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hasunoha 問答検索結果 : 「 悟り できない」
検索結果: 2064件
2023/04/23

本当の正義とはどこにありますか?

「浮気・いじめ・暴言や悪口・男(女)遊び」など私は倫理的にダメだと思っていますが、人は皆違うからこそ、この倫理観は僕だけのものだと思います。 それを他人に押し付ける行為は他者のことを尊重できていなくて、よくない行為だと思うのですが、上記の行動を見ると、どうしてもすごく不快になります。 「こんな人もいるんだな〜」や「世の中そんなもの」と割り切りづらいのです。割り切れない訳ではないですが、モヤモヤしてストレスで病気に罹ったほどです。 他者を尊重することは大事だと言いますが何を基準にどこまでを尊重とするのでしょうか? 「浮気・いじめ・暴言や悪口・男(女)遊び」 ← これらを"尊重"して許すべきなのでしょうか? 極論、人を殺めるという行動も尊重しないといけないのでしょうか?僕は倫理的に良くないと思いますし人の命を存外に扱っている行為だと思います。 ですが、これはあくまで"自分の倫理観"ですし、他人に押し付けてはよくないですよね?そこに人を殺めてはいけないなんて法律もないですし。 これを尊重と言うのなら皆本当にできるのでしょうか? 僕はどうしても許せないです。モヤモヤして気持ち悪くなります。見て見ぬふりが苦手なんです。 もし、それができたとしても他人に無関心で冷たい世界が作られると思います。 "倫理観"を基準に尊重しても、そんなものは互いに違いますし、それを振り翳した殴り合いが始まりますよね。 本当の正義とはどこにあるのですか?それとも、そんなものは無いのでしょうか? 見方を変えれば全ての物事が善でもあり悪でもあるのでしょうか?

有り難し有り難し 24
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曹洞宗と日蓮宗。善い行い悪い行い。

以前、仏教とは?と質問させていただいたものです。沢山の回答がありまして、その中に仏教とは善い行いをするためにする事とあったので、善い行いを心がけてますが、毎日仕事をしていて、雑草を抜いたり、害虫を殺したりしています。お客様や職場の人は喜びますが、これって仏様からみたら善い行いなんでしょうか?また、私の友人の住職は善い行いをするのではなく慈悲の心でする事瞑想をとうして、仏様が私の心になる。とおっしゃっていました。心が瞑想すると第4図という好き嫌いの心から、慈悲の心になるそうで、例えば誰かに刺されたとしても心は穏やかなままになるそうです。その方は曹洞宗です。友人にさそわれ私が信仰していた日蓮宗系なので、お経を毎日あげる事で先祖が喜んで力をかしてくれるという教えでした。わたしは今はお金がかからないので曹洞宗のお寺に行ってますが、日蓮宗が間違えではないと思うので、曹洞宗のお坊さんが読んでる般若心経を譲ってもらったのでそれを毎日よんでます。日蓮宗が間違ってるとは言わないですが、その団体の独自の解釈で抜粋されたお経はスッタニパータ読む限りではずれているので。本物の日蓮宗のお坊さんとは出会った事がないので、自動的に私は曹洞宗になってしまったというか檀家なのでお墓は曹洞宗のお寺なので、わざわざ、変える必要もないというか、遠くてお墓参りにいけないんならいくら日蓮宗のお寺さんにしたいといっても先祖も自分も喜ばないと思います。うちの近くの曹洞宗のお坊さんいいかたですが、日中ずーっと瞑想して座ってるだけの日もあるんそうなんですが、日蓮宗系のお坊さんからしたらお経も読まないで何してんだ感じだろうけど、そのプロセスの違いだけなんだと思います。何を信じたらいいかわからなくなる時もありますが、慈悲の心になればいいし、先祖も大切に生きていきたいです。

有り難し有り難し 10
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コロナよりも怒りの感情が怖い

先日、とある音楽フェスが中止になりました。 それを皮切りに、Twitterで沢山、フェスはダメなのに何でオリンピックは良いんだだとか、中止した団体に対するものだとか、たくさんの人が沢山怒りの感情を呟いていました。 というより、コロナ禍になってからずっと、Twitterから気になった情報について調べようとすると、それに付随して政権だとか、オリンピックだとか、自治体だとかに怒りの感情をぶつけている人を見かけます。 理論を基にした冷静な批判であればまだ納得できるのでいいのですが、それがただ怒りに任せた論調だったりとか、あるいは怒りが先行して誹謗中傷に走ってしまったりしている人を見ると、なんだかものすごく悲しくなります。 その一方で、自分もまた納得のいかない事があるとその旨を感情的に呟いたりしてしまう事がたびたびあり、そのたびに自分が嫌になります。 正直、自分としても今の政府やオリンピックに対して疑問に思うことはありますし、感染対策だったりとか全てが完全無欠に事が行われているとは全く思いませんが、それでも今はそれらより人間が吐き出す怒りの感情の方がよっぽど恐ろしいです。 そもそも情報を追わなければそれらのツイートは目に入る事は無いですし、モヤモヤすることも無くなるのですが、それはそれで無知で無関心な人間になってしまうと思うので、まずいと思っています。 そこで、2つ程お伺いしたいのですが、 1.他人から受けた怒りの感情を怖がらず、受け流す方法などはあるのでしょうか。 2.己もまた怒りを撒き散らす人間にならないために知りたいのですが、仏教の教えの中で、己の怒りを律する方法などがあれば、是非参考にしたいです。 以上、お忙しいところ申し訳ありませんが、ご回答いただけますと幸いです。

