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hasunoha 問答検索結果 : 「 人生 どうしたらいい」
検索結果: 9510件

哲学専攻の友達に論破されてしまいました。

 僕は日々陰鬱に生きていて、変わらなければならい節目を迎えた時、生きる意味について考えるキッカケを授かりました。生きる意味というか、今、生きているということに納得する理由がほしくて。僕はその理由をなんとなく自分の中に見出しました。  それは「人は善を為そうとし、真に為し得ない。優しくあろうとし、真に優しくあれない。愛そうとし、真に愛せない。」その善を為そうと、優しくあろうと、愛そうと努力することこそが生きる悦びだと、僕はそう納得していました。そしてその「生きる意味」を職業(カウンセラー、精神科医、臨床心理士、お坊さんなど)にしようと、大学を入り直すことさえ考えました。  しかし、その友達は、僕の生きる理由を「現実を決済する」こと、僕が信じる「美しいものを美しいものだと感じる心そのもの」を妄想と否定し、浄土、成仏の存在を真っ向から否定しました。  僕は、その友達の考えを否定することはできませんでした。かといって僕の本来持っていた考えを否定する気を起こそうとも思いませんでした。  またある人は「誰かがあなたに、本音や弱音を告白しているときに絶対に言ってはいけないことがある。正論です。」と言いました。  浄土、仏性、成仏は、そして仏教は、自己満足させるためだけの嘘なのでしょうか?美しいものを美しいものだと感じる僕のこの心は妄想でしかないのでしょうか?  それは僕が在る、と考えれば在る、のだと信じておりますが、僕はこの途方もないやるせない気持ちをどうにかしたいのです。  僕は恐らくこの(実存哲学?という)正論を信じると一生不幸だと思い、しかも僕はそれに対してどうしようとすることもできないのです。  僕は、仏様から授かった自分の寿命を全うするために死ぬまで生きようと思っておりましたが、その考えが不安定にならざるを得ないのです。  僕はこの儚い気持ちにどう向き合えば良いのでしょうか?お智慧をお貸しください。  長く稚拙な文章となってしまい申し訳ありません。また仏教思想を自分勝手な解釈で捉えております。それは違うというところ、誤解があれば、感謝と敬意をもってお説教を受け賜わります。 便宜的に、思想的に、僕はその人を友達だと書きましたが、本当はツイッター内において、フォローフォロワーの関係にすらなっていない、赤の他人です。 (´・ω・`)...

有り難し有り難し 78
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こちらの心が無くて、あちらの心が動くでしょうか?

いつもお世話になっております。 ゆうりです。 お坊さんの、一言というのは、何故こうも、身に染みるのか。 お坊さんは、話上手です。(この言い方は怒られてしまうでしょうか?すみません。) 気になりました。 タイトルは、以前の質問で頂いた、今、大切にしている言葉です。 私は、将来研究者になるにしても、農業高校の先生になるにしても、(ノンプロで噺家、漫才師、芸人になるにしても)喋るという行為は、不可欠で欠かせません。 特に先生というのは、人間をつくる(あえてひらがなです。)職業であり、また農業を通じて命を慈しむ力を育んでもらわないとなりません。 さらに、私が噺家もを目指すの理由というのも、弱い奴に立ち上がってほしいからです。社会の皺寄せは弱者に来ます。そういう人に、立ち上がってほしいからです。 さて、「こちらの心が無くて、あちらの心が動くでしょうか?」 この「心」という部分があるから、「周りの友達」ではなく「hasunoha」に救いを求めるのだと最近思いました。私もその一人です。 その熱い「心」はお坊さんの場合は、「修行」によって培われているのは言うまでもありません。 (私の場合は、理由が異端なだけに、「信念の強さ」で解決出来てしまうかもしれませんが・・・) しかし、私たち質問者は、どのようにそれを鍛錬すればよいのでしょうか? その「心」どうしたら磨かれるでしょうか? 自分磨きというものは「自分が自分をするのみ。」「自分が自分の行を行うのみ」 精神的な強さを得るためには、「自分が自分を学んでいくこと。」 そう、以前にお言葉を仰ぎました。 これの継続によって得られるものなのでしょうか? また、これだとまだ何か、足りないでしょうか? お手数をおかけしますが、お手おすきの時間がありましたら、回答の方を宜しくお願いします。

