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hasunoha 問答検索結果 : 「親 死 悲しい」

検索結果: 384件

父の死がつらいです

こんにちは。こちらで相談させて頂くのは3度目になります。 父親が亡くなり、非常につらいです。 現在私は県外に嫁いでおり、臨月の妊婦です。 親戚よりは「あなたが無事に元気な赤ちゃんを産むことをお父さんも願ってるよ」と言って頂き、大事をとって葬儀などは欠席し、お腹の子に障るといけないとなんとか気を紛らわせて過ごしている状態です。 私と父はどちらかと言うとそこまで良好な関係ではなかったかもしれません。 楽しかった記憶も多いですが、学生時代は父に不快な言葉をぶつけ、激しい言い合いになることが多かったです。 私が大人になり、進学や結婚で実家を出てからは冷静になれ、少しずつ上手く父と関わる事ができるようになっていきました。過去に父と衝突した時の事を今思い出しても、「あれは子供に言う言葉じゃなかったな」などと思う事もあり、父に腹を立てたり恨みもした事もありましたが、 私は母を早くに亡くしており、推測ではありますが父も父親としての自覚が芽生える前に1人で父になったような形で、私との関わり方がわからなかったのかな?父も1人の人間だし、限界があったのだろうと今では思います。 そんな父ですが、同居する両親(私から見て祖父母)との折り合いが悪く、かなりストレスを抱えておりました。 以前相談させて頂きましたが祖父が特にひどい気性の持ち主でよく父と激しい言い争いをしておりました。 父がつらいのをわかっていながら、私はそんな環境に父を残し県外に嫁ぎました。 父にすべてを任せて自分だけ幸せになったのが申し訳なかった。でも父は「自分の居場所が見つかって良かった」と言ってくれました。 父が病気で入院した時、怖くなり過去に酷いことを言ってしまった事を謝り、もっとお父さんと色々話しておけば良かったと謝った時も「そう思ったなら自分の子どもができたらそうしてあげればいいの」と笑っていました。 これから産まれてくる子、夫や親戚、友人に対し後悔のないように感謝をしたりして繋がりを大切に生きていく事が大切なのかなと思います。 ほとんどの人が親と納得のいく別れができるわけではないとは理解していますが、どうしても、「もっと父と話したかった、もっと会いに行けばよかった」と後悔や悲しさが襲ってきます。 今更後悔しても遅すぎる事ですが…。 こんな親不孝な者に対し恐れ入りますが、何かお言葉を頂けますとありがたいです。

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2025/12/07回答受付中

妹の自死

18歳の妹が自死しました。高校でいじめにあっていたとのことでした。気づいてあげられませんでした。毎日苦しい思いをしていたのに会うと妹は笑顔で迎えてくれました。辛い顔をしている時もありましたがからかったり気にしすぎだと言ったりしていました。妹は毎日精一杯だったのに。私が困った時は助けてくれていたのに私は助けられませんでした。日記をつけていたようで妹が毎日どんなに辛い日々を送っていたか綴られていました。それを見て欲しかったようでスマホのロックが開けられるようにしてありました。高校に入った年から死にたいと考えていたと書いてありました。時々学校で辛いことを話してくれていたのに妹が内気なせいだとか思春期特有の悩みだと思い真剣に答えてあげられませんでした。高校3年の頃には限界だったようですがもうすぐ卒業だからと言って学校に行かせていました。妹に高校を卒業して欲しいという思いがあり辛い思いをさせてしまいました。妹を追い込んでしまいました。妹の将来は妹と両親が考えることだと思っていて責任逃れをしていました。休ませてあげれば良かったのに将来の自立について遅れがあろうが少しずつ取り組めたはずなのに。妹の絶望に向き合わなかったことを後悔してもしきれません。10歳下の妹で赤ちゃんの頃から可愛がっていました。生まれてくれてすごく嬉しかった。自分は妹と仲が良く気持ちを分かったつもりになっていました。実際は妹のことを裏切り続けていました。妹にとって信頼できる人間ではなかったので相談して貰えませんでした。妹に会いたい気持ちは強いですが残された家族もいるので自死は考えません。妹は寄り添ってくれなかった私たち家族に怒っていると思います。妹はにはこれから私たちにどんな風に過ごして欲しいでしょうか。妹は今苦しみから解放されたんでしょうか。教えてください。

