以前、お寺で働きたい と書き込み、ご回答をいただきました。 今回は、その先の話し。 いろいろ検索して次の3ヶ所を候補にしました。 ①大田区 天台宗 寺職スタッフ アルバイト ②大田区 日蓮宗 寺管理スタッフ パート ③文京区 浄土宗 僧侶 正社員 ②③は、ハローワーク経由 ③は、剃髪加行なし、無資格未経験可能 というハードルがあります。 私としては、 通勤距離では②がよく、理想は③です。また①は、住職さまとSNSの友達申請承認済みです。 どちらも一長一短があるため、もう少し考えて応募したいと思います。 そんな私の考えは、正しいでしょうか? また、私の居住地(大田区)に近い寺院で、お仕事を募集しておりましたら教えてもらいますか? どうぞ宜しくお願いします。
場違いかと思いますが、ダメ元で山梨県都留市鹿留にある曹洞宗長泉院さまについてお尋ねします。 お寺建立の由来・歴史についてどなたか分かる方がいらっしゃいましたらご回答お願いします。 本来、当ご住職に聞けばよいのですが、以前、火事に遭い、資料が焼失してしまったの事です。 また、お寺の寺紋に四割菱(武田菱)がありますが、かつての戦国大名、武田氏と何かご関係があるのでしょうか。また、甲府市にある長泉寺さんとは、何かご関係があるのでしょうか。 お忙しいところすみませんがよろしくお願いします。
大学の先生の紹介である新興宗教の教会に通っています。 おそらく二年くらいです。 ですが、そこの教えに最初から違和感を感じ、今も感じます。 教会の方も信者さんもすごく親切で好きなのですが ただ教えが押しつけがましく、居心地が悪く苦痛です。 けっこう自分が良い子ちゃんを演じて我慢してるので、周りと揉めることはないです。 ・考えが押しつけがましいのは「教えは絶対」「疑いの心を持つな」とよく言われます。これは言葉が悪いですが奴隷になれって言われているように感じます。 お釈迦様が私の話に常に疑いの心を持ちなさい。わからないことはなんでも聞きなさい。自分で考えなさいと言われたのとは全く逆だと思います。(自灯明) ・信者さんのお話しも度々ありますが、前もって作文に書き、教会の方がチェックするので、本当の信者の声がわからない。話されていることと実際が違うようにも感じています。また言い方悪いですが、自慢ばかりで聞いてて役に立たないです。 ・通ってる新興宗教自体はかなり有名で、信者数も多いですが、若者はほとんどいなく、ご高齢の方ばかりです。どこもそうらしいです。 私は人の人生は十人十色でそれぞれにあった生き方や考え方、美意識があると思います。強すぎる押しつけはそれらを壊してしまう気がしてなりません。 その教会に通い続けると、言葉が悪いですが教会の指示がなければ行動できない「指示待ち人間」や「操り人形」のような洗脳されそうで怖いです。 大学の先生に何度か私には合わないと伝えましたが、そのたびに通い続けるたびに考えが変わると言われ、現在に至ります。 私は我慢して通うべきでしょうか? また教会を抜ける場合は、上記のことを言うと揉めるので自分には合わなかったとだけ言って去るのがベストですよね? アドバイスがあれば何でもお願いいたします。
田舎にあるお寺の娘です。 現在、父が住職をしていますが、現在跡継ぎ問題に直面しています。 うちは三姉妹で、両親は、いままでも私たち姉妹に寺を継ぐよう強く言ったことはなく、今回、両親が高齢になってきていることもあり、このタイミングでと思い、私から今後のお寺について相談?した際にも、「わたしたちが幸せになるのが一番だから」と、寺を閉じることも視野に入れて考えているようです。ですが、やはり話をしていると祖父母や代々寺を守ってきたご先祖様に申し訳ない、悲しいという気持ちも汲み取れます。お寺を閉じるという選択は、私にとっても心苦しいものでもあります。ですが、自分自身が出家して尼僧になり、後を継ぐという覚悟も決まっているわけではありません。。 