お坊さんを蛸と掛け合わせて、笑いを取るような掛け軸について
どうしても意味・ユーモア感覚が分からないので、ここでお坊さんに直接質問をさせて頂きます。
いま私は、とある掛け軸について研究をしています。ですが、私は仏教の世界を深く知るようになったのは、つい最近になってからであり、そのせいで仏教世界のユーモアが分かりません。
研究している掛け軸には、掛け軸の下の方に、『十六羅漢のうち十人が水が足首らへんまでしか来ていない海(若しくは川)の浅瀬を渡って、上の方を見上げている』描写があり、左上の方に、『龍頭観音と思われる龍が一匹と、龍の口らへんに、モワモワした煙と共に、お花のような(?)ものを手に持っている着物を着た女性が一人立っている』描写があります。更に、この空の方へ登っている龍には、十六羅漢のうち六人が乗っており、そのうちの一人が釣り糸みたいなもので蛸を海から釣っています。
十六羅漢が川ではなく、海を渡っているのは、蛸が海にしか生息していないからという理由で、海だと推測しました。
この絵には漢詩が付いているのですが、以下のようなものです:
是秋釈子袿第響
無転十六蛸入道
為老先生博祭無事居楽
遊印には→星洲晩漁
と書いてあるはずなのですが(あまりきちんと読めませんでした)、漢詩の意味は全て分かりませんが、ここには蛸入道としっかり書いてあります。
以上のことから、私は、蛸とお坊さんの頭を掛け合わせて、笑いを取るような絵だと見受けました。
が、私の感性では、釈迦の弟子たちで笑いを取るという感覚が全く分からないのですが、ひと昔の日本では(明治・大正あたり)、このようなことはよく起こり得たのでしょうか?またこのような、ブラックユーモア的な掛け軸は、よくあったのですか?
ちなみに、私の推測はあっていますでしょうか?(蛸とお坊さんの頭を掛け合わせることで、笑いをとるという感覚)
若しくは、他に何か意味があるのでしょうか?
漢詩の意味も分かりませんが、このセンスが本当に意味が分からなくて、大変困っております。どなたか詳しく説明して頂けますと幸いです。
掛け軸の絵を写真で添付できないので、絵そのもののイメージがし辛いと思いますが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
ちなみに、この掛け軸は、近代に描かれました。
有り難し 38
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