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問答一覧
検索結果: 7383件
2021/08/01

お坊さんが怖い

先月母が亡くなりました。 父から葬儀の事に関して、丸投げされていたので、私が葬儀屋さんに電話し、喪主を勤めました。 葬儀屋さんと打ち合わせ中に、お寺のお坊さんがいつ葬儀に来てくれるか電話するように言われました。 お坊さんに電話したら、“枕行に行きたい“と言われました。 今朝母が亡くなった事で気持ちが動転していて、葬儀屋さんとプランの話し中だったことで、また後で電話すると言って電話を切りましたが、私は電話をするのをすっかり忘れていました。 それから2〜3時間後にお坊さんから連絡があり、お坊さんを怒らせてしまいました。 母の戒名を考えるために明日、寺に来るのかと言われましたが、私は逆ギレしてしまい、上から目線だとお坊さんに言ってしまいました。 うちにはお金も無いと伝えました。 私のほうからお坊さんに用事があって電話したのに、逆ギレしてしまうほど、まともでは無く、冷静ではありませんした。 葬儀の日に待合室で、“待てど暮らせど電話がなかった。自分から連絡してきて、あの態度は何だ。枕行をやらなかったのは初めてだ。“ともっともな事を言っていました。 今日は母の49日でした。 お経を詠んでもらい、お話しを聞いていましたが、お坊さんは私とは目を合わせませんでした。 お話が終わると、お坊さんさんは烈火の如く怒り始めました。 “何故遺骨を持ってこない?こんな事は初めてだ。“ “何故49日の打ち合わせに来ない?今日は来ないかと思っていた“ “枕行をやらなかったのは初めてだ“ “お父さんは萎縮してしまって、あなたに何も言えない“ “自分のやりたい事だけをやって、周りに迷惑をかけている“ “枕行しに行きましょうかと言った日は、もっと若い女性が悩んでいるのかと思ったら、36歳だったなんて!“ “あなたがした事で、お父さんは謝っているのを知っているか?“ “葬儀の時にお布施5万、御膳料5千円、御車代5千円の6万だったけど、0が一個足りねぇよ“ と親族の目の前で言われました。 お坊さんの大きな声で何故何故といわれて私は何も言い返すことができませんでした。 私の実家はこの先墓じまいになります。 母の遺骨はそこには入れたくありません。 お骨は私の家にあります。 来年の一周忌、3回忌、七回忌…毎回このお坊さんに会うと考えると気が重くなります。

有り難し有り難し 169
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地獄について

お世話になりますm(  )m 今臨死体験の本なども読んだり ネットでも見たりするのですが 地獄についてどう思われますか? 私は地獄があってほしい派です 世の中には人を平気で苦しめて 平気でいれる人がいます まさに悪魔そのもので 自分には理解できません 極端な話がテロリストなど イスラム国の人達など あのような残虐な事が平気で出来ることが 本当に信じられませんし あのような事を平気でしてきた人達が 何の裁きも受けないのはあり得ないと 私は思います 同じ人間なのに どうしてあのような事が出来るのでしょうか 私は悪いことをすれば 必ず報いを受けるべきだと望んでいます 完ぺきな人間はいませんから 多少の悪は仕方がありませんが そうゆうレベルではなく もう「 死んでしまいたい 」と その人をおとしめてしまうような 詐欺だったり、泥棒だったり 苦しむことを平気でやった人に対する思いです 殺人は相当に罪が重いと 私は思います しかしネットで見たのですが 地獄は存在しない 人はみな天国へ行く どんなに悪いことをした人でも 天国へ行くと書いてありました ( 死後の世界や天国は信じる方ですが 地獄は存在しないと言われる方です ) と書かれているのを見て そんな訳はない!!と 思いました、納得できません 今自分が読んでいる本( 臨死体験の本です、カールベッカーさんの本です )には( まだ読んでる途中ですが ) 地獄が存在すると書かれてありました ( 臨死体験された方が見てきた ) 鬼の様な人たちがいて その人?により そこに拷問を受けて 苦しんでいる人たちがいた  と書かれてあります グロテスクではありますが 散々悪いことをしてきた人たちには この様な裁きを受けるべきだと 私は思っています!! お坊さんはどう思われますか? よろしくお願い致します

有り難し有り難し 148
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弟の死を理解しているけど理解できない

