40後半の知り合いの曹洞宗の坊さんが赤い袈裟着てました、お寺は室町時代からあるそうです。袈裟の色は坊さんの階級と聞きました、どの位でしょうか?
私は人は魂を磨くためにこの世に生まれ、生きているのだと思っています。 ただふと、 ・なぜ、なんのために魂を磨くのだろう と思ってしまい、 考えていると、魂を磨くために生きているということがいつの間にか出来上がった空論のようにも思え、 なんのために日々生きているのかわからなくなってきました。 考えるきっかけになった出来事があるため、あわせて書かせていただきます。 私には付き合って3ヶ月になる彼氏がいるのですが、 ここ2,3週間ほど話す度に口うるさく話し方(論理的でないなど)や性格の面など色々と注意され、 私のために言ってくれていることだからと思い、うるさいなどとは言わず直そうと心がけてきたのですが、 最近、会話していたらまた何か言われるのではと怖くなり、彼氏と話すことからも、注意されたことからもただただ逃げたく、向き合えずにいます。 なんのために、人は成長していかなくてはいけないのでしょう。 ご意見を伺いたいです。 よろしくお願いします。
私はまだ未熟ですが曹洞宗の僧籍をもっていて色々勉強しています。 そこでふとなぜ観音様や阿弥陀如来様や大黒天様など存在しない(存在してるか分からない)ものを祀ったり信仰しているのだろうと思いました。 お釈迦様は神仏に祈るより自己を見つめて悟る 自分は自分で助けるということを言っていると私は解釈しています。(間違っていたら訂正していただきたいです) 僕より人生経験が豊富であろうお坊様達に意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いします🙏
回転寿司が大好きで毎週のように回転ずしを食べています。 左上のhasunohaのロゴがホッキ貝と緑の割れたスシ皿に見えてしまいます。 それは置いてといて、お寿司を食べているときに、こんなにお寿司が好きなのに何か月前から通っているのか忘れてしまいました。 その時の初めて食べたネタのおいしさや歯ごたえの感動も忘れてしまいました。 そして、苦しみの方はどうかと思い、(中途半端に過去の)5年6か月と3日前の苦しみを思い出そうとしましたが思い出せませんでした。 (中途半端に昔の)5年6か月と3日前に私は何かをしていて何かの感情があり何か悩みや苦しみ、もしくは楽しみがあった、でも思い出せないのです。 つまり記憶も感情も行動もまた移り行くものだから忘れてしまう。記憶や感情といえど常なるものは無し。 これも諸行無常で苦を滅する方法は、『無常に気付き、常に自分も無常であると忘れないようにする』ことであると、そこら辺は、↓にも最終的には同じ意味で書いた通りです。 https://hasunoha.jp/questions/19539 https://hasunoha.jp/questions/19556 https://hasunoha.jp/questions/19587 しかし、どんなに気を付けていても自分(や愛しいもの)も無常の中にいるという事を忘れてしまう事があり、またも過去と同じようなことで悩み苦しむ事がたまにあります。 このまま人生を歩んで行っても、全く苦が無い生活を行うことは難しいです。 こうなってくると、テーラワーダか禅宗に出家して苦を滅するための八正道を人生のすべてとして生きていくしかないような気がしてきました。 アジアの上座部仏教国だと、サードゥ(善き哉)サードゥ(善き哉)サードゥ(善き哉)なんて言われて出家できますが、ここは日本で日本での生活があります。それを捨ててまでの出家だと親が泣くかなと思うのですが、在家のまま苦を滅する方法はありますか? または苦を滅したいからという理由で出家された方いますか?