ちなみに次女は結婚して家を出ており、長女は何度かお見合いもしましたがいままでは良いご縁がありませんでした。わたしは現在、一般の方と5年ほどお付き合いしており結婚も視野に入れていますが、私以外に望みがなく、私がお寺の後継者の方とご縁があれば、お別れすることも考えています。 現在の選択肢としては、 1.姉妹の誰かがうちのお寺を継いでくれるどなたかと結婚する 2.姉妹の誰かが出家し継ぐ 3.お寺を終う 上記のいずれかなのかと思います。 跡継ぎ紹介システムなど、検索してみましたが、よくわからず。。 また、父が言うにはうちのお寺は過疎地域にあり、経済的にもここを継ぎたいという人を見つけるのは難しいだろうと。。 確かにお寺だけでは収入は十分ではなく両親は他の仕事もしています。しかしお寺自体は歴史もあり、このまま閉じてしまうのは悲しいです。今後お寺を続けていくにしても、なにかお寺自体も盛り上げていく新しいやり方が必要なのかなと思います。 似たような境遇の方のお話や、跡継ぎ問題、過疎地域にあるお寺の存続問題など関してなにかアドバイスのある方がいらっしゃれば、お答えいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
不注意により愛猫を2匹死なせてしまいました。 朝方目が覚めると2匹がご飯を催促しにくるはずが物音ひとつなく、家の中のいつもいる場所を見ましたが見つからず、嫌な予感がしてベランダを確認すると窓が開いていました。 下を見ると1匹が、急いで降りていくと冷たくなっており、辺りを見回すともう1匹が茂みの隅にいました。 私の杜撰な育て方でなんて事をしてしまったんだろうと悔やんでも悔やみきれません。 痛い思いをさせてしまいました。 雨風にもうたれ寒かっただろうに。 怖い思いをさせてしまいました。 なんて酷い事をしてしまったんだろう。 2匹今までベランダに出たこともなく、外も知らない子達です。 網戸に登って遊ぶ事はありましたが開けれた事はなく、もし開けても雨が降っていたので嫌がって出ないだろうと、まさか落ちてはいないだろうと思っていました。 その油断がいけませんでした。 先代猫を去年病気で亡くしたばかりで、今年友人からのご縁で迎えたこの子達でしたがこの子達のために何をしてあげたら良いでしょうか。 もう動物を飼う資格はないと思っています。
お世話になっております。 この質問と関連があるかもしれませんが https://hasunoha.jp/questions/34134 以前、修験者の方が行う護摩行に参加し、手持ちの数珠(108玉のもの)をお加持してもらったところ、数珠を結び、真ん中に大きな結び目をつくり、その結び目の左右から蝶の羽のように数珠が出る(独鈷杵のような?)形の結び方をしていただいたことがあります。 行者曰く、如何なる穢れからも守る最強の結び方といっていました。 その後、数珠はほどいて使っていましたが、結び方がわかりません。 ・この結び方の名前や意味 ・結び方 がわかれば教えてください。 よろしくお願いいたします。
こんばんは。 初めてhasunohaのお坊様達に、悩みを聞いて頂いてから、毎日様々な悩みを抱えていらっしゃる方のお話と、お坊様達の回答を拝読させて頂いている内に、自分も励まされ、時に、御叱りを受けているようで、ゆっくりゆっくりと、清々しい気持ちになれました。 10代の頃、相談できる先生(お坊様先生もいたのですが…)にも、大人にも出逢う事がなく、正直に言いますと… 「神様も仏様もいない!」などと思いながら、生きてきた人間でした。 でも、そんな私が、今までにない程の精神的落ち込みに苦しみ、心療内科を受診すべきか、カウンセリングを受けにいくべきかと、もがいている時、このhasunohaのお坊様達と出逢いました。 本当に有り難いことです。 大きく、広く、深い温かさを感じます。 