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hasunoha 問答検索結果 : 「 霊 」
検索結果: 945件

生前に払った葬儀費用代金について。

祖母 北海道生まれ・地元で死亡 ↓ ①父→子 相談者・桜雪 父は北海道生まれで現在関東在住。 病気の為、外出は出来ません。 相談者・桜雪も関東に在住していましたが、結婚を期に北海道へ。 ②叔母①・北海道・地元で死亡 ③叔父・北海道・地元外で死亡 ④叔母②・軽度精神障害者 北海道・地元で施設暮らし 祖母が生前叔母②の為に、お世話になっているお寺に葬儀費用として叔母②の名義で100万円を支払っておりました。 所が、叔母の面倒をみていてくれた叔父が亡くなり 叔母の面倒は相談者に。 相談者の家系は相談者以外に子供がいず、お墓の管理も遠距離で出来ない為に、ゆくゆくは墓じまい予定です。 叔母のお葬式も施設でやる為に、葬儀費用はかかりません。そこで返金を要求したいのですが、どうやら住職さんは嫌なご様子です。 一度も住職さんとはお会いした事なく、失礼になったら申し訳ないので、とりあえず返金内容の件はは伏せて、お会いしてご相談したい事があると電話で伝えた所、なぜか逆ギレされ声色恐ろしい口調でマシンガントークのようなお説教をされてしまいました。 弁護士さんにも相談し、住職さんは私共に返金義務があるとの見解を頂いておりますし、叔母名義の領収書も現存していますから、トラブルなく返金して頂きたいのですが… 難しいのでしょうか? お答え辛い内容で…大変失礼な質問だと承知の上なのですが、ご教示よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 19
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私は何を信用すればよいのでしょうか。

先日、悪いことばかり続いていると相談させていただき、自分の考え方を変えることをアドバイスいただいた者です。 信教は自由といいますが、私は一体何を信じればよいのか分からなくなってしまいました。 私にはもともとこれといった信教はなく、神社にもお寺にも行きます。 この半年以上、悪いことがたて続けに起こり、どうにもならず、なんとかしようとすると必ずから回ってしまう非常に辛い状況が続いています。絶対に何かおかしいと原因を考えたところ、家相に思い当たる節があり、2つの神社で家相鑑定をしてもらいました。すると、家相に関しては2社で結果が違いましたが、現在の家に引っ越した時期と方位が非常に悪く、五黄殺であったことが原因だという点は共通していました。ですが、その対処法については2社で正反対の意見で、その他の内容の回答から、我が家のことをより言い当てた神社の言う通りにしようかと思っていたところ、その対処法は、今すぐ実践できるものではなく、実践しても効果が出るまでさらに一年ほどかかると言われてしまいました。今とても辛い状況なのにそんなに待つことはできません。 一方、主人は幼少より信仰している宗教があり、今回は良い機会だから一緒に入らないかと誘われています。主人や主人の両親、知り合いにも入っている人がいるので安心感もあり、話を聞くとその教えの内容もよく分かります。これまで信仰の違いから夫婦で度々衝突してきたので、今回はいっそのこと私もそちらを信仰した方が良いという天からのお告げのような気もしています。ただその宗教に入ると、神社に行く等他の宗教に関わることがよくないらしく、もし今回、悪いことが続いている状況をなんとかしたいという願いがかなわなかったときに行き場がなくなってしまうのが心配で、なかなか踏みこめずにいます。 教えの内容も理解でき、主人とこれからも仲良くやっていくためにも、主人の宗教を信用すべきか、はたまた私の心配の種を言い当ててくれた神社を信用すべきか、今回の件に関してどうしたらよいか悩んでいます。 また、神社の鑑定いわく我が家は知らずのうちに五黄殺を犯してしまったために災いが起こり続けており、何もしなければ十数年、もしくは数十年この状態が続くそうですが、仏教の世界や一般的にも五黄殺なるものは存在するのでしょうか。ちなみに主人の宗教ではそのようなものは関係ないそうです。

