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検索結果: 122件

高野山真言宗の結縁灌頂のご縁とは?

こんにちは! 以前は高野山真言宗の参与会の半袈裟を着用して他の宗派のお寺に参拝しても良いですか?の質問に回答頂きありがとうございました。 その後の2020年は良いことも悪いこともありつつ概ね楽しく過ごし、高野山への参拝をエンジョイしています。 半袈裟を着用する事によって良い変化があり、それまでも自分は高野山が大好きだと思っていましたが、より身近に感じたり「私はここに帰ってくる」という気持ちが少し強くなりました。 気持ちの面で帰れる場所ができたというか…これは新しい発見でした。 「行く場所」ではなく「帰る場所」に変化して不思議な気持ちです。 今日は高野山真言宗で大切な行事である結縁灌頂について質問です。 参与会に参加しましたし、せっかくなので2020年に初めての結縁灌頂を経験したいなぁ!と思っていましたが、今年は状況が状況のため断念しました。 そこで、現時点で2021年の5月に予定されている春の結縁灌頂に参加して是非ご縁を結びたいと考えています。 …しかし疑問が生まれました。 春と秋の結縁灌頂では金剛界と胎蔵界と違いがあり、それぞれに参加してご縁を結んでも良いし、何度も参加する方がいるとも知りました。 (気持ちを新たにご縁を結ぶぞ!というのは悪い事ではないと知ったので、回数については疑問はありません) 私が疑問に思ったのは、例えば私が春に初めて結縁灌頂でご縁を結び、同じ年の秋に参加してご縁が2つできたとします。 そして次の年の春と秋に再度参加したら4つのご縁になる可能性があります。 適切な言葉がわからないのですが、ご縁の有効期限があるのでしょうか? 有効期限という言葉は全然違うと思うのですが、結縁灌頂でご縁を結ぶぞ!と思い立ち結んだ後に次に結ぶまでがご縁なのか、それとも毎年ご縁は変わるもの(増えて行くもの?)なのか?と疑問になりました。 わかりにくい説明でごめんなさい…。 つまり「今年はこのご縁」なのか、または「気持ちの区切りがご縁」なのか自分なりに調べてみましたがよくわかりませんでした。 前回の質問に引き続きとても初心者な疑問のお導きを頂ければ幸いです。

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2022/09/08

浄土真宗に対するカルチャーショック

先日質問をさせて頂きました。 今回はお盆にあった事と、つい最近あった事についての質問です。 私は曹洞宗です。今年亡くなった祖母は禅宗から浄土真宗になりました。(祖父が浄土真宗だったからです) 祖母の新盆があり、お寺にお参りしてきました。 納骨堂には祖母の遺影を置いてきました。 広場でお経をあげられた後、お坊さんから精霊馬を置いている人は居ないかと聞かれ、皆さん手をあげず、私は自宅では飾って居ますが、手をあげませんでした。 その際、皆さんよく勉強されている、浄土真宗では飾らない、また、故人はお盆には帰ってこない、何故ならもう成仏しているから。と喜々として語られていました。 ちょっとショックでした。 確かに浄土真宗教義ではそうなのですが 言い方を変えると二度亡くなった感じに感じました。 曹洞宗の私は成仏した成仏してないに関わらず、お盆とはそう言う物だと思って居たからです。本来の教義からすると離れるのかもしれませんが、こちらから成仏した成仏してないの確認は出来ませんので、一律に帰ってくるものだと思うようにしていました。 正直今後宗派が違う祖母のお寺のお盆参りには行かない方が良いのかとすら悩みました。 先日祖母の月命日があり、お寺にてお経をあげてもらったそうです。こちらからお願いして頂いたそうです。祖母の納骨堂の前でお経を貰ったそうです。 既に成仏していると言う考えなのであれば、納骨堂の前でするのではなく、本堂の阿弥陀如来の仏像の前でするのではないのか?と思いました。 浄土真宗では納骨堂に意味があるのでしょうか?そこに居ないで阿弥陀如来に手を合わせるのであれば意味が無いのかと思ってしまいます。 そしてそのお寺では死後の菩提寺が無い人に対して浄土真宗になればうちのお寺で対応すると言うような手法を使われているそうなのですが、こういう事は良くあることなのでしょうか? あまり祖父母が浄土真宗としてのお参りなどをこれまでしてきていなかった事と、子供の頃から曹洞宗のお盆で慣れて居た事もあり、面食らって居ます。

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他力が足りない

過去、現在含め、周囲に足腰の弱った人が二人います。 一人はトイレに駆け込む前に排泄物を漏らし、もう一人は玄関で倒れて咄嗟に助けを呼んで助かりました。その時、二人とも同じことを言いました。 「なんで、こんな風になってしまったんだろう…」と。 二人はきっと、この時まで「自分のことは努力次第で、ある程度管理できる」と思っていたんだと思います。だけど、出来ない(出来なくなってきた)と強烈に感じて、ショックを受けたんだろうと思います。 健康は人がコントロール出来ないと実感し易い、最たるものだと思いますが、二人は咄嗟には納得出来なくて「何故?どうして?」と怒りと不満と絶望を感じたようでした。 その時、何となく閃くものがありました。 人間も含め、すべてのものは環境によって生かされていて、自らコントロール出来るものは実は何一つないのではないか、と。もちろん、生きるために嫌でも努力は必要ですが、それ以前に環境が整わなければ望み通りになることはない。それが当たり前の事実なのかな、と。 前置きが長くなってしまいましたが、その時、頭に閃いた文字が「他力」でした。私は宗教には不案内ですが、その言葉はぼんやりと知っていました。この生かされているという事実を「他力」というのでしょうか。でも、私はそれを有難いとは思いません。事実に有難いも有り難くないも、善悪も、良し悪しもないように思えます。 他力とは、有難いとは何でしょうか。

