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検索結果: 1383件

法事の際に受けた説法が引っ掛かっています

先日、年忌法要の為に帰省したのですが、そこで受けた説法が今も引っ掛かっています。 その説法とは『身内葬で済ますのは不幸なこと』『親族の傲慢』といった内容で、 (忘れようとしているのか)細部まで記憶していませんが、とある事情から恥ずかしながら非常に怒りを覚えました。 その事情とは、年忌の前日に別の親族が亡くなり、事情から親族だけの葬儀にしていたからです。 つまり、その説法と亡くなられた親族が被ってしまい、 『なんて身勝手なことを言うのだろうか』という怒りがあったのだと愚考します。 ただ、親族の代表として向かった手前、怒りを堪えたものの、未だにお坊さんが唱えられた話が引っ掛かっています。 身内だけの葬儀は悪いことでしょうか?確かに親族や友人、知人を呼んで大きく葬式を行うのが一般的でしょう。とはいえ、それが絶対かというと腑に落ちません。 また、説法を行ったお坊さんとは今後も顔を合わせることになるでしょう。 その時にどう顔を合わせたものかと思うと、辛いものを感じます。 (今は説法に対する怒りの感情というより、疑問が凝り固まっているような状態です。) 不躾な文ではありますが、ご教示願えればと存じます。 余談ですが、出来れば浄土真宗本願寺派のお坊さんのアドバイスを頂ければ幸いです。 もちろん他宗の方のお話もお聞きしたいです。

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地獄、輪廻転生について

長文失礼します。Youtubeで地獄という動画を見て個人的にどうかなと思ったので質問させてもらいます。 よく自殺したら地獄へ行く。両親より先に死んだらさいの河原で石を積みあげ、無益な殺生や戦争などで人を殺したりするとそれに対応する地獄へ行き罪を償うと拝見しました。また転生の際は前世の行いによって生まれ変わる条件や生物までもが決められると知りました。欲深く生きていると豚、嫉妬深いと蛇といった感じでした。私にはそれが理解出来ません。 皆仕事や受験で他人を蹴落として上に上にと高みを目指し時には他人を恨みそして欲望の限りお金を儲ける。無益な殺生であれば蚊やゴキブリといった虫を誰もが殺すし戦争であればお国の為にと戦った兵士が何故地獄へ行くのか。自殺した人が地獄へ行くのもどうかと思います。現世でいじめやパワハラ、生きにくい世の中に絶望してその人にとっては楽になりたい、この苦しさから逃げたい、生きている方が地獄だという思いで自殺すると思います。なのに死んでからも地獄は理不尽ではないでしょうか?両親より先に死ぬのにも病気や事故、天災といった理由でもさいの河原で石を積みそして地獄へ行くのはおかしいと私は考えています。 地獄、あの世も時代と共に変化する必要があるのではないでしょうか?自殺した人で地獄へ行くのは殺人などの重い罪を償わず逃げる為に自殺した人は地獄へ、現世で苦労した末に自殺した人は次の人生では幸せな人生を送れるようにするべきです。また仏様はその人が越えられない壁は人生に作らないと聞きましたがその人が壁を越える事ができなかった時のことは考えているのでしょうか? 是非、お坊さんの意見を聞きたいです。