浄土三部経が偽経や非仏説と言われている事についてどう向き合えばいいでしょうか。 自分はこれで阿弥陀様の信心を失ってしまいました。 事実としてお釈迦様が直接説いたわけではないことは、「歴史的」には分かっているそうですし、それでもお釈迦様以外の仏様が説いたので仏説と言われていたりと、結局どれが真実なのか分からなくなってきました。 浄土宗や浄土真宗のお坊様はこの事についてどう思っているのですか? そしてどうやって信じているのでしょうか。 自分はこの事で信心をもらえそうにないです。 回答お願いいたします。 この前までは単純に阿弥陀様を信じられていませんでしたが今度は大乗非仏説で信じられなくなっしまいました。
欲や期待を振り回された生活を続けることが嫌になりました。 いっそ捨ててしまって、何も欲しない、何にも期待しない人間になりたいです。 しかし、欲は勝手に湧いてきますし、期待も意図的にしないということもできません。 どうすれば、欲と期待を捨てた人間になれるでしょうか。
人間は、生まれて死にます。それが子孫を残すことでずーっと何年も続いています。この先もいつまでかは分からないけど、続くんだろうなと思います。 でも人間って、何のためにそれを繰り返してるんですか?みんな当たり前のようにそうやって、生まれて生きて、子孫を残して死んで、をただ繰り返してるけど、これって何のためにやってるんですか? 私が知りたいのは、ひとりの人が何のために生きるかということではなくて、人類全体として、何のために、どこに向かうのかということです。 ずっとこのサイクルを繰り返して、いろんなものが発展して進化する、何か目的があるんですか?目的があるとしたら、何でしょうか。 無いとしたら、何のために存在するんですか。ゴールはなんですか?あるんですか? お坊さんの考えを教えてください。 生きることが嫌になったとかそういうのではなくて、単純に知りたいんです。あと、いま私は19歳なんですが、小学生の頃からずっと考えてます。人にこの話をすると、考えたこと無いし興味無い。言ってる意味がわからない、別に知りたいと思わない、とか言われます。なんで人はみんな、自分もこのサイクルに参加してるのに、このことを疑問に思わないんですか?不思議です。私がおかしいんですか…
もう生きることに疲れました。 31歳の誕生日を迎える前に死ぬことにします。 私は毎日明るく楽しく生きています。 職場でも頼りにされムードメーカーとなり、成果が認められ1月から希望していた営業に移籍することも決まりました。 ですが、全て本当はどうでもいんです。 幼い頃から機能不全家族で育ち、お前は家族じゃないから家から出ていけと言われ、日常的に殴られたりしていました。 親に愛されず自分は必要ない人間だと思っています。 そんな私ですが、友だちには恵まれ本当に私のことを愛してくれる人達ばかりです。 ですが、いつも満たされず孤独で虚しい思いを抱えて生きてきました。 自分を必要として欲しいという思いと容姿のおかげか恋人は途切れませんでしたが、結局最後はお前は必要じゃないと言われるのが怖くて自分から別れを告げています。 今年の5月から会社の課長から誘われ不倫を始めました。 すごく優しくて大事にしてくれ愛してくれ、この人は私のそばに居てくれると勘違いしてしまいました。 当たり前ですが奥さんの方が大事ですし、私が1番辛い時も彼は奥さんの方を取ります。 それは仕方ないけど、私が辛くて耐えきれなくなったので別れを告げました。 それから、私はやっぱり誰にも必要とされない人間なんだと確信しました。 馬鹿馬鹿しいと思われるでしょう。 だって、不倫なんてそんなもんだから。 自分でもわかっています。 けど、これはあくまできっかけでこれが自殺のトリガーになっただけです。 