有り難し有り難し 72
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生きる意味がわからない

最近、どうしてここまでして生きなければならないのかわからなくなりました。 イジメで同級生に家畜以下の扱いをされ存在否定され、病気になってもなかなか周りからの理解を得られず、苦しみながらそれでも生きてきました。 ハッキリ『あぁ、私は周りにとって家畜以下なんだ』と実感したのはレイプされてからです。親は私をひどい言葉でセカンドレイプしましたし医療関係者からもひどい言葉や行動をされました。 最近まで通っていた心療内科の医師は私を半ば人体実験していたとさえ思います。きちんとしたインフォームドコンセントもなく、診断も下されたこともない重篤疾患と同じ量の薬すら出されていました。 周りの私への対応、メインは親と医師ですが、彼らから感じるのは私の存在が如何に迷惑か、不幸にしているかを痛感させられています。 親は私にことあるごとに『私だって辛い、貴女が世界一辛いと勘違いしないで』と言われました。私からすると理解もされず一人で苦しんできた部分はたくさんあります。その上で不妊治療で体調を崩した母に必死に元気になってもらいたいと学校での辛さ孤独さを全て隠して笑顔でその時は接してきました。私のその努力はとても力不足だったかもしれませんが、私も私なりに苦しみながら生きてきました。その後も私からすればいつも私は色んな愚痴聞く役で私はそんな愚痴をいう母を心配させまいとずっと辛いこともこっそり涙してきました。でも両親は私の愚痴をいつも聞いていた、と思っているみたいでしょっちゅうメールでやり取りを私に内緒でしています。何度もその内容は見ました。母が携帯が疎くしばしば私が操作を頼まれるからです。今日も私の愚痴のやり取りしていました。 もう私の存在価値はないことも十分承知していますし、所詮家畜以下扱いを受けるに等しい、人権も保証されなくて当たり前だと言うのも承知しております。それなのにどうして死ねないのでしょうか?

有り難し有り難し 61
回答数回答 6

どうしてお坊さまになったのですか?

相談ではなく、単純な質問ですみません。 しかしとても気になります。 私は現在職を探して3ヶ月になろうとしている20代です。 履歴書や面接の準備のときに必ず用意するものの中で、「志望動機」というものがありますが、 私はこの「志望動機」が苦手で、つまずいて応募も躊躇してしまうこともあります。 その為、この3ヶ月は道行く働いてる人へ 「ねえ、あなたはどうしてその会社に入ったの。なんて理由で応募したの。」 心の中でめちゃめちゃ問いかける毎日です。 半分くらいは知識欲なのですが… そんな時、「お坊さん」という、あまり私の身近にはいない方々に質問相談ができるというこちらのサイトを見つけました。 しかも真摯に、丁寧に、おそらく正直に回答してくださっているご様子。 私、今、喜んで質問させていただきます。 「なぜ、『お坊さん』という道を選んだのですか?」 欲張りで申し訳ありませんが、もし差し支えなければ、 「お坊さんになる前はどんな事をしていましたか?」 という疑問にも答えていただけると嬉しいです。 まとまりのない文章で、他の誰かの為にもならなさそうな質問で大変申し訳ありませんが、どうかこの個人的な疑問にお答えください。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 229
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優しさの原動力は何ですか?