有り難し有り難し 22
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100

「ほどほどに」が苦手です。 なので「ほどほどに」を意識するよう心掛けていますが、うまくいきません。 何故か「100」時には「120」になってしまいます。 他の人が「ほどほどに」でも何とも思わないのですが、自分が「ほどほどに」だとダメに思えます。 『調音』というのがあります。 ピアノの先生が演奏したものを、耳で聴きとり楽譜(譜面)にする、というようなものです。 私は、2歳の時からピアノを習っていたのですが、そのピアノの先生が「将来、音大や芸大に行けるように」という方針の方で、とても厳しいレッスンを受けていました。その時に『調音』も習いました。 小学校に入る頃から、ますます普段のピアノのレッスンもですが、特に『調音』は高度な技術を求められるようになり、ついには「1回しか弾きません」「1回で譜面にしなさい」と言われるようになりました。 何だかいつも必死に食らい付いている感じでした。 その時の「1回で完成させる」というのが、頭にこびりついてしまい、何をするにも「1回」で「完璧」に、という風になってしまい、それがキツイので、今、その呪縛をときたいと思っています。 有言実行だし無言実行だし、一度「やる!」と決めた以上「やるしかない!」となり、毎度毎度100%以上を求めてしまいます。 昔、親から「1位になったらSOGO(デパート)買うてやる!」と言われ、1位になりましたが、「うちがSOGOなんて買える訳がない!」と言われました。 「そんなの出来る訳ない」「無理に決まってる」と思っていても、達成しないと自分を責めてしまいます。 イヤでも、脳が勝手に「1回で全部覚えろ!」みたいな指示を出します。 100%なんて所詮無理なのは分かっています。 でも、「1回で全部覚えろ!」と指示が出れば「1回で全部覚える」のです。 バカみたいに一生懸命頑張ってきました。 そろそろ「ほどほどに」になりたいです。 弱音を吐かない部分においては『七転び八起き』や、ドリカムの歌『何度でも』で良さげですが、2歳スタート時から、ずっと「ラストスパート」状態です。 「ほどほどに」っぽく振る舞ってみているのですが、なかなかなれません。 どうしたら「ほどほどに」になれるでしょうか? 医学的なアドバイスではなく、仏様的なアドバイスをいただけたらと思います。 宜しくお願い致します。

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義母との関係が良くないです。わたしが悪いのでしょうか。

父が一昨年3月に結婚し、去年10月に妹が生まれました。 義母とは結婚前に数回会ったきりで、妹には未だ会ったことがありません。 どうやら とても嫉妬深い義母で、わたしを見ると父の前妻 つまりわたしの実母のことを考えてしまって辛い という理由で避けていて、わたしの存在はあまり考えたくないようです。 お盆や年末年始に父の実家に帰省する時もわざわざわたしに予定を聞き日程をズラしてきていて、父とたまに飲みに行くのですが それも知られると面倒だからと言って内緒にしているそうです。 しかし一人暮らしをしているわたしにとっては父との時間をできるだけ多く持ちたいし楽しみにもしています。 数少ない父との時間を取り上げられて再婚当初は喜んでいたわたしも 義母への不満がつのっていき、さらには会ったことのない妹にまで嫉妬してしまいます。 20歳にもなってこんなことを思ってしまう自分が恥ずかしいし嫌いです。 わたしが我慢して義母が柔らかくなるのを待つしかないのかな、と頭では考えるのですが いい年した大人の義母をなんでわたしが待たなければいけないんだ そうやっている間も父との残り時間が削られていくのに わたしの存在がないかのように生活したければ子持ちじゃない人と結婚すればよかったのに とまたどんどん醜い思いに囚われてしまいます。 妹とも会ってみたいし一緒に遊びたいし仲良くなりたいです。 義母とも仲良しこよしは難しくても良い関係になりたいです。 4人で笑って過ごせたら1番いいのにと思う毎日です。 わたしはどうしたらいいんですか

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大乗の三宝について(なぜ『仏』なのか)