最近彼とまた会ってしまい、関係を持ってしまいました。 その時、ちゃんとせフレになろっかと言われました。 そう言われた瞬間、少しでも期待していた自分がほんとに愚かに感じました。 別れる時に彼にどれだけ想っているか、だからどれだけ辛いかを伝えたのに、そういうことを言われてしまうような価値のない人間なんだと確信しました。 友達や姉に死にたいと告げると、とても真剣に励ましてくれ、いつでも私の味方でわたしを助けられるなら、どんな事でもすると言ってくれました。 それを聞いて、私はこんなに愛されているんだと嬉しくなり、これで心残りなく幸せな気持ちで死ねると安心しました。 ここに投稿させて頂いたのは、こんな人間がいたのだと誰でもいいから知って欲しかったのかもしれません。 こんな拙い文書と醜い気持ちを読んでくださりありがとうございました。
初めて悩みを書きます。 わたくしは、中学生の時から死恐怖症(タナトフォビア)に悩まされています。 簡単に説明しますと、自分の意志とは無関係に「自分が無になる」という恐怖が脳に入ってきます。医療用語で強迫性障害に分類されます。 一年くらいしっかり働けても、季節や体調の変化でタナトフォビアが重症化し、奇声をあげる、怖くて動機がする、それを落ち着かせるために自傷行為をして生きてる事を確かめる事が続き、それに合併して鬱になり、外に出る事も誰かと話すこともできない日々が続きます。 この繰り返しを何年もしてきたため、会社に就くこともできず、終いには今、無職です。 ただ、死が怖い=生きてればいつか死ぬという恐怖も同時に兼ね揃えています。 つまり、生きてることも怖いんです。 そして今、私は薬で症状を抑えています。 薬で抑えることが出来ると、死ぬことが、酷い時よりは怖くなくなります。 そこで、私は「今なら死ねる」と思ってしまうんです。 生きてる意味も分かりませんし、 死ぬ意味も分かりません、 この世は修行だとか、死んだあとは天国だとか、そんな人間が作り出したエゴや、綺麗事は私には意味がないんです。 「死んだら生まれる前に戻る」という考えがどうしても抜けません。 私は約一ヶ月後、死のうと考えてます でも本当は生きていたいんです 生きてる素晴らしさや奇跡は痛いほど知ってます。 心の矛盾に日々悩まされてます。 どうか助けてください。
浄土真宗で追善供養をしないのは何故ですか? 「追善供養は自力だから」「亡くなった人はみんな極楽に往生して供養する必要がないから」などなど色んな意見があるみたいですが、どれが本当ですか?
毎日びくびくしてます。テロに遭遇するのが怖いのです。 良寛のような心境になるには、 修行をしなければいけないのでしょうか? 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。 死ぬる時節には死ぬがよく候。 これはこれ災難をのがるる妙法にて候。
お坊さんは何故、地域でキリスト教みたいに集いを開いてくれないんですか? 正直 自分さえ良ければいい人達のように思ってます。 昔は昔 今は今 軽薄な世の中で不器用でも真面目な人間は神聖な集いを必要とするものと勝手に考えてます。 というのは自分がそうだからです。 辛い時、よっぽどキリスト信者になろうかと思いました。 家族で一度、説法に呼ばれていったんですが、金の話以外されません。 面倒くさいから私達の事などどうでもいいのですか? 金にならない集いなんて要求する方が図々しいと思うのでしょうか。 失礼な内容ですがずっと聞いてみたくてたまらなくお尋ねしました。 返信お願い致します(>_<)ヽ