先日、弟が持病の発作で他界しました。まだ20代で、仕事の資格を取るために日々勉強して頑張っていました。 先天性で治ることはないのですが、毎日薬を飲んでいれば何ともない病気にかかっていました。 本人は定期的に通院して薬も飲んでいると言っていましたが、実際は2年程通院せずにごく稀に手持ち薬を飲んでいただけのようです。病気に対する認識が甘かったのだと思います。 他界する2時間前まで父とLINEでやり取りをしていました。数日前から調子が悪かったようですが、発作が起きたのは彼自身が亡くなったことに気付いてないのではないか、と思うくらい突然のことだったと思います。 一人暮らしをしている部屋で、誰にも見守られることなくたった一人でいってしまいました。いってしまった翌日に、違和感を感じた父が家を訪ねました。第一発見者は父でしたが、苦しんだ様子が見られたそうです。 若い男の子の一人暮らしなので、散らかった部屋でいってしまいました。発作のせいもあるのでしょうが、極度の脱水状態だったようです。 弟自身そのことは考えてほしくないかもしれませんが、最期を思うと無念でかわいそうでどうしようもない気持ちになります。 薬さえ飲んでいれば、誰かに寸前にSOSを伝えられていれば…と思うと家族全員でやるせない気持ちになります。 家族全員で暮らしていた日々のことを考えると楽しかったことを思い出します。あんなことで笑ったな、こんなことしたな、何ともない普通の日常が愛しくてたまりません。 そんなことは不可能だとは分かっていますが、故人を蘇らせる方法はないかと毎日調べてはどうすることも出来ないことを思い知りまた辛くなります。 葬儀も済ませ自宅にお骨もあり、こんな風にもう生きていないことは理解しているのにどうしてもあの子がここにいないことが理解できなくなります。 ここにいないのは仕事が忙しいから来られへんねんなー、と思えます。そんな風に思った次の瞬間にもうあかんのか…と思いまた泣き、でも仕事にも行きごはんも食べ、会話をして笑い、でもまた落ち込んで…の繰り返しです。 時間が癒してくれるのかな、とも思います。でも自分自身どうにも気持ちの持って行きどころがなくて堪らなくなります。 こんな取り留めのない質問にならない内容で申し訳ありません。あの子はいまどこで何をしているのでしょう。もう苦しみからは解放されているのですか?

有り難し有り難し 55
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不妊による離婚・自死を考えています

乱文お許し下さい。 私は35歳、主人は34歳で、共働きしています。2年前に結婚し、一緒に暮らし始めて1年になります。 生理が不順気味で、年齢のこともあるので、一緒に暮らし始めてからすぐに、不妊治療を開始しました。タイミング、人工受精にトライしましたが、なかなか授からず、医師から「私の体質では妊娠は難しいかもしれない」という宣告を受けました。 主人は「子供がいなくても、2人で楽しく生きていこう」と言ってくれており、不妊治療や家事も積極的に対応してくれます。義両親もとても良い方達で、子供が出来ないことには一切触れません。 私は相当恵まれた環境にいると思います。でも、こんなに優しい主人・義両親を父親・祖父母にしてあげられないことが逆にとても辛く、罪の意識に苛まれています。私がいなくなれば、新しい奥様との間に子供を授かることが出来るのでは、という考えが頭から離れません。「2人で生きていったら良い」という主人の言葉も、私に気を遣っているだけで、本心では子供を望んでいるかもしれない‥という疑念も持っています。 上記の内容と私の心の弱さから、死んで消えてしまいたいという思いが強くなってきています。自死が良くないことは理解しています。それに、死ぬ勇気も絞り出せそうにありません。首を吊ろうとしましたが、怖くて足元の台から降りられませんでした。 命を断つ代わりにと思い、離婚を切り出したら、今まで怒ったことのない主人が激怒してしまいました。離婚するかどうかは、主人に判断を委ねることとして、離婚届を置いて私は家を出ました。 実家へは事情があって帰ることができないので、今はホテルとネットカフェを転々としています。主人は判断に迷っているのか、怒っているのか分かりませんが、連絡はありません。 自殺方法をネット検索し続けている日々が続き、もう限界です。私はこれからどうしたら良いのでしょうか?

有り難し有り難し 56
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死後の世界観

 初めまして。  私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。  私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。  ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。  仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。  私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。  先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。  もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。  人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。  こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。

有り難し有り難し 73
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