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hasunoha 問答検索結果 : 「家族 死 幸せ」
検索結果: 979件

お墓について

親のお墓について質問させていただきます。 7年前、父が亡くなりました。父が病気になる少し前に、土建業を営んでいた父の会社の資金繰りがうまくいかず、自己破産せざるを得なくなり、何もわからないという両親にかわり、弁護士等の交渉や手続きを私と私の主人でおこないました。結果的に自己破産が完了する前に父は亡くなりました。そんな中、両親がなんの相談もなく、墓石屋に勤める母の妹のすすめでお墓を購入していました。そのお墓は母の実家の近くの公営墓地で墓地の名義は母の兄となっていました。当時、自己破産の手続きの最中で、自分達では購入できないため、兄の名義としたようです(今現在は兄は亡くなり、兄の息子名義になっています)。 私は一人娘で、娘がいますが、そのお墓に入る予定の者は母以外いません。母の兄の息子名義ですが、管理料は7年ごとに母が支払いをしているようです。母亡き後、私が生きてできる限りはその管理料の支払いをするつもりでいますが、私の娘にまでそのような負担を強いることはできません。 母の兄の息子名義であること、管理料を支払わなければならないこと、私の住む場所から少し遠いことから、母の元気なうちに2人用の簡易的な墓への移転を提案しました。父が生前気に入って買った墓なのに親不孝だというようなことを親戚から言われました。母は名義の変更(本来その名義人が亡くなったときしかできない)は親戚の人に頼んでするし(いつになるかわかりません)、移転するようなお金はないといいます。 母や母方の親戚とは考えがあわず、私は父が亡くなって以降、距離を置いています。母も76歳なのでもしなにかあった場合、手続きの面で親戚と関わらなければならず、名義が親でないことがすごく不安に思っています。 父が生前見て購入したお墓であるので、守ってあげたい気持ちもありますが、後先考えず、勝手に購入し、次世代に負担を強いる考えがあまり理解できません。

有り難し有り難し 16
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私自身

以前にも何度か質問させて頂いてます。 私の母は元中国国籍で、今は日本国籍です。 日本に来て40年になりますが、文書も読めたり読めなかったり、言葉の使い方も少し違う時があったり、文字もですが文書もろくに書けないです。29歳で言葉も何も解らない国に来たのだから仕方ないと思ってましたが、今、肺がんでステージ4の治療中なんですが、主治医に注意事項をわかりやすく言ってくれているのに理解してないようで…毎回、私か説明しなおしています。 以前のアドバイス頂いた事を心に母の前ではなるべく笑顔でいてます。母もちょっとした身体の変化が不安だと思うし、元気な私には理解出来ない程の色々な事があるとは頭で理解してるつもりなのですが… 私も6歳で日本に来て言葉も解らないのに小学校に入り毎日イジメにあって悔しくて、悲しくて必死に頑張って来たのに母は母なりに頑張っていたのかもしれないですが、病気もあるのかもしれないですが、何も出来ない母が情けなく思ってしまいます。 母の前では出来るだけ笑顔で頑張ってますが、一人になると悲しくなって涙が止まらないです。 母の調子がいい時は自宅に帰ってるんですが、主人が仕事に出ると一人になると涙が出ます。気持ちのコントロールが出来なくて…頭でわかって心がついてこない感じがします。 これからも母の介護しなければいけないのにやっていけるのか不安です。 私、学生時代ずっとイジメにあってたので、母、友人、主人、主人の両親、誰かと話をしている時は言葉を選んで、相手を傷つけないよう、相手の気持ちを考えて話してしまいます。我慢する事も多々あります。自分自身でしてしまってる事だから仕方がないのかもしれないですが、母の事もあり、母が何を言おうが動じない、イライラしない、怒らない強い心になりたいのですがどうすればいいのか解らなくて辛いです。 笑顔で毎日暮らしたいです。 今のままでは私がどうにかなりそうです。