どうもこんばんは。 いつも皆様には質問をお答えいただき感謝しております。 今回は大乗仏教の三宝について質問があります。 ブッダ入滅後の原始仏教や上座部仏教での三宝は、 仏=釈迦牟尼(ブッダ) 法=ブッダの教え(ダンマ) 僧=僧団(サンガ) と思います。 大乗仏教の三宝では、 仏=本尊 法=ブッダまたは本尊や宗祖(または高祖や太祖)の説いた教え 僧=僧侶(ここは色々と議論の余地はありますが) であると認識しています。 今回の質問はご本尊についてですが、ニュアンス的に本尊は『仏』ではなくて『法』に思えるのですがいかがでしょうか。 例えば、大雑把に言うと 阿弥陀如来(アミターユスとアミターバ) それぞれ無限の光と無限の寿命の体現 大日如来・毘盧遮那仏(マハーヴィローチャナ・ヴィローチャナ) 宇宙の真理の体現 内容から見ると大覚者というよりは真理そのものではないかなと考えてしまいます。 大乗のマハーパリニッバーナスッタンタ(大般涅槃経)では三宝一体常住不変説があるから、『仏』で良いのだというのは理解が難しいです。 どういう流れでご本尊は三宝の『法』ではなくて『仏』なのでしょうか。 マハーヤーナ(大きな乗り物=大乗)に掛けて、木造の手漕ぎの小舟しか知らない人が大型豪華客船(鉄船)を見ても船と『認識』しませんが、変化の過程を理解すると鉄でも浮いて自動で走るのが理解できるかと思います。 ここは私の知識欲だけの話で、問題が解決してもしなくても自分の苦を滅することには関係いたしませんが、どうかご教授の程宜しくお願い致します。

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成仏できるのか

5年余りの闘病の末 62歳で主人が亡くなりました たくさんの病気を抱えながらの治療に 病院ドクター スタッフのみんさんには 細かい配慮も頂き 誠実に治療 対応して頂きました 病院で最期を迎えましたが 大量の吐血という その最期の姿が 余りにも壮絶で 今も 妻である私の頭から離れません 何度も恐ろしい 残酷な場面を思い出し 怖くて眠れません 結婚生活の中には しわせな事もいっぱいあったのに この最期の 悲しくかわいそうな姿に 今までの楽しい事も 全て奪われ消えてしまいそうです 病態のひとつであることは わかっています 精一杯ご尽力頂き 私も精一杯寄り添ってきたつもりです ですが 吐血をしながらも なにか言いたそうだったのに 言葉にもならず 私は聞きとることができませんでした 最期 主人が言いたかったことは なんだったのか 最期を看取ったのは 私だけだったのに 主人が言い残したかったことを 聞いてあげれなかったことが残念で 悔しくてなりません たくさんの方々に ご尽力頂き 大変大変感謝もしています 身体も限界で 充分がんばったとは思いますが もっともっと 生きたかったんだと思いますし 最期は 静かに迎えてほしかったです 壮絶な最期になってしまって 主人は成仏できるのでしょうか 大切な人を失うことを どのように捉えたらいいのか 妻である私は どのような心でいれば 主人は成仏できるのでしょうか どうかアドバイスをよろしくお願いいたします

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とても残念です。

(編集部より。hasunohaでは基本的に質問時に対する回答で完結する形をとっています。お礼の欄での新たなご質問に回答することは必須としていないので、新たに回答を求められる場合は新規投稿をお願いします。また文章でのやりとりなので、書かれていない部分は背後を想像して回答する場合もあります。そのため誤解を生じてしまう場合もあるかもしれず、申し訳ございませんが、hasunohaは字数制限ある文章でのやりとり上、そのような性質を持っていることをご了承の上ご利用をお願いします。) 前回、『呪いの代行について』で質問させて頂きました。その時に、 『どんな人に対してであれ、人の不幸を祈るようなことをする、そのこと自体が、そういう気持ちが、貴女の人格として滲み出し、人とのご縁を遠ざけてしまいます。先祖のせいにしてはいけないことです。 まず、貴女が人の不幸ではなく、幸せを祈れる人になってください。』 とご回答を頂きました。 人の不幸を願う人間と決めつけられて、凄いショックでした。でも、そのお坊さまからしてみれば、『呪いの代行』とあったので、『呪い』ということにこだわってしまわれたのかなとも思い、お礼欄に人の不幸を祈り依頼したわけではないこと、恋愛成就の相談をしたことを記載させて頂いたのに、それに対してはご回答を頂けませんでした。 お坊さまとは、私の中では、もっと心に寄り添って下さる方と思っていました。一方的にアドバイスされ、それに対して返答しても、ご回答を頂けず、とても残念です。

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