回答僧の方々の優しさの原動力を伺いたいです。 前回の質問からハスノハ全体を色々見てみたのですが、回答僧の方が真摯に回答しても質問者からお礼が無い例も多く見かけました。また、僧侶としての活動の中で「何度も騙されてきました」と書かれている僧侶の方もいました。 - 巷には、「優しい人ほど潰される社会」「いい人ほど早くこの世を去る」「正直者ほどバカを見る」などのフレーズがはびこっています。実際わたしも、「どうせ汚い世の中なのだから、多少性格悪くなくちゃ、やっていけない」「自分を守るためには、他人に対して多少反抗的でいないとナメられる」などの思いが浮かんでくることもあります。 また、犯罪者などで「真面目に生きてくのがバカバカしくなった」と犯罪をおかす人がいますが彼らの動機も共感できるところがあります。 - 回答僧の方々のように人々の悩みに真摯に寄り添うには、人の気持ちに共感できる繊細な心が必要なのではないでしょうか?ですが繊細な心は同時に傷付きやすいものでもあります。 一方、社会ではたびたび人の感情もわからないような図太い神経の、図々しい人ほど幅をきかせているように見えてしまいます。(例えば、パート先のボス格いじわるオバちゃんとか?) また、人の善意を消費して自分だけ利を得ようとする人など。 - 何年にも渡って回答僧として活動されている方々はすごいと思いますし尊敬します。 その活動に必要な優しさの原動力はなんですか? また、「優しさ」と「社会でやっていく強さ」の両立はできますでしょうか? 私はまだまだ未熟者ですが出来るだけ人に優しくできる人になりたいです。そのためのヒントを得られたら、と願います。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 214
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私が○○さんの為にしている努力(自分磨き)の方向性。

こんばんは。いつもお世話になっております。 ゆーりです。いつもいつも、質問ばかりで、お礼の返信が出来なくて申し訳ありません。時間を作り必ず、お礼申し上げます。 さて、本日は、自分磨きの方向性について質問させて頂きます。 2ヶ月半くらい前でしょうか? 私は、ここで強くなるにはどうしたらよいか?を質問させて頂きました。ぜひご一読ください。 私は、今、○○さんに思いを伝えるために自分磨きをしています。 持論ですが、自分磨き(自己啓発)というと、ネットなどによく書いてありますように、外見をお金を掛けて変える様な内容をよく目にします。 人は見た目が9割とは、よく言いますがそれでは私は○○さんには届かないのでしょうか? 私には、本当のかっこよさ、強さというものは、内面から滲み出てくる人徳ではないかと思われてなりません。 私は内面を磨きは、辛い道を選ぶ。つまり今できる努力、すべき努力を逃げずにするということだと思います。 私は、今、大学院に向けての受験勉強、教員採用試験の勉強、野球、TOEICの勉強、と四足の草鞋を履いております。 これを乗り越えれば、自分は間違いなく一皮むけると思います。 私は、大学では追試だらけ、野球は(大学から始めたということを差し引いても)下手くそです。 ですから、大学院・教採合格、野球でレギュラー奪取出来たとしたら、間違いなく一生自分を誇れると思います。 また、これらのおかげで、今の自分は、色々な勉強をし、読み物を読み、野球といった努力のおかげで色々な人や物と出会い、内面も、ものすごく成長している気がします。 しかし、これは紛れもなく自分の為でありこの気持ちは相手に届くのでしょうか? もちろん、自分の為にしている努力ですから、相手に届かないかもしれません。自分のしている自分磨きをしてから・・・○○さんに告白するという事は物凄く遠回りです。 ですが、自分に今、出来る自分磨きというものは他に見つかりません。 漫才師になった時の為に、弱い奴を笑かしてやれるようなコントのネタを磨く、これくらいでしょうか。というのは、冗談にしても・・・ 私のしている自分磨きというもの自分磨きと呼べるのでしょうか? また自分のこれからしていくべき自分磨きというものは、いかなるべきでありましょうか? お伺いしたいと思います。お手数をおかげしますが、宜しくお願いします。

