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hasunoha 問答検索結果 : 「 余命 」
検索結果: 393件

彼を諦めて、一人で育てるしかないのか

妊娠6ヶ月、授かり婚です。 彼とは昨年6月から交際し12月に妊娠発覚。一緒になろうと言ってくれた彼。 3月に入籍すると決め、両親に報告、承諾を得て順調に話が進んでいました。 しかし3月1日、入籍しようとしたところ、彼のお義母さんが、結婚は待ってくれ、子供は諦めろと急に言われてしまいました。 理由は昨年7月にスキルス胃がんが発覚し、余命1年と言われた(私も彼も知っていました)から、それまで待ってほしい。 待てないなら縁を切る、と言われました。 私は同棲もしていなく、一人暮らしのため、つわり期間は1人で乗り切り、これから楽しい妊婦生活、そして赤ちゃんに会えるのを待っていたため、納得はできません。 私の両親も不信感を抱いています。 彼は結婚したい、子供と一緒にいたい、でも許してもらえないなら結婚はできないと。 1ヶ月このやりとりをして、やっと4月の頭には籍を入れようと言ってくれました。それなのに、なかなか籍を入れてもらえません。 仕事も退職したため、保険証がなく困ってると伝えても、わかったからと。 彼を支えてあげたい気持ちもありますが、はっきりしてほしい気持ちが強くなってしまいます。 お義母さんの事を思うと、私は彼との結婚を諦めるしかないのでしょうか

有り難し有り難し 24
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父を亡くしてどうしたらいいかわかりません

父が2週間程前に癌で亡くなりました。享年70歳でした。1年7か月の闘病でした。最後は肺に転移してしまい発作ばかりで苦しい上にせん妄も起き、話が通じているのか通じていないのかわからない状態でした。 最初の1年くらいは胃を切除し抗がん剤をして、普通の生活を送れましたが、やがて抗がん剤が効かなくなり食べ物を食べては吐くの7か月になってしまいました。余命宣告を一切父にはしてこなかったのですが、自分の体調と私達の様子で自分の命は残り僅かだと気が付いていたとは思います。 亡くなる1週間くらい前に病室で父がボソッともう少し生きてーなーと言ってきました。それから発作が起きたときは、私に殺せと言ってきて、お前は生きるからいいじゃんと言われました。はっきりと本人から俺は残り僅かなの?とか聞かれたことは一切なかったんですが、本当は余命宣告されたとき本人に告知しておけば悔いない人生を送れたんじゃないかと後悔しています。 2週間経つ今まで悲しいはずなんですが、あまり悲しみがなかったのに、今となり毎晩夢に出てきたり、悲しくなってきました。なんでも直してくれたり、家の物を作ってくれたりする父にもう何も頼めないのかとかちょっと天然な父にはもう笑わせてもらえないのかとか考えれば考える程つらいです。時間が解決してくれるのを待っていては、身が持たないような気がしてきてしまいました。 人間と言うものは寿命が決まっているのでしょうか?私はこれからどういう気持ちで生きていけばいいか整理がつきません。悲しみを乗り越えるためには、どう考え生きていけばいいでしょうか?

有り難し有り難し 5
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彼女のお父さんがお亡くなりになられました

こんにちは。 昨日、私の彼女のお父さんが癌のためお亡くなりになられました。まだ若く70歳でした。 2年前の11月に年内までと余命宣告を受けておりましたが、お父さんの生きる気持ちが強かったのか余命宣告を受けた後もしばらくはとても元気に生活をされていたと聞いています。 ここ数ヶ月は体調の悪化で入退院を繰り返し、後半は酸素マスクが必要な状態となっており、私もそのタイミングで初めてご挨拶をさせていただきまして、そのちょうど1週間後に息を引き取られました。 彼女は、お父さんがいなくなった悲しみや「余命宣告されてから2年間もあったんだからもっとお父さんの写真や動画を撮ったり、親孝行しておけばよかった」といった後悔を感じているようです。 こうした悲しみや後悔の心の状況にある彼女にお坊さん方から、何かお言葉をいただけると幸いです。 また、これからもっと想い出を作っていきたかっただろう彼女の気持ちや、お会いした時のお父さんの顔を思い浮かべると私自身も辛くなる時があります。 私の心の持ち方や彼女にこれからどう接していくのが良いのかも合わせてアドバイスいただけたらなと思っております。 どうぞ、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
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初めて身内の死を経験してから

3年半前、祖母は余命2~3ヶ月の末期癌と診断されました。 ですがよい病院に巡り会え、度々余命宣告されても、家での治療を続け元気な姿を見せてくれました。 その祖母も、春に余命2週間を宣告され、そのとおりに亡くなりました。 亡くなる数日前までは酸素も回復し、本人も「みんなでお花見しよう」「退院したら○○へ夕飯行こう」なんて楽しそうに話していて。 突然危篤状態になり、次の日にという流れでした。 私はこの3年間延命してる姿を見て「こんな笑ってる人が死ぬわけない」と思い込み、祖母に優しくできなかったことをとても後悔しています。 仕事を理由に何度も誘いを断り、私が口ベタなこともあり話のキャッチボールが少なかったり。 まともな思い出も去年秋の旅行と、亡くなる前の誕生日会くらいです。 亡くなって2ヶ月半経ちますが、かなりの頻度で夢に出てきます。 街中で同年代のお年寄りを見かけるだけで悲しくなります。祖母の願いであった私の結婚報告も、式の参列へも、叶えられなかったことを考え泣いてしまいます。 亡くなる数時間前、駆けつけた私を見て涙目で手を握ってくれました。 必死に抱きしめようとしてくれましたが、医療器具やベッドの柵が邪魔で出来なかった悲しみや、死の直前まで生きたいと願っていた祖母の姿が頭から抜けません。 死の悲しみは誰もが通る道だとは分かっていましたが、、 どうすれば前向きに生きられるでしょうか。

