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検索結果: 232件

亡くなったペットの気持ちと生まれ変わり

先日ご相談させていただいたものです。 3月のはじめに愛猫を亡くし、生まれ変わってまた再会できることを信じて、毎日自分なりに供養をしながら過ごしています。 いまだ気持ちが追い付いてきません。嘘ならいいのにと何度も考えてしまいます。 私は普段から野良猫のお世話や避妊などもしています。 その子たちはまた別の可愛さがありますが、不思議と連れて帰ろうという気持ちにはなりません。 ところが、あるペットショップのサイトを見ていたらなんとそっくりな子猫がいたのです。どの写真を見ても似ていて、愛猫が撮った写真と同じポーズの写真まであり驚きました。 はじめは、猫を「買う」ということに抵抗があったのと、まだあの子が亡くなって2週間ほどでしたのでそんな気持ちにはなれませんでした。 でもつい毎日その子の写真を見に行ってしまいます。 まだ写真しか見ていないのに、その子に愛猫の面影を重ねてしまいます。 その子も愛猫と同じく体が弱いようでした。結局、気になって仕方がないので家族と話し合いおうちへ迎えることにしました。 実は写真を見たとき(もしかして生まれ変わりなんじゃ?)と思いました。 でも愛猫が亡くなるより3か月も前に生まれた子です。 生まれ変わりに時間軸はないとどこかのサイトに書いてあったのですが、同時にこの世界に存在しているのはさすがに混乱します。やっぱり違う子ですよね… 生まれ変わりであればどんなに嬉しいか…でもそれを確かめる術はないですし、その子はその子として迎えるべきですよね… 主人には、もっと自然な出会いを待ってもいいんじゃない?と言われました。特に反対はしていませんが、あの子の生まれ変わりではないと思っているようです。 私自身、あの子の生まれ変わりを信じて待つといいながら、亡くなるより3か月も前に生まれ生まれ変わりではないと思いながらその子を飼うと決めたことに罪悪感があり、愛猫に申し訳ないです。 ただ似ているから家に来てほしかったという私の我儘ですよね… これから先、もしピンとくる出会いがあればまた迎え入れることもあると思います。 勝手な想像ですが、四十九日前で、暗くて長い天国までの道を一人で歩いているかもしれないあの子は新しい子を迎えることをどんな気持ちで見ているのでしょうか? 僕は一人なのに、こんなに早く新しい子を迎えるなんてと、寂しく思っているのではないかと心配です。

有り難し有り難し 17
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もうすぐ、飼ってる犬にお迎えが来そうです。

こんにちは、ご質問させて頂きます。 歩いて5分ぐらいの所に祖父母の家があり、犬を飼っています。一時祖父母とも同居していましたので、犬と一緒に過ごし、一緒に旅行に行ったりした事もありました。 それから15年ほど立って、おととしぐらいから徐々に弱り、とうとう2月に入って寝たきりになり、ここ2日ほどで水も飲めなくなってしまいました。 犬にしてはとても長生きでしたし、やはりこうなっては覚悟を決めなくてはと思っているのですが、自分の気持ちをしっかり保っているのがやっとです。 犬には仲の良かった猫がおり、その猫は先に亡くなってしまったので、きっとあの世に行くときは猫が迎えに来てくれると信じてみたり、きっとまた生まれ変わって会えると信じてみたり、 色々考えて自分に言い聞かせていますが、 それでも、どうしても今にも消えてしまいそうな犬の命の死を正面から受け止められません。だから犬と会うのを何となく避けてしまっています。 どうしたら気持ちに整理をつけて、最期の瞬間を迎えられるでしょうか? 犬にどうやって感謝の気持ちを伝えたら良いのでしょうか。 私は気持ちの切り替えが苦手で仕事も手につかなくなってしまっているので、 自分の心を整理するためにもお教え頂ければと思います。

有り難し有り難し 41
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2021/10/28

死に時を決める

去年亡くなった愛犬と仲良しだった愛猫が後を追うように病気で亡くなりました。 愛猫は愛犬に会えたでしょうか? 今はもう苦しんでいないでしょうか? そんなことは誰にも分からないことは 理解しているのですが、 心配でしょうがなく、 とても苦しいのです。 この苦しみはどうしたら 和らげることができますか? また、私は学生時代から 自殺願望があり、一時期自殺未遂で 入院したりしていましたが、 現在は立ち直り、一点を除けば まあ普通に楽しく生活しています。 私は飼っている動物たちを みんな看取ったら 死のうと思っています。 そのことについて自分的には 悲しいことだとは 思っていないのですが、 周りの人には理解されません。 もっとも愛する両親を遺して逝くのは あまりに酷い仕打ちだとは思いますが、 両親が天寿を全うするまで この世に留まるのは 私にとってとても苦痛です。 その理由が先ほど述べた 「ある一点」なのですが、 自分の死は怖くないけれど、 愛する人たちの死が本当に恐ろしく 毎日怯えてしまうのです。 例えば家族が出かける前に 「気をつけてね」と言わないと 事故に遭うんじゃないかと 帰ってくるまで不安で ソワソワしてしまいます。 まるで自分で自分に 呪いをかけているようで、 解き方がわかりません。 精神薬や精神科医では 解けませんでした。 そういうことの繰り返しに 疲れてしまいました。 なので、愛するペットたちをみんな 看取ったらもう終わりにしたいのです。 自分の死に時を自分で決めることはそんなに悪いことなのでしょうか。