有り難し有り難し 9
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飼い犬を死なせてしまいました

はじめまして。 1年以上前の、春の話ですが、飼い犬を死なせてしまいました。 赤ちゃんの時からずっと一緒で、どこへでも連れて行っていました。 あの日、犬と一緒に一泊旅行で山へ出かけました。 すごく寒い日で、車中泊だったのですが、暖房をつけても寒く、なかなか寝られず、、 翌朝、明朝から私だけ軽い登山へ出かけました。 犬は車内でお留守番してもらっていました。 登山に予想以上に時間がかかり、すごく日が昇ってきました。 犬が心配になり、急いで下山しましたが、熱中症で亡くなっていました。 寒い日だったので熱中症のことは全く頭にありませんでした。 私の知識不足です。 犬は、リードを咥えて亡くなっていました。 車内が熱くなっていて、出して欲しかったんでしょう。犬は汗がかけないので、舌を出してはぁはぁして体温調節をします。その息が水滴になって、身体はびっしょりになっていました。 どれだけ苦しんだか分かる亡骸でした。 その光景がいまでも頭から離れません。 私の知識不足で死なせてしまったこと。 まだ6歳でした。 生きていればあと15年は生きられたと思います。 その日から、罪の意識で苦しんでいます。 仕事は辞め、いまもまだちゃんとは働けていません。 あの子の笑顔を思い出すと涙が出てくる。 あの子の苦しんだ亡骸を思い出すと、死にたくなります。 いまは同じ犬種の保護犬をもらい、一緒に暮らしています。いまの子を愛することで、贖罪になればと思っていますが、いまの子に愛情をかけても、なぜ前の子にはそこまでしてやれなかったのか、と後悔ばかりです。 また会いたい。会って、抱きしめて、私の過ちを謝りたい。 亡くなった日、まだそのときは何も知らない遠くに住む家族の夢に、犬が出てきたそうです。 ですが、私の夢には一度も出てきません。なぜでしょうか? いまだに骨壷を部屋に置いています。その子が、離れたくないと言ってるような気がして、、 どうしたら、前向きに生きていけるでしょうか。

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厄年について仏教はどう考えますか?

以前の2回の相談では大変お世話になりました。あれから絵については難しいことはせず、3分間スケッチを続け、仕事も復帰して数ヶ月になります。お答えくださった お坊様方、ありがとうございました。 さて今回は厄年について質問があります。 付き合っている彼が今年大厄を迎えるので心配になり、神社かお寺に厄祓いに行こうと提案したところ、生来面倒くさがりで宗教を信じない彼は、迷信のためにわざわざお詣りに行くのは嫌だと拒否され、その日はケンカになってしまいました。私が本気で心配したのには、母から大厄の歳には必ず悪いことが起きる、特に身内に不幸があるという言い伝えのようなものをずっと聞かされてきたからです。実際父も大厄には遠方に転勤になり、祖父が亡くなりましたし、私も大厄には最愛のペットを亡くし、その後の厄年には(歳がバレますね(笑) 体調を崩し休職しました。 彼が厄祓いを拒否していることを当の母にポロリと話したところ、母は今度は家によって慣習が違うかもと言い出しました。 遠縁のおばさんの一家では、厄年の歳には神社に寄進し、友人親類には贈り物をし、周りの人にはとにかく親切にする、つまり施しをして厄を祓う習慣があるそうです。 少し調べた限りでは厄年に対する考えや行いは地域によって様々あるようです。厄というものはどちらかというと神道の分野ですが、仏教では厄というものをどのように見做しているのでしょうか?そして私は厄年にどう恐れずに向き合っていけば良いのでしょうか?仏教からの見解をどうかお聞かせください。

有り難し有り難し 29
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遺骨とは何ですか。魂と霊の違い 法要について

