田舎にあるお寺の娘です。 現在、父が住職をしていますが、現在跡継ぎ問題に直面しています。 うちは三姉妹で、両親は、いままでも私たち姉妹に寺を継ぐよう強く言ったことはなく、今回、両親が高齢になってきていることもあり、このタイミングでと思い、私から今後のお寺について相談?した際にも、「わたしたちが幸せになるのが一番だから」と、寺を閉じることも視野に入れて考えているようです。ですが、やはり話をしていると祖父母や代々寺を守ってきたご先祖様に申し訳ない、悲しいという気持ちも汲み取れます。お寺を閉じるという選択は、私にとっても心苦しいものでもあります。ですが、自分自身が出家して尼僧になり、後を継ぐという覚悟も決まっているわけではありません。。 ちなみに次女は結婚して家を出ており、長女は何度かお見合いもしましたがいままでは良いご縁がありませんでした。わたしは現在、一般の方と5年ほどお付き合いしており結婚も視野に入れていますが、私以外に望みがなく、私がお寺の後継者の方とご縁があれば、お別れすることも考えています。 現在の選択肢としては、 1.姉妹の誰かがうちのお寺を継いでくれるどなたかと結婚する 2.姉妹の誰かが出家し継ぐ 3.お寺を終う 上記のいずれかなのかと思います。 跡継ぎ紹介システムなど、検索してみましたが、よくわからず。。 また、父が言うにはうちのお寺は過疎地域にあり、経済的にもここを継ぎたいという人を見つけるのは難しいだろうと。。 確かにお寺だけでは収入は十分ではなく両親は他の仕事もしています。しかしお寺自体は歴史もあり、このまま閉じてしまうのは悲しいです。今後お寺を続けていくにしても、なにかお寺自体も盛り上げていく新しいやり方が必要なのかなと思います。 似たような境遇の方のお話や、跡継ぎ問題、過疎地域にあるお寺の存続問題など関してなにかアドバイスのある方がいらっしゃれば、お答えいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
不注意により愛猫を2匹死なせてしまいました。 朝方目が覚めると2匹がご飯を催促しにくるはずが物音ひとつなく、家の中のいつもいる場所を見ましたが見つからず、嫌な予感がしてベランダを確認すると窓が開いていました。 下を見ると1匹が、急いで降りていくと冷たくなっており、辺りを見回すともう1匹が茂みの隅にいました。 私の杜撰な育て方でなんて事をしてしまったんだろうと悔やんでも悔やみきれません。 痛い思いをさせてしまいました。 雨風にもうたれ寒かっただろうに。 怖い思いをさせてしまいました。 なんて酷い事をしてしまったんだろう。 2匹今までベランダに出たこともなく、外も知らない子達です。 網戸に登って遊ぶ事はありましたが開けれた事はなく、もし開けても雨が降っていたので嫌がって出ないだろうと、まさか落ちてはいないだろうと思っていました。 その油断がいけませんでした。 先代猫を去年病気で亡くしたばかりで、今年友人からのご縁で迎えたこの子達でしたがこの子達のために何をしてあげたら良いでしょうか。 もう動物を飼う資格はないと思っています。
こんばんは。 初めてhasunohaのお坊様達に、悩みを聞いて頂いてから、毎日様々な悩みを抱えていらっしゃる方のお話と、お坊様達の回答を拝読させて頂いている内に、自分も励まされ、時に、御叱りを受けているようで、ゆっくりゆっくりと、清々しい気持ちになれました。 10代の頃、相談できる先生(お坊様先生もいたのですが…)にも、大人にも出逢う事がなく、正直に言いますと… 「神様も仏様もいない!」などと思いながら、生きてきた人間でした。 でも、そんな私が、今までにない程の精神的落ち込みに苦しみ、心療内科を受診すべきか、カウンセリングを受けにいくべきかと、もがいている時、このhasunohaのお坊様達と出逢いました。 本当に有り難いことです。 大きく、広く、深い温かさを感じます。 