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検索結果: 151件

仏教の教えについて

 こんにちは。再びこちらで質問させていただきます。  以前読んだ呉智英著「つぎはぎ仏教入門」という書物の中では、私の従来のイメージとはかけ離れた仏教観が述べられており衝撃を受けました。お釈迦様の物語では、お釈迦様は家族を捨てて出家しており、出家者に対しても①家族を捨てること・②生涯独身でいること・③労働をしないことを要求しています。また梵天勧請のお話では、お釈迦様が悟った後に「私が悟った法は、その内容はあまりにも高度なものであるから、一般の人に説いてもわかるまい。」とそのまま涅槃に入られようとしていたようです。  これらの物語を読むと、仏教とは決してヒューマニズムのような耳障りの良い教えではなく、むしろ社会の常識を揺るがす危険な思想なのではないかと思いました。また、仏教の一番の目標は、やはり「悟りを開くこと」ですが、「悟り」とは私が今まで考えていた「あるがままの世界を観じる」というような単純なものではなく、もっと峻烈で幽玄なものではないかと思いました。  これらを踏まえると、日本の仏教ではお坊さんは妻帯をして、労働されている方もいらっしゃるのが普通の光景です。社会に歩み寄るという点では、ある程度の妥協も必要であるとは思いますが、釈尊の本来の教えから見ると、修行や悟りを軽視している面があるのではないでしょうか? また、その教義が初期仏教とは異なる宗派もいくつかありますが、ある教えが仏教であると言える条件は何なのでしょうか? 日本で悟りを開かれているお坊さんはどれくらいいらっしゃるのでしょうか?  その辺りを、お坊さんはどのように考えられているのか伺いたく、質問させていただきました。どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 77
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無償の愛とはどういうものですか

漫画や小説を見ていると、よく主人公たちが、自分とは全く関係のない人を救おうと行動したり、明らかに自分のリスクが大きい状況や、可能性の低い目標でも、「誰か(自分を含めて)を助ける」という信念に従って諦めずに行動しています。 現実でも、自分の利益より人の幸せを思って、優しくあるいは厳しくできる人がたくさんいると思います。 私には、そういう考え方がいまいちピンときません。 この「見返りを求めないで行動する」「相手を思いやって人を助ける」とはどういうことなのでしょうか? 求めずにはいられないのが人間とも言いますし、自分の利益を求めてばかりでは人間らしくないとも言います。普通の人はどれくらいのバランスで他人と関わっているのでしょうか? 「無償の愛」の説明で「無条件の愛情」という言葉が出てくるのですが、それができる人はどういう人なのでしょうか。恩を売るのとはどう違うのですか? それに、人は無条件で優しくされると、相手に借りができたと感じ、申し訳ないと思います。少なくとも私は逃げ出したいくらいには酷く辛いし、居心地が悪くなります。 それでも助けるということは、それ以上に助けなければいけない理由があるのでしょうか?私には、理由もないのに何もないところからパワーが溢れ出てきているようにしか見えません。そんなのはありえないとは思いますが…。 それでも、そういう無償の愛のようなものを理解している人は、とても安定していて幸せそうに見えます。受け取られるかわからない、自分にも利益のない優しさなのに、そんなに楽しいのでしょうか? 自分が今まで損得勘定で他人と付き合ってきたので、どうにかして「無償の愛」を学びたいと思っています。 自分のことだけを見ないように、相手の立場に立って考えようと思うのですが、「相手の立場に立つ」とはどんな感じなのか理解できません。どうも感謝の気持ちが湧きづらいです。普通の人の感覚を教えてください。

