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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 不安」
検索結果: 1430件

「生きていく」ことがとても長く感じてしまいます。

高校2年生です。 部活にも熱中していて、友達もたくさんいて、家族の仲も良く、勉学にも困っていないのに、最近「生きている」とは何なのかを考えてしまいます。 朝起きたときに「ああ、今日も生きているな」と考えるのですが、どちらかというとそれが生きていてうれしいという感情ではなく、この世界でまた生きていくんだなという、何となくの面倒さをもった考えのような気がするのです。 何にもやる気がないというのではありません。勉強や、もちろん趣味に対する努力も嫌いでなく、しっかりやってきたから今の自分があるのだと思います。 確かに大学受験のために予備校を考え始めていて、1年間しっかりやっていけるのだろうかということがストレスになっているのかもしれません。 自分はまだ両親の半分も生きていないのだと考えると、この先とても長い気がしてくるのです。 さらに、この先それが辛さに思えてしまい、自殺してしまうのではないかという気さえします。それが一番怖いです。 もともと好奇心旺盛で、この先やりたいこともたくさんあるのに。 楽しくやっているのに、頭の片隅でこういうことを考えて1日を過ごしてしまう自分を変えたいです。どうしたらよいでしょうか。

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葬儀を行わなかった場合四十九日は?

こんにちは。 先月、祖母が亡くなりました。 コロナの懸念から葬儀は行わず、火葬のみでした。 本来ですと4月23日が四十九日となりますが、葬儀を行なっていない場合、また、コロナの不安なども踏まえて、今回どう過ごすべきか悩んでいます。 以下は私の勝手な胸の内なので読まなくても大丈夫ですが、どこかに吐き出したくて、書かせて頂きます。 祖母(母方の祖母)は心不全でした。 2月上旬から入院し、2月までは意識もあり、面会もできましたが、3月に入り、昏睡状態となり、でも、コロナの感染予防のため親族ですら面会謝絶。 叔父が病院側と揉めた挙句、昏睡状態の祖母を無理やり家へ連れて帰り、3日後に亡くなりました。 せめてその日のうちに顔だけでも見に行きたかったのですが、「兄弟で話すことがあるから今日は遠慮して。葬儀が決まったら連絡するから」 と言われ大人しく待ちましたが、 翌日の土曜日、知らない間に火葬を済ませてしまったようで、私は見送ることも出来ませんでした。 同じ都内にいながら、祖母に最期のお別れもできず、コロナが憎いです。 平穏な日常が戻ってくる日は来るのでしょうか。 それまで、心をどう保てば良いのでしょう。

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大好きなおじいちゃん

こんにちは。初めまして。 私は1年前に大学入学と同時に上京し、寮生活をしています。1ヶ月ほど前にコロナウイルスの影響で寮が閉鎖となり、実家に帰ることになりました。万が一を考え、祖父、祖母には2週間接触しないという条件で帰ってきました。 わたしが飛行機から降りた瞬間、おじいちゃんが体調が悪いと言う連絡が入り、なんだか嫌な予感がしました。駄目だと言われてしましたが、わたしはおじいちゃんに会いにいきました。実家に帰るまでのここ数日、毎日電話をかけて、外出しないように伝えたり、出かけていると聞いたら今すぐ家に帰ってと説教したりしました。会いにいった時も、マスクをつけて少し離れたところで、言うことを聞かないからこうなるんだよって少しふざけて説教してまたねと言って私は部屋を出ました。 その次の日の朝方、おじいちゃんは亡くなりました。心不全でした。 自営業で、共働きの両親だったので、 おじいちゃん、おばあちゃんの家に入り浸っていたわたしは、中学生になってもおじいちゃんと一緒に寝たり、2人で海外旅行にいったりとほんとにおじいちゃんにべったりでした。数日前まで車を運転したり、お酒を飲んだり、大好きなゴルフに行ったり、あんなに元気だった人が急に亡くなるなんて受け止められません。 おじいちゃんにもう会えないと思うと苦しいです。おじいちゃんのいない人生を生きるのが辛いです。 おじいちゃんは、いつ死んでも悔いはない。人生たのしんだ。と生前言っていました。でも、まだ開けてないお酒のボトル。カレンダーにはゴルフの予定。おじいちゃんだってまさかあの日に死ぬとは思っていなかったと思います。家族や、おじいちゃんの友達が、おじいちゃんは最後に私を呼んだんだよって言ってくれます。でも私は最後に手を握ってあげてもない、大好きだと伝えることもできず当たり前に明日があると思っていました。ほんとに後悔しています。 おじいちゃんに会いたい。これから私が死ぬまでずっとおじいちゃんに会えないと思うと気が狂いそうです。 おじいちゃんは私がおじいちゃんのことを大好きだった事はわかっていたのでしょうか。おじいちゃんもわたしのこと大好きでいてくれたのでしょうか。おじいちゃんは私のことを呼んだのでしょうか。考えてばかりで本当に辛いです。長々と申し訳ありません。でも助けていただきたいです。