有り難し有り難し 48
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以前結婚の件でご相談した者です

以前、彼の家から結婚を反対されている事でご相談させて頂きました。 いろいろアドバイスを頂き、ありがとうございました。 彼が頑張ってくれましたが、ご両親の理解を得ることが出来ませんでした。 彼のお父様は落ち着いて相談を聞いてくれたそうですが、お母様の家柄で人間性を判断する価値観と感情を高ぶらせやすいメンタルを刺激しない様、諦める様頼まれたそうです。お父様自身も私との結婚には年齢差で反対であるにも関わらず、彼の話を真面目に聞いて下さったとのこと、それには感謝の気持ちでいます。 私は、「二人には何の問題も無いが、彼の実家の問題になっているなぁ」と感じており、彼もそう思っていた様です。私としては、彼一人にお膳立てしてもらうつもりはなく、お会い出来るまで門前払いでもご実家にお伺いを続ける気持ちでおりました。しかし、お母様が疎外感を感じて大騒ぎした挙句、鬱にでもなられたら大変だとお父様が考えているとのこと。 現代の価値観では、考えられない話だと彼は思う様ですが、兄弟がいないので、お母様を放置するわけにもいかないという思いがあり、親が幸せそうにしているなら自分はまぁまぁ幸せかもしれないとの考えでした。親が死んだ時に残るものが、自分の本意でないものであっても、それはそれで仕方が無い、こういう家で育ったからと。 私も、彼の実家を混乱に陥れることはしたくないので、心臓をもぎ取られる思いですが、受け入れる様努力が必要と思いました。 彼とは、長年の交際の中で恋愛感情以上に、お互い尊敬しあう気持ちがあります。今後は、独占欲を超えて相手の幸せを祈り、それを喜べる様、彼に対する気持ちを成長させて良い友人でいようと思います。折角の大切なご縁だったので、切ってしまうには勿体無いとお互いに思っています。 それで、お父様に対しご心配をおかけしたお詫びと、彼からの相談を聞いて頂いていた感謝を伝えたく、お手紙を書きたいと思っています。お会いする機会に恵まれなかったので、せめてお手紙で最初で最後のご挨拶をと思うのですが、いかが思われますでしょうか?この私自身の言葉を伝えたいというのは、少しでも自分を知って欲しいという、醜い欲なのでしょうか。

有り難し有り難し 35
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仏教徒に対する疑問パート7

前回の質問で回答したお坊様に言いたいことがあるんです 実は僕は丹下様が薦める瞑想をやってるんですよ 瞑想やってて気づいたんです 瞑想で雑念を払いリラックスしてるとヒッグス粒子みたいな赤や黄や青の粒が見えてきて そしてその状態でいるとだんだん神妙な気分になって 我欲の全てがその粒の流れと共に消えていく感じになってボーっとするんです その状態でいるとだんだん無になってく感じで無になったような瞬間 瞑想してたことも忘れたかのようにハッとしてまたさっきの状態に戻るんです この繰り返し まるで息を吸って吐くように 煩悩と悟りが交互でくるように 蕎麦食ってまた腹へって蕎麦食ってまた腹へってそれを繰り返してたら なんで腹減らなきゃいけないんだなんで蕎麦食べなきゃいけないんだ 誰がそんなルール先に作ったんだってなりません? そうなると人間もこの世界も全てを先に作った原因と結果だってなりますよ でもそれを作ったのは?それすらも作ったのは?それすらも作ったのは? こうなると原因はわからないでもなんかの原因と繋がってて結果が出る 因のわからない果の法則じゃないですか そうなると悟り開いても原因はわからないでもなんかの原因と繋がってその結果で煩悩が湧くと思うんです この因のわからない果の法則が悟りであればなぜ人は煩悩があって生まれるのか?それが煩悩ならば悟りは諸行無常で形を変えただけの煩悩ではないのか? それが量子力学みたいに悟りと煩悩なら両者とも同じ境地にいるのではないか? とにかく悟り開いても原因はわからないでもなにかの原因と繋がり煩悩が湧くと思うんです この因のわからない果の法則や因果関係は実体があって悟りは空だから悟り開けばそことは無縁になれるってぶっ飛びすぎじゃないですか? 実という原因あっての結果の空なんですから その空に行ったお釈迦様の前に過去仏がいるって変ですよね それが居座る場所をまるで因のわからない果の法則がすでに結果となって作ったような 因のわからない果の法則や因果関係から解脱できなければ悟りと煩悩は共存し続けると思うんです だから悟り開いたお釈迦様は梵天に煩わしい娑婆の世界に行かされたと お釈迦様が煩悩のない悟りを開いたと証明できないなら そんな人は全知を知りえないそんな人の教えは瞑想を神格化して ありもしない悟りという虚像の神を拝んでるだけじゃないですか?

有り難し有り難し 112
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