有り難し有り難し 22
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2025/08/24

愛犬の死とこれから

15年間生活を共にし、愛してやまなかった愛犬が亡くなりました。 かわいくてかわいくて夫婦で世話をし、生活の中心だった愛犬の死。 ここ数か月は老化は持病のための介護生活を余儀なくされ、精一杯世話をしてきたつもりです。 夫婦そろっていた日曜日、愛犬もいつものようにご飯を食べ、その後急変しでも苦しまずに逝ったことがせめてもの救いです。 介護に後悔もありません。一緒に過ごした15年間の思い出も感謝の気持ちでいっぱいです。 お別れのその日も穏やかに見送ることができました。 ただ、介護の日々はやはり大変で、おむつを替え、寝る位置を変え、深夜早朝何度も起きて、自分たちの心身も限界だったことは否めません。 この子の前も2匹の保護権を見送りその時も介護を経験しています。 今の心境はすべてにおいて身軽に生きていきたい。 すごくわがままかもしれないけれど、自分に集中して、自分の幸せだけを考えていきたい。自分ファーストに生きてみたい。そういう気持ちが沸き上がります。 少しの冷たさというか、自由を渇望していたのか?とも思います。 愛犬たちを見送った喪失感と背中合わせの解放感も感じます。 悲しみや寂しさも十分に味わいながら、少しの解放感、身軽さも感じながらの複雑さ。 空虚さに幸せも感じてしまいます。 ゆっくり眠れることも、外出先で留守番の愛犬を心配しなくていいことも。 心配や不安に疲れてしまったのかもしれない。 全部を開放して今私は、身軽さを存分に味わいたい。 肩の荷が下りたというのも違います。 解放されている今に罪悪感も感じていません。 生きなおす?というのとはまた違うのですが、ほっとしている自分がいます。 それだけ大変だった介護生活。 それでよいんだよという答え合わせのお言葉をいただけると嬉しいです。 愛犬たち、安らかに眠ってください。1代目の子から3代目までの30年間、 私たちと暮らしてくれてありがとう。 合掌

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母の死と後悔

はじめまして。 苦しくてこちらのホームページにたどり着きました。 昨日、病院に長期入院中の母が亡くなりました。 血流が悪くなる病気で、1年ほど前から痛みが酷くなり、足指から壊疽が始まり、痛みのために1人では何もできなくなった時点で大学病院に入院。足指を切断しました。手術後、今度は肺気腫が悪化、肺炎を起こし、何度かは覚悟を、と言われながらも、なんとか持ちなおし、病院を転々としながら半年が経ちました。 術後の傷口は塞がら無いまま、痛みも続く中、リハビリも無理で、ほぼ寝たきりになったため、家に帰りたがる母を我慢させて、入院を続けさせました。 コロナのせいで、半年間で会えたのは、手術時や転院の際の5回のみ。最初のうちは携帯を使えていましたが、だんだんと通話も無くなり、会話もほぼなくなりました。 結果的には痛みと孤独に耐えさせて、ひとりぼっちで、旅立たせてしまったのです。 最善は何かと探り続けていましたが、コロナの規制が厳しく、私の判断が鈍っていたのかもしれません。 病院にいることが母にとって最善だったと、今になって思うことが出来なくなり、一人で旅立ってしまった母が、かわいそうで、悲しくて、心が潰れてしまいそうです。家に連れて帰り、在宅看護を検討できなかったか、入れる施設は必死に探したものの、在宅は無理だと最初から諦めた自分に一生後悔をすると思います。 もっと母と一緒に居てあげたかった。母とおしゃべりしたかった。 自分の家族の前では明るく振る舞うため、心と身体が分離していく感覚が恐ろしく感じています。 どうやって心を保っていけばいいでしょうか。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 70
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父の死から見えた母の本性