生後6ヶ月の愛娘(二女)を病気で亡くしました。先週四十九日の法要を執り行いましたが、納骨はしませんでした。 私は無宗教ですし、私自身、義実家のお墓に入りたくありません。(旦那さんは次男ですが、長男が遠くにいるため、旦那さんがお墓を継ぐことになりそうです)そもそも私はお墓というものに入りたくありません。子どもに私のようにお墓問題で煩わしい思いをさせたくないのです。 自分でも入りたくないところに娘を入れるなんて考えられません。私の骨と一緒に散骨でもしてもらおうかと思っています。それまで手元に置くのはおかしいでしょうか。保存しておけるかという問題もあるでしょうが。 義父には、とりあえず今はいいが、なるべく早く納骨しろと言われます。お寺の友達にも納骨することが供養になるとも言われました。 そこでふと疑問に思いました。遺骨ってなんなんだろうと。 四十九日にお寺さんから位牌に魂をいれてもらいました。ということは娘は位牌(自宅)にいる、と考えるのですか?でも、新盆は故人の霊が初めて帰ってくるから通常のお盆より盛大に執り行うんですよね?「魂」と「霊」の違いもよくわかりません。 今後の法要についても形式的に義父からいろいろ言われそうでストレスを感じます。自分で納得して供養をしていきたいです。 娘はどこにいると考えるのですか?私自身は、今日は天国の保育園でお友達と楽しく遊んでるかなと思ったり、いつも私たちのそばに空気のようにいてくれると思ったり。それで、手を合わせる対象として写真や遺骨や位牌を自宅に置いて、毎日お線香をあげられればそれでいいんじゃないかと思ってしまいます。お墓も要らないです。 今後、法要をしたとしても参列してくださるかたは生前の娘を知りません。長期入院で基本的に両親、祖父母の面会しか許可されていませんでした。お葬式で初めて顔を見た方ばかりです。そんな方が集まっても娘の話をすることはありません。四十九日の法要も、ただ義親の兄弟親戚の集まりで娘の話は出ません。会ったことが無いのだから当然です。そんな法要を今後していく意味が感じられないです。 今後の法要で、残された人の気持ちに区切りを付けるとかあるのかもしれませんが、私は娘を亡くしたことを毎日忘れることは出来ませんし、義父に指図されながら法要をしていくことが堪らなく嫌です。

有り難し有り難し 24
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存在していく意味、そしてこれからの道

私は、某宗教の二世として、産まれました 産まれた当時から私の父親がその、教えに疑問を持ち教員をやめましたが、母親は一生懸命協会員をしていました。 しかし、小6年生頃から自分もその教えに疑問を持ち 次第に礼拝にいかなくなりました。 家では親は顔を合わせるたびに 【金を返せ!!!!】【離婚しろ!!このぺてん師女!!!!】 寝てる時に枕越しに喧嘩の声が聞こえるのは日常茶飯事、朝起きると家具が壊れている事もありました。 中学二年生の頃に私の母親は家を出て祖国へ帰りました 私は日本に残ったのですが、父親はすぐ別の女を作り 私と顔を合わせるたびに、【あのクソ女は私を裏切った】【クソ女の祖国もクソだよ、〜〜なことがあってな、あの民族はほんとにクソみたいな事しかしないんだ。】 そう言い聞かせてきます。 私は、皆がそうではなく、父親がネットリテラシーがなく、インターネットの心無い声に毒されている事もわかりますが、とても心が痛みます。 私は、道を踏み外してしまい、高校は中退 仕方なく始めた現場仕事も長くは続かず 職場を転々としながらすごしています、 しかし母親から、私の祖国へ来て 少し自分を見つめ直せと連絡がきています グレたチンピラのような息子を見てられないと、 私は、その教会のお陰でこの世に生を受けたと言っても過言ではありません。 しかし、父親が否定することにより、わたしの存在は嘘なのでしょうか? 生きている意味はあるのでしょうか?? 死んで、消えて無くなりたいと思ったのは一度や2度ではありません。 このまま、辛いことに耐え、生きて行くことに意味が見出せないのです。 どんな映画や、友達のめでたい出来事 を見ても、表面では、すごい!!!感動した!! と思っても、 心の奥底で、 【ふ〜ん。で??なんか意味あんの?それ、】 っていうきもちがぬけません。。 自分が何を質問したいのかも、よくわからない状態です、 変わりたい!!という気持ちはあるのですが、 どのように変われば良いでしょうか。、 このままではイケナイ!とは思いながらも 成功した未来が見えないのです。