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解脱って怖い?

昨今の陰鬱とした情勢の中、多忙を極められておられるであろう僧侶の方にご相談をさせて頂けることに感謝いたします。 私は、宗教や哲学などの学問に興味があるのですが、仏教における「解脱」という考え方に一抹の不安を覚えています。 といいますのも、この概念は様々なしがらみから解き放たれ、心が安らぐという点で素晴らしいと思う一方で、考えようによっては自己研鑽や他者との競争といったものを一蹴し、様々な枠組みを冷めた目線で見る無情で腰の引けた概念にも捉えられるのではないか、と思っているからです。 例えば、世俗では結婚を是、独身を非とする意見を度々耳にするのですが、私自身は伴侶の有無だけで人の貴賎が決まることはない、もっと言えば、そんな二項対立などで張り合いしないで平和の範疇で気楽に生きればいいのにと思っています。 ところが、ある時似たような意見を呟いた方が、ネット上で「生存競争についていけなかった腰抜けの負け惜しみ」、「生命や家族の尊さが分からない薄情者の言い草」といった罵倒を浴びせられているのを見て、この意見は既婚者の方や婚活を本気で行っている方に対して無自覚の批判や無粋な発言になり得ると悟らされたことがあります。 私自身は、特定の誰かを見下そうという気は全くないのですが、多くの人は何かと甲乙つけたがるものらしく、今に至るまで自身の本心が話せず度々肩身の狭い思いをしています。 そして、私が何より恐れているのは、この考え方を極限まで突き詰めた結果、今回の相談含め、全ての悩みについて「んなもんどうでもいいから腹でも切ってさっさと涅槃においでなさい」と強引に押し切られることです。こうなると最早立つ瀬がありません。 ただ、一つ思う所があるのは、「救世を考えるお釈迦様や僧侶の方々がそんな本末転倒な事言う?」ということです。 思えばこれまでハスノハでお世話になった方々からそんな極端なコメントを頂いたことは全くないですし、私が浅学の身で解脱という概念を持ち上げる余り甚だしい見当違いをしているとも思われます。 長々と語らせて頂き申し訳ないですが、私の悩みはこんな感じです。 今一度断っておきますが、私はこの概念を弱さの言い訳や他人を足蹴にする詭弁に使うつもりは毛頭ないです。 そのことを踏まえて、本職の方に解脱という概念について忌憚なきご意見をお聞きしたいと思う次第です。