有り難し有り難し 15
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無念さが時折邪魔をします … 。

余命宣告1年が 半年過ぎました。 仕事にケジメをつけ 退職し 自宅は介護ベッドと最低限必要なもの以外はすべて処分し 実家と病院の出入りで生活と治療を続けています。 老後にと貯めていた貯金で 両親の自家用車を購入し  実家の台所を全リフォームし  自分と息子の墓石 両親の墓石  そして  お寺で両親の戒名と私の葬儀のお願いを聴いていただき 余命1年の会計と財産分与をすませ 日々は 病院での治療日誌を毎日詳しく書きしたため 抗がん剤治療が出来なくなったあとの ホスピスも手配ができたところです。 優しい息子 看病してくれる両親には ただ ただ感謝しかなく 自分のできる範囲で余命生活を 共にしています。 病院関係では 主治医 緩和Dr看護師 整体 薬剤師 みなさんによくしてもらい 落ち着いて治療 療養できていますが ガンの痛みと副作用は  容赦なく襲ってきて 毅然に生きていると思っていても 一人涙が溢れたり  どうしようもない無念さに 心が折れそうになります。 特に 発見前 今の主治医に 「ガンではないか!」と ひつこく受診し 薬服用しても効果ないと通院していたにも かかわらず 大病院で受診したら 膵臓ガンだとわかった経緯は どうしても許せなかった…のですが 大病院は遠方なので やむを得ず ガンをみつけれなかった今の病院で 治療をすることになっているので 毎日 思わない日はありません ・・・速く見つかっていれば 手術できたり 治ったり 余命1年ってことはなかった・・・ と そのキモチを収めるために 朝晩お経を唱え写経したりするのですが 痛さとの戦いのよぅです 医療麻薬のせいにはしたくはありません この先 痛みと無念さに負けず 心穏やかに 自分らしく生きたい そのためには どんな心積もりでいるべきでしょうか お知らせ下さい

有り難し有り難し 13
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今 向き合うべき事がわからない

現在実家の母が末期がん、余命はあと数日と言われています。 私は遠方に住んでいますが母のがんが発覚して、できるだけ顔を見せるようにしてきました。先日母から「自分の家庭があるのに頻繁に来るな、まだ母親が必要な子供が家で待ってるだろう。来られるとその事を考えて心配で神経が高ぶる。やめてほしい。」と強く叱られました。 母の心配する気持ちを受け止めましたが、自分が辛い時にも娘の事を思ってくれる母を思うと胸が張り裂けそうでした。 それからも実家には行きますが母の部屋には入らず(母はベッドから動けません)、介護は姉が、私は家事を手伝う位です。 母は私が来ていることを知りません。 宣告はしていませんが、あまりにも身体が辛いので母は自分の命の期限に気がついていると思います。 ただ私が行く事でもっと母を辛くさせてしまうけれど、もういつ逝ってしまうかわからない母に会っておきたい気持ちと、とはいえ、日々衰弱していく母を見るのは辛いのも確かです。 あと、未婚で実家に同居している姉が心の病があり、思い通りに行かないと家族に暴言を吐く、などしてきました。その拠り所であった母の死を恐れながら、懺悔するかのように今は献身的に介護しています。 その姉から、とにかく夜一人で母の死を想像するのが怖いから、実家にいてと言われています。姉がいっぱいいっぱいになり爆発するのも私は恐れています。自分の家に中々帰れません。でも母の顔は見れません。 今私がやるべき事は、一体何なのか。 自分の考えだけでは行動できず、私自身も意思を貫く事ができない弱い人間である事を目の当たりにするだけの毎日です。

有り難し有り難し 22
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祖父の死、後悔が尽きません

癌の余命宣告を受けていた祖父が旅立ちました。宣告されていた余命よりも長く頑張りました。 幸いにも、亡くなる1週間ほど前までは元気で、薬は飲んでいたものの、入院することもなく、亡くなる前日まで散歩をしたりしていました。 私は祖父と同居していたこともあり、おじいちゃんっ子でした。 海外に住んでいるため、コロナ禍ということもあり、祖父が亡くなるまで一度も日本に帰り会うことはできませんでした。 そのため、毎日祖父にビデオ電話をかけて、お喋りすることにして、連絡を取り合っていました。でも、毎日と決めていたのにも関わらず、3日間連絡が空いてしまうことや、祖父の話をちゃんと聞いていなかったときもあったなあ…もっといろいろ聞いて、もっと闘病中の祖父を労ってあげればよかった、という後悔で押しつぶされそうです。闘病中でしたが、ご飯もよく食べ、散歩もし、元気だったため、その姿に甘えて、寄り添ってあげれてなかったのではないか…実は苦しかったのにそれを見せなかっただけだったのか…考え出すと苦しくて涙が止まりません。人間未熟な自分が嫌になります。 まとまりのない文章で申し訳ございません、いまの素直な感情を書かせていただきました。私もいつか祖父のいる場所に行く時が来たら、また会えると信じています。また会いたいです。

有り難し有り難し 5
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