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検索結果: 379件

生前の仏教の触れ具合は死後の「ハンデ」になる?

まず素朴な疑問のうえ、お坊さんの限りある時間と質問を増やしてしまい頭が下がります。 死後の行き先は生前の「行い」によって左右されるというのは勿論ですが、 こちらのサイトでもいろいろ知恵を授かっている内に、 死後の「裁判」は良い悪いの数直線上では計れないところもあると感じています。 たとえば、ある人は日本に住んでいて、 まったく仏教に触れていなかったとしたら? ある人は仏教に触れて、 仏教の「表面上の」知識は身に付けて、 それでもなお多かれ少なかれの悪い行いをして… 後者は私ですが、少なくとも「知っていて尚悪いことをする」のと、 知らずに悪いことをしたのとは、やはり裁判の天秤の重さに違いがあるのでは?と思いました。 「弥勒菩薩は兜率天に住み…」 「虚言はいけない」 「丸々寺は誰々により開かれ」 「般若心経」 「お寺や神社の真ん中を歩いちゃ駄目。」 「蚊を殺しただけで地獄」 「獄卒が火であぶる。」 私はこのような「情報」を得て、我を顧みることもなく過ごしています。 ただ蚊は殺めません。 仏教で守るべき掟も、出家された方にとっては、いままでとはより厳しくなると思います。 まず、 出家された僧たちにある戒律は、破ったときにのちの自分に降りかかるのでしょうか? それとも守ることで人のため、世界が良くなるべきの「願い」の要素がありますか? また、「在家」まではいかないが仏教を信仰する私として、 表面上の仏教を(インターネットで閲覧できる限りの知識を)覚えるごとに 死後の裁判の「ものさし」が厳しくなるということはあるのでしょうか。 おなじく、お坊さんとも一般人とも、仏教の知識が死後の「ハンデ」とはならないでしょうか?

有り難し有り難し 15
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主人が何をしたかったのかわからない。

いつも、相談にのっていただきありがとうございます。とても感謝しております。 今日は去年の7月に別れた主人の行動が府に落ちないのでお聞きしたく、質問させていただきます。 別れた主人は浄土真宗大谷派のお寺の孫です。ただ孫と言うだけで、浄土真宗とはまったく縁のない生活をしています。 しかし、事あるごとに「俺は浄土真宗のお寺の孫だから」と上から目線で話してきます。そして、私には「お前は浄土真宗のお寺の孫の嫁なんだから、もっと色々考えて行動しろ」と命令口調です。 一度、浄土真宗のお寺の孫の嫁と怒鳴られた時に思わず「早口言葉かよ」とつぶやいてしまい「お前は浄土真宗を馬鹿にしてるのか!!」とテレビのリモコンから子供のおもちゃまで投げつけられた苦い思い出があります。 確かに私も浄土真宗のお寺の孫の嫁として不勉強な所もあったかと思い、10数年前になりますがインターネットを通じて、何冊か書籍を取り寄せたこともありました。 その時主人は「お前はなんでもすぐ夢中になるから、檀家になるとか言い出すなよ」と言っていました。その言い方があまりにも憎々しげだったので、結局その書籍も読むのを辞めてしまいました。 主人の周りの人にも「俺、浄土真宗のお寺の孫なんですよ〜」と得意げに話していたようで、「聞き流しましたけど、反応に困りました」という声も聞きました。 浄土真宗のお寺の孫って、そんなにエライものなのでしょうか? 私としては、浄土真宗のお坊さんやその他の浄土真宗のお仕事に携わっているならともかく、ただ孫というだけなら普通の人だと思うんですが、違うのでしょうか? 長文、失礼致しました。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 7
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私は修行できるのでしょうか。宗派を決めるのが難しいです。