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2024/11/12

徳、カルマ、運の関係性

世の中全て運の様な気がします。 まず人間として生まれて来れたのも運が良かったから普通に生活できるのも親がしっかり働いて育ててくれたから、生まれてくる親が選べないという部分から、これらも全て運です。 これから先何が起こるのかも分からない。転落人生を送る可能性もあるしそれを切り開くのは自分自身だとしてもそこに至るまでどういう経験をしてきたか或いは元々持って生まれた特性なども全て運です。 分かりやすく例えを言えば環境が悪く毎日、親から暴力を受け、罵声を浴びせられて育ち、かつ元々持って生まれた特性(知的障害)などを総合した場合まともな人間性は育まれない。結果的に犯罪者になってしまうとかですね。 こんな才能を持ちたいとか生まれる前に決める事は出来ませんよね? そういう事です。 つまり世の中運が全てなんです。 明日例えば僕が交通事故にあったとする。 これも冷たい言い方になるが運が悪かったからに過ぎない。 どんな人生を辿るのか分からない。 そういう意味ではワクワクしますよね? でも自分は怖く感じてしまいます。 一寸先も闇で一歩も進む事が出来ず、ただただ時間が経つのが怖いです。 例え歩き出せても人生の選択肢として合ってるのか間違ってるのか不安になってしまいます。 先程、運によって左右される話をしました。 我々人間は運によって生み出された思考回路、性格、能力を合わせた物を原動力にして歩いています。 ではカルマとは一体何なんでしょう? 徳とは一体何なんでしょう? 私から言わせれば運が良い人は徳の高い人間になり、運の悪い人は業を作る罪深い人になる。 この理屈だと地獄、天国があるのはおかしいと思いませんか? 不公平だなと感じませんか? お坊さんは運とカルマ、徳の関係性についてどう考えてますか? 私みたいに考えますか?それとも違いますか? 教えて下さい。

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祖母が亡くなりました。

こんばんは。 実は先日、階を分けてですが、同じ家で暮らしていた大好きだった祖母が亡くなりました。 去年に入ってから体調不良が続いていた祖母が病院に行き検査を受けたところ、子宮癌だったそうで、9月に手術と入院をして癌を摘出する事はできました。けど11月に肺への転移が発覚し、抗がん剤治療の勧めを受けた祖母ですが、拒み私たちは祖母の意志を渋々でしたが受け入れました。 私の祖母の家系は癌家系で、祖母は祖母の姉弟や両親を癌で亡くしました。近くで看取ってきた分抗がん剤治療や病院に対する疑念などが拭いきれなかったようでした。 ここからが私の悩みです。 亡くなった祖母は肺への転移が見つかってからは呼吸が苦しそうだったり、最終的に骨に転移した時は痛がっていたりしました。 亡くなった今、祖母は痛みや苦しみから解放されたと思っています。 それを私は良かったね。もう苦しくないね。と思っているのですが、やはりこれは不謹慎なのでしょうか…? ここ2、3年前から私は気付かなかったけど祖母は認知症が始まっていたようで、癌が発覚した後には私も気付くほどでした。 きっと自分でも不安だったのではないかと、お医者様は抗がん剤治療をすれば余命は1年程延びると言っていて私も祖母と例え一年でも長くいれるのなら受けてほしいと最初は思っていました。 ただ日々過ごす中、苦しそうに呼吸したり痛いと蹲ったりする祖母を見ていたら、このまま認知症が進んで誰が誰かも忘れてしまうなら、いっそ楽になった方が誰も傷つかないのかな。と思いました。 祖母は生前自身の家族に早く迎えに来てくれと口癖のように言っていて、それは遺される側からしたらとても寂しい言葉でしたが、祖母は49日を過ぎたら会いたい人達に会えますか? 会えるなら、私が祖母に会えない寂しさなんてどうでもいいのです。もしかしたら、私が寿命を迎えた時にまた会えるかもしれないから。 祖母は検体登録をしていて、お葬式をあげることもできないし遺骨が納骨されるのは2、3年後になるらしいのですが、祖母はちゃんと家族の元へ帰れるのでしょうか… 天国へ行けるのでしょうか。 疑問ばかりで申し訳ありません…

