母親が極楽に行けるようみんなで願う。 そして家族はそれが終われば一周忌の際にお寺で一緒に納骨もしてもらうと父親が言っていました。 こういう事は母親に任せてなので、兄とみんなで調べながらやっている感じなんですが、49日の後の100か日て勿論やっに越したことはないですが、49日と同様大事な法要でしょうか? 調べたら遺族が沢山泣いてこれからは頑張って生活して行きましょうという意味?とかで私達だけの意味が強かったら今やってる人も少なくなったともよみ100か日の法要はいいのかなぁと思うのとでも少し気になり、父親は何もいいませんが、私がお布施等だすし、やらせてと言ったら別に何もいわない感じの父親です。 とりあえず母親には極楽にどうしてもいってほしく、49日後も定期的に家族で仏壇の前で手を合わせてたら大丈夫でしょうか? 極楽に行く行かないは49日までできまるんでしょうか? もしそうだったらそれ以降に手を合わせていても飢餓の世界とかにいたら少しでもお供えをしたりお花を供えたり手を合わせることで、母親は極楽の方へ行く事出きるんでしょうか? 1周忌もすごく大事な法要とききましたが、これもお坊さんにお経をよんでもらい少しでも故人が楽になれるという意味でしょうか? ゆくわかっていない所があり教えて頂きますよう宜しくお願い致します。