前回、好きで離婚した元旦那さんのことで相談させて頂きました。その元旦那さんにいつか本当の愛とはどういうことなのかということを話し合えたらなと思っており、真の愛について深く考えていました。 愛は憎しみに変わるとはよく耳にしていましたが、本当の愛は憎しみにはならないと最近知りました。変わるとしたら無関心。憎しみは執着からくるもので愛ではない、本当に愛していたのなら憎しみにはならないと。愛していると思ってても自己愛に過ぎないこともたくさんあるなと感じています。 人を本当に愛するとはどういうことだと思いますか?
お世話になります。じゅんちです。 15歳の娘の突然の死から8ヶ月が過ぎました。まだまだ涙が乾く日はありません。 月命日には友達が相変わらず来てくれて賑やかにしてくれます。 寂しい、会いたい、いろんな気持ちにもちろんなります、二女が姉の服を着たり同じような仕草をしたり、行事があるたびに思いだし二女の姿を見ながら同じような事が起きやしないかとたまらなく不安になったりの繰り返しです。 私自身が楽しい時間を過ごすことに罪悪感を覚えます。 友達に会ったり、笑う時間もありますがそれがふとたまらなくなるのです。 長女にも楽しい時間がたくさんあったはずだと。 長女は空から私が笑ってるのを見たいはずだよねと思うのですが、気持ちが頭がバラバラです。 どんな思いでいたらいいのか整理がつかず辛いです。 お言葉をいただきたいです。宜しくお願い致します。
こんにちは。先日は私の拙い質問にご回答頂き、誠にありがとうございました。また、こちらで何度もご質問させて頂いておりますが、その度毎に丁寧なご回答を頂いておりまして、大変感謝しております。本日は、多少突っ込んだ質問になってしまいますが、自分の中でどうしても整理がつかない点があり、それを質問できるような場が他にありませんでしたので、この場を借りて質問させて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。 こちらのサイトを拝見しておりますと、「霊は存在しない」と回答しておられるお坊さまが何人かいらっしゃいます。お坊さまの中でも意見が分かれる問題なのだと思いますが、私は霊魂の存在を信じており、また輪廻転生もあるのではないかと考えております。霊魂の存在を否定されるお坊さまは、霊感商法やカルト教団への対応など、現実的な対策の観点から、またお坊さま個人の世界認識から、そのような発言をされているのだと思います。しかし、素人の私から見ると「悟り」や「阿弥陀仏の救い」を前提としてお話をされているお坊さまが、「霊魂」の存在を否定されることが、どうしても理解できないのです。 素人の私から見ると、「悟り」も「阿弥陀仏の救い」も、それが一体何であるのか分かりません。そのため、お坊さまが「悟り」や「阿弥陀仏の救い」をお話されることは、「霊魂」や「輪廻転生」のお話をされることと同じくらい荒唐無稽なもののように感じてしまうのです。唯物論者の方が霊魂の存在を否定されるのは理解できるのですが、お坊さまが否定されることは、私にはどうしても理解できません。霊魂の存在については、「分からない」とおっしゃることが最も妥当なのではないでしょうか。 実際に、現代には様々な宗教がありますが「霊魂」や「輪廻転生」の存在などを説いている宗教も数多くあります。もし、お坊さまが霊魂は存在しないと考えておられるのであれば、それらの宗教についてはどう理解されているのでしょうか。 このような突っ込んだ質問をして、誠に申し訳ありませんが、霊魂を否定されるお坊さまのお考えをどうしても伺いたいと思いました。ご回答頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。
初めて相談いたします。よろしくおねがいします。誰に聞いてよいかわからず、悩んでおります。 私の母のことなのですが、心の持ち方についてご教授願いたいと思っております。 両親は私が15歳の時に離婚し、それから母親だけで育てられてきました。ちなみに私は一人っ子です。 大学、大学院はバイトと奨学金でなるべく母には迷惑をかけずに勉強し、就職後は毎月母の収入以上の仕送りをしています。 母は私が就職をしたころから、依存するような発言をしており、それが不快です。 また私の生活に色々とアドバイスをくれるのですが、その発言が耳障りでつい辛く当たってしまいます。 母の面倒は生涯に渡って見るつもりでいますが、何か納得してないような気がしています。 心のどこかで、両親のせいで貧しい思いや嫌な事があった上に、就職してからも仕送りをし続けている私は何のためにこんなことしているんだろう?と考えています。 見返りが欲しい訳ではないのですが、私が苦労する(労力を使う)意義が母親のためだけなのか?と思うとやりきれないです。 自活してちゃんと働いて生活しているのに、どうして色々言われないといけないのか。と思ってしまいます。 最近私が結婚して、母がより一層私に依存してきます。 今は別々に暮らしていますが、いずれ一緒に住むと思うと不安です。 どのような心の持ち方をすれば、母に優しく接することができるようになるか教えて欲しいと思います。 よろしくお願いします。
こん○○わ。初めまして。よろしくお願いします。 さいきんとある方から聴いたのですが、阿弥陀仏の48願というものがあるとききました。 今流行りのアイドルのような数字なので、気になり調べましたが、 センターの願いとでもいうべきでしょうか。 第18願を浄土宗の法然氏は一番大切と言ったそうですが、インド語の原文にはない部分で書き足された部分だという話をききました。 私も聞いた話なので、詳しいことは知りませんが、 このことが本当なら、これはどのように捉えれば良いのでしょうか?? お坊さんの皆様お願いいたします。
最近、仏教について勉強しています。 座禅の仕方や四法印の意味など、知れば知るほど『なるほど』と、思うことが多く、大変勉強になっています。 私にとって特に影響力があったのが、小池龍之介先生の考えない練習です。 心の扱い方や感覚に意識を向けることなど、試してみたところ集中力ものびたし悩みもずいぶんと減りました。 仏の教えは、心の教育にすごく役立つと思ったのですが、私の個人的な実感としては、今の日本にはあまり広まっていないような気がします。 これは、個人の興味の有無の問題なのですが、仏の教えが伝わりづらい理由は何か別にあるのでしょうか? 先生方の実感としては、どのようなところに伝わりにくさがあると思いますか?
