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母親を包丁で刺そうとしました

20代の無職です。母親を包丁で刺そうとしました ごはんを作ってもらってる身ですが、おかずが少ないしもっと買ってきてよと言ってから口論になり(当然ですが)包丁で「てめえええ」と寸前までいってしまいました 目の前で振りかぶったとこまでいって人生を不意にする気かと思い、止まりましたが怒りは止まりませんでした。包丁をしまって母親を壁にたたきつけ思いっきり爪を立てて顔を握りしめ「てめえがむかつくんだよお」と罵倒しました 気が落ち着いて母親を放してから離れると母親が 「いつまでも自分の思い通りになると思ってんじゃない」 と言ったので頭に血が上って悪態をついた後、部屋に戻りました。 それから部屋で自分がなんて危険でひどい人間なんだろと思うのと このままじゃ殺してしまうかもしれないという思いがあります。 しかも殺してもまあいっか、死刑になってもいっかという思いがあります 以前友達に相談したときも、それなら家を出てって一人で暮らしてけばいいじゃんと言われました。しかしやんてらんね、めんどくせってそういう気にもなってません。本当にひどい人間だと思います 自分の両親は小学校の時に離婚して母親のもとで育てられました。 3人兄弟だったのですが兄は10年前に自殺してます。妹は仕事しながら一人暮らししてて立派にやってます。 父は以前までたまに会ってましたが仕事をやめて引きこもるようになってからあってません。母親を殺したいと相談したことがありますが「なにが親を殺したいだ!」と一喝してそれだけです。 母親はとにかく口が悪く別れた父、別れた後面倒を見てくれた両親、周りの人間の悪口をいつもいってます。僕自身も小さいときから母親に対して文句を言うと、「じゃあッ出てって」「もう面倒みない」と いったり、ものにあたったり投げつけてなにも聞きません と言ってる僕も幼稚園は全くいかず、無理やりつれてかれた学校でもろくに勉強もせず、遊んでばっかでした。 一番むかついたのが「ゲームしか友達いないの?」「がりがり」「だらしない」といった罵倒で(事実もありますが・・)今でも恨みを晴らしてやりたいと恐ろしい想像してしまいます。 僕自身もろくでもないですがなにか救われるような言葉お願いします

有り難し有り難し 88
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生きているのがつらいです。

自分の価値が分かりません。 自分を大切に出来ません。 数年前から、毎日毎日、寝る前に「目が覚めたら死んですように」「明日こそ死ねますように」と祈るようになり、朝起きるたびに「まだ生きてる」と絶望していました。 それでも、やりたいこと目指しているものがあったので、これではダメと鼓舞し未来をイメージするようにしました。 しかし、お前にはそれは許されないと戒めのように、プラスのイメージを持つたびに、大なり小なり突き落とされ続けてきました。 そのうち30歳までに死にたいと思うようになり、29歳のときに癌が見つかりました。 Ⅱb期の子宮体癌です。 抗がん剤と手術で根治する、と言われ絶望しました。 まだ、死ぬことが許されないほど苦しみ足りないのですか? 両親や友人に望まれ、治療を受けることにしました。 二月から抗がん剤投与が始まり、来月末に摘出手術を受けます。 周りの人達に心配をかけまいと前向きな発言もしますし、そのときは自発的に元気になったらやりたいことがイメージされます。 それでも、浮上すれば落とされの繰り返しです。 これ以上大切な人達に心配も迷惑もかけたくないから愚痴も言えないです。 けれど、毎日死にたいと思いながら生きるための行為を繰り返すのは辛いです。 やはり、一度死を渇望した私には心から笑って明るく生きる資格はないから苦しんで苦しみ抜け、ということなのですよね。

有り難し有り難し 171
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夫の葬儀に来たお坊さんが…

3年前の夫の葬儀の際のお坊さんについて疑問に思ったことがあります 先日、家族で当時のことを話していた時に、「葬儀にきたお坊さんは自分で袈裟も着れず、通夜の際はギリギリにきて葬儀社の人とほとんど打ち合わせができなかったらしいよ。」と言われました。そして、母からは「まだ列席のかたの焼香が続いてるのにお経を止めて退席したお坊さんをはじめて見たし、あんなにひどいのは初めてだった。葬儀社の人もいってたよ。」と言われました。 地元とは離れたところでの葬儀だったため当初は葬儀社の方が手配していただく予定でしたが、夫側の家族が自分のお寺にゆかりのあるところにお願いしたそうです。(とはいえ、来ていただいたお坊さんとは初対面です) 私は仏教徒ではなく、また他の葬儀に参列したことがないのでいくつかお伺いしたいのですが、 1.お坊さんは自分で袈裟を着れないものですか(私の印象としては袈裟は  お坊さんの制服のようなものと認識していますが) 2.通常、焼香が続いている間はお経はつづけられるのでしょうか  (参列者がそんなに多かったわけでもありません) 3.ゆかりのあるお寺のお坊さんに葬儀をしてもらうのと、そうでないので は 何か違いはありますか(本人は自分の宗派もわからないぐらいお寺とは疎 遠な関係です。夫側家族の自己満足ではないですか) 当時は私自身に余裕がなくこのような話を家族でしたことはなかったのですが、夫の最後の別れをこんないい加減な葬儀だったのなら家族と友人でお別れ会という形で宗教にこだわらずに送ってあげたたかったなと思ってしまいます。 ちなみに、宗派は浄土真宗です。