有り難し有り難し 33
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自殺して親を後悔させてやりたい

私は今大学生で、血縁のある母とその再婚相手と暮らしています。 この生活が始まったのは小学校高学年の頃です。 最初はその生活もなんの苦もなく送れていたものの、段々と家での生活がしにくくなっていきました。 それが決定的になったのは中学一年生の夏休みです。家庭科の宿題を手伝って貰おうと思っていたのですが喧嘩をしてしまったので、その宿題は祖母に手伝ってもらおうと思い祖母と一緒に進めていました。宿題が終わり家に帰ると、継父は機嫌が悪く、その理由は「なんで自分の家で宿題ができないんだ」というものでした。その時には既に嫌いという感情はあったものの普通に接することはできている時期でしたが、その日首を締められた事を機に全く話さなくなりました。 3日前、大学の教科書等が家に届き、夕食後にそれを整理しようと思いリビングでテレビを見ながら整理していました。 すると突然、「邪魔。部屋でやれよ」と私が座っている椅子ごと蹴られました。もちろん、教科書の整理以外何もやっていないし、通路を塞いでる訳でもない。整理をする前に何かをした訳でもありません。 母には謝られ、「○○のことが1番だよ」と言われました。 正直、そんなことを言うのだったらさっさと別れて欲しいと思います。それに「結局別れない。私も大事だけど、あっちだって大事。」それって結局1番大事なのは母自身で、何も失いたくないだけなんじゃないかと思ってしまいます。 なんで自分の家で、しかも後から来た人の為に自分がこんなにも神経をすり減らして生きていけなければいけないのかが全く理解できないです。 継父を自分で殺す事も何度も考えました。ただそしたら自分が継父と同じ土俵に立ってしまうし、法律にだって反している。自分を余計に生きにくくしてしまうだけです。 だったら、もう自分が死んで後悔させてやりたいです。母はきっと後悔するでしょうが、継父がどう思うかはわかりません。ただ少なくとも生きにくくはなるだろうと思います。 私の周りの人たちはみんないい人だから余計にそうだと思います。 そんな人たちに多少なりとも迷惑をかけてしまうのは重々承知しています。 でも、もう本当に自殺する以外に楽になれる方法がわかりません。

有り難し有り難し 95
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亡くなった主人に会いたくてたまらない

二度目の投稿です、以前、主人が亡くなって26日目ですというタイトルで相談させていただきお二人のお坊さんから、目には見えなくても、あなたが想うとき必ずご主人は優しい眼差しであなたを見守ってくれています四十九日が過ぎても、ずっとそばにいてくれますよと回答いただき涙が溢れ心から嬉しくありがたく思いました、でもまた私の心は揺れています、毎日、時間ごとに分刻みに揺れ動きます、大変失礼な言い方だとわかっているのですが、お坊さんだって生きている人間なのにどうして亡くなった人がそばにいるとわかるのでしょうか?大切な人を亡くしてしまったらそのようにおもわなければ生きていけないから、そういう考え方をするんでしょうか?わからないんです、いくらそばにいてくれると思っても私には見えないし声も聞こえない何も感じない主人と出会って30年以上、今年の6月は結婚28年目でした、今思えば不思議なことに去年の結婚記念日には私が初めて手作りのケーキを作り、その前の年は主人が初めて、いつもありがとうと書いたケーキを買ってきてくれました そして娘がお腹にいる時の日記を読み返していたらなんの記念日でもないのに3月13日パパがママにピンクの花を買ってきてくれましたと書いてあり3月13日は主人の命日です、それと私はブラックなコーヒーが大好きだったのに主人がいなくなってからそれが突然飲めなくなり主人の好きだった甘い缶コーヒーを毎日飲んでいます、出会ってからずっと会えない日もあったけど声を聞かない日はなかったので亡くなってからずっと声が聞こえない手を握れないのがたまらない毎日作っていたお弁当はキッチンに置いたままです、失礼な質問かもしれませんがどうか教えて下さい。

