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検索結果: 153件

忘れたい

ごんばんは。 最近強く思う悩みについて相談させて下さい。 今は30歳で結婚もし、子供もいます。 小さい頃からと言うかずっと続いているなやみがあります。 小学生の頃から両親の仲の悪さに悩み、実の姉から性的虐待を受けていました。 私が大きくなるにつれて母の期待が重く、常に監視されている様に思えました。 実際友達との電話を聞かれたり、すぐ発狂する母が私は嫌いでした。 高校の頃、私は母に反抗をして家出をしてしばらくは親戚の家へお世話になる事になり、少し落ち着いた気持ちで過ごせていたのにある日、母か突然来て、人殺しー!!とか外で騒ぎ出しました。耐え切れず私は、もう二度と私の前に現れるな!と母に言いました。 母はそのまま何も言わず帰りました。 次の日、父から母と祖父(母の父親)が行方不明だとしらされ、家族、親戚で捜索しましたが見つからず。 3日後に近くの池で遺体が見つかりました。 警察によれば、母が入水自殺をしようと池にはいったのを祖父か助けようとして一緒に溺れてしまったのだと。 母と祖父は私のせいで死にました。 父はその頃から私と合わず、一昨年まで一緒に住んでいましたが私が家を出る形になりました。 私は2回目の結婚です。 今は凄く幸せです。ですが、私がいると、私が生きていると、周りの人がみんな不幸になる気がして毎日いたたまれません。 母や祖父、父の様に家族を不幸にするんじゃないかと。 忘れたいのに忘れられません。 どうか助けてください。

有り難し有り難し 35
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「喜怒哀楽」から抜け落ちた「怒」

私は、今でこそ生き抜く為の知恵の1つとして、「怒」も必要ではないかと思っています。がしかし、昔の私は「あなたには喜怒哀楽の怒が抜け落ちているのではないか?」と言われ続けてきました。一番分かり易い例を上げますと、中学生の頃、私は酷い「イジメ」を受けていました。体も心も、いつも傷だらけ。精神的な苦痛だけでなく、肉体的な苦痛も味わう毎日。具体的に申しますと、グロテスクな内容になりますので、控えさせていただきます。でも、私はいつもいつも笑っていました。親にも先生にも相談することが出来ないまま…。卒業式が近付いてくると、先生方から、いろいろな言葉が書かれたカードのようなものをいただくようになりました。書き出しは、どの先生方も同じ言葉がおどります。「笑顔の素敵なトラスさんへ」「smile & intelligentなトラスさんへ」。まだまだ情報化社会でもない、スマホ等の媒体もない、SNS等の伝達手段もない時代。その時代に、1人、ひたすら「自殺」を考える日々を送っていた私には、その「笑顔」の「裏」にある苦悩を全く気づかれなかった、また、私自身、伝える、助けを求めることが出来なかった、結果、先生方はイジメに気付けなかったのだなと痛感した記憶があります。しかし、何とか卒業式の日を迎え、帰り道、ある友達が、別れ際に、こう言いました、「みんなでゲームしてたんだよ!誰がトラスさんを怒らせれるかゲーム!」と。唖然としましたね、「え?ゲーム?何それ?」と。子どもにとって、「イジメ」は「ゲーム」の1つなのです。 最近、よく児童・生徒等の子どもの自殺問題が注目を浴びています。多くの尊い命が失われています。「怒」の無かった私は、中学時代、辛い毎日を過ごしていた当初から、「イジメ=殺人」だと思っていました。大人になった今、私は問いたい!!!『イジメ=ゲーム→殺人』、この流れ、お坊さまの皆様はどのようにお感じになられますでしょうか? 今でこそ「怒」の必要性を痛感した経験から、時には「怒る」ことも大切だと思えるようになった私ですが、今思うのは、『イジメ=ゲーム→殺人』、そういう事象は、子どもの社会でも大人の社会でも残念ながら存在し、消えることなく存在し続けるのではないかということです。ちゃんと「喜怒哀楽」の感情表現あってこそ人間であり、どの感情も大切にしていかなければならないと、私は思っています。