再び質問させて頂きます。 先月の8月20日に父を突然死で亡くし、もうすぐで1ヶ月になります。 まだ私の中で父の死に対して気持ちの整理がついていません。 そんな中、母の本心を知った気がします。 私は母と別の家で妻、子供二人と住んでおり、母は兄と二人で暮らすことになりました。 私は少しでも明るい方がいいと思い、毎日仕事終わりに母のとこに通い、週末は時折子供二人と泊まりに行ったりしていました。 また、色々な手続き等あるため、先日の日曜日に母、兄、私、子供二人で司法書士さんのところに話を聞きにいきました。 それから、先日、いつも通り母のとこに仕事帰りに寄って話をしていた時に、母から 「お兄ちゃんがぶつぶつ言ってたよ。司法書士さんのとこで子供がはしゃいじゃったから、もう少し話がしたかったみたい」 「お母さんが病んでた時に全然顔を見せないのに、子供が産まれたら面倒を押し付けて」 等々、他にも兄が私に文句を言ってた様なことを言っていました。 確かに司法書士のとこに子供を連れて行ったのは配慮が足りなかったかなと思います。 話を聞いた後、兄にいらいらしていたので、このままではまずいと思い、夜10時過ぎに兄に話をしに行きました。 私が「司法書士のことは悪かった」と言うと、兄からは「それは母さんが言ってたよ」と言いました。 私は訳がわからず、母があたかも兄が言っていた様に嘘をついているのに気づきました。 それだけではなく、母が病んでた時にあまり顔を見せなかったこと、子供の面倒を見てもらったこと、すべてイヤイヤやっていたのはでいか? 色々考えてしまいます。 母が病んでた時は父が私に心配かけないようにしていました。 私に家族がいましたから。 母が病んでいた時に私は母が目の前で号泣するのを何回か見て、胃潰瘍になり、一週間で五キロぐらい痩せたこともありました。 子供を親のとこに連れて行き、嬉しそうに接していたので、親孝行のつもりでした。 ですが、それもこれも迷惑だったのではないか?と考えてしまい、母のことが一気に信用できなくなりました。 父を失い、母も失った気分です。 裏切られた感じで悲しいです。 今後どの様に接していったらいいのかわかりません。 わかりにくい文章になってしまいましたが、どなたかアドバイスをお願いします。 色々なことがありすぎて、涙が止まりません。 お願いします。

有り難し有り難し 15
回答数回答 1

弟の自死と両親

一ヶ月前、私の弟が自分で命を絶ってしまいました。 母は毎日泣いて薬を飲まないと眠れないようで、父は悲しみと後悔で苦しくなるからと現実逃避したいのか弟の話題は避けていて悲しむ母を見て苛立っているようです。 母はそんな父を見て父の前では悲しまないようにしたりしていて、私に泣きながら電話をしてきます。 父は今まで家族で過ごしてきた時間も良い父親とはいえない人でしたが私は家を出ていて今は母と二人なのだから、弟のことを思い偲んでたまには悲しみながらも過ごしてほしいと思ってしまいます。 弟のためにも出来ることはしていきたいと思いますが残された家族は何をしていけば良いのでしょうか。 父には何と言えば弟のことを思い偲んでくれるのかわかりません。 弟が自死してしまってずっとその時の苦しみに縛られて辛い思いをしていないか心配です。 気付いてあげられなくて助けてあげられたと思うと自分が情けなくて、 今まで大変なことも沢山耐えてきたからこれからは幸せを沢山感じながら生きていってほしかったのに。 弟に会いたいです。いつか私も60年後くらいになってしまうけれど、死んだらその時に会えるのでしょうか。 たった一人の姉弟でした。そう信じないと、二度と会えないなんて悲しくて耐えられそうにないのです。