有り難し有り難し 255
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2024/11/12

徳、カルマ、運の関係性

世の中全て運の様な気がします。 まず人間として生まれて来れたのも運が良かったから普通に生活できるのも親がしっかり働いて育ててくれたから、生まれてくる親が選べないという部分から、これらも全て運です。 これから先何が起こるのかも分からない。転落人生を送る可能性もあるしそれを切り開くのは自分自身だとしてもそこに至るまでどういう経験をしてきたか或いは元々持って生まれた特性なども全て運です。 分かりやすく例えを言えば環境が悪く毎日、親から暴力を受け、罵声を浴びせられて育ち、かつ元々持って生まれた特性(知的障害)などを総合した場合まともな人間性は育まれない。結果的に犯罪者になってしまうとかですね。 こんな才能を持ちたいとか生まれる前に決める事は出来ませんよね? そういう事です。 つまり世の中運が全てなんです。 明日例えば僕が交通事故にあったとする。 これも冷たい言い方になるが運が悪かったからに過ぎない。 どんな人生を辿るのか分からない。 そういう意味ではワクワクしますよね? でも自分は怖く感じてしまいます。 一寸先も闇で一歩も進む事が出来ず、ただただ時間が経つのが怖いです。 例え歩き出せても人生の選択肢として合ってるのか間違ってるのか不安になってしまいます。 先程、運によって左右される話をしました。 我々人間は運によって生み出された思考回路、性格、能力を合わせた物を原動力にして歩いています。 ではカルマとは一体何なんでしょう? 徳とは一体何なんでしょう? 私から言わせれば運が良い人は徳の高い人間になり、運の悪い人は業を作る罪深い人になる。 この理屈だと地獄、天国があるのはおかしいと思いませんか? 不公平だなと感じませんか? お坊さんは運とカルマ、徳の関係性についてどう考えてますか? 私みたいに考えますか?それとも違いますか? 教えて下さい。

有り難し有り難し 10
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不条理について教えて下さい。

人は 「真面目に生きていれば」「頑張っていれば」「悪い事さえしなければ」 「人の為に」「困っている人の為に」 と考え実行し生活をしている人も大勢いると思います。 又はそういう考えを持たなくても 自然とそういった生き方になっている方も少なくないと思います。 そういう生き方に対しては成果が出て欲しい、 成果が出なくともよくない事は最小限であって欲しい又はあるべきと そういう生き方ではない人達でさえも そう思うものではないでしょうか? しかしながら現実はそうではありません。 尊敬したくなるような方 普通の方 他人を蹴落としずる賢く生きる方 極悪非道な方 他様々な方 それらとは全く関係ないような事象が起き そのまま終わりを迎える事が多いように思えます。 例えば、生まれてから悪い行いもなく 逆に一生懸命血の滲むような努力を続けていても成果が出ないばかりか よくない事が多く、どうにもならなくなり力尽き 最後には苦しんで苦しんで人生を終える方も少なくないと思います。 それは本人も苦しいし周りにいる人も苦しい上に 本人が居なくなった後も周りの人は苦しみます。 これらを不条理とした場合、 子供にどう教えていったらいいのか難しいと思う事や 自分自身どういう考えを持ったらいいのか悩みます。 結局「努力をすれば」ではなく「成果の出る努力をしないと」になってしまうだけです。 これを前向きになれるような説明をするには 死後の世界・死後の魂・前世などを持って来ることが多いかと思うのですが それを信じる又は受け入れる事が出来ない人も少なくないと思います。 私自身そうですが、かと言って宗教思想を否定する考えでもなく 普段は仏壇に手を合わせたりお墓参りをして 形だけではなく心から敬う気持ちも持ち合わせます。 ただ先の事を考えると人生の最後は「無」になってしまいます。 そういう人に人生の糧をのようなものを見出させてあげる考え方が思い浮かびません。 仏教(ほかの宗教もそうだと思うのですが)は基本的には 死後の世界・死後の魂・前世など有りきの思想だと思うのですが それを無くして人に何かを見出させることは出来るものでしょうか? それとも死後の世界などを信じる事が出来ない時点で宗教思想を否定することになり そういう人との間には相容れないものなのでしょうか? どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 45
回答数回答 3