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近いうち死のうかと思います。

こんにちは。初めて投稿致します。 私は近いうちに死のうかと考えています。まだ死ぬ方法は決まってませんが色々調べて検討中です。 まだ学生という身分で言うのも烏滸がましい気もしますが、何だか生きる希望が持てなくなりました。 1年から3年までは真面目に大学に通い、サークル活動に励んでいましたが4年になって行く気が失せ最近はサボりがちです。スケジュール管理も最近はダメダメで周りに迷惑をかけまくっています。せめて迷惑をかけた人たちには謝ってから死ぬつもりです。 最近は自分が好きな趣味もあまり楽しめなくなってしまいました。 私は小中高で軽いいじめ(陰口を言われる、容姿を貶される、笑われる)を受けていました。気が弱くそれでいて空気が読めない私が目に余ったのかもしれません。大学に入って友達も出来、ようやく人生楽しくなってきたぞと思ったのですが、ふとした瞬間にいじめの事を思い出したり今の行動に大きく影響を与えていたりと中々逃げ切ることはできないのだなと悟りました。 気にするのをやめろ、そんなに囚われていて悔しくないのかと言われましたが正直悔しいです。ですがもう疲れ果ててしまいました。自分がいつしか先日起きた通り魔殺人の犯人のようになってしまうのではないかという恐れが募るばかりです。 レールから外れたものに厳しいこの世界にもう生きていたくないです。死ぬ事が最近はとても魅力的に思えますし、一度死ぬ事を決めたら心が軽くなりました。 でも結局こういう返信が来るツールに書き込んでいる時点でかまってちゃんなのだと思います。 でも死ぬ前に誰かに読んで欲しくて書き込みした。ありがとうございました。

有り難し有り難し 217
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嫌う気持ち、嫌悪感

介護施設で働いています。昨日はレクレーションを担当しました。 前回もここで相談させていただきましたが 自分に対する敵意をもつ利用者から暴言的なヤジが飛び心が折れます。 私がレクで話し始める前から、あ、嫌いな奴だ、という言葉を投げかけられ。。レク中には人前でこき下ろしてやろう、、という目つき、実際も大声で暴言を吐かれます。 よく仏教ではその人の言葉だけを受け取りましょう、表情とか嫌な態度、怒鳴り声はスル―して、などと言われます。 1対1であればなんとか対応できますが20人くらいの人前で攻撃されるので、やはりシンドイです。 人様の排泄介助、入浴介助、などなど忙しく走り回ってきて最後夕方のレクでこのようなことがあると空しい気持ちになります。 帰宅後も翌日も気持ちがふさぎ込みます。そしてまた次のレク担当の日まで憂鬱になる、、という日々。介護の仕事自体は自分に向いていますが、人前で中傷されることで仕事そのものにすっかり意欲を失っています。 その利用者は80代のお婆さんですが、私は彼女のことが本当に嫌いです。周りスタッフはその方に対し腫れ物に触るような態度、もしくはゴマをするような接っしかたをしています。 私はその方に対する嫌悪感が大きいため媚びるような態度ができません。それも一つの煩悩でしょうか。 何を言われても我慢し相手を許すという気持ちが持てません。

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2024/07/18

医ですが、責任の重さに戸惑います

20代の医師ですが、医師としての責任に少し戸惑いを感じてしまいます。 上手く治療が行けばとても嬉しいですし感謝されるしやりがいもあります。しかし少し治療が上手くいかないだけで責任感を感じてしまい、「自分だからこうなってしまった」とか、「他の人がやればこうはならなかったのでは」と思ってしまいます。 先日も手の手術をした患者さんに術後強い疼痛が出現して、手が麻痺したようになってしまうことがありました。 CRPSといって、手術など侵襲が加わった際にまれに起こる原因不明の疼痛症候群で、防ぐ手立ても、有効な治療法もないものです。同意書にも記載してあり、十分に説明しています。患者さんもとても良い人で、「しょうがないね、大丈夫ですよ」と言ってくれます。過失ではないしある程度しょうがないとは分かっていますが、「手術しなければこうはならなかった」とか、「他の人がやれば起こらなかったかもしれない」など自責の念にかられてしまいます。今は休日でも、病棟で苦しんでる患者さんのことを考えてしまって落ち込んでしまいます。 医療といえど完璧ではない、失敗も含めて目の前のことを一つ一つ学んで次に活かさなければならない、と分かってはいますが… 医者の仕事は非常にやりがいがあるし、これからも頑張って患者さんを助けてあげたいと思っています。 今後医者を続けていく上で、心構えや、何かお言葉などあれば賜りたいです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 4
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