有り難し有り難し 13
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平常心を保ち、今この瞬間に向き合う方法

初めまして、どうぞよろしくお願いします。 7歳の飼い猫が末期の癌と診断され、手の施しようがないと言われ現在自宅療養をしています。すごく悲しい言い方ですが、自宅で緩和ケアをしながら最後の時間を私たちと過ごしてくれています。 今一緒にいられる時間の大切さを噛み締めて毎日を過ごしていますが、つい過去を振り返って後悔したり、いなくなってしまった後のことを考えて泣いてしまいます。 また、食欲が落ちて大好きなごはんを食べたがらない姿を見て落ち込んだり、歩くときにふらふらする姿や薬の副作用で苦しむ姿を見て悲しくなったりしてしまいます。 そこで、厚かましいですが以下3つの質問をさせてください。 1. この子が今まさに生きてくれているこの瞬間に感謝し、今一緒にいられる時間にきちんと向き合って悔いなく過ごすために、過去や未来に行きがちな意識を「いま、ここ」に集中させるにはどうしたら良いでしょうか? 2. 私が悲しんだり落ち込んだりすると、優しいこの子にも伝わって、きっと心配をかけてしまったり悲しませてしまうと思います。小さなことに一喜一憂せず、できるだけ平常心を保って穏やかで幸せな気持ちで接するためにはどうしたら良いでしょうか? 3. 猫は亡くなったあと生まれ変わりますか?それとも死後の世界(虹の橋?)で私を待っていてくれるでしょうか?生まれ変わりでも死後の世界でも、どんな形でも何年かかってもいいので、宝物のこの子にいつか必ずまた会いたいと思っています。 長くなってしまい大変恐縮ですが、ご回答をお待ちしております。どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 15
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2021/06/23

子猫をひいてしまった。

はじめまして 昨年大怪我をした猫が自宅庭に血だらけで来ました。動物病院へ相談をし餌を置いて馴れさせ捕獲して治療をしてもらい、結果罠にかけられ足先が無かったため外に戻すのは難しく家の中で飼育することに。 他に犬も飼っているのでこれからは自宅で飼うのは難しい為、それから来る子は去勢をして外へと戻していました。 1週間ほど前に母猫と4匹の子猫が来るようになり、小さいうちなら里親さんも見つかりやすいと思い保護しようと話していましたがまだ母猫から離すのは可哀想だと思い様子をみていた矢先、うちの車のボンネットの中に子猫が入っていたのを気づかず仕事へ向かいました。 主人は車に乗る前は車を叩いて乗っていないか注意して下回りも確認していました。なのでまさか乗り込んでいた事とは夢にも思わず車を走らせました。 20分ほど走って信号待ちして発車したときに何か踏んだ感じがありました… 助手席にいた私がミラーを見ると家に来ていた子猫ちゃんでした。 訳が分からなくなぜここにいるのかパニックになりながらすぐに引き返しましたがすでに亡くなっていました。 動物霊園に連れていき火葬してもらい共同墓地へ入れていただき、事故現場へお水と塩でお清めしました。 帰ると母猫が悲しい声で私を見て鳴きそれからずっと子猫を探しています。 その夜に1匹の子猫と1度だけ来ましたが他の子猫も来ません。 今は母猫だけしか来なくなり他の子猫はどうしたのか、まさか車に乗っていてどこかへ落としてしまったのか。 苦しくて苦しくて気が変になりそうです。 頑張って20分近くも車の中にいてやっと出れたのにひいてしまったなんて。 子猫が夜中に来てご飯を一生懸命食べている姿や母猫のシッポで遊んでいる姿が脳裏から離れず泣いてばかりの日々でどうしたら償えるのか、こんな酷いことをしてしまった事の後悔でいっぱいです。 もし餌やりしていなければ家に来ることもなく大きくなれたのに。 守ってあげるつもりが自分たちのせいで命を終わらせてしまったこと。 良かれと思ってやっていた事が間違えだったのか。今は何も考えられません。 猫の餌やりの場所にカメラを付けて家の中で見ているのですが、昨晩オーブの様な白い丸いものが長いこと漂っていました。 子猫が成仏できないのでしょうか。 今後どう償えばよいのでしょうか。 長文ですみませんが、よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 27
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2024/01/20