有り難し有り難し 17
回答数回答 3

父の臨終の席で。

お坊様にはいつもお世話になっております。 やっと今、言えます。 父が亡くなり三回忌法要も終わり暫く経ちました。 実は父の危篤の知らせがあり、病院に駆けつけた時に父の妹も来ました。 父が息をひきとり、病室で私は父の妹に父が私にだけ言い残した、父の妹に対するマイナスの思い出を叔母(父の妹)にぶつけました。 私は仕返しのつもりでした。 実は祖母が老衰で87歳で亡くなった時に祖母の遺体にしがみつきながら叔母が何を言うかと思えば「おはあちゃんが亡くなったのは○○ちゃんがおばあちゃんに優しくしなかったせいよっ!!」と大声で言い放ったのです。 私は20歳でした。今でもその時の自分の様子を覚えています。キーンと耳鳴りがしました。 祖母はうそをついていて叔父と叔母に私から苛められていると言っていたのです。叔父と叔母は私がいくら「暴力を振るわれているのは私で苛められているのは私だ。」と言っても信じなかったのです。 最終的には人殺し扱いでした。 祖母は老衰で87歳の天寿を全うしたのです。しかも病院で亡くなりました。手厚い看護も受けています。 それから暫くして私は仕事のストレスと家庭での虐待が原因で病みました 中学生の時には祖母の言いがかりについ言い返してしまったらアルミ缶で顔を殴られ、眉間から血が流れました。それでも黙って耐え、一人で病院に行きました。夕食の時に父に「人に怪我をさせておいて謝らない年寄りを何とかしてくれ。」と言ったら父は「相手が年寄りなのによけられないお前がバカだ。」と言われました。 悔しくて涙も出ませんでした。 それでも学校には行かなくてはなりません。気持ちを切り替えて学校に行きました。 父が亡くなった時に叔母に仕返しをしましたが、、気分がスカッとした訳でもなく、落ち込む訳でもなく淡々としていました。 もうこれで叔母との決着はつきました。 お坊様、私は小学校低学年から家で泣くような出来事があっても学校に行くときには自分で自分をなだめて気持ちを切り替えて、学校に行っていました。普通は親が子どもをなだめるのですよね。一般的な人は大人になってから気持ちを自分で切り替えて、、をやると思うのですが、、。 乱文、長文失礼しました。

有り難し有り難し 23
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葬式は世間体でするものなのですか?

先日、舅が他界しました。 舅には大変申し訳ないですが、覚悟は出来ていたので主人と葬儀等のことを話し合っていました。 私は今、普段でも普通の40代の生活は送れておらず、休み休み生活しています。 だから応対とか無理なので最小限にさせて頂こうと決めていました。 近い親戚にも伝えてありました。 しかし舅他界→隣に住む親戚に伝える→親戚が組の人に連絡→組の人が家に集まる→(舅はあまり人づきあいがないのに)町全体に知らせる→私は家で応対 そして遺族の意思はそっちのけで通夜・葬儀は決まりました。 そしてキャパを超える人に来て頂き、食事・お菓子が足らなくなり、なぜか主人が親戚から叱られ、私は通夜の晩、一睡も出来ませんでした。こんなこと怖くて主治医の先生に言えません。 火葬場ではめまいがして倒れそうになりました。 なにより悼む暇もなく舅は骨になってしまいました(涙) 少し話はそれますが、菩提寺のご住職様に枕経に来て頂いたとき、枕経が終わって、ほぼ間もなくご住職様から「お布施は」「脇導師は4人で」とか言われたことも驚きました。 私は葬儀が不要と言っているのではありません。 むしろ大切で難病と言われた私は自分の葬儀を自分で決めて死にたいなと思っているぐらいです。 実は3月に猫を亡くした時、お経をあげて頂いたお坊さんは優しく「大丈夫ですか?良かったら(猫)ちゃんに家でも手を合わせて下さいね。きっと喜ぶから」と悲しみに寄り添って頂いたとき、人間と一緒にしてはいけないだろうけど悼み、供養していくのは遺された者のためなんだなぁとしみじみ思いました。 ただ遺族に見合った形で故人を見送ることがそんなに許されないことかと主人に言ったら、普段は温厚な主人が「葬儀はな、所詮世間体でするもんなんや!」と怒ってきました。 だから冷静に伝えておきました。「私の葬儀を世間体でしたら必ず化けて出ますから」と…。 世間体で出した葬儀で私は死にかけたんですけど…。 まっ、難病=怠け病って言う人もいるぐらいで理解され辛いので仕方ないなと思うこともありますが。 完全アウェーの状態だったので第三者の方のご意見が聞いてみたかったのです。やっぱり私が変なのでしょうか? 体だけじゃなく頭もおかしくなったのか不安なのです。 後回しで構わないのでお時間があるときに回答下さい。お願いします。