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母が病院に行ってくれません。

私は50代の母の身体をとても心配しています。 ヘビースモーカーでタバコをよく吸うためか咳をよくしているため、 何度も「病院行きなよ」と言うけれど全く動こうとせず。 なぜ病院に行かないのか理由を聞くと、 「病院に行くと見つけてほしくもない小さな病気も見つけられて生命保険とか入りにくくなるし」と、意味のわからない不純すぎる理由。 掘り下げて行っても無視されるかごまかされるかなので、そこから病院の話はしていません。 先日、一緒に温泉に行った時ふと母の胸を見た際、違和感が。 以前に生命保険の相談窓口にあった乳がんのセルフ触診サンプルで見たような、引き攣れたような部分がありました。 その日は観察するまでに終わりましたが、その後別日にスーパー銭湯に行った時にもどうしても気になり何度か確認しましたが、やはりおかしい。 でも、なんと母に声をかければいいのかわからないのです。 父はもう10年以上も前から女を作って家を出、ほとんど連絡もとらず完全な別居状態。 母方の祖父が亡くなった時も葬式に顔を出すこともないほどでした。 母も父も離婚しようとはせず、ダラダラと夫婦という関係を続けています。 母はそんな状況に「私は早く死にたい。愛犬も死んでしまったし、タバコでも吸って病気になって早く死んでしまいたい。長く生きてあんたらに下の世話させたくないし」と言っていたことがあります。 それを言われた時何言ってるのと怒りましたが、何も変わりませんでした。 そんな思いもあり、病院嫌いなこともありで、母自身も気づいているけれど見てみぬふりをしているのだろうと思います。 私には2歳の子供がいます。 出産前から今までずっと、精神的にも経済的にも母には迷惑をかけてきました。 なんとか母には長く生きてもらって、恩返しをしたいのです。 ですが、本当に何と母に声をかければ良いのかわからないのです。 私自身、口に出してしまうと何かが壊れそうで怖いという気持ちもあります。 本当に、本当に、どうすれば良いのでしょうか。

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夢について

 いつもお忙しい中ご相談に乗ってくださりありがとうございます。いきなりですが、僕は今とてつもない恐怖を感じています。  僕はある日、怖い話系を調べていました。そしたら、「見てはいけない初夢」みたいなサイトが出てきて、好奇心で見てしまいました。すると、内容は詳しく言いませんが、「これを見ると○○な証拠」「この夢は自分の心情を表している」とありましたが中でも本当に怖かったのは、「この夢を見るとしぬ」と書いてあった事でした。しかし、対処法も書いてありましたがある意味条件が難しかったです。  流石に怖くなり、お正月が少しだけこわくなりました。僕もこれは嘘だと思いたいですが、半信半疑でどうしても怖く、なかなか思えません。でも嘘だと思う。って思うとまた「もしかしたら…」ってなる事もあって、半信半疑が絶えず、どうしようもない気持ちです。  こういった、「初夢」とは言え、所詮夢で、脳の整理なのは分かっているけど、もしかしたらという感情があってなかなか楽に生活できません。  初夢でも悪夢でも本当はただの夢なんでしょうか。きっと嘘だとは思いますがやはり半信半疑なので僕は怖いです。  追記:僕は今までに、「聞くと呪われる」と言われている怪談話を聞いてきた事がありますが、何も起こりませんでした。もしかしたらその初夢も同じかもしれないと思いました。  

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お墓について

親のお墓について質問させていただきます。 7年前、父が亡くなりました。父が病気になる少し前に、土建業を営んでいた父の会社の資金繰りがうまくいかず、自己破産せざるを得なくなり、何もわからないという両親にかわり、弁護士等の交渉や手続きを私と私の主人でおこないました。結果的に自己破産が完了する前に父は亡くなりました。そんな中、両親がなんの相談もなく、墓石屋に勤める母の妹のすすめでお墓を購入していました。そのお墓は母の実家の近くの公営墓地で墓地の名義は母の兄となっていました。当時、自己破産の手続きの最中で、自分達では購入できないため、兄の名義としたようです(今現在は兄は亡くなり、兄の息子名義になっています)。 私は一人娘で、娘がいますが、そのお墓に入る予定の者は母以外いません。母の兄の息子名義ですが、管理料は7年ごとに母が支払いをしているようです。母亡き後、私が生きてできる限りはその管理料の支払いをするつもりでいますが、私の娘にまでそのような負担を強いることはできません。 母の兄の息子名義であること、管理料を支払わなければならないこと、私の住む場所から少し遠いことから、母の元気なうちに2人用の簡易的な墓への移転を提案しました。父が生前気に入って買った墓なのに親不孝だというようなことを親戚から言われました。母は名義の変更(本来その名義人が亡くなったときしかできない)は親戚の人に頼んでするし(いつになるかわかりません)、移転するようなお金はないといいます。 母や母方の親戚とは考えがあわず、私は父が亡くなって以降、距離を置いています。母も76歳なのでもしなにかあった場合、手続きの面で親戚と関わらなければならず、名義が親でないことがすごく不安に思っています。 父が生前見て購入したお墓であるので、守ってあげたい気持ちもありますが、後先考えず、勝手に購入し、次世代に負担を強いる考えがあまり理解できません。