お寺に行くと、撮影禁止とよく書いてありますが、どうしてだめなのでしょうか? こんなすばらしい仏像に出会ったとブログに書きたいのですが。 仏像の写真を撮られるとお坊さんとしては嫌ですか? 他の人がお参りしているときとかにはもちろん写したりはしないのですが
最近、お浄土にはたくさんの種類があると知りました。 私の家系は浄土真宗なので、阿弥陀様の極楽浄土に生まれ変わらせていただくことになると思います。 ということは、生前に阿弥陀如来様を信仰していた人と、死後に極楽浄土で再会できるということでしょうか? また、たとえば薬師如来様を御本尊として信仰している人が往生した場合、東方浄瑠璃浄土というお浄土に行きますよね? そうした場合、私はその人とは会えなくなってしまうのですか? 仏教初心者なので、どこか間違っていたら申し訳ありません。 いろんな宗派のお坊様から回答をいただけたらありがたく思います。 よろしくお願いいたします。
夫と子どもと一緒にいる休日が苦痛です。 私のうつ病への理解がない、腫れ物を触るような扱いをする夫に嫌気がします。 死にたい。 消えてなくなりたい。 この世から私という存在を無くしたいです。 死にたい。
何度も助けていただきありがとうございます。 今回は、残された子供たちの将来について、不安に思うことでご相談させていただきたいと思いました。 先日の障害者への事件や、世の中のショッキングな出来事に、毎日辛くなります。 私は主人と結婚してから、すぐに子供がほしいと思えませんでした。なぜなら、こんな未来も見えない寂しい世の中に、子供を育てる自信がなかったからです。私たちの子供の時代とは取り巻く環境が全く違います。 それでも、子供が欲しいと思えたのは、主人と2人なら守ってあげられると段々と思えたからです。 なのに、主人はいなくなってしまいました。 私はどうしたらこんな未来のない不安な世の中で子供たちを育てていけるのでしょうか。
必死に逃げたり 色んなスーパーを周り 食料を調達するのに必死だったり 水が出る場所を探し 何度も何度もくみにいき 1日が終わり 歳をとっている親からは 文句を言われ 余震がたくさんあり いつまた大きな地震がくるのかと ドキドキしていて 夜も眠れません しかし 仕事をしなくてはなりません 正直、体も心も 疲れてしまいました 私に喝をいれてください
度重なる論争によって混沌としている話題でありますが、お坊さん的にどう映っているのかなと。 はっきり言って私はどちらかと言うと反対側の人間です。そもそも人が人を裁くという神にでもなったつもりなのか驕っているようにも見えている。 でも現代を生きる人々が暮らす世の中においてこの考えは泡沫の夢に過ぎないのでしょうか。 身内が殺されてもお前はそんな甘えた事を言うつもりか、人でなし薄情者、悔しくは無いのか、社会のゴミは死んで当然だ。ころせころせ。 誰も彼もアガペーを持てと言うわけでもありません。私自身も身内を殺されて正気を保てるのかわかりません。彼らと同じ事を望んでしまうやもしれません。 ですが……それでも死を持って贖罪とするのは本当に正しいのでしょうか。
恋人はいないし友達も予定が合わなそうです。 好きではない女性と遊ぶことはできますが、 それは相手にも失礼なような。 どうするべきでしょうか。
こんにちは、ミッションスクールに通う女子高生です。 タイトルどおりですが、何を持ってすれば仏教徒と言えるのでしょうか? キリスト教の場合は洗礼を受けることですが、仏教にもそのような行いをするのでしょうか? 仏教にとても興味があるのですが、何しろ幼稚園の頃からキリスト教をずっと学んできたので知識に関しては手塚治虫の漫画を読んだことぐらいしかないです。仏教の中にも、いくつかの宗派?がありますよね、本当に簡潔でいいので教えてください! 質問が多くて本当にすみません。回答していただけると嬉しいです。
僕は「生きる意味」を自問自答し、それを見出せませんでした。僕は僕の意志に主体性が介在しないという結論に至り、もうすぐで寿命が尽きてしまいます。どうすればいいでしょうか。 「知」の欲求が、「生」の欲求を上回り、生活を営めないがために健康を害し、身体が悲鳴を上げている。 これを自覚してなお、僕は自らの意志に主体性を見出せず、仏様から授かった寿命が尽きてしまうことを悲しいと思うことしかできません。しかもこれに対して僕はどうすることもできません。 取り急ぎ回答をお願いしたいと存じます。
