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hasunoha 問答検索結果 : 「お坊さん できない 」
検索結果: 7734件
2025/07/22

「印信と袈裟を取り上げる」と言われました

はじめまして。 会社員として働きながら僧籍を取り、師僧やその関係先の寺院の行事に出仕しておりますが、現在家庭の事情でその活動は休止させていただいております。 このたび、どうしても電話に対応できない状況でこちらから通話を遮断したところ、即座に説明と謝罪を要求する旨メッセージが来ました。 また、謝罪に伺ったところ、今後このような失礼をはたらくようなことがあれば、袈裟と印信を預かる(私は真言宗醍醐派に僧籍を持っています)と言われました。 たしかに通話中の電話を一方的に切ったことは失礼なことをしましたし、申し訳ないことをしたと反省しています。 しかし、それで印信や袈裟を取り上げるようなことがあるのでしょうか。 相談の要点としては上記についての疑問はじめ数点ございます。 ・印信は本山から頂いたもの、また袈裟はその下部組織である大本山からいただいたものなので、師僧に返上するというのは筋違いでは。 ・伝法灌頂を受けて教師となっても独立性がないことに疑問をもっています。今の所属とは師弟関係ではあるものの、雇用関係にはありません(一般のお坊さんでしたらそれぞれ独立した格好になると思います)。言い方は良くないですが小間使いのようです。 ・師僧を敬えということは解りますが、取引先の社長並みに迅速丁寧に対応しろと要求されます。(こちらは師僧と仕事相手を並列に考えることのほうが違和感があります) ・家庭内でゴタゴタがあっても、当方の状況やプライベートは関係ない、興味もないと仰られながらも、家庭の事情(家庭内不和など)を持ち込まれては困るので参加するなと言われます。 ・仮に私が開眼供養の依頼を聞いてきたとしても、師僧が引き受けるべきだと言われます(実践できません) 特に気になるところとしては、本山や上部組織から頂いた印信や袈裟を師僧個人の判断で人質に取ろうとするのは、結局やり方が気に入らなくて他所へ行かれるのを防ぐため、 また、仕事を回せというのも自分の食い扶持を取られたくない、 そんな意図を感じます。 お坊さんの世界ではそれが当然なのでしょうか。 雑然とした形で申し訳ありませんが、お坊さん業界の実情も交えてご教示お願いいたします。

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"生きる"を学びに

お久しぶりです。 長い期間不登校だったのに、学校へ無理矢理行かされて… 更にテスト期間だったということもあり、何も勉強していないのに、「点数悪かったら退学!」「学校来なきゃ退学!」「嫌な科目出なきゃ退学!」と言われもう疲れました。 祖父母にも、「そんなこと言われて悔しいと思わないのか!?見返してやれ!」などと、もう精一杯なのにそんなことを言われ精神面では限界を迎えたようで、無気力が続き私を学校へ行かせようとする人間に殺意が湧いていっそ殺して死んでやろうかとも思いました。 お坊さんの回答通りにいろいろな機関に助けを求めようと、調べてはみましたが私のいる県では不登校への支援がかなり遅れているようで役に立ちません。 その事実に驚きました。 どうりで自殺率が高いわけです。 少しでも自分の中の苦を取り除くために、サイト中のお坊さんの回答をノートに写しました。 そこでやっと、お坊さん方が言う「学校へ行かなくていい」の意味がわかりました。 高校は18で卒業するものだという価値観が刷り込まれて、自分で自分を苦しめていました。 その価値観をぶっ壊して考えてみました。 しばらく学校と距離を置きたい。 変わりに"生きる"ことを学びたい、と思い北海道へ酪農のアルバイトを一年間しに行きたいと思います。 慣れない仕事で身体を疲弊させ、牛さんと関わることで命のありがたさや、食品の大切さを学びたいです。 貯まったお金で通信制高校へ進み高卒資格を得たいと考えています。 そこから仏教を学ぶ大学へ進学して、私のように苦しむ人々を救うべく、hasunohaのお坊さん方のような僧侶になりたいです。 やっと明確に将来が見えたのに それを母に伝えたところ、頭ごなしに怒鳴られ話になりませんでした。 姉が国公立の大学なため、家族の中に落ちこぼれがいるのが許せないんでしょう。 今まで学校へ行かないといけない、という価値観を押し付けられていたことに気づけたので、もう母の言うことを聞こうとは思いません。 もう勝手に北海道へ行こうと思うのですが、どう思われますか?

