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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 悟り 」
検索結果: 1762件
2023/10/01

愚かな過去

私は数年前、とある施設の女性トイレに私自身の携帯電話を置き、盗聴するという愚かな行動をしました。 警察に通報されたわけではなく、相手の方が気づいていたのか、気づいていないのかはわかりません。 お相手の方は、全くの他人であり現在何をしているのか知ることはできません、その時に私自身、法によって裁かれ直接相手の方に謝罪ができていればと悔やむ毎日です。 ネットなどで、盗聴や盗撮などに被害に遭われた方の事を見たり、聞いたりすると心から傷をつかれた方が沢山目に入ってきます。 私もお相手の方の心、そしてその周りにいる方々の心に大きな傷をつけてしまったと思っています。 お相手の方は今、生きて幸せになっているのだろうか、それとも私の愚かな行動で、心に傷をおって、自ら命を絶ってしまったのではないかと思ってはいけないことを思ってしまっています。 ならば、私も自らの命で、償うべきではないのかと思い、日々葛藤する毎日です。 私は現在、その方が幸せに生きていると願い祈り、そして謝罪をしながら日々生きて おります。 そして自分勝手ながら、人の心を助けたいという夢も見つかりました。でも、誰かを傷つけた私なんかに人を助ける夢などという言葉があっては良いのかともおもっております。 もうお会いすることのできない方に、幸せに生きていてほしいという願いを届けるためには、私はどのような心を持ち、どう行動していけばいいのか教えていただけないでしょうか。

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あと1歩が怖くてたまりません。

 お忙しい中、失礼致します。  二十代も半ばながらまともな職歴がなく、いわゆるニート状態です。半ば引きこもりに近く、せっかく進学した大学も卒業できず、ずるずると閉じこもってしまいました。  身内の不幸が続いた、どうすればいいか分からない、働きに行かなければ、税金はどうなっているのか、体調不良だ……と言い訳をしては嫌な方向に思考が向き、こうしてずるずると何年も過ごしてしまったのです。  不幸ごとや問題が色々続き、本当にこのままではダメだと起き上がったものの、「資格なし、職歴なし、大学は引きこもって卒業できてない」状態で果たして職を得られるのか?  体の不調を調べると手術が必要そうな病が多く、税金のことを思えば経済的な不安に恐れどうするべきかとうろうろしています。  同じ年代の、大切だった友人にも劣等感や嫌 な意地のようなもの、同年代なのにきちんと労働の義務をしていない羞恥から顔向けできず他人、特に知人、近所さんへの恐怖が増して顔を隠し合わないであろう場所を探しては夜にこそこそ活動している状態です。  恐れる恥ももうないだろうと、ここでまた踏みとどまればまた悪化すると冷静な自分は「外に出て、まともにならなければ」と急き立ててきます。  「働くというのは当たり前のこと」と分かっているからこそ、自分はその「当たり前すらできていない」と羞恥に憤悶しているのに行くべき機関へあと1歩、踏み出せていません。  どうしたら、そのあと1歩を踏み越えられるでしょうか。

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2025/02/05

仏教において、慈悲の心とは

51歳女性です。 私の両親は熱心な仏教徒で、経典を学び、教えを支えに生きていました。 ですが、慈悲や和合の教えは、相手を軽蔑する心には勝てないようで、両親の不和は続き、お互いに軽蔑しあったまま50年の結婚生活は過ぎ、父が他界したことで終わりました。 生涯、許せなくても、愛せなくても、良いのでしょうか?ふたりそれぞれに確認しましたが、愛はなかったそうです。 そのために孤独な晩年であっても、嫌いなものは嫌いでよい。あるがままの心で生きるのも自由だという教えは、仏教にはあるのでしょうか? ふたりとも一番身近な伴侶との和合は適いませんでしたが、孤独ながら我が道を行き、やりたいことはやり切った人生だったと思います。仏教の教えが孤独なふたりの心を支え、それぞれに邁進できたのだと思います。 ですが、かつての大きな声で喧嘩をしている老夫婦の姿は、朝晩、お経をあげれば救われるはずの宗派の教えが、それだけでは不十分な証拠のようにも思え…。 両親は、何時間もお経をあげるような熱心な信者でした。なぜ、50年かけても慈悲の心にたどり着けなかったのでしょうか? また、このような場合、亡くなった父は成仏できずに、輪廻を繰り返すのでしょうか? それとも、父が仏になれた可能性はあるでしょうか?ボランティアで地域の皆様に尽くし、多くの方々に感謝されていた父でした。