有り難し有り難し 22
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聖天信仰におけるご真言について

聖天様を信仰しております。 毎日、聖天様のご真言千反をお唱えしております。 聖天様は自宅に仏像をお祀りすることは絶対にいけない(十一面様も軽くお祀りすることもよくない)と聞いております。 聖天行者様以外が、聖天様のお姿を見ることはよくないとも聞いており、ネット等にある仏像や仏画等も見ることはよくないとも聞いております。 毎日聖天様のご真言を唱える上で、仏像も画像等も意識におかず、お札のみに対して、聖天様をどのように意識して真言を唱え続ければ良いのか、どのように聖天様に意識を繋げていけば良いか、どうしても体感的にわかりません。 どのようにすれば良いのでしょうか? また、ご真言も含めお経も、本来は阿闍梨様にお授け頂いた上でないと、密教として越法罪になると聞きます やはり、ご真言を知っていたとしても、正式に阿闍梨様にお授け頂くべきでしょうか? もうひとつ、事情があり、ふたつのお寺の聖天様のお札をお祀りしているのですが、やはり、別々にご真言をお唱えした方が良いものでしょうか(おひとつは単身の聖天様、おひとつは双身の聖天様、また、おひとつの本地は十一面様、おひとつの本地は千手様になります) 以上、長々となりましたが、ご指導のほどどうぞ宜しくお願い致します

有り難し有り難し 18
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2021/12/10

近しい人の余命宣告に対する心構え

前回はアドバイスと温かなお言葉ありがとうございました。 私が仲良くさせてもらっている人で、両親の年代位の人がいるんですけど、その人は早くに旦那さんを亡くしまた子供がいない為私を実の娘のように可愛がってくれ、また私もその人を母親のように慕っています。その人と出会った時には既に闘病中で化学療法をしていて、亡くなった母と同じ病気であること。また、出会った当初に私自身も発生した箇所は違うけど同じ病気を患い、手術を受けて化学療法を行い今現在再発は無く経過観察中で、化学療法の副作用による苦しみや辛さもよくわかっているし、似たような経験もしていた為意気投合しました。 ですがその人は、今年に入ってから腹部の痛みがだんだん強くなってきて、痛む箇所も増え、またそのせいで日常生活に支障が出てくる程になり、素人目の私から見ていても「もしかしたら...」と嫌な予感はしていました。既に手術不可能。そして、CT検査の結果の説明を一緒に聞き「もう三年間頑張ったから、苦しくなったらいつでも化学療法やめていいからね」と主治医より告げられ、ああ、この言い方はもしかして、もういつでも緩和ケアに移行してもいいってことなんだな、と。後に主治医から話を聞いたら明確な期間は示さなかったけど余命宣告でした。 それを聞き頭を殴られたような衝撃が走り、目の前が真っ白になり何も考えられなくなりました。両親の余命宣告の時と同じです。夢であってほしいと願うし、また近しい人が…と、心が沈みそうです。本人はもういつ死んでもいいと覚悟を決めて気丈に振る舞っているのですが、内心はショックを受けているというのが見ていてわかりました。 母が亡くなった時「もっと色々してあげればよかった」と後悔したので、次こそはと思えど、変に色々して気を遣わせるよりも、いつもと同じように接して、一緒に過ごす時間が楽しいと思ってもらえるようにするのが一番ではないか、と自分で思いましたがいざとなると平常心を保ってちゃんとそれが出来るのか、取り乱したりしないか…残りの人生を悔いなく過ごしてもらうために自分に何が出来るのか。 間もなく終末期を迎える人ときちんと向き合う為に、覚悟を決める必要があると思うのですがまだ決められません。時間が経てば余命宣告を含めた現実を受け入れられるようになるのか、不安です。

有り難し有り難し 3
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死が近いことを知り、心が冷めるのは?