有り難し有り難し 84
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自分の無力さが辛いです

こんにちは。精神病になって10年経つ者です。 波はありますが、10年目にしてやっと身の回りのことがある程度できるようになりました。 毎日、夢の中に居るような感覚で、ぼんやり生きています。 発病して数年は寝たきりの生活でした。 いつも天井を見つめながら、普通のこと、当たり前のことができるようになりたいと思い続けてきました。 それがある程度できるようになった今、今度は自分の現実を突き付けられています。 私は精神病の無職独身女。まもなく40歳を迎えようとしています。 結婚した友人は家を持ち、子供の成長を楽しみ、独身の友人はキャリアを積み、休暇は海外旅行を楽しみ…。 私の経験した10年と友人達の経験した10年の格差を感じてとても苦しいです。 時間が足りないです。本当にあっという間に日々は過ぎて行き、このままでは年ばかり取って私はやりたいこともほとんどできないまま死んでしまうのかと思うと悔しくて涙が出ます。 もちろん、私よりももっと苦しんでいらっしゃる方もたくさんおられることはわかっています。 家族、友人の支えもあってここまで来られたと感謝もしています。 でも、こんなに無力で何もない人生でいいのでしょうか? 気持ちがうまく書き切れませんが、アドバイスいただけたら嬉しいです。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 199
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2022/04/25

三世の因果について

あるところで、「因果応報はありますか?」と聞かれたので、 「ある」と答えたら、「生まれたばかりの子供が虐待されて殺されました。 その子に責任はあるのでしょうか?」と聞かれ、「ない」と答えたら 矛盾だと攻撃されました。 確かに因果応報は善因善果悪因悪果ですから、あると思うのです。 しかし、三世の因果については、私は否定されるべきと思っていて、それは それが差別などを肯定してきた歴史があるからです。 しかし、その人が言うにはあるえらいお坊さんに聞いたら、「虐待されて 殺されるのは(過去世の行いの結果だから)当然だ。」と答えたというのです。 それに憤りを覚えたのですが、確かに過去に「親の因果が子に報う」 みたいなことは盛んに説かれたとおもうのですが、それが差別を温存 することになったと思うのです。だから、私はそれは否定されなければ ならないと思うのですが、現世の行いで来世の行く末が決まるという 輪廻転生がある以上過去世の行いで現世が決まっているともいえるわけです。 私の信仰は浄土宗ですが、それがベースにあり阿弥陀様の誓願により西方極楽 浄土を願生し、念仏するわけです。なので三世の因果を否定すべきか肯定 すべきか迷っています。どう考えたらいいのでしょうか?

有り難し有り難し 63
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なぜ人は人を殺してはいけないのか。餓死による自殺について。

 社会や宗教はよく、「人は人を殺してはならない」と説きます。しかし、僕はこの問いに対して自らの内に納得できる答えを出すことが未だできていません。  決して僕自身は人を殺したいとは思いませんが、僕は別に人を殺したいなら殺してもいいと思うし、殺してしまったらならそれは仕方がないと思っております。  よく、自分が殺されたくないなら人を殺すな、だから人を殺してはならない、という回答を散見します。しかし僕はこれに納得していません。その相手が憎くて「殺されてもいいから、殺してやる」と思う場合、人を殺してもいい、ということになってしまうからです。  僕は度々報道される殺人事件のニュースを見ると悲しくなってしまうのです。「なぜ人は人を殺してはならないのか。」この問いに対する真実の答えがこの世のすべての人に知れ渡れば、殺人事件や戦争などという悲しい出来事がなくなると思うし、自殺もなくなると思うのです。  僕は決して殺人を犯した人がいなくなればいいなどとは思いません。殺人を犯してしまった人も、この地球に生まれ落ちた我らが同胞であり、兄弟であり、愛すべき存在だと僕は信じているからです。  そして、僕は生きる苦しみから逃れたい、自殺したいと思っていた時期がありました。自殺も、つまるところ「人(自分)が人(自分)を殺す」という事象に当たると思っています。自殺もいけないことだと真っ向から否定してほしいのです。  僕は生きる悦びを手にし、その生きる悦びを愛しているので自殺することはないと思います。しかし、この地球上に生まれ落ちた愛すべき存在を、殺人や自殺などといった形で失うことを、僕はただただ悲しいと思うことしかできないのです。  また、自殺の方法として餓死を選んだ場合、人は生きる苦しみから解放されるのでしょうか?一般的に自殺は生きる苦しみからの逃げ、だと僕は思っています。自殺の方法として餓死を選んだ場合、それは生きる苦しみと真っ向から向き合うことだと考えています。  近い将来、自分が餓死による自殺をしてしまうのではないか、と不安になる時があります。

有り難し有り難し 32
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