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2025/04/26

心の整理がつかないです

今までずっと健康体だった親友が去年の8月に 急性白血病と診断され昨日余命2カ月と言われたと聞かされました 先月は退院出来るかもしれないと聞かされていたので尚更辛いです 親友とは小1からの付き合いで 私の誕生日が7月で誕生日を祝って貰い それから1か月後に親友は入院して今に至ります 今年でお互いに40歳になる節目の時で 親の事を気にしながらお互いにまた仲良く過ごして 頑張ろうと誓い合ったのが最後です 私自身去年の4月に父を癌で亡くして 今年は親友を失うと思うと気持ちが辛くてしょうがないです 正直父を失った時より気持ちは落ち込んでます 父は不摂生が原因で癌になったのと思ってるので 仕方がないと思いますが親友は酒や煙草 夜遊びなどもしなくて真面目な人間です 世の中には詐欺や平気でパワハラなどする人が 健康で生きていて何故親友がと思ってる位です 歩いてるだけで車で轢かれたり刺されたりする人も いますので運命って本当に分からないものと思ってます 母の前では気丈に振舞ってますが 親友の事を想うと泣けてきて風呂場や 就寝時の時にだけ泣くように心掛けています 本当は親友が亡くなったら俺も後を追いたいぐらいです だけどこんな駄目な自分でも母は私を必要と言ってくれるので 母の為に頑張って生きなきゃと思いますし 私が先に亡くなったら亡き父にあの世で殴られると思ってます 自分が傷つく分には努力が足らないから仕方がないと耐えたり 割り切れますが大切な人が傷つくのは心が耐えられません 相談内容と言いますか心が苦しかったので 長文な文章を書いてしまい大変申し訳なく思っております 心が強ければ悩まなくて済むんですけどね

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もう生きていけない

私は26歳女性で、1月に夫を自死で 亡くしました…。新婚3ヶ月でした。 お互い恋愛や結婚にはあまり興味が ないタイプでしたが出会ってすぐに惹かれ合い婚約、順調に子供も授かる事ができ、絶対に運命の人なんだと とても幸せな日々でした。 ですが幸せは長くは続かず元々、彼は 幼少期の頃や友人関係のトラブルやトラウマ、金銭的問題などがあり、うつ病になってしまいました。向き合い、支えるのも大変でしたが彼の笑顔が大好きで自分の状況よりも私を常に気遣ってくれて支えてくれる彼はあたしにとっては無くてはならない存在でした。そんな彼がある日私がお風呂に入っている間に出ていき帰らぬ人となりました。お風呂に入る前に苦しいくらいに抱きしめてくれた彼。どうしてあの時いつもと違う事に気付けなかったのか。亡くなる直前電話で話した時寂しく苦しかったはずの彼を助けたい一心で警察へ助けを求めてしまい彼との時間を無駄にしてしまったこと、もしかしたら私があの時パニックにならず優しく受け止めてあげていて彼を宥める事が出来ていたら今も隣にいてくれたのかなと…。どうして彼はひとりで いってしまったのか。苦しくて49日を過ぎた今でも毎日涙がとまりません。 お腹の赤ちゃんは元気に成長しております。愛おしいです。ですが私はもう生きていく自信がありません。2年前に片親の母も亡くしており、身重で無職な私は今、姉夫婦や親戚に御世話をして頂いてる状況です。赤ちゃん楽しみだね!と言われる度に正直とても複雑な気持ちになり苦しくなります。あたしの中では当たり前に子供を産んで二人で生きていく事を想像できないのです。私たち家族の問題なのに人のお世話になってまで生きていたくないのです。 毎日あたしが存在していること事態を 申し訳なくおもいます。そして家族は絶対に離れるべきではない。そう言った彼の言葉が毎日頭を巡ります。彼の居る世界で子供と3人で暮らすことしか考えられません。私は子供の頃から何故産まれたのだろう?産まれたくなかったな。とずっと過ごしてきましたその中で彼と過ごす時間に初めて産まれて良かった。と思えたのです なのにもう側に居ない。 毎日死に場所を探してしまいます。ですが正直とても怖いです。生きるのも死ぬのも怖いです。普通でいいから温かく幸せに育てるようにしてあげようね。と話していたのにもう出来ないのでごめんねの気持ちでいっぱいです