はじめまして 誰にも話せないのでこちらでお話しさせてください。 二年前に亡くなった犬の死を受け入れられません 本当は生きられた命を私が奪いました あのこの異変に気づけたはずなのに 仕事に行ってしまい一人寂しく逝かせてしまいました それから別れることが怖くて仕方ありません 別れのない場所へいきたいです 今のこもいつか私の前から消えてしまうと 考えただけでなんともいえない恐怖が襲ってきます もっと強くなりたいのにどうしたら依存せず強くなれますか
尊敬していた方が亡くなり、お通夜に行ってきました。 地域にとっても貢献したお爺ちゃん医師で亡くなるまで現役でやってた方でした。 お通夜の際、下世話な話になってしまいしますが、とっても大きな葬儀で、お坊さんも3人で拝んでました。 一般的に一人のお坊さんが拝むのと、3人のお坊さんがお坊さんが拝むのは、どぅ違うのでしょうか。 例えば、3人のお坊さんが拝んだ方が、故人が成仏しやすいとか、三途の川を楽に渡れるとか、、、
考えすぎですか? 2年前に建売を買い、隣は庭が隣接して低い柵のみ同じ建売会社で 最初は隣に遊びに来てた子供のボールが柵を乗り越えて、子供が勝手に庭に入ることが数回あり、それが嫌で、隣の奥さんは最初は笑顔ですいませんて感じでした 何度もありある日夫が少し強めにやめてと言うと、はぁ?という感じで逆ギレ 驚きましたが夫から隣の奥さんへで恐怖心を与えてしまったと思い反省 隣がBBQを何度もしていて、もし良かったら今度BBQする時事前に言って下さると助かると違う日に低姿勢にお願いをした所(煙草や煙が多く建売だから我慢もしたけど、お願いならば大丈夫かなと思い) 後でその奥さんが旦那さんを連れて「ウチだけに言ってる!?」と感情顕に抗議に 不快にさせてたのだと思い謝罪し 15分程の抗議でしたが不安を感じながらも、とりあえず終わりに 数日後、玄関をでたら隣の奥さんがたまたま通り「ちょうどよかった」といい、BBQについて何で文句言われなきゃいけない!?という怒りを20分程一方的にぶつけ、私は恐怖で謝ってましたがあちらの興奮やまず とりあえず終わりにし…でも手の震えがおさまらず 同じ会社の建売なので以上を伝え、怖いと業者に伝えました 後日業者が隣に話を聞きに行くと 我が家にBBQをするなと言われた!とずっと言ってたと…業者が何とか話を終わりにしました 後日我が家の庭に油付着のサランラップがあり、油で重そうなラップが入るのは不自然…2~3日後消えてました 我が家に柵をつける業者がきた時も業者の声が大きく、その時隣の壁を蹴るようなドンドン!音が… 隣は切れると感情的で何するか分からない感じがとても怖いです でも挨拶は最低限のマナーだから会えば挨拶を。隣は無愛想な返事か無視でした 特に無視以外は何も無かったのですがこの間庭に置いてる物入れの蓋が外れ、変な場所に落ちてて、風でもし蓋がとんだら開く方向的に隣に行きそうな作りで、もし風で外れたとしたら、隣の家が我が家に投げ込んだのかな…と疑心暗鬼 隣は犬がうるさく、庭に放つ時も狂い鳴きが多く、短時間ですが隣を感じたくなく、そういう意味でも嫌です 隣は切れると何するか分からない怖さから、防犯カメラつけようか迷っていますが それはやり過ぎですか?客観的にみて私は怯えすぎですか?疑心暗鬼すぎ? それとも隣は変ですか? 考えすぎか分からず…ご回答お願いします
私の地元に全国的に有名なお寺があるのですが、そこのお坊さんが超高級車であるフェラーリやマクラーレンを長年所有していると知りました。最近は中古価格が1億円を超えることもあるマクラーレンを所有しているそうです。親に聞いて見たところ、昔から地元では有名だったそうです。 私の中でお坊さんと言えば質素な生活をするのが当たり前?だと思っていたので大変驚きました。超高級車を乗り回すなんて煩悩の塊ではないかと思うのですが、お坊さんが超高級車を所有することは仏教の教えやお坊さん達にとって問題のない事なのでしょうか?
