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検索結果: 3080件

最期に聞いてみたいです

僕は男性しか愛することができません。 幼稚園の頃から好きな人は男の人でした。 恋愛ができないということも辛いですが、本当の自分を話せない、話したところで理解をされない、だから人との関係を築けない、それが一番辛いです。 これだけ辛い思いをしてまで生きる意味があるのかとずっと思っていました。 中学生ぐらいの頃、母に死にたいと言ったことがあります。 そしたら、今はそう思っても10年後、20年後はわからないでしょう?楽しい未来が待っているかもしれないよと言われました。 その時から10数年間頑張って生きてはみたけれど、年々辛いと感じるばかりで、幸せが待っているとはどうしても思えません。 あの時に死んでおけばこれだけ長いこと苦しむこともなかったのになと思います。 この世界に生まれて良かったと思えたことは一度もないけれど、それでも母だけは好きだったので、悲しませたくないといままで自殺ができないでいました。 自分が死んだら悲しむ人がいるというのは、素敵なことかもしれないですが、だから死んではいけないとずっと神様に人質を取られているような気分でした。 でも、最近はもうそれさえもどうでも良いかと思います。 母を悲しませることになっても楽になりたい。もう何も考えたくない。 自分の幸せになれるかもしれない道は全て試せたように思います。 もう全てを諦める覚悟ができました。 それでも最期に聞いてみたいのは、人が生まれて死ぬということには意味なんてあったのだろうかということです。 魂の修行みたいな話を聞いたりしますが、この世の中汚いものばかりな気がします。こんな世界にいなければもっと清らかに人にも優しくできたように思えます。心を汚して、心を殺して、自分に嘘をつかなければ生きてなんていけませんでした。 人が生きる意味ってなんだったんでしょうか? 人が死ぬことや生まれることに何か1つでも意味があったのでしょうか? 最期にご意見を伺ってみたいです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 40
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生きる気力を失いました

こんにちは。 宜しくお願い致します。 私は、現在タイトル通り「生きる気力」を失くしています。どうやったら、また頑張ろうと思えるかをご相談したいです。 先日、誕生日を迎え20代も最後になりました。ふと、自分はこのまま生きていても意味が無いのではと思いました。そう思うと、無性に虚しくなって死にたくなる様にもなりました。 周りは、家族を作り、友人達に囲まれ、キラキラとした人生を歩んでいる。愛する者、愛してくれる者が居て、その為に頑張って働き暮らしている。僕には、そう見えます。 対して、僕はどうなのか。 愛された事はなく、愛を感じられぬまま今に至り、誰が為に頑張ろうと思える相手も居ない。自分の幸せを目指し、ブラック企業から脱出し、身の回りにもお金を使える様にもなり、美味しい物も多少なりと頂ける様にもなりました。でも、虚しいんです。嬉しくないんです。 ヤバいと思ったのは、来月有休を取得し4連休を作ったのに、何もしたい気が起きない事でした。旅行やしたい事を作れば良いのに、何もやる気が起きなかったんです。 このまま孤独は嫌だと思い、結婚相談所に登録しました。でもあまり上手くいっていません。僕に価値が無いからだと思います。 何をやっても上手くいかない。楽しくない。そして、この苦しい現状を打破出来なくなって、多分心が折れてしまったのかなと思います。 今の僕は、誰からも必要とされず、自分自身すらも喜ばせてやれない、虚無な人間なんです。そう思うと、果てしなく死にたくなります。 この気持ちは断ち切れるのでしょうか? そして、生きる気力、生きる意味はどうやったら戻るのでしょうか? お助け頂けたらと思います。

有り難し有り難し 9
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悟り世代?幸せぼけ?

私はゆとり世代です。 悟り世代とも言われます。 悟り世代の特徴は、欲が無い・恋愛に興味が無い・旅行に行かない・無駄遣いをしない・気の合わない人とは付き合わない・合理性を重視するなど、あたかも悟りを開いているかのように見えたところから生まれた言葉なのだそうです。 私の考え方は全くその特徴と重なります。 なりたいものもやりたい事も無いです。 芸術系の大学を出ましたが仕事にするにはブラックが多いので普通の事務に就きました。 彼氏は気が合うからパートナーとして支え合おうという関係です。 浮気されたら自分はその程度だったかと思うだけです。 子どもは合理的じゃないのでいらないです。 昔から好きじゃなかったのと、責任持ちたくないのと こんな若者が生きにくい世界に生み落としてしまうのはかわいそうだと思うからです。 食事は考えるのが面倒なので、毎食同じもの食べてます。 味音痴なのでなんでも美味しいです。 飽きるとかいう概念も無いです。 不味いものがある人がかわいそうだと思います。 旅行も自分からは行きません。 考えるのが面倒です。 誘われたらついて行きます。 行ったら行ったで楽しみます。 おしゃれは好きです。 最近祖母の着物を大量に頂いて、休日は着物を着て過ごしてます。 全部揃ってるので買っていません。 洋服も着なくなったので買わなくなり、いよいよ無欲だなという気持ちです。 鬱の様にも見えますが苦しくはないです。 趣味は先程の着物と読書とネットで見る映画ドラマ、体験型謎解きも行きます。 気になったものは手を付けて合わなかったらやめます。 私は私で生きてればいいと思っているだけです。 先日同い年の友人に生きる意味の話を聞きました。 私は生きる意味なんていらないし、生きてても死んでてもどっちでもいいなと思いました。 だって現に今生きてるんだし、死んじゃいけないらしいし 死んじゃいけない時点で存在価値ありますよね? 人生なんて途方も無い暇つぶしで、何かを掴もうとして小さな喜びに気づかなくなくなるよりも、小さな喜びを喜びと思える方が幸せだと思います。 嫌われるなら嫌えばいいし、苦しいなら逃げればいいし、一緒にいてくれる人と一緒にいたいし、居たいところに居たいです。 それじゃだめなんですか? 幸せぼけですか? 仏教的にどう思います?

