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hasunoha 問答検索結果 : 「悟り」
検索結果: 2103件

どんなに頑張って生きようと思っても人生は苦しいまま

こういう悩みの質問をすると、道はあるとか、足元を見てないだけとか、もっと考えれば良いとか。そういう事を言われる方が腐るほどいますがその程度のことで解決できるような悩みやトラブルしか抱えてないだけだと思いました。 私がいくら仏教を知り、色んな物事を調べて、どうにかしようと毎日365日、私の運命にあがなおうとしましたが人生変わりません。 私の過去の選択ミスが影響して今私がいくら頑張ろうがどうにもなりません。 1番大事なことは、選択だと思います。 どれだけ身体を気を使っても、交通事故に遭い半身不随になれば一生後悔します。 そして後から気を使っても、後から考えを取り入れて勉強しても半身不随前の生活の方が苦しみは少ないです。 全ては選択です。 私も半身不随のように選択ミスから死ぬほど苦しんでいます。 そして現在進行系で苦しみ、これからずーっと苦しむ事が容易に想像できます。 どんなに考えて、どんなに悟ろうと選択ミスをする前の人生、半身不随になる前の人生のほうが幸福だろうと思う。 だからもはや術はないのではないか、もう今苦悩を抱えている人は一生苦しむしかないのではないか。 半身不随になった後に仏教をいくらしても何も変わりません半身不随になるような事故に合わず仏教を勉強しない人生のほうがいいと思います。 どうすればいいの? 死ぬしかないんじゃねえか。 突発的に勢いで死ぬしかないんじゃないか。 だっていくら何をしても解決方法ないもん。 ただただ運が悪かった、どうしようもない。 半身不随になった人に生きてれば幸福とか言える? ※半身不随は比喩。

有り難し有り難し 95
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罪を犯しました。

罪を犯してしまいました。それも、私がこれから志すつもりであった道に関する罪です。 法の遵守を訴えてきた法学生が法を犯すような、医者は人道的であれと主張する研修医が人を殴ったような、そんな罪です。 遅ればせながら罪に気づき、謝罪すると、被害者の1人は「謝らなくてもいい」と言ってくれます。しかしそれは気を遣っているのでしょう。彼女がその時抱いた恐怖は、消える事はありません。私が罪を犯したという事実も、一生残ります。私が今の学問の道を続けるなら、尚の事、何かにつけて思い出すでしょう。 加害したことがここまで苦しいと思いませんでした。自分が加害者だと認める事がこんなに怖く、苦しく、恥ずかしい事であるとは。しかし、罪を犯し人を苦しめたことは(それも致し方のない罪ではないのです。すべて私が悪いのです。悪意すらなく、人の領域を自分の欲の為に踏みにじったのです。)何をしても償えません。私が罪を忘れず苦しむ事が、まっとうな罰だと分かっています。それなのに、救われたいと思ってしまうのです。一生この罪を背負うと思うと怖くてたまらない。彼女に許しの言葉をかけられたいとすら願ってしまいます。私の学ぶ道すら汚してしまったことも、私を苦しめます。これから実績を積み、表に立つほどに、私は過去の罪に怯え、人に罪を隠し、綺麗事を吐いて生きるのでしょうか?そんな不誠実、耐えられません。しかしそれがいやだからといって、罪を告白して生きる事も怖いです。親友や家族にさえ言えません。どれだけ失望されるだろう。言い訳や弁護の余地がないほど、私が全て悪いのです。日頃から学び、やってはいけないと知っていたはずの罪を犯した私を、軽蔑しない者がいるでしょうか。恐ろしくて震えます。 彼女に負わせた傷をさしおいて、こうして自分の身ばかり考え、自分の苦しみばかり訴え、救われたいなどと思っている自分の愚かさに一層深い苦しみに囚われます。救われるべきではないのに、罪と向き合い背負うべきなのに、怖くて苦しく救いを求めてしまう私を、叱咤してください。そして、今の学問を続け生きていく上で、大切な人々に罪を告白し、加害当事者として批判を受けながら進むべきか、隠して1人後悔と罪悪感を抱えるべきか、どちらが正しいのかお教えください。

有り難し有り難し 93
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今後の生き方について教えてください

 念願の第一子を出産したのが39歳。高齢出産であっため、難産を経験。  実家の両親は、私(妻)が高齢であるし、家のローン返済のためにも、今後の生活のためにも育児休暇は3年と考えていて、私たち夫婦が2人目の子どもを考えているとはまったく考えていなかった。両親は一人目の難産も知っているし、子どもにとっても高齢の母はデメリットの方が多いし、体の負担や今後の負担を考えて、二人目の出産には大反対。  周りのママは自分とは一回りも違って若く、2人子どもを出産している人ばかり。子どもがかわいいあまりに今後の将来のこともよく考えずに、ただ授かったらありがたいという考えだけであった私は最初は喜んでいたのに、あまりに母の心配と反対に圧倒され、中絶を決意。  先日手術というときになって、せっかくできた命を殺すことがあまりにも悲しくなり、涙止まらず。  手術してしまった後は、せっかく授かった命を産むべきではなかったのか、一人の人間として最低なことをしてしまったと自責の念が止まらず。  今まで通っていた支援センターに行って、他の赤ちゃんを見るのもつらくなってしまった。今まで当たり前に笑ってい日常が、心から笑えなくなってしまった。  何よりも子どもを望んでいた夫、兄弟がいたらもっとコミュニケーション豊かにそだっだであろう息子に申し訳ない気持ちでいっぱい。  しかしやはり、年老いた両親、これまで苦労をかけた両親のためにも、自分がしっかりとしていかなければならないし、これ以上心配をかけてはいけないと思う自分。  今は、何もやる気が起きず、どう気持ちを整理し、前に進んでいったらいいのかがまったく見えません。  どうか、こんな私に考え方、今後の気持ちの持ち方、今後の生き方をアドバイスください。  どうかよろしくお願いします。