有り難し有り難し 50
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出家の是非について

長文で失礼します。 下記のような問いを持っており、その考究(あるいは超克)に残る人生を費やしたいと考えております。 現在そのための生活様式を模索中で、出家もひとつの選択肢として考えております。   早速質問ですが、 ①下記のような問いは、仏教の中で取り組むに値するのでしょうか。 ②考究にあたり、仏教はもちろんなのですが、その他の学問の助けも借りたいと思っています。出家した場合それは可能でしょうか。   ご回答いただければ幸いです。   ーーーーー   私は相互作用の世界の中に生きている。それはすなわち、常に他者に対して影響を及ぼしている、ということ。しかし、そのような在り方は自然・当然なこととして無視されてよいものではない、と私には思われる。   私の眼前には生きるか死ぬかの選択肢が平等に与えられており、自覚的にしろ無自覚的にしろ、前者を選んで生きている。裏を返せば、私には自死という、他者への影響を自発的に止められる能力が備わっている。   一般的に生きることは尊いとされ、自身の幸福の追求が当然の権利としてみなされている。しかし私が生きるということには、他者の生や意志を損ねる、負の影響が必ず伴う。   そうであれば、生とは害悪ではなかろうか? その害悪性を無視してまで、この生は礼賛されるべきものなのか? 私はただ、生きたいという自分本意な欲求に盲目的に従っているだけではないのか? 生と死を選択肢として与えられている私が、なお自分を生かし続けるのはなぜなのか? 私が生きようとすることを、私はいかにして是認できるのだろうか?

有り難し有り難し 22
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2023/03/16

後悔と自責

こんにちは。大学2年生の男子です。先日、僕の弟が大学に合格しました。それだけ聞けば、めでたいことだと思うかもしれません。ですが、その大学は、2年前、現役時代に僕が第一志望として目指していた大学です。弟の合格発表の日以来、ずっと複雑な心境です。妬みに似た感情が心を渦巻いています。 現役時代は、僕は工学部を目指していたことがありました。それで、苦手ながらも理系クラスで勉強していましたが、現役で受かる望みは薄く、最後の最後に文転し、共通テスト本番で失敗し、当初は滑り止めとして考えていた大学の経済学部に進学しました。現在は、公認会計士の試験に受かるために勉強しています。 もし公認会計士の試験に受かることができれば、僕の学歴コンプレックスは少しは改善するかもしれません。ですが、それまでずっとこの劣等感に支配されて生きなければいけないのかと感じることもあります。 どうして現役の受験生の時、もっと頑張れなかったのか、どうして、共通テスト本番で気を抜いて、失敗してしまったんだろうか。全て、自分のせいなのに。そんなこと考えている間に、公認会計士の勉強の論点を一つでも多く覚えれば良いのに、未だに、ずっと過去に囚われています。 今の大学でも、すごい人は沢山います。僕には、そういった要素がありません。友達には、成績が学部内トップクラスで、表彰を受ける人もいます。彼女がいる人もいます。小学生の頃からギターをやっていて、ギターがプロ並みに上手い人もいます。そういう人に出会うたびに、「この人は自分にないものをもってる」と思い、自分が嫌になります。自分には、人に誇れるものが、何もない。何一つ、良いところなんてない。「真面目」「優しい」とはよく言われますが、真面目さや優しさがあるせいで、損をすることがあるのも事実なので、自分では長所だと考えることができません。小学生のころ、サッカーを始めて今でも続けているとか、書道をずっと続けているとか、そういうことが一つでもあったら、僕の考え方はもう少し、変わっていたかもしれません。 今からでも、何か一つ、死ぬまで続けられる、夢中になれるものを見つけなければいけないと思っています。 「やっとましになってきたかも」と思っても、ふとした瞬間に「あの時、こうしていれば」と考えたり、自分と人を比べて、自分が嫌になります。このような癖を治すには、どうすれば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 14
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明るい未来が想像出来ません。