有り難し有り難し 64
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なぜ死んではいけないのか

はじめまして。お忙しい中、この質問を見てくださってありがとうございます。 表題の通り、「なぜ死ぬことが悪いのか」ということを教えて頂きたいです。 決して、今から死ぬということではありません。ただ、「いつ死のうかな。早く死にたいな」と思って生きています。思い上がりかもしれませんが、私が死んで悲しんでくれる婚約者や姉兄がいるのは知っています。それでもどうしても死ぬことを考えてしまいます。考えないように「命は尊い」と思い込もうとするのですが、イマイチぴんときません。 私が初めて死のうと思ったのは5歳の時でした。物心ついた時から両親の怒鳴り声の絶えない家庭でした。親のことはあまり思い出せませんが(理由はプロフィールに簡単に記載しております)、父親は私が言うことをきかないと決まって「じゃあお父さん今から死ぬわ。お前が言うこと聞かないから死ぬ。お前のせいで死ぬ」と目の前で自分の首を絞める振りをしたりしていました。幼稚園に入るか入らないかくらいの年齢だった私は、本能的に「死ぬ」ということがとても怖いことだと思って泣きながら謝っていました。 そのせいなのか、気付いたら私の中の「命の価値」は相手に言うことをきかせるためのトレード品程度になってしまいました。 5歳の時に死のうと思ったのは確か、家族の誰かと喧嘩をしたので自分の言うことをきかせるためだったと思います。そして少しばかり「お前のせいで私が死ぬんだぞ、責任を感じろよ」と思っていました。 大人になった今でも、どうしてもわかりません。「神から授かった命」とか「地球より重い」とか言われても全く頷けないのです。自分の命は交渉材料でしかありません。私が今死んでいないのは今まで自殺に失敗してしまった経験から二の足を踏んでいるためです。「生きたい」と思えません。死にたいとこぼすとそんなこと言うな!と頭ごなしに叱られますが、結局どうして死ぬことは悪いのでしょうか? 自分なりに考えても答えが出なかったので、皆様のお考えをご教授いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 109
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葬式をあげてほしくない

死後の事についてご相談があります。 私は宗教という考え方やそれに基づいた慣習、イベント自体は好きですが、私自身が何かの宗教に属することは避けたいと思っています。 私の知る上では各々の宗教の考え方と私自身の観念が合うことが少ないからです。 ただし、宗教のパロディである空飛ぶスパゲッティ・モンスター教には共感いたしておりますので、自称するときはパスタファリアンを名乗っています。 そこで、私が死んだ後、葬式をあげてほしくないと思っています。 特に仏教式の葬式です。 なぜなら、戒名をいただいた時点で、仏教徒になってしまい、仏教という枠に囚われてしまうからです。 悟りも輪廻も御免被りたいです。 衛生的な観点からは火葬自体はしても構わないのですが、法律が許しませんが、できればその後はゴミ箱にでも捨ててもらって処分してもらいたいと思っています。 家族にそのことを話すと、死んだら終わりだから死後の事など心配するなと言われるのですが、そうではなく、私がそのくくりにとらわれてしまうことを決定づけられることが不服なのです。 死後の世界云々は信じておりませんが、生きているうちはそのことが囚われであり、心配であります。 ただ、信じずとも無いことの証明は極めて難しい以上、ある可能性は0ではないというのが論理であり、公理です。 (論理、公理とは数学上の意味です。) ですから、その0ではない可能性で、仏教の枠に入ることで、悟れなければ輪廻を繰り返してしまうという観念に囚われてしまっているのです。 ただし、重ねて申し上げますが、悟り自体は御免被ります。 渇愛は人間の人間たる、また、人間の動物たる所以と思います。 私は人間らしさを捨てたくはありません。 仏教に従事していらっしゃるお坊さま方には相容れない考え方かも知れませんが、これが私の中の公理です。 さて、これは私の考え方を変える努力をして見たほうが良いのでしょうか? それとも、家族を説得するようにしてみたほうが良いのでしょうか? 相談する相手を間違っているような気もしますが、意見を伺えるかもしれない機会を捨てることはないと思い、ご相談差し上げます。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 411
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私はどうすればいいですか。