有り難し有り難し 30
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浄土真宗の教えについての質問

浄土真宗の教えについて質問があります。 悟りの反対が迷いだとして、迷った時に阿弥陀様のお力を心底信頼し、私は大丈夫なんだ!と思う事ができたら迷いがなくなる。それは最早悟りで極楽である。という理解でよろしいでしょうか? 仮にその様に考えると、悪人正機説で親鸞様が仰りたかった事は、「迷いの多い人の方が南無阿弥陀はよく効きます。」という事で、善良な市民や、悟っているお坊さんを批判したかった訳ではなく、犯罪者を特別庇った訳でもない。という風に考えられます。 ところが、浄土真宗のお坊さんのお話によりますと、「現在、この世は末法の世界のため親鸞様は生きている間に悟られる事はなかった。」とお聞きしました。 そう考えますと、私が今、いくら南無阿弥陀と唱えようとも悟る事はなく、この世では楽にはなれない。苦しいまま。という事にならないでしょうか? 私は阿弥陀様の本願、お力を心底信頼し、南無阿弥陀と唱えた時の心のあり様が悟りで、極楽浄土ではないかと思うのです。 それとも、極楽浄土という別世界が西のどこかにあって、生きている間は苦しいままですが、死後苦しみのない極楽浄土へ行くのでしょうか? だとしたらそこには何が行くのでしょうか?魂でしょうか?肉体でしょうか?心なのでしょうか? お手数ですが、回答頂けましたら幸いです。

有り難し有り難し 27
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大切な人との死別後の生活、トラウマ

以前にも相談させていただきました。 タイトルにあるように死別を経験し、どうしてもとらわれてしまう思いがあるので相談させてください。 私は今からおよそ3年前に同棲していた恋人を突然病気で亡くしました。今でも思い出さない日はないですが少しずつ普段の生活に慣れているところです。 今は新しくお付き合いしている方ができ、結婚を考え同棲しています。 おそらく彼も、私の両親や周りの人も、私が死別のつらさを乗り越えて明るく生活していると思っていると思うのですが、実際は毎日トラウマに取りつかれているように怖いのです。 私は30代前半で周りには同じような経験をされた方はいなく、不安な感情を吐き出せる場がなくてつらいです。 新しくできた大切な人も、近々突然亡くなってしまうのではないか、そして大切な両親もみんな私を置いていなくなってしまうのではないか、どうせ死別するなら出会わないほうが良かったのか、あの時の気持ちをまた味わうのがたまらなく怖いのです。 毎日離れているときなどはどうしても考えてしまいます。 夜、帰りが遅くなった彼を死別の状況と重ねてしまい一人部屋で具合が悪くなります。(動悸や吐き気など) 今の自分ができることは時間が経つのを待つこと、亡くなった彼のお祈りすること、くらいで・・何かほかにできることはあるのでしょうか。 せっかく幸せな時なのに苦しいです。 彼にもあまり心配をかけたくなく、いまだに死別のトラウマに苦しんでいると言えません。 お坊さんでしたらたくさんの死別された方からの相談をお受けされているだろうと思い頼らさせていただきました。 状況を変えることは難しいと思われるので心の保ち方や、これから生きていく中での心構えなどお知恵を御貸し出来たら幸いです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 7
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愛犬を失った悲しみと後悔がとまりません。

数日前、私の一番の宝物だった愛犬(プードル)が亡くなってしまいました。まだ5歳でした。 死因は、父の運転する車にひかれてしまったことです。決してわざとではなく、単純な確認ミスでした。 そして母はその一部始終を見てしまいました。プードルちゃんの小さい体が車の下敷きになる直前の表情からその体が下敷きになって、やがて冷たくなっていくまで、ずっと。 私はその時現場におらず、一報を聞いて急いで帰宅し、遺体を見て触れ、その事実を知りました。 私を虚無感と深い悲しみが襲いましたが、その事実を知り、両親の苦しみを思うと気持ちはさらに混乱しました。 私は少し憤っているのかもしれませんし、自分がその現場にいれば違っていたかもという後悔もあります。 しかし自分より苦しみが深いであろう両親には絶対に気持ちは言えませんし、両親の苦しみがあまりにも深いため、自分が満足に心ゆくまで悲しむことが出来ずにいるような気もするのです。 両親は自分たちが殺してしまったのだとずっと苦しんでおり、その苦しみは計り知れません。 大きな後悔と深い悲しみと少しの憤り、これらを私はどうしたら良いのでしょうか。 そして、なにをしてあげたら亡き愛犬の魂は楽に、幸せになるのでしょうか。 皆さま、教えてください。 よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 92
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2023/08/11