有り難し有り難し 17
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自分が自覚無くみんなの足を引っ張ること

初めまして、ニャクターと申します。 私は舞台役者を目指し演劇の専門学校に通っていて、数日後に劇の校内発表があります。 数時間前に班の人の一人から「数ヶ月活動しているのに成長を感じられない(同じところを何度も注意される)、褒められたところも何故そこから発展しようとしないのか、周りを見て行動してないから班のメンバーに迷惑がかかっている、そもそもあなたの演じているのは役ではなくあなた自身だから思考回路が先生のイメージと合わないんだ(あなたには個性があると言われたのですがそれが短所となっています。)」と酷く怒られました。 そこからずっと立ち直れません。学校で泣き、気を落ち着かせるために2時間家で昼寝しましたが、今でも涙が出てしまいます。練習しようとしても何かが喉を詰まったようになり、役の表情をしても頭の中にその自分の表情がはっきり映し出され、自分の顔はなんて醜く使えないんだ、と思い表情を表せなくなってしまいました。 自分の中では完璧に行動しているつもりでした。でも先生の言葉をうまく捉えられていないせいか空回りしてしまいます。なので自分の中では「毎回先生の要望が違うじゃないか!」という状況です。周りを見て行動できないのは何かに必死になると自分のことしか見えなくなってしまうのが原因で、褒められたところを伸ばすのはその褒められたことがベストな方法であり、そのまま活かすべきだと考えてしまいます。 友達は「私は、〇〇さん(私)はやることをきちんとやってると思うけどなぁ」「〇〇さんの演じる役はしっかりその役らしいから大丈夫だよ」と言ってくれてとてもありがたいのですがその言葉にさえも疑心暗鬼になってしまいます。 さらに問題なのは、その怒った子(それと、班の中のその子の友達(その子も怒っています))に対して拒絶反応を起こしてしまうのではないか、という恐怖です。私とその二人は役として関わる部分が多く、これからも公演があると思うので不安でいっぱいです。 このような状況を脱出し最高の本番を迎えたいのですが今の私だと乗り越えられる気がしません。そこでこのような壁が立ちはだかった時の乗り越え方の助言を下されば、と思い質問しました。 悪いのは全て私だと十分承知の上です。今回見えた点を残りベストを尽くし改善しようとは思っているのですが今の自分に自信がありません。回答宜しくお願い致します。

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結婚できなかった、これからの人生が見いだせません

来月40歳になる男子です。自らの残りの人生について相談させていただきたく思います。 来月40歳になるのですが、とうとう結婚することができずに40歳を迎えることになりました。国立社会保障人口問題研究所の出生動向基本調査によれば、40歳時点で結婚できる人は全40歳代男性の0.3パーセントであるという結果も出ています。従い、40歳までに結婚できなければ、もう事実上私の人生に結婚はないだろうと思います。 結婚相談所に登録するなど、今まで人並みに活動はしてきました。また、運動や食生活に気をつけ清潔感や身だしなみにも気をつけてきたつもりです。 しかし、自分がいいなと思う人に気持ちが伝わることはありませんでした。正直、40年生きてきて女性ときちんとおつきあいをしないまま30歳代が終わってしまいました。生まれてこの方何をしてきたんだろうと思います。 精神医学や心理学をたくさん勉強しましたが、どうやら私は精神的な成長に失敗したようです。子供時代に両親の愛も希薄な状態で育てられたのも今は認識しています。 この文章を読んでいただければおわかりの通り、女性の気持ちをどう考えているかもおそらく伝わらない、稚拙な文章だと思います。女性を愛する能力は子供の時から鍛えられなければならないと言うことを、恥ずかしながら今知ってしまい、もう間に合わないと落胆しています。 周りの幸せな家族やカップルをみて非常にうらやましく思うとともに、正直なんで自分だけがこんなに孤独なのだとねたましく恨めしく思います。 人間最後は皆平等に死ぬと思うのですが、私は今から自分自身の死だけを目標に生きていくことに落胆しております。結婚だけが人生ではない、ほかにもつらい人たちはたくさんいるといわれても全く耳に入らないのです。 残りの人生、前向きなイベントは終わってしまい、残りの人生は両親の死と自分の死だけが待っています。 私には何が足りなかったのでしょうか?残りの人生何をしていったらいいかわかりません。アドバイスをよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 93
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