もう十分生きました、もういいんです。

お世話になります。 以前こちらで、夫に腎臓を移植し、その後亡くしてしまった話を聞いていただきました。 夫が亡くなって、もうすぐ一年になります。 その間、自分がこれから生きていく意味をずっと考えていました。 私は夫と少しでも一緒にいられるようにとの思いで、腎臓を一つ夫に贈りました。 しかし、移植手術から夫は一度もまともに歩くこともできず、さまざまな病気を併発し、入退院を繰り返し、難病にまで罹り、最期はコロナに罹患し、それを起因として突然逝ってしまいました。 夫の延命を願い、私から提案した移植手術は、結果的に夫に更なる苦しみを与えることとなりました。 今は夫の死に対する責任と後悔の念に囚われ、押しつぶされそうになっています。 正直に言えば、生きている意味を見出せないのです。 私には趣味がいくつかあり、今後もそれを続けていける環境にありますが、もうそんな事もどうでもいいと思うほど、生きていくのが嫌になっています。 もちろん自分から死を選ぶ事はしないと思いますが、このままただだらだらと生きていて何の意味があるのだろうと、思うのです。 そんな話を、友人や知り合いにすると、皆、私の思いに寄り添ってはくれず、ただ「考え方が極端」だの「まだ若いじゃないか」だの、私にとってどうでもいいような事を言い、話題を変えようとします。 誰も、そんなネガティブな話など聞きたくはないでしょう。 それは仕方ない事だと分かってはいても、もう誰も私の気持ちに寄り添ってくれないのだと思うと、どこにも自分の居場所はないと思ってしまうのです。 もう十分生きました。 この世の苦しい事、辛い事、悲しい事、少しの楽しい事、たくさん経験させてもらいました。 自分には無理だと思っていた結婚もできました。 子供はできませんでしたが、かけがえのない人と一緒に30年も暮らす事ができました。 もういいのです。 今年で60歳になりますが、60年も生きて来れて、もう十分です。 最近は、寝る、食べる、お風呂に入るといった、当たり前の事が面倒で、外に出る用がなければ、かなりめちゃくちゃな生活をしています。 ただ、飼い猫がいます。 この子を残していく事だけは、どうしてもできません。 たった一つ残された希望は、ここで、どなたかに私の思いを受け止めていただけたら、寄り添い支えてくださる方がいらっしゃればという事だけです。

有り難し有り難し 28
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「死にたい」という言葉に囚われています

本当に死にたいわけではないのに、何に対しても「死にたい」って思ってしまいます。 例えば後悔した記憶や恥ずかしかった記憶を思い返しては「なんであんなことをしたんだろう死にたい、死ねばいいのに」って考えてしまったり、楽しい事があっても「私なんかが楽しんでいるなんて許されないから死にたい」と、そういう風に考えたり口に出す癖みたいなものが昔からあるのですがここ数年それがとても酷くなってきて、どうしたらいいのかわからずにいます。 酷くなった引き金は、生きがいだった愛猫が病気で亡くなってしまい、再就職に失敗したからです。現状実家暮らしのフリーターな事もあり自分への失望感や負い目が酷く他人との関わりも極力避けるようになりました。 自分が落ち込んだり悲しんでいると心配してくれる家族がいます。楽しいと感じることも嬉しいと感じることもこれからやりたいこともあったと思います。 でもすべてが「死にたい」という言葉に直結してしまって、酷い息苦しさと八方ふさがりのような、生きにくさみたいなものに囚われています。死以外に道はないぞと自分自身で言いきかせているようで怖いです。 どうしたらこのような気持ちに囚われず前向きに生きていけるのでしょうか。ご意見聞かせて頂けたら幸いです。

有り難し有り難し 26
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死ぬのが怖くて仕方がない

怖いこと 自分の命が有限なんだと 毎日ふとした時に感じられて 今在る私がいつかバラバラになるのだと思ったら 怖くて怖くて仕方がない。 目の前の現実世界が 崩壊していく様な気がして そうなるとそれ以上耐えられなくて 思考も動作も停止して、 背中が冷たくなるようです。 動物のひた向きに生きる姿は、 尊敬に値するものだと思ってます。 一生懸命生きている、 素晴らしい存在です。 しかし最近、 某福祉施設内で個人的に可愛がっていた老犬が 恐らく病気で死んだことや、 道の途中で事故にあったらしい猫の死体を見たことで、 死というものは誰にも容赦なく 愛しい存在でさえ突然命を奪っていくのだ、という 現実に向き合わされました。 それが翻って、 私にもいつかその番が、と思ったら 怖くなりました。 この世界から、 ある日消えて無くなるという現実が 急に見えたのです。 私は既にいい大人ですが、 昔から体が弱く気も小さく 器量が悪くて会話も下手で、 他人から嫌われて暴言暴力に遭うことも多いので、 明日がくることは恐怖でしかなく、 自殺を考えることも多いのですが。 現実の「死」はあまりに残酷で心で 受け止めることができない。 犬は病気で苦しかったのでは? 猫の遺体は酷い怪我をしていたので、 想像つかないほどの痛みの中で、 亡くなったのかと思うと、 本当に本当にかわいそうで、 そのような「死」が重過ぎるのに、 死の世界は実は日常と隣り合わせであり、 怖いという感情に襲われます。 仏教ではこういう問題には どのように考えますか? いつか必ず死ぬ運命を どのように受け止めたらよいですか? 動物に執着し過ぎるのは 良くないという意見は 人間の都合しか考えてないと思いますので、 ご遠慮頂けますか? 地球上で今もたくさんの家畜が 人間の為に犠牲になっていると思うと 暗澹たる気持ちになります。

有り難し有り難し 148
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