有り難し有り難し 13
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“今・ここ”を生きると言うこと。

いつも質問・回答をありがたく拝見しております。 私は今を生きることを意識しており、こちらのサイトで様々な仏教の考え方を知り、自分の理想としている生き方に近いものを感じて共感する部分が多く、もっと教えを学んでみたいと思っている所です。 私が普段意識していることを具体的に挙げると 「目の前のことに集中する」 過去や未来を悩むより、今、やるべきことをやる 今、目の前の人、環境、あるものに感謝する。 「その時その時の感情を、否定せずに味わう」 ポジティブな感情はもちろんですが、ネガティブな感情も、抑えようとするから苦しいのではないかと思っており、「今、自分はネガティブになっている」「ネガティブになるのも仕方ないよ」と、受け入れるようにしています。 「まずは自分を大切にする」 気が進まない事をしなければならない時、深呼吸をしたり、コーヒーを飲んだり、とりあえずトイレに行ってからにする等、まずはその場その場の自分を整えてから行動をする、ということを意識しています。 「できないことはしない」 時間がない、能力がない、できないものはできないので(笑)今の自分にできることを、できる範囲でやることを意識しています。 私の今のこのような考え方は、自己啓発系のたくさんの本を読んできて、自分が良いと思ったものだけを集めたものです。 私は元々とても落ち込みやすく、自己否定ばかりして生きてきたのですが、このような生き方を意識することで、比較的穏やかな心を保てるようになってきました。 いつか自分が様々な考え方を勉強して穏やかになれたように、学んだ考え方を何らかの形で発信して、誰かの心を軽くできたらと考えています。このような行動は仏教でいう自利利他に当たるのかと思う反面、ただの押しつけや自己満足の偽善行為ではないかとも思い、迷ったりもしているのですが…。 前置きが長くなりましたが、質問です。 お坊さまは「今・ここを生きる」とは、どのような生き方だとお考えですか?私は穏やかに生きるヒントは「今」にあるのではないかと考えています。仏教的視点、個人的意見、どちらでも構いませんのでよろしければ、お聞かせください。

有り難し有り難し 33
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2024/05/09

終活を始める

現在48歳です。以前はこちらでたくさん自身の結婚できなかった後悔を随分と聞いていただきましたありがとうございました。 恋愛や結婚をあきらめるに当たり、かなりエネルギーを使いましたが以前に比べると少し気持ちは穏やかになりました。もちろん、一生気持ちを受け入れることは出来なさそうです。 40代は仕事で様々に経験をさせてもらい、部下持ちの管理職もさせてもらっています。また、英会話も身につけつつあり(スクールに通って9年目です)、仕事でも活用でき、ひとりで海外旅行しては英語修行を時々しています。 まだまだ、人生長いかもしれませんが、人生いつ終わるかもわかりません。50歳も控え、そろそろ自分の人生の最期を考えながら生きたいと思っています。ライフイベントも親を見送り(ありがたいことに今は二人ともピンピンしています)、あとは自分自身の死だけだと思い、終活を考えています。 そんななか、やはり、自分がつらいのは自分の人生に恋愛なかったということです。今のままでは死ぬ瞬間まで「恋愛してみたかった」と言いながら死にそうです。 女性が好きになってくれる容姿や性格が無かったのがとても恥ずかしいです。人に恥じることなく、ひとりで人生を閉じるに今から始められる就活はなんでしょうか?

