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hasunoha 問答検索結果 : 「 お墓 」
検索結果: 1895件

なぜ生きていなければいけませんか?

昔国語の授業で死生観の話になり、先生が「死ぬのがいけないと言うことに対しての絶対的な否定はできない。」という話をしました。 その時の話に妙に納得し、胸にすっぽりとはまってしまった考えはなかなか抜けず、今でもその問題に悩み続けています。 今の私の生活は、特に何が悪いと言うわけでも、何が楽しいと言うわけでもありません。悲観するべき人生でないのは恵まれていると思います。 ですが、このまま自分は生きている今なんてあるのかな、と思ってしまいます。 自殺する人たちに向かって、「これから生きていれば良いことがあるよ。」と説く人がよくいますが、別にこれからの楽しみに期待はしていません。これでは生きていく意味になりません。 「周りの人のために死んではいけない。」と言う言葉は確かにその通りだと思います。ですが、家族や友人、私の死後の事を考えると、それらはただの今の私の重荷でしかないと思います。 人生は先行きがわからなくて、その時その一瞬や1日によって状況が全く変わったりしますよね。辛いことも苦しいこともたくさんあって、日々の暮らしや将来にあまり期待もしていなくて、こんな状態で生きていく意味はありますか? 生きていくのに必要な「欲」がなければ、生きていく意味はないのでしょうか なぜ人は死んだらいけないのでしょうか。 生きていかなければならないのでしょうか。 生きるって何がゴールですか? 先の見えないゴールなら自分で素早く終わらせても一緒じゃないですか? 死ぬってなんですか? 結局皆終わりには死ぬのに、生きる意味はありますか?

有り難し有り難し 85
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他界した夫に謝り、感謝を伝えたいです。

初めて質問をさせて頂きます。 アルコール依存から肝硬変、食道癌。 夫の命を守りたくて約10年、仕事で看護師をしている時よりも、全身全霊込めて夫の看護をしました。 在宅で療養しやすいよう、医師達からかなりの協力も受けていました。 夫は療養中、昔の知り合いの女性と飲みに出て動けなくなり、警察に保護されることや怪我で救急車で運ばれていたり、毎日がジェットコースターのような感じでした。 この3年は特に、疲れや高額な医療費の圧迫で、私は余裕がない状態で接していました。 他界する当日、何か苦しく感じたのでしょう。 断酒していましたが、夫は近くのドラッグストアでお酒を購入し、飲み、自宅付近でうずくまっていました。 「いい加減にして欲しい。もう限界。」の気持ちが爆発してしまいました。 夫に罵詈雑言を言い、杖を投げつけて自宅に入るよう言ってしまいました。 夫は全く動く事が出来ず、帰宅した息子に介助して貰い自宅へ入れた直後に心配停止。 息子を指示して心肺蘇生を開始しましたが、あっさりと亡くなってしまいました。 長い闘病生活の中で、飲む、体調を悪化させる、入院、回復してきたので、まさか最期になると思わず酷い対応をしてしまいました。 夫へ「あの時は本当にごめんなさい。」、「一緒に過ごした時間は本当に楽しかった。」、「またいつか逢えることを楽しみにしている。」ことを伝えたいです。 菩提寺様にお話して、納骨はまだ先にさせて頂き、家でいつも話し掛けています。 夫の人生はなかなか破天荒だったので、初七日から四十九日の大切な日には、審判する仏様へ「彼は心根は良い人なので、審判をお間違えのないようお願い致します。」と手を合わせて来ました。 夢にも殆ど現れず、お釈迦様のお弟子さん生活を開始し、頑張っているのかな?等と感じながら過ごしています。 毎日お線香をあげ、話し掛け、節目、節目には菩提寺様へ伺わせて頂くことで、夫へ伝わるでしょうか。 纏まらず、ごめんなさい。 どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 17
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整形したことを隠しています