こんにちは。 初めて質問します。 私は、いろんなことがよく頭の中で渦巻いて、ごちゃごちゃしています。 ”空”にすることはとても難しいです。 6、7年前に自律神経系を著しく崩して、死がそこまで来るほどに患いました。 いろんな人たちの援助やさまざまな治療方法で、細かい不調はありながらも何とか今、生活できています。 生きていることの毎日が修行のようですが、頭(心や魂でしょうか)の部分で、改善はしていますがどうしても”何か”を越えられません。 現在、私にはもう仏教修行の道しかないのか、或いはその道が最適、ぐらいの考えにあります。 インターネットでいろいろ調べましたが、そのうちに宗派や修行内容など、考えると訳がわからなくなってきました。 (修行体験として出てくるのは限られている気もします。) 身体面で、厳しい修行(横になってはいけない、断食、極寒でひたすら立ち尽くす、1000日歩き続ける、など...)に耐えられるのかどうか不安です。また、死ぬような思いをするのかな、と。 わたしにとっては、その部分の修行は1度やった、ぐらいの感覚であるほど苦しかったんです。(修行を軽く捉えてるわけではありません) 無理ならば、健康でなければ出家はできないということになってしまうのでしょうか。 このような状況や、修行の内容と宗旨のバランスを、自分に当てはめてみたとき、何を選べばいいかわからないです。 このような私に、ご教授よろしくお願いします。 長文、お読みくださり、ありがとうございました。

有り難し有り難し 83
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仏教の教えについて

 こんにちは。再びこちらで質問させていただきます。  以前読んだ呉智英著「つぎはぎ仏教入門」という書物の中では、私の従来のイメージとはかけ離れた仏教観が述べられており衝撃を受けました。お釈迦様の物語では、お釈迦様は家族を捨てて出家しており、出家者に対しても①家族を捨てること・②生涯独身でいること・③労働をしないことを要求しています。また梵天勧請のお話では、お釈迦様が悟った後に「私が悟った法は、その内容はあまりにも高度なものであるから、一般の人に説いてもわかるまい。」とそのまま涅槃に入られようとしていたようです。  これらの物語を読むと、仏教とは決してヒューマニズムのような耳障りの良い教えではなく、むしろ社会の常識を揺るがす危険な思想なのではないかと思いました。また、仏教の一番の目標は、やはり「悟りを開くこと」ですが、「悟り」とは私が今まで考えていた「あるがままの世界を観じる」というような単純なものではなく、もっと峻烈で幽玄なものではないかと思いました。  これらを踏まえると、日本の仏教ではお坊さんは妻帯をして、労働されている方もいらっしゃるのが普通の光景です。社会に歩み寄るという点では、ある程度の妥協も必要であるとは思いますが、釈尊の本来の教えから見ると、修行や悟りを軽視している面があるのではないでしょうか? また、その教義が初期仏教とは異なる宗派もいくつかありますが、ある教えが仏教であると言える条件は何なのでしょうか? 日本で悟りを開かれているお坊さんはどれくらいいらっしゃるのでしょうか?  その辺りを、お坊さんはどのように考えられているのか伺いたく、質問させていただきました。どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 77
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死ぬ気で頑張る→失敗→死ぬ