有り難し有り難し 25
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2023/05/26

私の宗派は、選民思想の厭世主義?

 いつもお世話になっております。動画サイトで私の好きな、 リテラシーの啓発にも取り組んでいる、少しだけ破天荒な 科学者さんのチャンネルの動画を観ていたら、宗派名こそ 出しませんでしたが、 「この世はクソだから、自分たちは神様的な存在に祈って、天国 的な場所に生まれ変われる特別な存在だと思い込んでいる、 選民思想的な陰謀論者。つまり、異世界転生を本気で信じている んですよね」 と出演者さんが言っていました。遠回しに浄土宗のことを言って いるとすぐにわかりました。ショックでしたが、頷かざるを 得ませんでした。  前後編に分かれた、陰謀論に対する注意喚起の動画の、前編の セリフです。後編では、 「誰からも認められない人が陰謀論者になるのです。認めてくれる 人を見つけましょう。極論、人間ではなく、天の神様でもいい」 とフォローしてくださっていました。  なぜ浄土宗だと分かったのかというと、実際に、浄土宗の 寺院でたくさんそのような考えの人を見、浄土宗公式の チャンネルの法話でも、 「この世は苦しいことしかない、だから阿弥陀様に祈って、 極楽浄土に行きましょう」 ということしか言っていないからです。  お寺は本山でした。そこでお説教をしている布教師と、聴聞に 来ている信者は皆、 「他の宗派はろくでなし」 「他の仏や経、真言には利益がない」 「この世は汚いから、念仏だけして、お迎えを待つ」 などという考え方でした。怠惰な人たちだなあという印象でした。  これでは、誤解されても仕方がないよな、とも思います。  しかし、hasunohaでたくさんの(浄土宗含む)お坊様と 出会ううち、 「本山の人たちの言う事は、間違った暴論では?」 と思うようになりました。  確かに、この世は思うようにならないことだらけ…「苦」 だらけだと私も思います。  しかし、「死」や「苦」を意識し、世のため人のため、 「利他」行や「布施」行に、あらゆる形で全力で励み生きるのが、 仏教ではないか。そう考えるようになりました。  だとすると、「厭離穢土、欣求浄土」という考えは?先ほどの、 「この世はクソだから…」という思想になってしまうのでしょうか?  それとも、「この世を浄土にする勢いで」努め励もう、という ことでしょうか?  浄土宗は、選民的な厭世主義なのですか?ご高見を賜りたく 存じます。

有り難し有り難し 8
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2023/09/20

娘の失恋で何故、私が落ち込むのか…

はじめまして。 22歳社会人の娘が最近3年ほど、お付き合いしていた彼と別れました。別れは彼氏からです。理由は娘の嫌な所が見え、それらに耐えられなくなったと言われたそうです。 娘自身も相手の嫌な所はあったそうですが別れたいと思う程ではなかったそうです。 ケンカ別れでは無く話し合って娘も渋々、受け入れてお別れしました。娘の内心は分かりませんが今は普段通りに生活しています。娘は相手のことを悪く言うこともなく幸せになってほしいと思う。と言っていました。その言葉を聞いた時や何となく寂しそうな姿を見ていると私自身、胸が締めつけられるようで毎日が辛いです。娘自身の恋愛で私には関係ないのは分かっています。見守る事しか出来ないのも分かっています。でも、ふとした時に今頃、相手は娘の事も忘れ楽しく好き勝手にやっているんだろうなぁと思うと、何故か腹が立ち何とも言えない気持ちになります。 毎日毎日そんな事ばかり考えてしまいます。娘の幸せを願うのであれば、ポジティブな考え方を持たなければならないのは分かっています。 お付き合いしている時は、その都度、楽しかったことや嬉しかったこと嫌だったことなど教えてくれたりしました。だからなのか私も娘の事に入り込んでしまったのかもしれません。 娘の恋愛で私には関係ないのは理解していますが、私自身が前に進めていないのが本当に嫌になります。