お陰様で、食欲も少し戻り、家族にも、ほぼ以前と同様に接する事が出来るようになってきました。 子供達にしてみたら、「いったい何なの?」と困惑し、気分屋の母親だと思っているでしょう。 そして、主人は主人のままで変わらないですが、この面倒くさい性格の私を受け流しながら、理解してくれている唯一の存在でもあります。 ただ、実母に相対した時の辛さは強くなり、フラッシュバックがキツいです。 そして、この苦しみが、まだまだ続き、増していくのかと思うと、憂鬱で不安ではありますが、逃れられない以上、仕方ありません。 これからも、このhasunohaのお坊様達のお話を読ませて頂こうと思っていますが、悩んでしまったら、どうかまたアドバイスや御叱りを宜しくお願い致します。
グローバルという言葉が当たり前になった現代でも、宗教はいまだ閉鎖的であるように感じます。 中東をはじめ宗教を理由にした紛争はいつまでもなくならず、中世の時代から少しも変わっていません。 それぞれの宗教はいい教えだと思うのですが、なぜ対立という方向に走ってしまうのでしょうか。 宗教の教えはよくても、それを運用する人間に問題があるのでしょうか。 仏教会(?)は宗教を理由とした紛争について、どう考えているのですか? いまこそ一致団結し、世界平和に向けてなにか活動してもいいのではと思うのですが、人任せで無責任な考えでしょうか。 ちなみに私は神社の町で育ったので神道が好きですが、仏教も尊重しています。
僧侶の方とご縁があり交際しております。 彼の人柄に惹かれ先のことではありますが将来は結婚もしたいと考えています。 しかし結婚を考える上で私には決定的に信仰心というものが足りないと思います。 実家にはお墓や仏壇はありましたが両親共にほぼ無宗教で何かを信じる、お祈りするということがわかりません。 彼とお付きあいしてから手を合わせたりお経を読むといったことを表面上はできますが彼とは違い、心の底から信じていますと自信をもって言えないのが辛いです。 お坊さんの奥さまは同じ信仰をもっていないとやはり問題でしょうか。 お寺に入れば自然と身に付くものなのでしょうか。
仏教の教えを忠実に実践すると植物のような存在になるなと感じました。 しかし仏性は人間にしか無いとも知りました。 なぜ元から罪のない動物や植物は仏になれない(なっていない)のでしょうか。 「仏性の自覚」とは「罪を持っている」という自覚のことでしょうか? 切れ端のような知識で申し訳ありません。 気になったので質問させていただきました。
成田山の見習い僧侶の求人を発見しました。現在24歳女です。僧侶になるのは大変ですか?又、過去質問で僧侶としての働き先はあまりないとの事なのですが。どうなのでしょうか?
こんにちは。日本仏教と権力についての質問です。 時々「日本仏教は政治権力に迎合していたため堕落してしまった。」 というコメントを見かけるのですが、 日本仏教は本当に権力に迎合していたのでしょうか? また、仏教では権力や権力者は「悪」なのでしょうか? 私には権力が嫌いな特定の思想を持った人達が 大げさに言っているだけのような気がします。
密教系のお坊様の方が回答しやすいかなと思いますが 真言宗や天台宗、その他修験道など 例えれば 不動明王の真言に関して のうまく や なうまく で始まったり 真言の中身も 同じ真言宗でも違うし 同じ天台宗でも違います 私自身は単なる一般人で宗教家でも何でもありません 私自身が言いやすい 真言を 真言宗や天台宗の真言を混ぜて、 私だけの オリジナルの真言を作ったりしてはいけないでしょうか よろしくお願いいたします
お寺で働いてるお坊さん達は家族でやってるものなのでしょうか❓ 一般人でもお坊さんになれる可能性はありますか❓