母が精神病で虐待されて育ちました。 唯一心を解放できた勉強も母の進学反対により潰され、母の気に入った職場に就職することで自立しましたが、母の職場への干渉に耐えられず、成人したその日に退職。その後は学習塾でアルバイト。 結婚したが、私もあの悪魔のような母親になってしまうのでは?他のママ友とうまくやれるのか?隔世遺伝で子どもが悪魔になるのでは?などの恐怖からノイローゼぎみでした。虐待の連鎖を止めるため、たくさん勉強しました。そんな中で、仏教の「母の愛もまた煩悩」という考えに救われ、母を許すことができました。また、かなり調子がよくなりました。しかし、夫が失業することになり、私の就職活動と妊娠の両方は無理だという恐怖から私が避妊薬をのむようになったこと、また、仏教系の新興宗教に通い出したことから夫から「最初から産む気がなかったんだろ、ダマシタナ」と離婚になりました。 その後は新興宗教に誘われ出家しました。でも、みなさん結構実家から援助してもらっていて、結局「親に感謝」という雰囲気でした。もちろん、私も母には感謝してますが「母=善」という考えには疑問を持ちました。団体の代表者から他の在家の信者さんの悪口を聞かされ、それは構わないのですが、「俺の信者さんからの迷惑と比べたら、あなたのお母さんから受けた苦痛なんてなんともないから(笑)」と言われてプッツリきてしまいました。 宗教団体から出るため就職活動もはじめました。実は九年間かけて取り組んできた通信の大学が、再来月に卒業なんです。大学では哲学や宗教や心理学をやりました。それを活かせればと思いましたがどこもダメ。学習塾でさえも。 もうやる気が全くなく、死にたいです。でも唯一、学習塾には行けています。宗教団体に家賃と活動費と食費を払わないといけないので、。それに教え子はかわいいです。引越を先に考えてますが気力とお金がないです。 実家もだめ、結婚もだめ、出産もだめ、就職もだめ、学業もだめ、趣味もない、友人も一人もいない、出家もだめ、で人生詰んでます。死んだほうがいい人生です。趣味がないので、できるだけ一日仕事をしたいです。学習塾は夕方しかないので... また再出発できるのでしょうか。

有り難し有り難し 94
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今後どうしたらいいのか

義父母と二世帯住宅で同居をしています。 キッチンやリビングは別々なので義父母と顔を合わせて会話をするということはほとんどありません。特に話したいともお互い思っていません。 そんな中、お盆休みに昨年結婚し子供が生まれたばかりの、遠方に住む義兄夫婦が数日間泊まりに来ました。 私たちとはいつも食事が別々だからなのかこういった来客の時何の誘いもなく、食事は別々で義兄夫婦との交流をさせてもらえませんでした。 義父母と義兄夫婦は毎食時、自然にたくさんの会話をし、楽しそうにしている様子が伝わってきました。 年に数回来るだけだからお互いにその間だけ良い顔していれば終わるんだし、そりゃ良い雰囲気っぽくなるよなぁ今だけ今だけ、と自分に言い聞かせていました。 ですが義兄のお嫁さんが、義父が酔っぱらって(お酒を飲まないと喋れない人です)義兄夫婦がこの家に住めば良い、という趣旨の話をしたというのです。 私達は結婚して10年、義父の個性が強い性格や自己中なところを受け入れはしないけど自分の中で折り合いをつけて関わってきたつもりだし、そんな義父母との同居にも悩んだ末同意し、同居を始めて気を使いすぎて心身を壊したりたり、見えなかった部分が見えたり嫌な事をされたりして辛いことも耐えてやっと義父母との距離感を見いだしてきた時に、義兄嫁からのその一言で同居してきた3年間を全否定された感じがしました。夫がローンを払っている家なのになぜそこに義兄夫婦を住まわせようとするのか。 義兄は転勤族のため、現実的に今は無理なのは分かっています。義兄夫婦の本心も分かりません。 でも、お酒がないと喋れない義父が、義兄夫婦に対してそう言ったということは本心だと思いました。 私の事を嫌い、長男のことも目の敵にしているので邪魔で仕方ない、自分勝手な義父はできることなら取り替えたいのだろうなと思いました。 義兄のお嫁さんと比べたら私の方が全てにおいて劣っている事は分かっています。お嫁さんは若い、健康、何でもよく食べる、礼儀正しい、気遣いができる、あんな義父母でも積極的に話してくれる、私には持っていない物をたくさん持った義父母の好みの人です。 私はお盆休みからずーっとその言葉に執着してしまい、義父と目を合わせなくなり全く会話をする気がなくなりました。 私はこんな気持ちでこれからどうしていったらいいのでしょうか。

有り難し有り難し 13
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