第一子を迎えました。息子は産声をあげることなく、生まれてきました。同意の上での中絶でした。 私が殺しました。唯一の母なのに、守ってあげることが出来ませんでした。分娩で3日陣痛に耐えました。息子はもっと苦しく辛い思いをしながら亡くなったと思うと、後悔が絶えません。 私が、殺したのです。自ら診察台に行き、逃げることも出来たのに 薬を入れたのです。最後まで息子は生きたいと願っていました。亡くなる前日に初めて胎動を感じました。母である私に最後まで助けを求めていました。 とても小さな息子は、天国まで行けるのでしょうか。まだ何も出来ない息子は1人でも大丈夫なのでしょうか。私はまだ何もできていないのです。息子にまだ、何もしてやれてないのです。母として、最後までついていてあげたいのです。ずっと一緒に居たいのです。お地蔵様が親代わりとなって…と話を聞きました。しかし息子の母は私しかいないのです。私がたった一人の唯一の母なのです。 どうしたら一緒に天国へ行けるのでしょうか。息子を殺したのに天国へ行きたいのです。ずっと一緒にいてやりたいのです。 彼も私の母も生きていることが供養だと言います。私はそうは思えないのです。自分を殺した人に生きていてほしくないと思うのです。幸せになってほしくないと思うのです。息子に唯一出来る私なりの償いだと思うのです。共に生きてあげることは出来ませんでしたが、共に逝ってあげることはできるのです。私ができる唯一の母らしい事だと思うのです。 最後まで最低な母でしたが、やっと息子のために出来ることを見つけられた気がしました。 まだ小さな息子にできる、母として唯一の事だと思うのです。

有り難し有り難し 113
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死ぬと地獄行き

すいません。後から気づいたのですが2回同じ質問してしまってました。 こっちが本当です。 私の学校は仏教の学校です。 学校でのお坊さんの教えでは生きてるうちに良い行いをすれば極楽浄土へ行けるといったものでした。 私はそれを信じて今までちょっとした発言や行いで人を傷つけてしまったことを悔いてそのことを今一度悔いて謝ろうとも思っていましたし、少しでも人のためになるような良い行いをしていこうと心がけどのようにすれば良い人間になれるのだろうや一度罪を犯してしまうとその人は救われないのかなどいろいろ調べていると、たまたま見た記事に日本人はみな地獄行きというのがあり怖くなりついつい見てしまったのです。 するとそこには虫などを殺すと地獄行き、お酒を飲めばもっと怖い地獄行きなど他にも地獄レベルが書いてあるのがありました。 それはお坊さんが知ってることなどが書かれていたのです 私は、最近では虫を殺すのは悪いことだと思い今では蚊すら殺してなかったのですが今までは殺してしまったりしてました。 私達は、今までは罪を悔いて良い行いをしていれば人に好かれる人間にもなれるし極楽浄土へ行けると信じてきましたし地獄は殺人や人を傷つけても平然と後悔することなく生きている人間が反省するための場所と思っていました。 なのにそんな事実をつきつけられ私は、どうすればよいのでしょう。 1日1日を良いことをしても、どうあがいても逃れられない地獄へ行く恐怖をもちながら生きていかねばならないのでしょうか? 今まで学校で教わった教えはなんだったのでしょうか? すぐ泣いてしまう私なのにショックと信じられないという思いですぎて涙もでません

有り難し有り難し 1131
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