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30歳を目処に死にたいと思っています

以前こちらで質問する機会を頂き、とても気持ちが軽くなったこともあって今回また、性懲りも無く投稿することをお許しください。 私は現在、正社員として働いています。 自分なりに日々なんとか働いてはいますが、最近限界を感じています。 ・就いている職種が、自分の中で最も苦手としている事柄であること。 ・仕事の拘束時間が周りよりも多いのに給料はとても安いこと。 ・上司(いわゆるお局様)との関係に、プレッシャーや恐怖を感じすぎて疲れていること。 ・時間とお金がかかる趣味を嗜んでいますが、仕事と趣味の両立がとれないこと。 以上のことから、仕事を辞めて、パートで働きたいと考えるようになりました。 しかし、それを周りに相談しても「3年は働け」と言われるばかり。 周りがそう言う気持ちは、私にも分かるのです。なにせ私は、社会で生きるのに向いていない。責任感はないし、働くより休みたいし、人とはなるべく関わりたくはないし、マイナス思考で、取り柄もない。実家暮らしで周りに頼りっぱなし。我儘で、人よりも理解力がなければ、学力もない。今の職場で正社員として働いていることは、まさに奇跡に近いのでは?と思うのです。 パートに転職したい、と情報を探ってみても、「正社員のほうが将来安泰」、「パートはやめた方が良い」という意見が多いです。 でも、自分の人生に期待もできず、将来も変わらず底辺なのだろうなと思うと、人生80年というのはあまりにも長い。 それなら、誰か他の人に私が生きる分生きて欲しいですし、私も楽です。 ならば、30歳を目処に死にたいと思うようになりました。 そう思っても、「死にたくない」し、「将来への不安」は捨てきれず、自分でもなにが正解か分からないのです。 自分がなにを思ってるのかすら、分からないのです。 人に相談するのもどうしてか苦手で、難しいのです。 「仕事を辞めたい」し、「30歳で死にたい」 でも、「将来への不安」「死への恐怖」は拭いきれず、結局毎日、地球の酸素を無駄遣いしています。 我儘で、矛盾ばかりの甘えた自分がこれから何を信じて頼りにしていけばいいのか、どなたかお手すきの際にご教授頂けると幸いです。 長々と申し訳ありませんでした。

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どれが本当かわからない。

私は20代後半の女性なのですが、先日までお坊さんの彼とお付き合いしていました。 別れた大きな原因としては、彼は次男で実家のお寺は長男が継ぐと決まっていて彼自身も向上心があるので住職になりたいという事でした。 なので、一般の家庭の私とは結婚ができない。結婚すると住職になれない。という事で振られました。 お付き合いしたての頃は、彼自身も今いる大きなお寺で働きながら結婚するのも良いかなと考えてたみたいなのですが、色々学んで行く内に住職になりたいという一つの目標はが大きくなり、私が目標かを天秤にかけた時に目標や仕事が勝ってしまったようで。 お付き合いが上手くいってる一方で、将来のことを思うと上手く行くとマズイなと思っていたようです。 ですが、本当にお寺の娘さんと結婚して婿入りしないとお寺の住職になれないのでしょうか? 私はただ単に、愛情が薄れてしまったから結婚出来ないという事を表の理由に振られてしまったのでしょうか? やはり一方的の人と結婚して、お寺を探すのはリスクが高いものなのか、私はお寺やお坊さんについて勉強はしたものの、そういったところの知識が薄いのでわからなくて、悩んでいます。 どなたか答えが頂けたら有難いです。

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自閉症でも自由に蓮の花を咲かせることができますか?