いつも的確なご助言を賜り、心より感謝申し上げます。 今回もまた一つ、お伺いしたい点があり、ご質問させていただきたく存じます。 過去質問にある、今年から働き始めた職場が結構ブラックでして、転職活動を行っていました。そしてとある会社から内定を頂きました。 早速、今のところの役職者に話すと「あんたのやった事は不義理だ。なぜ転職したい心境を相談しなかった?」と言われそこから態度が更に冷たくなりました。 私の言い分としては「転職したいので今、転職活動中ですと相談する事自体が失礼にあたると思った」「そもそも組織がブラックすぎて入社後からずっと誰にも相談できる雰囲気ではなかった。」役職者に今回、アポ取る時もかなりトゲのある言い方をされたので、そんな関係性の人へ相談自体する気も起らないし、難しい状況でした。 そして中途採用者は次の転職先を決めてから「転職するので退職させていただきます」が礼儀と今まで考えておりましたが、間違っているのでしょうか? ワンクッション挟んで転職を以前からにおわせておけば良かったという事になりますが、そもそも人と話す気もない人だったのと、部署が違うので話す事自体難しかったです。 かなり礼儀を重んじる組織ですが、職員に対する処遇は人間扱いではないので結構矛盾しています。完全縦社会なので、役職者に対して礼儀を重んじろというように感じています。
私が仏教に興味を持ったのは、ある落語家兼尼さんの著書で仏教と法華経の解説を読んだからです。 私はそれまで大乗非仏説を支持していたのですが、この方の著書を読んで考えが180度変わりました。 ところが、私は不思議とお題目を唱える気にはなりませんでした。天台宗で法華経が顕教だけではなく、密教の経典としても扱われていることを知り、すぐにご真言に興味を持ちました。 ある時、法華経に「一称南無仏 皆已成仏道」と書いてあるのを知り、私はこれをお念仏の教えと解釈し、今度はお念仏に興味を持ちました。 大無量寿経を読むと、お釈迦様が「私が死んでも阿弥陀如来に関する教えがなくなることはない」というようなことをおっしゃっていて、お釈迦様の最後の教えである法華経とも矛盾しておらず、何だか嬉しくなりました。 しかも私は統合失調症という精神病を、軽くですが患っておりまして、「厳しい修行やなんやかんやは無理やけど、阿弥陀さまを信じてお念仏を唱えるだけでいいなんて、なんと大きなお慈悲なんだろう!」ととても感激いたしました。 更に、法華経で「法華経の説く清浄な意根を持っていれば、他の宗教や信条を信じていてもお釈迦様の教えに通じている」と説かれていることから、大乗仏教の裾野の広さ、寛容さを実感し、「みんなで幸せになれる!」とまたまた嬉しくなりました。 長くなりましたが、これって「阿弥陀さまに仏縁をいただいた」と認識しても問題ないですかね? 法華経の解釈とかあくまで自分の解釈なので、勝手な思いあがりかと思い少し心配になりました。
日本には多くの宗派がありますよね。いままで私はお坊さんに対して、「おしょうさん」と呼んでいたのですが、全宗派の全部のお坊さん・・には使えないことを最近になり知りました。 和尚-Wikipediaによりますと・・・ 1.和上(わじょう) 律宗・浄土真宗(儀式指導者に対してのみ) 2.和尚(わじょう) 法相宗・真言宗など 3.和尚(かしょう) 華厳宗・天台宗など 4.和尚(おしょう) 禅宗・浄土宗・天台宗など 5.和闍(わじゃ) さらにさらに、 6.上人 7.聖人 8.そのた 調べれば調べるほどゴチャゴチャしてきました。 みなさんの宗派では、上記1~8のどれをお使いになりますか?祖師にだけ、宗祖にだけ、始祖にだけ、ふつうの僧侶に対して・・などお教えねがえればと思います。
17年連れ添った猫を失い、次の猫も家に来て二ヶ月目に交通事故で失いました。その子はまだ1歳にもなっていませんでした。 なぜあの子達は死ななければならなかったのでしょうか。 なぜ私は失い続けるのでしょうか。 悲しみ以外、涙以外、私は全てを少しずつ失い続けます。 仏様、私はあまりにも愚かです。私には真理を悟ることができません。何もみることができません。 私は死者の出なかった家のカラシの種が欲しい。 あの子が死なずにすむなら、何度でも車の前に飛び出したい。 仏様、私は救済に値しません。もう疲れてしまいました。ただただ疲れてしまいました。