お陰様で、食欲も少し戻り、家族にも、ほぼ以前と同様に接する事が出来るようになってきました。 子供達にしてみたら、「いったい何なの?」と困惑し、気分屋の母親だと思っているでしょう。 そして、主人は主人のままで変わらないですが、この面倒くさい性格の私を受け流しながら、理解してくれている唯一の存在でもあります。 ただ、実母に相対した時の辛さは強くなり、フラッシュバックがキツいです。 そして、この苦しみが、まだまだ続き、増していくのかと思うと、憂鬱で不安ではありますが、逃れられない以上、仕方ありません。 これからも、このhasunohaのお坊様達のお話を読ませて頂こうと思っていますが、悩んでしまったら、どうかまたアドバイスや御叱りを宜しくお願い致します。
グローバルという言葉が当たり前になった現代でも、宗教はいまだ閉鎖的であるように感じます。 中東をはじめ宗教を理由にした紛争はいつまでもなくならず、中世の時代から少しも変わっていません。 それぞれの宗教はいい教えだと思うのですが、なぜ対立という方向に走ってしまうのでしょうか。 宗教の教えはよくても、それを運用する人間に問題があるのでしょうか。 仏教会(?)は宗教を理由とした紛争について、どう考えているのですか? いまこそ一致団結し、世界平和に向けてなにか活動してもいいのではと思うのですが、人任せで無責任な考えでしょうか。 ちなみに私は神社の町で育ったので神道が好きですが、仏教も尊重しています。
僧侶の方とご縁があり交際しております。 彼の人柄に惹かれ先のことではありますが将来は結婚もしたいと考えています。 しかし結婚を考える上で私には決定的に信仰心というものが足りないと思います。 実家にはお墓や仏壇はありましたが両親共にほぼ無宗教で何かを信じる、お祈りするということがわかりません。 彼とお付きあいしてから手を合わせたりお経を読むといったことを表面上はできますが彼とは違い、心の底から信じていますと自信をもって言えないのが辛いです。 お坊さんの奥さまは同じ信仰をもっていないとやはり問題でしょうか。 お寺に入れば自然と身に付くものなのでしょうか。
仏教の教えを忠実に実践すると植物のような存在になるなと感じました。 しかし仏性は人間にしか無いとも知りました。 なぜ元から罪のない動物や植物は仏になれない(なっていない)のでしょうか。 「仏性の自覚」とは「罪を持っている」という自覚のことでしょうか? 切れ端のような知識で申し訳ありません。 気になったので質問させていただきました。
成田山の見習い僧侶の求人を発見しました。現在24歳女です。僧侶になるのは大変ですか?又、過去質問で僧侶としての働き先はあまりないとの事なのですが。どうなのでしょうか?
こんにちは。日本仏教と権力についての質問です。 時々「日本仏教は政治権力に迎合していたため堕落してしまった。」 というコメントを見かけるのですが、 日本仏教は本当に権力に迎合していたのでしょうか? また、仏教では権力や権力者は「悪」なのでしょうか? 私には権力が嫌いな特定の思想を持った人達が 大げさに言っているだけのような気がします。
密教系のお坊様の方が回答しやすいかなと思いますが 真言宗や天台宗、その他修験道など 例えれば 不動明王の真言に関して のうまく や なうまく で始まったり 真言の中身も 同じ真言宗でも違うし 同じ天台宗でも違います 私自身は単なる一般人で宗教家でも何でもありません 私自身が言いやすい 真言を 真言宗や天台宗の真言を混ぜて、 私だけの オリジナルの真言を作ったりしてはいけないでしょうか よろしくお願いいたします
お寺で働いてるお坊さん達は家族でやってるものなのでしょうか❓ 一般人でもお坊さんになれる可能性はありますか❓