人生に希望を見出せません。 かつて夢がありましたが過労と人間関係の悪化で鬱になりました。 治療しながらもう一度夢に挑戦しようとしましたが悪あがきしてるみたいで続きませんでした。 就職活動してみたり、アルバイトしてみたりしましたが上手くいかなったり続きませんでした。 夢を追っていた際マルチ商法に手を出してしまい借金を負い今も返済でいっぱいいっぱいです。マルチに手を出したことは私の愚かさ故であり借金もその罰だと思います。 もうとにかく頑張りたくないのです。何をやってもどうせ自分の人生じゃ上手くいかないと気力が湧かないのです。学習性無力感というものに当てはまるのかなと思います。 夢も目標もありません。どうせ自分には叶えられないと思うからです。努力して叶わなかった際、そのショックに耐えられる自信がありません。 受験、恋愛、夢、全て努力した自負はあります。しかし成功体験がありません。 今は障害者手帳を取ってA型事業所(一般企業等での就労が困難な人に、働く場を提供するとともに、知識及び能力の向上のために必要な訓練を行う事業所)で働いてます。ですが1ヶ月の給料も微々たるもので借金返済でほとんど残りません。 仕事内容も軽作業やPCでただコピーペーストを延々と行うようもので先が見えません。 もうかれこれ鬱になって6年です。 一体いつまで続くのか。もう夢とか道は切り開くものとかそういう言葉はうんざりです。一見輝いてるように見える人も影で努力してるとかそういうのもうんざりです。じゃあ私が怠け者だって言うんですか? 成功者も極貧だった時代があるとかもそれはその陰で蹴落とされた人間や再起出来ず死んでしまった人もいただろうことを考えてないと思ってしまいます。 本当に疲れました。こういう時、お坊さんはどういう考えなのでしょうか?どういう教えがあるんでしょうか?

有り難し有り難し 27
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宗派にとらわれない仏教思想の学び方について

10年ほど前、職場やプライベートの過度なストレスから パニック障害→鬱となり、仕事ができない状況になって職を離れました。 それまでは、フルタイムでバリバリ働き帰りは終電、 帰宅後や週末も時々在宅や出先で別の仕事をかけ持つなど 無茶もしていた時期もありました。 それくらい動けていたのが突然何もできなくり、愕然としました。 投薬治療で少しずつ動けるようになってきたものの、未だに完治とならず 相変わらず波がありゆられながらギリギリで過ごしています。 それまでの様な生き方、暮らし方はもう出来ない状況です。 そんな中、自分の生き方を振り返りながら、 ふと子供の頃から生き辛さを感じ続けていた事に気づかされました。 そこで、色々と勉強(通信制で通学もある大学で)を始め、 数年前に(明治維新以降ではなくそれ以前の仏教の考え方)仏教の 教えに触れる事ができ、そこから色々と(亀の様な歩みではありますが) 物事の捉え方を修正できてきている実感ができるようになってきました。 授業だけでは物足りず、参考文献など少しずつ読みながら独学を進めております。 最近は、どこかのお寺で勉強会などがあるなら行ってみようか? と考えてみたりするようになりましたが、 宗派にとらわれずにお坊さんから学ぶ術はないのだろうか? という疑問が湧いてきております。 今後学んで行くために何か良いアドバイスがいただければ幸いに存じます。

有り難し有り難し 219
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LGBTの現状について

こんばんは。私はトランスジェンダーの者です。(性別は女性にしてありますが戸籍上は男です) 私は日頃より「自分らしく生きる」とか「やりたいことをやる」とかそういう輝かしい未来を追い求めてきたつもりなのですが、夢見がちな性格がたたってもう何をする元気もありません。 LGBTの就職や結婚の厳しい現状は私の想像を超えるものがあり、「私はなんとかなる!」とか「頑張れば!」とか、散々ポジディブにやってきたつもりなのに結果として何一つ良いことがなく、心が折れてしまいました。 また、私は仏教学にとても興味があり当サイトに書き込むきっかけもそこにあります。 やりたいことも、時間も、興味もあるのに性的マイノリティーがあるというだけでこんなにも暗い未来しか見えないものかとかなり悲観的になっています。 親もそれなりに理解があり、不幸なんて生意気って思われる方もいると思うんですが私はいまとてつもなく不幸です。 また、合わせてご回答願いたいのですが仏門に実際にLGBTの方はいますか? また、LGBTのひとは実際現状的に僧として受け入れてもらえるのでしょうか? また、宗教上の理由でそもそもLGBTを受け入れない宗派などがあったら教えていただきたいです。 やる気もやりたいことも時間もあるのに全てに足かせや心の痛みがつきまとうというのはこんなにも辛いことなのでしょうか… ご回答お待ちしております。

有り難し有り難し 17
回答数回答 2

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