障碍者です。 在宅で仕事はしています。 色々な仏教の本を読み、 心の平安や人間的な成長をするには、 大変ですが、僧侶になるのが良いのでは とおもいました。 ネットで調べると、得度〇〇万円とか ビジネスの匂いがするものがたくさんあり、 自分が目指すものではありません。 私が僧侶になり(なるために)したいこと ・在宅で僧侶になる(お寺に所属しなくてもよいです。) ・仏教の勉強・理解を深めたい ・関係する全ての人が日々を平安な 気持ちですごせるようにしたい(私を含め) 在宅の僧侶には、どうすればなれるでしょうか? 恐れ入りますが、お教えください。
10年以上前に亡くなった母の遺骨や、親族の遺骨が家にあります。仏壇に置いてあります。 うちは、墓はないです。母は亡くなった時に未婚でしたので遺族の私の元にあるのですが、海への散骨を考えております。 私自身の死後の希望も海への散骨です。 他の方に話すと、10年以上も遺骨を置いておくことをまず咎められます。 それから、散骨についても咎められます。 私の考えとしては、子供や孫に墓を気にかける事が必要なく過ごしてほしいし、海水浴に行って思い出したら、手を合わせるくらいでいいのではないかと考えております。 粗末にしてるとか、非常識と言われるのですが、そうなってしまうのでしょうか?。 やはり、永代供養などの方がよろしいのでしょうか? 後、主人は宗教をもっておりますが、私は無信仰者です。だけど、毎朝、主人の用意した仏壇に線香をたて、御先祖様に向かい手を合わせます。 信心深い友達に、お母さん、お父さん、などなど一人一人を思いながら、その数の線香をたてるものだと教えてもらいましたが、それも私には理解できません。私の知らない御先祖様もいらっしゃるし、主人の御先祖様や離婚して離れていますが、子供の父親の御先祖様にも手を合わせたい気持ちもあります。そんな気持ちを一本の線香に託すのは間違っているのでしょうか? 墓にしろ、毎朝の線香にしろ、形式じゃなくて気持ちが一番大事なのではないかと生きてきましたが、あまりにも、あなたは間違えていると多く耳にしますと考え直す必要があるのかと思い質問させていただきました。 無知すぎてお恥ずかしいばかりなのですが、御先祖様を大切に思い生きていきたいです。 間違えてるなら正したいです。 どうぞ御指南お願いいたします。
自分の苦悩を見つめてみると、大概、煩悩や愛情飢餓といったところに辿り着く気がしてます。 もう、いっそのこと、それらに強くなるために、自分も僧侶になりたいと思うようになりました。 ただし、お金もなければ、修行などは出来ない精神病状です。せいぜい勉強くらいしか出来ません。また、就労はしたいと思っています。 こんな自分でも、僧侶になる方法はありますか?ありましたら教えて下さい。自分でも少し調べはしましたが良くわかりませんでした。
母親が熱狂的なキリスト教徒で、小さい頃から、洗脳を受けてきました。神仏の存在は信じますが、キリスト教はもう信じてないです。仏様がよく、夢に出てきて、いろいろ慰めてくださる夢をよく見るので、亡くなった祖父の影響もあり、仏教に入りたいです。父親も仏教ですが、母親に合わせて、キリスト教の教会に通っていて、浄土真宗との二重です。父親の信仰自体は浄土真宗なのですが、昔は、父親も信仰があまりなく、悪い人だったので、私も、だいぶ、酷い目に遭いました。母親からメンタル的にも、身体的にも、虐待された、6年前に、一時的に私が不穏になった事があり、精神科のクリニックに行ったところ、精神科の勤務医として、6年ほどしか、大きい病院では、勤務せず、すぐにクリニックを開業していた、口の上手い先生で、私に統合失調症と診断し、それが、一人歩きしてしまい、他の病院でも、そこの医院からの紹介状のせいで、なかなか覆らず、合わない薬ばかりで、しんどい想いをしました。今のクリニックでは、ちゃんとしたお医者さんだったので、虐待によるPTSDと、もともとの双極性障害で、不穏になっていただけで、双極性障害の薬をしばらく飲んだら、治ると言われました。