障碍者です。 在宅で仕事はしています。 色々な仏教の本を読み、 心の平安や人間的な成長をするには、 大変ですが、僧侶になるのが良いのでは とおもいました。 ネットで調べると、得度〇〇万円とか ビジネスの匂いがするものがたくさんあり、 自分が目指すものではありません。 私が僧侶になり(なるために)したいこと ・在宅で僧侶になる(お寺に所属しなくてもよいです。) ・仏教の勉強・理解を深めたい ・関係する全ての人が日々を平安な 気持ちですごせるようにしたい(私を含め) 在宅の僧侶には、どうすればなれるでしょうか? 恐れ入りますが、お教えください。
10年以上前に亡くなった母の遺骨や、親族の遺骨が家にあります。仏壇に置いてあります。 うちは、墓はないです。母は亡くなった時に未婚でしたので遺族の私の元にあるのですが、海への散骨を考えております。 私自身の死後の希望も海への散骨です。 他の方に話すと、10年以上も遺骨を置いておくことをまず咎められます。 それから、散骨についても咎められます。 私の考えとしては、子供や孫に墓を気にかける事が必要なく過ごしてほしいし、海水浴に行って思い出したら、手を合わせるくらいでいいのではないかと考えております。 粗末にしてるとか、非常識と言われるのですが、そうなってしまうのでしょうか?。 やはり、永代供養などの方がよろしいのでしょうか? 後、主人は宗教をもっておりますが、私は無信仰者です。だけど、毎朝、主人の用意した仏壇に線香をたて、御先祖様に向かい手を合わせます。 信心深い友達に、お母さん、お父さん、などなど一人一人を思いながら、その数の線香をたてるものだと教えてもらいましたが、それも私には理解できません。私の知らない御先祖様もいらっしゃるし、主人の御先祖様や離婚して離れていますが、子供の父親の御先祖様にも手を合わせたい気持ちもあります。そんな気持ちを一本の線香に託すのは間違っているのでしょうか? 墓にしろ、毎朝の線香にしろ、形式じゃなくて気持ちが一番大事なのではないかと生きてきましたが、あまりにも、あなたは間違えていると多く耳にしますと考え直す必要があるのかと思い質問させていただきました。 無知すぎてお恥ずかしいばかりなのですが、御先祖様を大切に思い生きていきたいです。 間違えてるなら正したいです。 どうぞ御指南お願いいたします。
初めて投稿させていただきます。 yukkoと申します。 お坊さんとのご縁を探しております。 もし、出会いの場がありましたら、教えていただけますでしょうか?
自分の苦悩を見つめてみると、大概、煩悩や愛情飢餓といったところに辿り着く気がしてます。 もう、いっそのこと、それらに強くなるために、自分も僧侶になりたいと思うようになりました。 ただし、お金もなければ、修行などは出来ない精神病状です。せいぜい勉強くらいしか出来ません。また、就労はしたいと思っています。 こんな自分でも、僧侶になる方法はありますか?ありましたら教えて下さい。自分でも少し調べはしましたが良くわかりませんでした。
仏教における教義というか、入門を学びたいのですが、どうすれば良いのでしょうか? 例えばキリスト教なら教会に行けば講座をやっていたりしますが、お寺に行ってもなかなかそういったものが見つからない気がします。そういった講座などはあるのでしょうか? また自学するにしても、キリスト教における聖書のようなわかりやすい正典もなくどこから手をつけていいのかわからない状態です。 どうか知恵をお貸し下さい。宜しくお願い致します。
年末多忙の時期、しかもコロナ禍のさなか、恐れ入ります。 かれこれ10年前、勤めていた職場をリストラで追われ、どうにか生き延びて参りました。10年をへて、その当時の慢心や、先般ついに手帳まで頂いた障害など、自分自身の上に反省すべき点も多々見い出しつつあります。 にもかかわらず、その当時、とある方から言われた言葉がやはり折に触れて脳裡に甦ります。しかも抗弁しようにも、その方は数年前に急逝なされ、いまはお浄土に。その言葉とは、 「ピンチに出くわして、すぐに救いの手が伸びて来ないのは、人徳がない証拠」 というものです。