有り難し有り難し 19
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信ずるものの矛盾について

前置きとして、私は仏教に深く関心し、このサイトでも別の質問をさせて頂き有難い回答も頂いております。 お気持ちを害するかもしれませんが純粋な質問として受け止めて頂ければ幸いです。 私の現状はご指摘もしてもらいましたが煩悩により、自らを囚え振り回されている状況です。 まず、仏への道として宗派は道程であり、すべからく目的は苦からの脱却、解脱であると勝手に認識しています。事実、それぞれの教えから自己満足の範囲でいろいろ学ばせてもらいました。 煩悩を拭いひたすらに。 しかし、人を救いたい、苦から解放されたいと願うことこそ人智を超えた最大の煩悩の気がしてきてしまいました。だからこその仏様でしょうか。 これが一つ目の問いになります。 心の有り様。全てはここに集約されているのかも知れませんし、因果や縁、前世、今世、来世の繋がりも頭では理解していますが、私個人として、苦がなければ生ではないと強く根底にあります。 苦しみこそが人を最大限に無意識のうちにでも足掻かせ、思考を巡らし、結果が悪かったとしてもその後も全力を尽くした経験値として忘れることがないものと思うのです。好きなことより回避したいことの方が望む望まないに関わらず人は本気を出せると思うのです。出さざるを得ないという方が多いですかね。 往々にして心が弱いですから。 それが成長の種になると。 纏めますと、私は己の弱さ故につまらない選択肢と隣り合わせな苦しい日々が続いていますが、この苦しみから解放され 楽しい、安楽なことだけになることも怖いのです。 弱い心が解放も囚われも恐れるのです。 一つだけ身を投げ打ってでも生きる意味として手に入れたいものがあります。 これは教えに反していますよね。 また、その対価としてというわけではないですが苦難を望んでいる自分がいるのはおかしいですかね。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 18
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オススメの仏教のお話ってありますか?

こんばんは 私は特に信じている宗教はありませんが高校大学と、キリスト教系の学校にいました。学びたいものがその学校にあっただけなので、別にキリスト教を学びたくて行ったわけではありません。 しかし、高校の時、聖書の授業を担当していた先生がとても面白い人でした。 旧約聖書の創世記の初めの「天地創造」の話をしていた時のことです。神が7日かけて世界を創造した、というものなのですが、生徒に向かって「皆さんはこの話を信じますか?僕は、ぶっちゃけ嘘臭いと思っています」と発言なさったのです。 牧師でもある先生がそんなこと言うなんて…と本当に驚くと同時に、「あぁ、宗教そのものや宗教を信じている人は今まで避けてきたけど、意外と身近で面白いのかもしれない」と感じました。 その後もその先生は、カトリックの修道院を体験しに行った話や、絵画とキリスト教の繋がりなど、一般人でも分かりやすいよう教えてくださいました。そこから、私のキリスト教への興味が開かれたのだと思っています。 すみません、ここまでが長い前置きです。 私が質問したかったのは、仏教の分かりやすい(出来れば面白い)お話が何かないかなとふと思ったので、みなさまにお聞きしたかったのです。 物語調のでも嬉しいですし、お釈迦様のこういう話があってね、というものでも嬉しいです。教えていただければ何でも嬉しいです。 お恥ずかしながら、私の仏教の知識は「聖おにいさん」を読んで知ってるレベルですが…。 キリスト教は少し学べたので、次は多くの日本人にとってとても身近な仏教のことも知ってみたいと思うのです。 なにぶん、何もわかりません。この質問もどう聞いたらいいか悩みに悩んで迷走しながら書いています。私が住んでいるのが、お寺が近くにない田舎でして…気軽に聞けるのはここのサイトなのです。 最近hasunohaを見ていて、高校の時の先生っぽいお坊さんがいるなあ、やっぱ宗教者といえど同じ人間、凄く面白いな、もっと話聞いてみたいなあと思いながら色んな問答を読んでいます。 すみません、だいぶ迷走しました。 もしよければ、回答お願いします。

有り難し有り難し 41
回答数回答 3