2年前から乳がんの治療をしています。そして、徐々に上がっていた腫瘍マーカーが、このたび倍の値をはじきだしました。 数ヶ月、様子をみて、おそらくまた再び抗がん剤治療が始まります。 できれば長生きしたいのですが、がんが見つかった時には全身に転移していました。幸い自覚症状は全然ないのですが、画像でうつったがんの影や、異常な数値を見ると、私は(も)、時間はもうあまりないのかもしれないと実感します。 38歳、夫を残して死ぬことは心残りですが、他に関してはなぜかすごく冷めているのです。 窮地に陥ると実感するような、生きたい!とか死にたくない!という情熱や、あたたかな感謝や、しみじみと人生をかみしめるような気持ちが、全然起きてきません。 死んだら死んだだな、もう疲れた、というのが今の気分です。 できれば、あたたかな感謝の気持ちや、なにかを目標に進めるようなエネルギーが欲しいとも思うのですが、その反面、簡単に人にわかるか、わかられてたまるか、というどうしようもないスレた気持ちが強いです。 からだと心を善きもので満たしたほうが、予後もよいと思うのですが、そうなれないことに不安と焦りがあります。 しかし、それよりもこの冷めた感じ、やけくそみたいな気持ちがわいてることが、なにより自分らしく感じてしまいます。 天命というものがあるのなら、それは心のありかたや、生活のありかた、生き方は、繋がっているのでは、と思うのですが、このような冷めた、すれた、感謝もないような心や生活のありかたは一体どうなんでしょうか? 心身を入れ換えるエネルギーがないというのが正直なところで、虐待、流産や、病気になったことで思いもよらない悪意ある言葉をなげつけられることのショックで、もうどうにでもなればいいわというのが正直な気持ちなんです。 そんなだから、腫瘍マーカーの値があがり、がんが増えているのか? いっそうエネルギーがなくなり、本当に冷めてしまっています。 病と心・生活のありかたは、どのような関係があると考えていいのでしょうか? また、こんなに冷めた気持ちでいる自分は死が近いんでしょうか?死の近い人間は心は冷めていくものなんでしょうか?あたたかみをもったほうがいいのでしょうか?

有り難し有り難し 33
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父方の祖母が理解できない、許せない

色々と伝えたいことがあり、文章が読みづらいかもしれませんが、よろしくお願いします。 私の父方祖母は現在78歳です。 私は三人兄弟の長女で、真ん中に妹、末っ子が弟です。 祖母は男尊女卑の考え方が強く、同居していた高校卒業までの間、少しでもテストの点数が悪かったなどミスをすると、「家の恥だ」といわれ続けてきました。それに反抗すると「男じゃないから可愛くない」や「母親がダメだから、子供もこうなる」など母まで貶す人でした。妹は要領が良かったため?、弟は男であるため、そういった扱いはされていません。父や祖父の前では罵倒することはない上、父に相談して怒ってもらっても何も変わらず、祖父は知っても何もしませんでした。そのやりとりを繰り返すうち、父は少しずつ家族と距離を置くようになりました。 高校卒業までは家と学校の往復で、こんな内容を先生や友人に言えるわけもなく、生活の面倒を多少は見てもらっているため何もいうことが出来ませんでした。 しかし、高校卒業後、大学や社会に出たことでいろんな人、考え方に触れるうちに祖母の考えは間違っているとしか思えなくなりました。 私が大学生の時、父が自殺しました。母も妹弟も泣いて憔悴しきって、なんとかお葬式の準備をしている時に、祖母は何よりも先に美容院に行き身なりを整えて帰ってきました。自分の息子が突然亡くなったのに、自分の見た目が第一なのかと信じられませんでした。また、棺に向かって「馬鹿」と何度も言い続け、葬式後の食事の際にはけろっとして親戚と大笑いしていました。 子供の頃のことや上記の件があって、祖母には早くいなくなって欲しくてたまりません。 最近では、弟が東京に就職することになったのですが、介護職の母がコロナ感染を防ぐためについて行けないことを知ると「弟が可哀想」とこれ見よがしに責め立てたそうです。 自分のこと第一で、自分の考えが一番正しいと思っていて、それを母や私たち兄弟に押し付けてくる祖母への怒りが、祖母と関わりがなくなる前に爆発しそうで怖いです。 今は別居していてコロナ禍でもありがたいことに不自由なく生活しているのに、祖母の発言を思い出しては腹を立ててしまっています。考えても仕方ないのですが… 母が実家を出て、関わりが一切なくなるまで我慢すればいいことはわかるのですが、もやもやと考えてしまいます。

有り難し有り難し 12
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愛犬が私の誕生日に亡くなりました。

相談させていただきます。愛犬が先日、私の誕生日に亡くなりました。 私たち夫婦には永く子宝に授かれず。子供は諦めようと決めて、飼うことに なった家族です。 しかしほどなく奇跡的に子宝と新しい家族にはもったいないくらいの家まで 購入し、家族仲良く夢のような時間でした。親族も私たち夫婦も彼(愛犬)がこの福をもたらしてくれたのだと信じてやまないほどでした。 愛犬はわが一族の中でも、(犬)というよりその愛嬌からも初孫のように可愛いがってもらいました。私たち家族も(犬)ではなく、(長男)だとしか思えない そんな存在でした。 ここ数年、私の人生でも最大の転機というか不運が重なる出来事が次々あり正直、やっと乗り越えられるかと希望が持てるような状況になったのですが、それと前後して愛犬が急に体調を崩し、あっという間に亡くなりました。私の誕生日に。 今思えば苦しい時期もお互い慈愛の眼差しを絶やさず共に生き、これからというタイミングでなぜ(その日)を選んで逝ってしまったのか? これからたくさん恩返しをしたかったのに。 彼(愛犬)が何を言いたかったのかと。日々悩み答えが見つかりません。

有り難し有り難し 44
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