おおらかに生きる
法は法でも世俗の法を学んでいる者です。
しなやかに生きる心構えについてお聞きしたく存じます。
つい先日、法話をうかがう機会がありました。
その和尚さんは「大いなる哉心や」を引いた上で、心に限界を設け縛りつけているのは自分自身だとおっしゃっていました。
法律を学ぶ学生の世界はなかなかにストレスフルです。
学ぶこと、学び続けること自体には不安や不満を感じてはいませんが、誰かと比べられ、数字をつけられ、それをまた比べられ……というプレッシャーに重装備した心で立ち向かい、空回りする日々が続きました。「なるようになればいい」と思っていた頃もあったはずなのに、過去の失敗や将来への不安に囚われ、肝心な時に限って上手くいかないこともありました。何のために法を学んでいるのか、目の前で困っている人に手を差し伸べるためではなかったのかというもっとも根本的なさえ、卒業を前にした今まで忘れかけているような有様でした。
なるほど、私を囚えたのは私自身だったのか。法話に膝を打ってはみたものの、それでは時間をかけてガチガチになってしまった心をどうほぐしたものかと思いあぐねています。いびつな形でありながらも平和に共存している二つの民族が、血で血を洗う戦乱を繰り広げ憎みあった記憶を取り戻すことの意味を問うた小説を読んだことがあります。私もまた心を塗り固めて抑え込むことでやっと踏ん張ってこられたのではないのかという恐れを感じているのです。
巧みなる画師であるところの心にのびやかに過ごしてもらうためには、日々どのように考え過ごせばよいでしょうか。アドバイスをいただけますと幸いです。

有り難し 56

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