有り難し有り難し 66
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愛憎と生と死

お世話になります 現在、きっと感情がぐちゃぐちゃになっています。 最近フラッシュバックが時々起こり、虐待されていた瞬間が点滅するように脳に蘇ります。 仕事中でも家事をしていても、寝る寸前でも。 恐怖が、とにかく恐怖が頭の中を覆って叫び出したくなります。愛されなかった子供の頃の自分が甲高い悲鳴を上げてフラッシュバックの中を逃げ回って、気が触れそうになります。 フラッシュバックから何とか戻ったら、恐怖から憎しみに感情が変わり、父親も味方である姉も知り合いも道行く見知らぬ人もすべてが憎くなります。 時には声に出して呪います。「死ね、死ね」と何度も。でもそのうちに死んでほしいのは自分だと気付くのです。愛されなかった自分が許せないのです。賢くなかった自分が、若くして死んだもう一人の姉のかわりになれず父親を満たせなかった役立たずな自分が、憎くて憎くて、大嫌いです。 せっかく生まれてきたのにこんな風に自分を責め続ける人生とはなんでしょうか。いっそ死にたい。でも死ぬ前に一度でいいから父親に愛されて、生きてて良かったと感じたい。 もう父親に会うことは絶対に無いのですが、父親に対する憎悪と同じくらい父親からの愛に飢えているのです。 こんな惨めな人生は嫌だ。幸せというものを理解したい。 死にたくて、生きたい。 瞑想時の呼吸法で落ち着こうとするのですが、感情がジェットコースターのように急速に急回転してうまくいきません。 憎しみとはなんでしょう。愛とはなんでしょう。 死にたいと生きたい、どちらが本当の気持ちなのでしょうか。 めちゃくちゃな文章で申し訳ございません。

有り難し有り難し 47
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我が子の突然の死

深夜1時過ぎ息ができない肺が痛いということで救急車を呼んでほしい」と訴えて来たので119番してそのまま救急病院へ。 速攻入院ICUに入りました 検査は続いていて、一旦家に帰るように言われました。朝8時前に家に着き、一息つく暇もなく病院から、「すぐ来てください」私は病院へ 無菌室で彼は力なく、痛みに耐えていました。会話はできるということでお話をしました。 「いい病院に来れてよかったね(私)」 「(息子)治りに来たのに痛いのと呼吸できないの取れないよ」 「きっと治るよ!(私)」 かなり辛そう呼吸が苦しそう。欲しいものは?ときいたら、お水が欲しいということでペットボトルを3本渡す。面会時間限られているので 「また来るね」 2日目の昼呼吸器を付けるのですぐ来てくださいといわれたが、着いた時にはもう装着して、眠っていました。 眠っている我が子の手やおでこに手をやる、足が出ていたので足の裏をさする「治りますように!」 3日目の朝 「すぐ来てください!」 着いた時には、もう眠っていました。 医師が「死亡確認をします」 信じられなくて突然すぎて。。もっと早く大きな病院になぜ行かせなかったのか?後悔ばかりです。「治るために来たのに苦しいの治まらない」と最後まで言ってた息子です。 病気で辛かった時かかりつけの医者以外に行っていれば、 悪化しなかったかもしれない! 発熱に耐えて、仕事などに行かさないでもっと早くやすめるように会社に言えなかったのか!? してやれなかった後悔が後から後からあふれてきます。 救急車呼んだ時間から夜明けまで、息子の事で一杯で寝れません。 電話の音も怖いです。 私がいま息子のために、してあげることは何でしょうか? 息子の魂はどこにいまいるんでしょうか? 助けてください。幸せになってほしかった息子が喘息と肺炎の悪化で若くして死んでしまいました