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気持ちが迷子です。

私は現在、看護学生最後の年です。 世間ではとても慌ただしい日々ですが、だからこそ早く看護師になって患者さんや家族をサポートしたいと思っています。 昔から人を助けたい、笑顔にしたいと強く思っており、気がとても弱くすぐにクヨクヨしてしまう私ですがなんとか最終学年までこの思いがあるからこそやってこれました。 しかし、最近就職先の面接に行き、そこで面接官におとなしそうね。それで看護ができると思っているの。ちょっと向いてないんじゃない と言われました。 ここまで言われたのは初めてです。緊張もあっておとなしくみえたのかもしれません。 私にもなにか非があったのかもしれません。 ここの病院は第2志望でしたが、結果はやはり不採用。 だけど不採用よりもその面接官の言葉が頭から離れません。 これから、第1志望先の面接、長い長い実習、国家試験とありますが、もうモチベーションが保てなくなってしまい、看護師になりたいという気持ちと裏腹に私は向いてないんじゃないかって強く思うようになり、もう気持ちが迷子です。 あの面接官とは合わなかっただけ、放っておけばいいなどと言い聞かせたりしてるのですが、もう私の1番弱いところに付け込まれた言葉だったみたいで、自分でも想像以上に動揺しています。 次の面接や国試は刻々とせまってきており、勉強もしなければいけないのに手につきません。 だけどやっぱり心の奥底では看護師になりたい気持ちが強くこの道は諦められません。 どうすれば、あの言葉に立ち向かい、次へと前向きに捉えられるのでしょうか。

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親の病気

高校三年生で春から大学生になるものです。 母が末期の胃癌で2年前に余命一年と医師から宣告され、去年の11月末より 体調を崩し、現在入院しています。医師からも、心の準備をしておいた方がいいと言われていますが、母が絶対に良くなると私たち家族は信じ、今も病院に通い母のそばにいます。 しかし、精神的に辛く、この歳で母を失うということはとても耐えられません。学校に行けば友達が家族の話や母親の話をしているのを聞くと、 何故わたしばかりこんな辛い思いをしなくてはいけないのか。 何故母が病気になってしまったのか。 友達は放課後に遊びに行っているけれど、私は早く家に帰り、母がいないぶん、洗濯物をたたみ、部屋の掃除、夕食の準備などをしなくてはいけません。 父親や弟、祖父母も母のために病院に毎日通い、母の世話をしてくれているので、私も頑張らなくてはいけないと思っています。 最初は、母のためにも、家族のためにも、母が家のことを心配しなくてもいいようにと、全力で家事をやってきました。家族も頑張っているし。 しかし、最近、春休みになり、たまに、SNSを見れば友達は毎日のように出かけているのを見て、こんなこと思ってはいけないですが、 何故私たちばかりこんな辛い思いをしてやっていなくちゃいけないのか。 私だって友達と遊びたい、家に帰ったら家族がいて、母の料理を食べたい、母と買い物に出かけたい、家族みんなでたわいもない話をして笑いたい。 そんな当たり前のようなことを毎日ふつうにしている友達にとても羨ましく感じるようになりました。 こうやって思っている自分がとても嫌です。母が一番病気になってしまい自由に生活できないのが悔しいのに。 母の世話に忙しくなり、 自分の時間が作れず、日々イライラした状態が続き、父親と衝突してしまうこともあります。 こんな私たち家族になにかお言葉をいただけるとありがたいです。

有り難し有り難し 16
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