怒りがわかりません。坊様になるべきですか

 幼少期より全く怒らず、一度だけ親の理不尽に怒りのような行動を取った時、「お前が怒るなんて初めてだ、珍しい」と驚かれたような身で、今年で36歳です。  怒りは問題解決に繋がらず、周囲との軋轢を生むだけの無駄な感情発露で、メリットのない行動。お坊さんの中にもそうした本を出された方がおり、共感以前に何を当たり前なことを言っているんだと思いました。一方、人間は当然のように怒り、怒りを持たないことなどできないと口々に言いますが、それが何故なのかがわかりません。お前は何故怒らないんだと言われた時は、怒りでは物事が解決せず、解決のためには冷静な分析からの問題対処が必要だと説明し、結果的にこれまでほとんどの問題が解決できました。その手法も相手を救うものであり、万引きに対して通報や出禁ではなく、相手の経済問題やスリルを満たす感情の解決という方法などで対処していました。  しかし昨今、人生全体で見た時に、次々に別所・別件で発生し続ける問題に対するもぐらたたきに疲れてしまいました。毎回問題を起こしている人と当たる時、ほとんどの人が相手を敵と認識して怒りをエネルギーに用いて、その人との戦いそのものと、勝利から大きな快楽を得られているのに対し、私は善意と義務感を持って行動するため戦いでエネルギーを消費し、解決から得られる快楽も大きくありません。怒りとは問題解決を結果で見た時には無意味でしたが、問題解決のエネルギーとしては非常に効率的で、それこそ石炭石油エネルギーのような役に立つものと気付きました。  ところが、既に私の体は怒りエネルギーを発生させない、及び、エネルギーに転換できないように作られており、世間一般で怒りの対象になりがちな転売や政治などの問題に対しても、全く怒りがわかず、どうすれば解決するのだろうかと考えてしまうだけでなく、それに対して怒る人々の気に当てられての疲労が重なるだけです。  知人は「お前のその性質は坊さんの誰もが求めるものであり、それを持つお前は坊さん極めて向いている。坊さんになるべきだ」と言いますが、仮にお坊様になったとして、私には空海様のように即身仏となりて世界に祈る以外に未来が見えません。 1:私はお坊様になるべきでしょうか? 2:なったとして、私は何ができるでしょうか? 3:今からでも怒りを持ち、相手を攻撃して快楽を得るトレーニングはあるでしょうか?

有り難し有り難し 4
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死んだ猫の供養について仏教の考え方は違う?

ウチの家は西本願寺系なので、ペットの供養を頼みにそこそこ有名な寺に行きました。 するとどうでしょう、御坊が言うには「あなたの気持ちはわからないこともないですが、そもそも宗教というものは、人の幸せを願ってできたもの。ゆえに人の供養、御先祖様の供養はしても、動物は言葉も発せず、理解もできず、ただただ人が擬人化したものにすぎません。人は人、動物は動物とお考えて下さい。ゆえにその動物のための法要はしません。」と・・・ 以前猫の死んでここで相談した時、「必ずやそのこは仏様のもとにて心安らかに成仏なさいます。そしてこらからもあなたをお見守りなさってくださいます。 いずれあなたの生命が全うされた時にはあなたは仏様のもとにてそのこに必ず巡り会います。そして以前のように親しくなさることでしょう。 」と書かれておられ私も喜んで頼みに行ったのですが・・・ その時は口では言いませんでしたが、「御坊だって、木や金属でできた像を拝んでるじゃないか!思いが大切なんだよ、思いが!オマエさんにはガッカリした!」と思って帰りました。 ウチが火葬を頼んだ東本願寺系は予約をすれば猫の法要しますと書いてあるのですが、動物に対する供養は、同じ仏教の浄土系のお寺、お坊さんでも考え方は違うのですか?

有り難し有り難し 92
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