有り難し有り難し 101
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母の突然死

始めまして、お世話になります。乱文をお許し下さい。 先月母を急性大動脈解離で亡くしました。 私は10年前に3人の子供を連れて離婚し、遠方から実家のそばに戻り暮らしております。 職場も近いため、毎日実家で母が昼食を作ってくれておりました。 母が亡くなった日も、休憩時間に実家へ向かおうとした矢先に父から電話があり、母の具合が悪く救急車を呼んだのですぐに来て、と連絡があり駆けつけると喉が苦しい、めまいがする、と母が言った矢先、横になり救急隊の方が到着した時には、深い呼吸になっており血圧も図れない状態でした。 たった25分程の間に母は亡くなりました。その日も昼食の準備の途中で、まな板には野菜が切ってありました。 今も思い出し涙が出ます。 毎日毎日、母より苦しんで亡くなった方や、若くして亡くなった方の話などを聞いたり、ネットで検索してみたりして自分の気持ちを安らげようとしてしまいます。自分より辛い思いをしている人が沢山いるんだと、言い聞かせようとしている自分が情けないです。 日に日に悲しみ寂しさが増し、どうしようもありません。 時間が経つと受け入れられるものでしょうか? いつまでこの悲しみが続くのでしょうか? いつもいつもそばで応援してくれ、末っ子の面倒を見てくれていた優しい母にもう一度会いたい、ありがとうと言いたい、この思いで胸が一杯です。 一人残された父の事も心配です。 お坊様、人間の命とは、こんなにはかないものなのですか? 天国で母に会えますか?

有り難し有り難し 172
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父の死とそれに伴う苦悩とのつきあい方

こんにちは、見てくださってありがとうございます。 初めての質問、長文ですが失礼いたします。 昨年食道がんで父を亡くしてから、思い悩むことが多くなりとても辛いです。そういった負の感情とのつきあい方、折り合いの付け方をご助言いただけたら嬉しく思います。 「思い悩む」の内容は、自分では3種類くらいあると思っています。①父の死自体に対する悲しみ、②今後周りを含め迎える死に対する悲しみ、③周りと比較してしまう思考、です。 ①に関しては、死別までのトラウマです。コロナ禍ということもあり、父は臨終近くまで家で過ごすことが多く、父の咳で眠れなくなったり、血痰が出て夜中に看護婦さんを呼んだり、かん腸で泣き叫ぶ父を励ましたり、とても悲しい記憶が色濃く残っています。当時リモートワークで、仕事先の人にもあまり事情を分かってもらえる人がいなくて、完全に孤立してしまったことから、少し捻くれているのかもしれません。 ②は、これは私も意外だったのですが、今後私が経験したような果てしない悲しみを、ほとんど誰もが同じように経験をするという事実が、悲しいということです。その事実を直視すると、人生には救いがないな、と、思ってしまいます。例えば、私の周りの大切な友達やいまは幸せそうな家庭や生まれたばかりの赤ちゃんだって、いつか大切な人の死を経験するのは同じですよね。親の死に対して「みんな経験することだよ」という励ましワードは良く見ますが、私にとっては、それが、そういう出来事が増えていくことを確信しているからこそ、これから生きていくのが苦しいな、という感情になってしまいます。 ③は、他者との比較を辞めたくても辞められないということです。周りは20代。両親健在な方が多く、羨ましさが拭えません。両親が元気な友達の家庭の話を聞いたり、死と関係のない悩みを聞いては、一人になってから羨ましさで泣いてしまいます。「両親どちらも幼くして亡くしてる人もいる。私は幸せだ。」とか、考えてみるのですが、また人と比較することでしか、自分を慰められていないことに気付いて嫌になります。他ならぬ自分自身が苦しいのだということを認めたいです。 hasunohaやグリーフについての本などを読んで、死別といっても、それに伴う感情は多様で複雑だなと思っています。お時間ありましたら、お言葉いただけたら嬉しく思います。