なるほどな、とも思わされますが、同時にやはり、「ちょっと待ってくださいよ!」という思いもございます。 そのかたは生前、仏教者として特色ある活動をなさった人であり、みだりに批判することは倫理的にも強く躊躇(ためら)われます。それでも、そのかたがお遺しになった会社が、今般のコロナ禍でかなり四苦八苦している様子を人づてに聞かされますと、心の中に「どうしました?人徳がないから左前になるんですよね?」という、どす黒い思いが湧いてこないと言えばウソになってしまいます。 そのかたとは私がリストラされるまで、ご縁あって、幾度か帰り道に御一緒したこともあるのですが、10年前、突然の(……会社側からすれば兼ねて計画していたとおりの)リストラで苦痛の極にあった私へ、「君の声は某宗教の布教師どもの声そっくりだ。不快きわまる!」というお言葉もいただいております。自分は声がやや甲高いので、それが不快感を与えてしまったのか…と思い余った末、喉仏に男性ホルモンか何かを注射して治してもらおうとすら考え、これは家族みんなに止められました。 さて、ようやく立ち直ろうとしている今、この疑問に対する自分なりの答えも日ましに脳裡で形をなしつつあります。このうえ回答僧諸師をお煩わせするのはいかにも申し訳ないと思いつつも、皆様の多年にわたる御回答経験の中から、大所高所に立ったお言葉を頂けたらと念じております。 もっとお苦しみのかたが沢山いらっしゃいます。でも、どなたかお手すきの折に何か無形の御守りともなりそうなお言葉を頂けたら幸甚です。以上、ここまでお読みくださいまして、誠にありがとうございます。
こんにちは。 いつもお世話になっております。 戒名について分からない事があるので、教えてください。 6月に祖父が亡くなりました。 祖父の身寄りは私と私の母だけで、母は酷く落ち込み、何も出来ない状態でしたので、私が祖父の小さなお葬式の手配をしました。 恥ずかしながら、右も左もわからない状態で、当時は祖父が仏教の何派なのかもわからない状態でした。戒名の存在も知らなくて、私と母だけで祖父を見送りました。 なので、祖父には戒名がありません。 そこで、心配なのは祖父は戒名が無いままでは、成仏できないのでは無いかと心配しております。 戒名は亡くなった祖父にとって必要でしょうか? 必要でしたら、亡くなってから4ヶ月程経過してしまいましたが、お寺に依頼して戒名を貰うことはできますでしょうか? おじいちゃんは真宗高田派だったことがわかりました。 お力をお貸しください。宜しくお願いします。
今日亡くなった母の四十九日でした 母が良いところに行けるには自分は何をすべきでしょうか? 高齢の母をしばらく実家に一人で住まわせて申し訳ないという思いが ありました 母にあまりなにも出来ずに病気で亡くなってしまいました やはり自分が至らないのだろうと思います かわいそうな事をしたと思います これから母はつらい所へ行くのでしょうか? さみしくないように 苦しまないように願いますが 残された自分に出来ることを教えてください
私は昔からお坊さんが大好きです。 将来結婚するならお坊さんがいいと思っています。 お経よんでいる所がかっこいいし、背中がとってもかっこいいからです。 でも、簡単にそんなこと言っているけど、実際、お坊さんと結婚できる確率って低いですよね。
私は現在適応障害を発症しており今の仕事を退職予定です。去年、無くなった祖母は自宅で庵をしておりました。 僧侶として人生を歩むと言うのは私と同じように精神疾患があったり悩みがある方への少しの力にでもなればと思いますしもう一度祖母がやっていた庵を復活させたいと思っております。 今回の適応障害が私の一度目の人生が終わったと感じ、残された命を仏様のお力を借りながら一歩ずつ歩みたいとも考えております。ですが、一歩踏み出す勇気が中々でずに気持ちが先走るばかりです。どのように踏み出したらよろしいでしょうか。色々な僧侶様からご意見頂ければと思います。