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hasunoha 問答検索結果 : 「悟り」
検索結果: 2103件

仏教徒に対する疑問パート4

それではさっそく質問です この世の最初の最初にあった無明それはなんの原因と結果で生まれたんですか? 無明を作った原因と結果それを作った原因と結果それすらも作った原因と結果 そうやって全ての原因を作った犯人を永遠と見つけれないでただ結果だけあったら 因果の法則というより因を無視した果の法則じゃないんですかね そしてその無明が業を作り出しこの娑婆の世界を作ったそして自分の存在も 最初の最初だった頃は自分は何の業も作ってないのに無明が勝手に業を作り 業の濡れ衣を着せられた自分はこの娑婆の世界へ落とされた これも因を無視した果の法則じゃないですか? ホントに最初の最初の状態 そこには原因の犯人がわからない結果だけがただ無明としてあり その無明は業を作り続けて 勝手に自分も業を作ったことにされるなら 悟りを開いても勝手に業を作らされれるんじゃないですか 無明は因果なんて無関係に悟りにも襲ってくると思います 無明は因果の法則というより因を無視した果の法則として 無明は最初の最初に始まりの原因と終わりの結果の全てを作ってしまった この世の法として襲ってくるからですよ まるで神のような速さで煩悩として悟りに追いつくと思います それなのになんで悟りはそこからも解脱できるんですか? 毒矢のたとえでそんなこと考えないで修行しろと説いた お釈迦様は無明からも解脱した根拠はなんですか? 人前で誰にも出来ない奇跡を起こしたりしたんですか? なぜお釈迦様は周りの娑婆僧とは完全に違うと周りは気ずいて その人の言うことが真理だとして宗教にしようとしたのですか? もしも何の根拠もないなら そこらへんの神を妄信するカルト宗教と大して変わらないですよね

有り難し有り難し 37
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出家か転職か迷っています

俗世間で言われている幸せ(会社員として働き、良い家庭をつくる)に価値を感じず、悟りを開きたいと思っております。 ですが、今の仕事では結果を出すため、そして生活を送るために毎日嘘をつくことになる(不妄語戒をおかしてしまう)ため、出家すべきか転職すべきか迷っています。 2015年10月から訪問販売の仕事をしています。今の会社では、この仕事で生活できている人たちは皆、 「この辺りのお宅では皆、買ってもらってますよ」などと日常的に多くの嘘をついています。私も結果を出すために、同様の嘘をついています。 嘘をつけば不妄語戒をおかし、悟りには至れない。嘘をつかなければ、結果が出ないのでこの仕事では生活できないというジレンマがあります。 元々「自由に休みが取れるようになりたい」という欲から選んだ仕事なので転職自体はまったく問題ないのですが、そもそも嘘をつかないで俗世間の仕事をこなせるのかどうか疑問です。 もし俗世間の仕事で嘘をつかざるを得ないのであれば、いっそ出家して修行の道に入る方が良いのではないかと思っています。 また、生活のために嘘をついている面もありますが、それ以外でも自分の心の弱さゆえ、見栄を張るために嘘をつくことがあります。 まずは出家せずとも、俗世間の仕事をする中で戒律を守り、悪行をしない努力をさらに重ねるべきなのでしょうか。最後までお読みいただき、有難うございます。

有り難し有り難し 26
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仏教の教えについて

 こんにちは。再びこちらで質問させていただきます。  以前読んだ呉智英著「つぎはぎ仏教入門」という書物の中では、私の従来のイメージとはかけ離れた仏教観が述べられており衝撃を受けました。お釈迦様の物語では、お釈迦様は家族を捨てて出家しており、出家者に対しても①家族を捨てること・②生涯独身でいること・③労働をしないことを要求しています。また梵天勧請のお話では、お釈迦様が悟った後に「私が悟った法は、その内容はあまりにも高度なものであるから、一般の人に説いてもわかるまい。」とそのまま涅槃に入られようとしていたようです。  これらの物語を読むと、仏教とは決してヒューマニズムのような耳障りの良い教えではなく、むしろ社会の常識を揺るがす危険な思想なのではないかと思いました。また、仏教の一番の目標は、やはり「悟りを開くこと」ですが、「悟り」とは私が今まで考えていた「あるがままの世界を観じる」というような単純なものではなく、もっと峻烈で幽玄なものではないかと思いました。  これらを踏まえると、日本の仏教ではお坊さんは妻帯をして、労働されている方もいらっしゃるのが普通の光景です。社会に歩み寄るという点では、ある程度の妥協も必要であるとは思いますが、釈尊の本来の教えから見ると、修行や悟りを軽視している面があるのではないでしょうか? また、その教義が初期仏教とは異なる宗派もいくつかありますが、ある教えが仏教であると言える条件は何なのでしょうか? 日本で悟りを開かれているお坊さんはどれくらいいらっしゃるのでしょうか?  その辺りを、お坊さんはどのように考えられているのか伺いたく、質問させていただきました。どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 77
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2024/08/03

希死念慮との付き合い方

希死念慮との付き合い方について、お坊さんの視点からアドバイスをいただきたいです。 皆様のおかげもあり、生き方に対する姿勢は以前と比べ変わってきたように思います。 仕事でミスをしても、そういう人間なんだから仕方ない。 やりたいことができなくても、今はできる環境ではないのだから仕方がない。 自分ではどうしようもないこと、現在の自分の能力では解決しようのない問題に対して、あれこれ悩むのはやめました。 様々な点で悟りを得られたように感じます。 ただ時折、どうしようもなく消えてしまいたい気持ちに駆られます。それは、周りに迷惑をかけているなと感じた時や、仕事で何も成果をあげられていないと感じた時などです。 読んでいて矛盾を感じられたと思いますが、落ち着いている時には悟りを得られているものの、少しでも身体的に疲れている時や、周りに人が多く気を張っている時など、自分にフォーカスできていない時などに、なんらかのきっかけで悟りが崩れてしまいます。そうして、一度死にたいモードに入っていくと、しばらく悟りのモードに戻れなくなります。どうしようもない、と自分で自分を言い聞かせていた分、反動でかなり深いところまで落ちていきます。 この死にたいモードの時に、ふとした瞬間で死んでしまわないか、自分を信用できず怖いです。 またこのモードに入っている時は、とても苦しく、辛いです。周りに人がいても涙が出てきてしまい、隠し切れないこともあります。 どのようにしたら、この瞬間的な死にたいモードから脱出できるのでしょうか。 瞬間的とは言いつつ、数日続くこともあります。数年間うつ病と闘っていたこともあるので、また再発するのではと怯えています。生きていればいい、と言いますが、その生きていることが辛く苦しいのです。毎日、仕方がない、と言い聞かせて息しているわけです。希死念慮を抱く前の、定常状態の生き方についても問題があるのかもしれません。

有り難し有り難し 25
回答数回答 2