有り難し有り難し 9
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母の死の後悔

今週月曜日に心筋梗塞による心不全で母が亡くなりました。 母は、要介護2で、ある程度家の中を歩くことはできましたが、軽い認知症でした。私は、腎臓病でこのままだと透析と医者に言われている状態もあったのですが、ここ数か月、私自身会社を退職し、母の面倒を見ながら、自分の腎臓の温存療法中でした。そのため母には、何かできない事があると、しっかりして、透析になったら面倒見れないよ。などと言って、喧嘩することもありました。 日曜には、そのことが母の頭にあったのか、洗濯を自分で行おうとして、紙パンツを洗濯機で洗ってしまい、洗濯機を壊してしまい、その事で母をかなり叱咤してしまいました。 亡くなる当日、珍しく私が起きて食事を作っていると、痛み止めが欲しいと私の所まで来て「痛み止めがないか」と薬を欲しがりました。土曜には法事があり、日帰りで横浜、前橋を往復したのですが、その影響で、腹痛、背中痛が起きたのだと思っていました。(今思えば、かなり痛くて、私が起きるまで我慢していたのかもしれません。) 薬は飲ませましたが、その日、朝食も食べず(いつもの嫌いなものを残す)、食べないなら、今日はゴミの日だから自分で捨ててきてと喧嘩をしてしまい、母を責めてしまいました。デイサービスの迎えの時も、行きたがらなかったようで、半ば無理やり、デイに行ったようです。午後、調子が悪いようでと連絡があり、車で迎えに行き、そのまま近くの診療所へ行きましたが、駐車場から診療所まで歩くのも痛い痛いと言いながら診察したのですが、診察後、待合室でか細い声で、痛いよ痛いよと言いながら、うずくまってしまい、動かなくなってしまいました。その後救急車で救急病院に搬送されましたが、そのまま亡くなりました。 前日の私の行いや、当日の態度、診療所に連れて行きながら、気づいてあげる事が出来なかった事、非常に後悔し、苦しいです。母の痛いよ痛いよという声が残って、悲しみがこみ上げてきて、辛いです。 今週末、通夜、告別式ですが、家で安眠している母に、どう接すればいいのでしょうか。

有り難し有り難し 35
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2023/10/15

親が死ぬ時、どう受け入れればいいのか

私25歳、妹23歳、両親64歳です。 社会人で一人暮らしを初めて両親の有難さに気づきました。 長年の不妊治療の後産まれた私は何の取り柄もなく、今までの迷惑と心配をかけてきた申し訳なさもいっぱいで、日々両親の健康と幸せを願うばかりです。 実家に帰るたびに、両親の白髪の多さや縮んだ背丈など、老いに気づく場面が多くなりました。ぱっと思い浮かぶ両親の姿は、背が高くて見た目も声も若い昔の姿です。ランニングが趣味だった父も「すぐ疲れる」と外出が少なくなりました。「私が死んだら食器あげるわ」「次元号変わるときはもう生きてないわ」と笑顔で話す両親の会話でも泣きそうになります。そうやって老いて死に近づいていく状態をみるのが辛いです。 昨年祖母が亡くなりました。身内の死は初めてです。 今でも祖母に会いたいと一人で泣くこともあり、祖母も祖母の家もなくなって悲しく寂しいです。 恥ずかしながら、祖母の死で改めて家族の大切さや感謝を感じました。 祖母が亡くなってこんなに悲しいなら両親が亡くなる時、受け止められる覚悟はできるのか?もし結婚して自分の家庭を持っても両親のいない長い人生を生きないといけないのか?と思ってしまいます。 「誰も死んでほしくない。健康のままずっと生きてほしい」と子供みたいに、大切な人が死ぬという現実から逃げたい気持ちでいっぱいです。 命に終わりがあるのはわかってますが、家族の死にどう向き合って立ち直ればいいかわかりませんし、受け止められる覚悟ができません。 両親が死んだらきっと悲しみで気が狂うだろうから自殺したい。でも大好きな妹のことを思うと自殺もできません。 また、介護施設で認知症の方の対応をしていたのを思い出し、両親が認知症になって私や妹ものことを忘れたら…という怖い気持ちもあります。 どうやって大切な人の死を受け入れて乗り越えたらいいのでしょうか。

有り難し有り難し 5
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