いつもお世話になっております。 問答では学ばせていただく事が多く、ありがたい毎日です。 私は「知足」と「本来無一物」という言葉が好きです。 生活において物質的にも精神的にも色んな問題を抱えている中、 この言葉に助けてもらいながら生かせてもらっています。 本当に少しずつなのですが、すぅーっと自然と身について、 ちょっとの事でもありがたいなと感じます。 仏教用語はhasunohaにて拝見する度に「うーん、なるほどありがたい~…」と感銘を受け、頷いていますが、恥ずかしい話…難しい文言も多く忘れてしまいます(哀) お坊さんが好きな(大切な)言葉を教えていただけると嬉しいです。 出来ましたらその言葉の意味・好きな理由等をお聞かせいただければ幸いです。 どうぞよろしくお願いいたします。
先月の終わり妹がうつ病(仕事の悩みなど)で両親の目の前で実家のマンション9階から飛び降り自殺しました。即死でした。 私とは4、5年前から些細な喧嘩で連絡もとっていませんでした。その時からうつ気味だったようです。 姉もいます。三姉妹でとても仲良しでした。悲しくて涙が止まりません。 先日初七日の時は妹がしきりに(私の意識の中で)私の名前を呼んでいるのが聞こえました。亡くなった頃の時間になるとそれはおさまりました。 翌日はすぐそばで妹が歩いている気配がします。余りにも不憫で私の思い込み からきているのでしょうか。どうしたら良いでしょうか⁉何か伝えたいことがあるのでしょうか。
ご覧いただきまして、有難うございます。 早速、質問させていただきます。 私はご先祖様と亡くなったペットの御供養の為に読経をしたいと思っているのですが、どの宗派のお経を読めばいいのでしょうか? 私の両親はそれぞれ宗派が異なり、両親は離婚しています。 しかし、私は父親の苗字を名乗っています。 その場合、父親の宗派のお経を唱えた方が良いのでしょうか? 私は父方のご先祖様も、母方のご先祖様も御供養したいので、どちらの宗派のお経にすれば良いのか迷っております。 ちなみに最近は某現役僧侶の般若心経の本を読んでいるのですが、宗派に関係なく般若心経でも良いのですか? 今は読経なしで、毎朝お供え物と挨拶をして、毎晩仏壇の前で手を合わせご先祖様には『今日も1日有難うございました。安心して安らかにお眠りください…』、神様には『ご先祖様たちが安らかな気持ちで成仏されますように…』と心で唱えております。 その他、御供養にまつわる作法などございましたら、教えていただけますと幸いです。 宜しくお願い致します。
先日、親友が亡くなりました。 がんでした。 発見された時は既に全身に転移していて、 治療を行うことなく緩和ケアをしていました。 末期がんということで覚悟はしていましたが、 今まで当たり前のようにいた親友が いなくなってしまったことはまだ受け入れられません。 でも、その傷はいつかは癒えると思います。 僕には僕の人生があるし、何より親友が、「僕のことは心の片すみにおいて、たまに『いいやつだったな』と思い出してほしい」といっていたからです。 ここで、本題に入ります。 僕はいつかこの試練を乗り越えられるのだと思います。 しかし、親友は亡くなりました。 親友にとって、がんで亡くなることは、「乗り越えられる試練」だったのでしょうか? 「神は乗り越えられる試練しか与えない」。 この言葉を信じることができなくなりました。 この言葉はどういう意味なのですか。 親友は、試練を乗り越えたのですか。 教えてください。お願いします。
先日、同居していた父が突然死しました。 前日まで畑仕事を元気に楽しみ、医者からもどこも悪いとこないし、健康だと言われてました。75歳です。 しかも、亡くなる前日、母方の祖母が亡くなったと連絡があり、葬儀に行く準備をしてました。その翌朝に、父が起きてこなくて冷たくなっていました。 祖母は、いつも私達の幸せを願っていてくれる優しい祖母でした。父を連れてったとは、とても思えませんが、なぜ?次の日に?? いつかは父も死ぬ。お別れが来る日があることを常に考えたりもしはじめてはいましたが。 なぜ?なぜに、祖母の次の日?? これは、どういう意味なんでしょうか?? もちろん、父も母方の祖母の死はショックではあったようですが、祖母は91歳で、体調も良くなかったから、ある程度の覚悟はあったはず。 そして、私の母は、実母と旦那を連日亡くし、かなり衰弱しております。 どうか、母のためにも、お言葉を下さいませ。