私は、高校生ですが、普通一般のきゃぴきゃぴしたかわいい「健常者」の高校生では、ありません(残念ながら)。 知的障がい者で今は、就職するための知的障がい者専用の高等特別支援学校に通っています。(卒業してすぐ障がい者枠で就職、中卒の高校です。) 私は、いろんな人に助けられたし、しかられたり、教えてもらったり、元気をもらったりします。 だから、仏様(-ι-З)にほんと心を救われたので私もお坊さんや尼さんのように人の心を少しでも癒してあげたいな(* ´ ▽ ` *)と思いました。でも、自分は、いままで人間関係で自分の行動や言葉が足りなくて相手ともめたり困らせてしまったこともありました。 あるとき、ふと考えました。「もし、私が尼さんだったら……(○´∀`○)」 でも、現実を見ると…………… 「いや~_(^^;)ゞ私が尼さんかーないない」と思って夢を諦めました。(お坊さんや尼さんの修行の辛さもわかりませんからなんとも言えません) でも、このままで今の自分では、家族に迷惑をかけるだけだし、「今の自分」から抜け出して家族から自立して「温かくやさしい穏やかな人」になりたいなと思っています。 文章らしくなくてごめんなさいm(_ _)m 言葉が伝わればいいのですが、伝わったらそれですね……

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病んでしまった人が住職になれるだろうか?

私は寺の長男に生まれました。が保育園のころから電気が好きで、小学校1年の時の将来の夢が最初は電気屋さんになりたい。でした。ですが、住職である父に「電気屋さんがお坊さんはできないけど、お坊さんが電気屋さんはできるんだよ。」という今考えるとわけのわからない理屈で言いくるめられ、将来はお坊さんになりたい。と書き換えさせられました。かといって仏教が嫌いだったわけではなく、児童向けのおしゃかさまのでんきを友達からもらって読んだり、生まれて初めて映画を見たのが井上靖の天平の甍(鑑真さんの話)だったりしたのもそのころでした。小学5年生の時に東京の増上寺で得度しました。秋葉原に行けるからでした。生まれて初めて飛行機に乗りました。その後中学1年の時に初めてパソコンを買ってもらい、ゲームやプログラミングに夢中になりました。MSXでしたが、パソコン・モニター・データレコーダ・漢字ROM・プリンタと買いそろえてもらいました。中学2年の時に独学で国家試験を受けて、電話級アマチュア無線の免許を取りました。開局したのは高校になってからでしたが、無線も好きでした。高校では科学部物理班でアマチュア無線とパソコンに夢中でした。将来は工学部に進んで風力発電の研究をしてエンジニアになるのが夢でした。しかし文理選択で寺の後を継がなくてはなというプレッシャーに負けてしまい、文系を選択したのでその道は絶たれました。そのころひろさちやの仏教大百科を読んで、浄土宗は大正大学か佛教大学に行くことを知りました。親は大正大学に行けとは一言も言いませんでした。そして大正大学には入ったものの授業に出たことはないです。サークルにばかり逃げていました。サークルがなかったら、大学を中退していたかもしれません。テストだけは受けていたので単位は取れました。(何個か落とした単位もあるが再取得。)大学在学中に加行をなんとか御え住職資格を取り(風邪で3日休んで下山寸前だった。)そのあと大本山にある修行道場で1年間更に修行しました。大学在学中から心が病んでいて医者にかかっていたので、修行道場も医者に通いながら勤めました。修行のほうが寺にいるより楽しかったからです。町寺の法事葬式で回っている感じが嫌いでした。でも仏教は好きという矛盾を抱えていました。心の病気が酷くなって私は今は寺を離れていますが、私にはもう住職は無理なのでしょうか?

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