高校の時にアイプチをしすぎてボロボロになった瞼を二重整形しました。元には戻せません。 だいぶ前のことなので、今の顔が自分の顔のような感覚でいます。バレたくないし、一般的にも整形は隠すものだと思って特に周り聞かれても整形はしてないよと言っていました。その時は、そのことについては何も悪いと思っていませんでした。 母も整形には肯定的な人で、理解を示してくれました。 30歳手前で出会った男性にそのことを伝えずに結婚し、子供も来ました。夫は奥二重なので、娘は今奥二重です。 しかし子供を持つようになってから考え方が変わりました。最近は整形をオープンにすることもよくある時代で、かつ結婚相手には言わないと詐欺だと言う意見もネットにはありました。 私は親に与えられた顔を傷つけてしまった、その上、夫に隠して結婚して、子供にまで本当のことを言わずに死ぬまで生きていくなんて、申し訳なくて毎日苦しいです。私は人の道に外れたことをしてしまったと思うようになりました。本当の自分の顔は誰も愛してくれなかったんじゃないかとも思うと悲しいです。理解してくれた母にさえ、整形を後悔していると言って困らせてしまいました。こんなに後悔するのなら、嘘の顔で人に胸張って生きられなくなるのなら、整形なんてするんじゃなかった、親からもらった元の顔だって十分素晴らしかった、今更気づいた私は愚かだ、親にも申し訳ない。 夫は私の顔に惹かれたわけではありませんが、おそらく整形には否定的だと思います。 子供にもし整形をされたいと言われたら、私と同じように後悔して欲しくないから勧めはしないと思います。 妊娠中に浮気をした夫を強く責めてしまったことも、自分の隠し事のことを棚に上げて申し訳なかったと思います。整形をして自信が持てたことで性格まで傲慢になってしまったのかと思うほどです。 今後、夫に言うことは考えていません。なぜなら浮気のこともあり、私たちはただでさえ関係がこじれていて、これ以上波を立てると離婚になるかもと思っています。言う勇気はありませんが、毎日夫の顔を見るたびに心が痛くて、育児中ですがそのことばかり考えてしまいます。 私は仏様に顔向けできません。罰せられるのでしょうか。 どこをとっても身勝手な行動ですが、私はこれからどのように考え生きていけばよろしいでしょうか。教えてください。

有り難し有り難し 12
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親不孝ものです。

先週、母が亡くなりました。 苦しんでいるのに気づいていながら、本人が嫌がるので救急車を呼ぶこともせず、息をしてないことに気づいてから、やっと救急車を呼びました。 どんなに寂しくて、苦しみながら死んでしまったのかと思うと、自分が情けなくなります。 ここ数年、同じ家にいながら会話らしい会話もせず、母を邪険にしたり、今になってやっと酷い扱いをしてきたんだと悔やんでいます。 母がお酒の量やタバコの量が増えたのは、私が母に冷たくしていたからなんだと気づき、量が増えたことを咎めたとき、母が「何が楽しみだと思って。一日中どこにも行けないでいるのに」という言葉が突き刺さります。 足腰が痛いからと出歩くことも出来ず、「そんなに痛いなら病院行けって言ってるでしょ!」とケンカ腰になったり。 私と二人暮らしの母の会話相手は私だけだったのに、言葉を無視されたり、口答えばかりして、どれだけ寂しかったろうかと、今さら気づいたことが、本当に情けないです。 お酒やタバコの量が増えた理由も考えず、病院で対応してくださった先生には、死因にたいして「娘の私が言うのもなんですが、自業自得」などと言ってしまいました。 日が経つにつれ、私が原因でお酒やタバコの量を増やして母の命を縮めて殺したんだという現実を教えられました。 今さら悔やんでも、謝っても私の罪は消えません。 タスポのぼやけた写真が最後の母の写真なので、仏壇とは別にタスポをテーブルに飾り、一緒に今までと変わらない感じでテレビを見たり、お菓子を差し出したりして、仏壇の写真に「寂しくさせて、苦しんでいるのに救急者を呼ばなくてごめんなさい」と謝っています。 また、棺に靴を入れ忘れたり、死に化粧すらしてあげられなかったことも。 貧しい生活なのに、私はいい歳しても母にばかりお金を使わせ、私はいっさい母に買ってあげませんでした。今年の誕生日こそは、と思っていた矢先です。 誕生日に、買って供えて喜んでくれるのか。 私の親不孝は、どうしたら親孝行に変えられるのか、教えて頂きたいです。 質問に補足する カテゴリを変更する

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