有り難し有り難し 23
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親友だった人と別れて寂しい

私は精神病ですが、病院で入院中に知り合った人とつるんでいました。その人は詳しくは書きませんが、あまりいい人ではなかったのですが、寂しいからつるんでいたんだと思います。その人と以前相談した件が発端でけんか別れしました。その人が言うには「16年も休職して休職手当もらってるなんて犯罪だ。」というのです。「100人に聞いてみろ。みんな犯罪って言うから。」とかいうから、税務調査も通ってますし、以前弁護士に聞いても問題ないということを言ったら、「浮気は犯罪じゃないって言うようなものじゃないか。」って言うから、浮気は犯罪ではないと民事上の賠償責任のことを言ったら、「あなたは間違っていると思わないのか?」というので「思いません。」といい、車を降り、携帯の連絡先も消し、メールもブロックし、着信拒否しました。 しかし、寂しくて仕方がありません。ぽっかり穴が開いたようで、海援隊の『贈る言葉』を聴いてたりします。 信頼する友人にも相談してみました。二人の意見は一致し、そんな友人は縁を切るべきだと言ってくれました。 また、病院で知り合った人に個人的なことをしゃべるべきではないね。とも言ってくれました。今は、ただでさえ妬まれる世の中なので、恵まれている人はそれを周りに明かすべきではないとも言われました。例えば、守秘義務があるカウンセラーとかお坊さんとかならともかくと友達のお坊さんは言っていました。とりあえず、うまいものと甘いもの食べて心を落ち着けてから、問題を解決しないとぐちゃぐちゃになる世とも言ってくれました。同級生なんですが既に寺の住職なんでさすがだと思いました。ダラダラと書いてしまいました。気分転換するしかないんですかね?

有り難し有り難し 3
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プライドの煩悩と能力を反比例させるには。

1、これまで出会ったデキル人達は、在家も出家も 男性も女性も 総じてプライドの煩悩も強かった気がします。他を見下している人も多かったです。攻撃的な性格の人も多かったです。 有能、優秀で、実績もあり、容姿も優れ、尚且つプライドの煩悩もない、もしくは平均よりだいぶ少ない人物を ご存知のかたいましたら、ぜひ教えてほしいです。こっそり尊敬してお手本にします。 2、読み物を読む限りは、お釈迦様はプライドが高いように感じられるのですが、皆さんはいかがお感じですか? 実際にはお釈迦様は無上の悟りを得ておられるということは、プライドの煩悩も皆無ですよね? プライドが高いかのように描かれているのは書き手の技量不足によるものですか?  3、プライドの煩悩を弱め、最終的には消すための具体的方法をご存知のかた居ましたら、教えてほしいです。 また、実際にプライドを弱めることに成功した体験者のかたいましたら、ぜひ体験談や修行方法を教わりたいです。私も修行に励みたいです。毎日の八正道の実践は正直難しいなぁと感じていますが、難しいなりに心がけてはいます。私は怠け者なので、正精進するだけでも、プラスの効果を感じております。アドバイスくださったお坊さん、有り難うございました。

有り難し有り難し 23
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「蜘蛛の糸」について

私は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という作品が、昔からいろいろに解釈できて、ずっと不思議に思っていました。 最初に読んだとき(子どものとき)は、 ①カンダタは莫迦だなあ、自分ならきっと、みんなと力を合わせて、みんなで極楽にたどり着くのに と思った ちょっと時間がたって(思春期) ②どうせ私もカンダタと同じだろう、きっと誰でもエゴが勝ってチャンスをだめにしてしまうに違いない と思った またしばらくして(反抗期) ③お釈迦様って何様なんだ!(お釈迦様だけど。)教養もなく悪人として生きてきたカンダタを、カンダタが成功しそうにない極限状況で試すなんて。助ける気なんかもともとないじゃないか、この話に正解も救いもないじゃないか と思った また少しして(青年期) ④カンダタが蜘蛛の糸を見ても登ろうと思わないくらい達観していたら、もしくは落語の江戸っ子のように、「一度地獄に落ちた身分の自分が、いまさら蜘蛛の糸などにすがってたまるか」と居直っていたら、お釈迦様は確実にカンダタを助けていたのかも と思った そして今(中年期) ⑤芥川が絵本として子供向けに書いた以上、一周回って、①の子どもらしい慢心(カンダタを通した戒め)が作者の意図した一番素直な読ませ方なのでは とも思う そこで質問です。 カンダタが確実に極楽に上がるためには、どうすればよかったのでしょう。 回答者陣のお坊様方は、自分の仏教に関するすべての見識や体験をふまえたならば、助かりたいカンダタに何とアドバイスしますか? それともこれは、カンダタはどうやっても助からないというお話なのでしょうか? その他、この作品に対してどう解釈しますか?

有り難し有り難し 115
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