また、キリスト教でなく、仏教に変わったことがとても良かったと言われました。前の誤診の時も、母親がついてきていて、私の症状も、あること無いこと言っていたので、致し方ないのですが、6年も身体がしんどかったので、とても残念でした。仏教は、信徒を集めるために、奇跡を語ったり、祈らせたりして、叶わなかったら、本当に救いにならなかったからだと言われたりしないことが、凄い良いです。もともと、キリスト教の教会の方も、カトリックだったので、聖職者は一生独身の決まりがあり、なり手が集まりにくく、母親に言われて通っている私(通わなかったら、怒鳴られたり、殴られたりするので)を、シスターにしようとする、高齢者が多くて(教会に信者の納骨堂があり、そこの世話をするシスターが必要なので)、私が狙われたというのもあります。私は、シスターになる年齢制限を超えたみたいで、高齢者の信者が話しかけて来なくなったので、やっと自由になりました。浄土宗のお寺に通いたいのですが、関西圏内で近くにある良いお寺ありますか?2年半後、1人で関東に引っ越しするので、在籍は2年半で、それから、関東のお寺に移ります。
仏教における教義というか、入門を学びたいのですが、どうすれば良いのでしょうか? 例えばキリスト教なら教会に行けば講座をやっていたりしますが、お寺に行ってもなかなかそういったものが見つからない気がします。そういった講座などはあるのでしょうか? また自学するにしても、キリスト教における聖書のようなわかりやすい正典もなくどこから手をつけていいのかわからない状態です。 どうか知恵をお貸し下さい。宜しくお願い致します。
年末多忙の時期、しかもコロナ禍のさなか、恐れ入ります。 かれこれ10年前、勤めていた職場をリストラで追われ、どうにか生き延びて参りました。10年をへて、その当時の慢心や、先般ついに手帳まで頂いた障害など、自分自身の上に反省すべき点も多々見い出しつつあります。 にもかかわらず、その当時、とある方から言われた言葉がやはり折に触れて脳裡に甦ります。しかも抗弁しようにも、その方は数年前に急逝なされ、いまはお浄土に。その言葉とは、 「ピンチに出くわして、すぐに救いの手が伸びて来ないのは、人徳がない証拠」 というものです。なるほどな、とも思わされますが、同時にやはり、「ちょっと待ってくださいよ!」という思いもございます。 そのかたは生前、仏教者として特色ある活動をなさった人であり、みだりに批判することは倫理的にも強く躊躇(ためら)われます。それでも、そのかたがお遺しになった会社が、今般のコロナ禍でかなり四苦八苦している様子を人づてに聞かされますと、心の中に「どうしました?人徳がないから左前になるんですよね?」という、どす黒い思いが湧いてこないと言えばウソになってしまいます。 そのかたとは私がリストラされるまで、ご縁あって、幾度か帰り道に御一緒したこともあるのですが、10年前、突然の(……会社側からすれば兼ねて計画していたとおりの)リストラで苦痛の極にあった私へ、「君の声は某宗教の布教師どもの声そっくりだ。不快きわまる!」というお言葉もいただいております。自分は声がやや甲高いので、それが不快感を与えてしまったのか…と思い余った末、喉仏に男性ホルモンか何かを注射して治してもらおうとすら考え、これは家族みんなに止められました。 さて、ようやく立ち直ろうとしている今、この疑問に対する自分なりの答えも日ましに脳裡で形をなしつつあります。このうえ回答僧諸師をお煩わせするのはいかにも申し訳ないと思いつつも、皆様の多年にわたる御回答経験の中から、大所高所に立ったお言葉を頂けたらと念じております。 もっとお苦しみのかたが沢山いらっしゃいます。でも、どなたかお手すきの折に何か無形の御守りともなりそうなお言葉を頂けたら幸甚です。以上、ここまでお読みくださいまして、誠にありがとうございます。